特集「世界で活躍する、日本のビジネスパーソン Part.2」より
■ 世界各国の日系メディアと協業し、各国で活躍する経営者やビジネスパーソンにインタビューを敢行。 (※ライトハウス・2024年2月号特集記事に掲載の久世 直樹さんへのインタビューを元に、作成しています。情報は同号の発行時点のもの)
日本各地のこだわりのおいしいものを集めたグルメストア、久世福商店の運営で知られるサンクゼール。同社のアメリカ進出をゼロから始めたのが、創業者の次男である久世直樹さんです。事業は日本への果物加工品の輸出からスタートし、現在は「KuzeFuku & Sons」のブランド名でアメリカにも進出しています。現在に至るまでの経緯をうかがいました。
▲ 久世 直樹 Web (Kuze Fuku & Sons): https://kuzefukuandsons.com |
”始まりは母の手作りジャム。日本のおいしさと素晴らしさをアメリカへ。 ”
ー まず、サンクゼールの成り立ちについて簡単に説明してください。
私の父、良三は、長野県の斑まだらお尾高原でペンションを開業し、2日目の宿泊客に一目惚れし、猛アタックの末結婚します。この女性が私の母、まゆみです。ある時、母は近くの農家から不ぞろいのリンゴを安く買い取り、ジャムを作ってペンションで振る舞ったところ大好評で、その後、父がジープに乗って地元のホテルやお土産屋さんで売り始めました。さらに、両親はフランスのブルゴーニュを旅行した際、田舎の農家が誇り高くブドウやリンゴを育て、ワインやシードルを作り販売する姿に感銘を受け、長野県の飯綱町(旧三水村)にジャム工場やワイナリーを立ち上げます。私は、ペンションを切り盛りし、ジャムやワインを製造販売する両親を見て育ちました。
ー 直樹さんはなぜ、高校卒業後にアメリカを目指したのですか?
高校生になると地元を離れ、長野県内の佐久長聖高校に進学し、寮生活を送りました。夏になると実家に戻り、ワイナリーやブドウ畑でアルバイトしたものです。ある日、寮の公衆電話から父に将来の進路を相談すると「日本の大学も良いが、海外の大学も良い経験になるんじゃないか」と衝撃的なアドバイスをもらいました。友人や先生は、日本で良い大学に入り、良い会社に入るという価値観が当たり前でしたから。まるで雷が落ちたようにアメリカに行きたいと思うようになり、そこからアメリカでワインを勉強することを目指すようになりました。
ー アメリカ留学は、若き直樹さんにとってどのようなものでしたか?
日本の常識が身に付く前に、海外で過ごし、さまざまな価値観が積み重ねられたかもしれません。
特にやって良かったことはアルバイトです。カレッジとUCデービスでの学生時代は三つほどの日本食店でアルバイトをし、その一つがMikuni Japanese Restaurant and Sushi Barです。当時から大繁盛店だったMikuniに飛び込みで行くと採用され、食器洗いからウェイターへとステップアップしていきました。多くの日本食レストランが在米日本人を対象にする中、Mikuniの顧客は白人のアメリカ人がほとんどです。メニューはロール寿司など300種類ほどあり、シェフたちが手品などパフォーマンスをしながら提供するスタイルで、活気に満ちていました。当時、日本人は「ロール寿司は寿司でない」とバカにするような時代だったと思いますが、気にせず徹底していました。アメリカは多様性のあるバックグラウンドの民族が集まり、誰をターゲットに商売をするのかが、日本市場よりもはるかに複雑です。学生なりに、グローバルな商売とはこういうことかと身震いしました。この考えや価値観はアメリカでの「Kuze Fuku & Sons」のブランドや商品開発、マーケティング全てに生かされています。
ー アメリカで学び、働いた直樹さんは、なぜ、帰国し、サンクゼールに入社したのですか?
大学卒業後、アメリカでの起業も検討しましたが、同時多発テロの影響でビザの取得が難しいと分かりました。そして、父からは「サンクゼールは店舗展開を始めたばかりで忙しいから手伝ってくれないか」と言われました。父のことは経営者としても、父親としても大好きで憧れていましたし、父が元気なうちに一緒に働くことで、多くを学べると思ったこと、また、サンクゼールはメーカーでありながら、卸も店舗展開もしており、世界的にもオンリーワンのビジネスモデルを持っている点を魅力に感じたこともあり、2004年に帰国と入社を決めました。2年後、現在はサンクゼールの社長を務める2歳上の兄も入社しました。
2022年12月、東京証券取引所のグロースマーケットにサンクゼールが上場。中央が兄夫婦、直樹さんと妻が左中央、両親が右中央。ペンションで出していたリンゴジャムを再現し、全員で手にして記念撮影を行った。
ー 「日本のグルメストア」という久世福商店のコンセプトはどこから着想を得たのですか?
店舗展開を始めて10年が経った頃、父がシンガポールの食品展示会に出展。弊社のパスタソースをスーパーマーケットのバイヤーたちに紹介しました。そこで父が言われたのが「なぜ日本人がジャムやパスタソースを持ってくるのか。味噌やしょうゆを持ってきてほしい」という要望でした。同じ頃、私は中国での事業(後に撤退)を任され、ジャムやパスタソースを富裕層に販売していました。そして中国でも同じことを言われました。私たち親子3人が集まると、親子の会話はそっちのけで、会社のこと、将来のことの議論が始まります。父がシンガポールで久世福商店のコンセプトをメールで書くと、兄と私は受け取ったその日から会社の仲間たちと検討を始め、それから1年後の2013年12月、幕張新都心で久世福商店1号店が開業しました。
ー 仕事での成功の一方、プライベートでは、留学時代の同級生でアメリカ人の女性と結婚されましたね?
