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ロング・トレイルのこと

アメリカ・ノースウエスト自然探訪
2010年10月号掲載 | 文・写真/小杉礼一郎

しんとした湖畔を歩き谷川のせせらぎを聞く。オールドグロスの森を抜けると
一面の花、明るく広い岩の尾根から白く青い氷河を望む
ロング・トレイルは自然を訪ねる究極の小径だ

ロング・トレイルとは

国定トレイル法(National Trails System Act of 1968)に「景観、歴史、レクリエーションのためのトレイルのネットワーク」と記されている。そして“野外の土地、史跡を訪れ、楽しみ、それらを守る”この法により“National Trail”として定められたトレイルは、例えばオレゴン・トレイルを始めとする19の歴史トレイル。そして、アパラチアン・トレイル、パシフィック・クレスト・トレイルなど、11の景観トレイルがあり(Information参照)、その長さは数万キロにも及ぶ。※1

ハイウェイ・システムとは違い、たかが小径と思うなかれ。4,000メートル級の山脈や、太古の原生自然の道だ。夏草はあっという間に生い茂り、長い年月の間の雪崩、大雨、山火事などの自然災害もある。道を拓き、道標を立て、巡回し、これらを維持・修繕して正しく使われるようにしていくことは大変なことだ。要請に対し予算はいつも限られている。

国立公園局、森林局、地元の州、郡、市の施策に加え、たくさんの地元ボランティア、利用者でもあるトレイルの愛好家組織や労力によって、世界に誇れる現在のアメリカのトレイル・システムがある。個々のトレイルについては、それぞれに深く詳しい情報が整理されておりウェブサイトで見ることができるが、今回は北西部にかかわりの深いトレイルをふたつ紹介しよう。

パシフィック・クレスト・トレイル

ノースウエストに住む人ならば、1度はこの名を見聞きしたことがあるかもしれない。パシフィック・クレスト・トレイルは、北はワシントン州のカナダ国境からカスケード山脈をたどり、オレゴンを縦断しカリフォルニアへ。そしてシェラネバダ山脈を南下してメキシコとの国境に至る、全4,265キロに及ぶ世界第1級のロング・トレイル。全コースを歩き通すには半年以上を要する。ワシントン州のルートは、(北から)ノース・カスケード国立公園を横切り、スティーブン・パス、スノコルミー・パスを経る。レニア山国立公園の東辺をかすめ、アダムス山の西斜面を通ってコロンビア河を渡る。オレゴン州に入ると、道はシニデア山に登ったのち、マウント山の北面を通ってカスケード山脈の主脈をたどり、南部はクレーター・レイク国立公園のほぼ中心を通っている。なお、パシフィック・クレスト・トレイルでは、移動手段として馬、ミュール(ストック=Stockと呼ばれる)の乗り入れが認められている。ちょっと面白いのが、クレーター・レイクでは、湖水の水質保全のために湖岸(=リム)にストックは近付けず、西側に迂回するトレイルを設けている。

パシフィック・クレスト・トレイルの真骨頂は、やはりシェラネバダ山脈に入ってからだろう。景色が素晴らしい(誠に素っ気ない言い方だが、いくら言葉を尽くしたとして徒労なのだ)。この地上で最高の景色ではなかろうか。世界中のバックパッカーの垂涎の的、ジョン・ミューア・トレイルはパシフィック・クレスト・トレイルの一部である。※2

ワンダーランド・トレイル

レニア山は観光や登山の対象ばかりでなく、その原生自然を静けさの中のトレッキングで楽しむこともできる。このトレイルは、レニア山の周囲を一周する全長144キロのコースだ。ルートはすべてレニア山国立公園内を通る。厳密には144キロのトレイルなどをロング・トレイルとは呼ばないであろう。しかしながら私達の身近にあり、そのルート上の景観の多様性と環境は素晴らしい。トレイルのシステムとしてもフード・キャッチ・システム※3など、ロング・トレイルのデモ版とも言えるコースだ。

ワンダーランド・トレイル全部を歩き通すには2週間を要するため、いくつかのコースに区切って歩く人が多い。トレイルは起伏に富み、いくつもの尾根を登り、谷を下る。1日の高低差が1,000メートル以上というのは普通、低地林から高山植物の咲く高原、数十の氷河や湖畔を通る。トレイルの途中には2~8マイルごとに全部で18カ所のキャンプ場(ウォークイン)がある。また、コース中にある古くからのレンジャー・キャビン(小屋)は、今でもパークレンジャーの園内巡回に使われている。※4

加藤則芳氏との邂逅(かいこう)

この夏、隊長は偶然に、華奢で小柄なある初老の紳士と出会った。その人は日本のジョン・ミューアこと加藤則芳さんだった。紹介され「ええっ? もっとゴツい人かと思ってました」と言ってしまった隊長を、彼はニコニコと優しい目で見ている。ほんの2、3時間一緒に過ごしただけだったが、いろいろ話をした。いわく「歩くのはいつもソロ。というよりソロが好きです」。「この年だからしょっちゅう体中が痛い。朝起きて、とても歩けないと思うけど、歩き出すと止められないんだな」

加藤さんは早稲田の政経を出て、角川書店に勤め、退職後は八ヶ岳の山麓に移り住む。以来、日本内外の自然に関する実践と執筆、提言を続けている。とくにジョン・ミューア研究と日本への紹介の第一人者だ。話していてわかったことは、彼は自然が好きだが同じように人間も大好きということ。政治、社会、文化、国際関係に造詣が深い。が、「社会派」というより「人間派」だと感じた。

加藤さんがアメリカで歩くフィールドは北極圏、シェラネバダ、アパラチアン山脈と広く、かつ深い。アラバマからメイン州まで、アパラチアン山脈を通る3,500キロの世界最長トレイルを半年掛けて歩き通した時は、「自然よりもアメリカの政治や土着文化、この国の歴史のかたまりのような濃密な東部の空気を感じた」。そして「そのことを書きたいと思うんだけど出版社はその部分を削る。書かせてくれないんだ。削ることは書くことよりつらいよ」。その言葉に共感を覚えた。在京のワシントン州政府観光局とも交流があり、オリンピック国立公園で約140キロのトレッキングを行い、その紀行記を雑誌に発表している。そしてレニア山のワンダーランド・トレイルのことを語ってくれた。実は今回のこの文のインスピレーションは彼からいただいたものである。

別れ際に、隊長は「ずっとインサイド・パセージの旅プランを温めている。いつかきっと船と車とトレイル・ウォークで、東南アラスカの山々の高みを歩きたい」と話した。その言葉に加藤さんは何度もうなずいていた。そのうち隊長の企画に氏が参加するかもしれない。その時はもちろんソロで歩いてもらい、夕餉のひと時、ゆっくりと語らいの時間を持ちたいと思った。

※1 アパラチアン・トレイルは、米東部から南東に走るアパラチアン山脈をたどる全長3,500キロのトレイル。通過する州は、北のメイン州から南部のジョージア州までの東部14州。

※2 ジョン・ミューア・トレイルは、パシフィック・クレスト・トレイルの一部(あるいはハイライト)で、シェラネバダ山脈の稜線をたどるシーニック・トレイル。北はヨセミテ国立公園、南は米本土の最高峰マウント・ホイットニーまでの340キロ。

リシア・パーク
▲ジョン・ミューア・トレイルの南端、シェラネバダ山脈のホイットニー山(標高4,418メートル)は、米本土の最高峰
リシア・パーク
▲ジョン・ミューア・トレイルの北端はヨセミテ国立公園。喧騒のヨセミテ谷を登ると花崗岩と草原の高地が広がる
リシア・パーク
▲パシフィック・クレスト・トレイルは、フッド山の北面を通ってカスケード山脈をたどる。北面から見るフッド山は、凛々しい高山の威容を見せる
リシア・パーク
▲クレーター・レイク国立公園の中心を通り、クレーター・レイクの西岸を迂回して南下するパシフィック・クレスト・トレイル
リシア・パーク
▲アパラチアン・トレイルは、米北東部の脊梁アパラチアン山脈をたどる全長3,500キロのロング・トレイル。この景色はバージニア州のシェナンドー国立公園から見たブルーリッジ山の山並み
リシア・パーク
▲ワンダーランド・トレイルは、森林限界のサブアルパイン・ファーと花畑が点在し、素晴らしい景色の中を通っている
リシア・パークリシア・パーク
▲ワンダーランド・トレイルのレニア山北西面での発着拠点となる、モウィッチ・レイクのキャンプ場。国立公園のレンジャーからフード・キャッチが可能


Information

■ナショナル・トレイル・システム
全米の19の歴史トレイル(National Historic Trails)と11のシーニック・トレイル(National Scenic Trails)について紹介された、国立公園局の公式サイト。個々のトレイルについては、それぞれに詳しい紹介のサイトがいくつも用意されている。 
National Trail System
www.nps.gov/nts

■ワンダーランド・トレイル
レニア山を周回する144キロのトレイルを紹介した、レニア山国立公園の公式サイト。トレイル全部を歩き通すには2週間を要する。コースのガイドブックが何冊か出ている。
The Wonderland Trail
www.nps.gov/mora/planyourvisit/the-wonderland-trail.htm
(関連本)
『Adventure guide to Mount Rainier』 / Jeff Smoot
『50 Hikes in Mount Rainier National Park』 / Ira Spring and Harvey Manning
『Best Easy Day Hikes Mount Rainier National Park』 / Heidi Schneider

■加藤則芳
1949年埼玉県生まれ、バックパッカー、作家。日本の国内外の自然を歩き、国立公園、自然公園、自然保護に関しての執筆を精力的に行っている。日本におけるジョン・ミューア研究/紹介の第一人者であり、アメリカのロング・トレイル・トレッキング実践紹介の草分け的存在。『ジョン・ミューア・トレイルを行く』(JTB紀行文学大賞)は、現地に来る日本人バックパッカーのバイブルとなっている。
(加藤氏のブログ)http://www.j-trek.jp/kato/

(2010年10月)

Reiichiro Kosugi
1954年、富山県生まれ。学生時代から世界中の山に登り、1977年には日本山岳協会K2登山隊に参加。商社勤務を経て1988年よりオレゴン州在住。アメリカ北西部の自然を紹介する「エコ・キャラバン」を主宰。北米の国立公園や自然公園を中心とするエコ・ツアーや、トレイル・ウォーク、キャンプを基本とするネイチャー・ツアーを提唱している。