妻とは大学で知り合い、29歳で結婚しました。留学当時から、妻には「将来、サンクゼールをアメリカで展開したい」と語っていたこともあり、妻もそのつもりで結婚と日本での生活を承諾したと思います。しかし、久世福商店を始めた後、年間20店舗も開店させた時期もあり、毎週、仕事で出張をしていました。妻から「アメリカでの展開の準備はどうなっているの?」と聞かれましたが、目の前の仕事に必死で、彼女と向き合えていなかったと思います。妻は私に愛想を尽かし、サンフランシスコの実家に長女を連れて帰ってしまいました。ショックでしたし、人生の分岐点に立たされていると感じました。選択肢は二つあったと思います。日本に残って目の前の仕事に取り組むか、もしくはアメリカ進出を本気で考え、実行に移すか。前者を選んでいたら、結婚生活が破綻していたのは言うまでもありません。
ー ご家族を追うようにアメリカに渡った直樹さんは、アメリカ進出当初は、どのような事業を行ったのでしょうか?
2015年にサンフランシスコに引っ越した後は、アメリカのワインを日本に輸出したり、おしゃれな中古の雑貨を買い付けて日本で販売したりし、その一方で、展示会の出展や、売りに出されている食品工場の視察をしていました。そんな中で出会ったのがオレゴン州ニューバーグにある食品工場です。現在のサンクゼールの米国製造拠点であり、グローバル本社となる場所になります。2017年にそこをM&Aで合併買収し、サンクゼールの100%子会社として創業しました。創業時はアメリカに販路がなかったので、オーガニックの「ブルーベリーコンポート」や、ヒット商品になった「いちごミルクのもと」などをアメリカの原料で製造し、日本に輸出しました。
ー 2019年、米国サンクゼールとは別に「Kuze Fuku & Sons」を立ち上げた経緯を教えてください。
創業後1、2年は、売上の約9割が日本向けの輸出でしたが、アメリカ人に日本のもののおいしさや素晴らしさを伝えたい気持ちもありました。そこで、久世福商店のアメリカブランド「Kuze Fuku & Sons」を発足させたのです。中国やシンガポールで言われた「日本人なら味噌やしょうゆを持ってきて」というシンプルな投げかけに、日本人であることや、日本のルーツを持つことが強みになる商品を作ろうと考えました。日本の商品をそのまま持ってきても、アメリカ人は買ってくれないことはMikuniで学んだので、できる限りアメリカ人にも伝わるブランド、マーケティング、パッケージデザイン、商品開発を心がけています。
カリフォルニア州アナハイムで開催されたNatural Products Expo West。売れ筋商品を並べ、アメリカのスーパーマーケットや小売店のバイヤーにアピールした。
ー 「Kuze Fuku & Sons 」はどのように販路を広げたのですか?
最初は、「ゆずの飲む酢」という健康飲料を販売していました。今でもリピーターが付いている商品ではあるのですが、より分かりやすい商品をと考え、ゆずのジャムやゆず味噌のソースを登場させると、よく売れました。ジャムや調味料は健康飲料より売れると分かり、ジャム、タレ、ソースの種類を増やしていきました。アメリカで日本のおいしさ、素晴らしさを届けたいとビジネスを展開してきたので、米系スーパーでの取り扱いが増えるたびに、心が躍る気持ちです。現在は円安で、日本向け商品の輸出はほぼなく、売上の90%がアメリカ国内での販売になりました。この数年間で、ビジネススキームが大きく変わり、良い方向に進んでいると感じています。
ー どのような商品が人気ですか?
オレゴンでは100種類以上の商品を作っています。最近発売した「Yuzu Miso Topping 」はご飯のお供にぴったり。熱々のご飯に載せて食べてみてください。日本で製造している「Traditional Umami Dashi」も人気ですし、長野の七味メーカー、八幡屋礒五郎の七味となめ茸をふんだんに使用した「Enoki Mushroom with Seven Japanese Spices」も人気です。さらに、アメリカで開発製造をした「Yuzu Kosho」「Red Bean Spread」「Matcha Spread」や、ベトナム系アメリカ人の妻が自宅で作っていたタレを商品化した「Vietnam Style Spicy Sweet & Sour Sauce」も人気があります。最近、販売を始めた「Yuzu Cocktail Syrup」は、有名なバーテンダーと共同開発し、自宅で簡単においしいゆずカクテルを作れます。私も友人や会社の同僚を自宅に招くと、ゆずカクテルを振る舞うんですよ。おすすめは、テキーラと1対1で氷とシェイクするレシピ。私がシェイクする姿に、なぜか皆、笑うんですが(笑)。
「Yuzu Cocktail Syrup」「Yuzu Ketchup」「Yuzu Teriyaki」など、ゆずを使った商品が人気。
ー 最後にサンクゼールと「Kuze Fuku & Sons」での今後の予定や御社の目標を教えてください。
昨年6月より、ノースウエストで人気のオーガニックケチャップブランドPortlandia Foodsを買収し、運営しています。これが濃厚でおいしく、『ライトハウス』の読者の皆さんにもぜひ食べていただきたいです。また、「Kuze Fuku &Sons」は、全米で愛されるプレミアム・ジャパンブランドに成長させたいと願っています。両親がペンションで目指したのは、愛情と喜びを一人でも多くのお客さまに伝えること。「愛と喜びのある食卓をいつまでも」が弊社のスローガンで、創業の原点です。アメリカでも多くの食卓で、弊社の商品を通して愛と喜びが育まれることに貢献できれば、こんなにうれしいことはないと思っています。
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*情報は2024年2月時点のものです