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(特別編)イマジネーションを育てる

アメリカ・ノースウエスト自然探訪
2011年05月号掲載 | 文・写真/小杉礼一郎

自然の力を「想定外」などと、人間が思い上がるようになったのは
この百年余のことにすぎない。自然は人間にその不可知さも数十億年の
地球の移り変わりも伝え続けているのに

 

死の谷とフクシマと

「デスバレー国立公園の広さは福島県ほど」と前号で書いた※1。原稿は、2011年3月11日の東日本大震災の前に書いており、それが活字になる間に「フクシマ」が世界中に知られるとは、それこそ「想定外」だった。園内きっての展望台ダンテス・ビューに立ち西を見渡すと、谷の半分が見える。視界を遮るものは何もない。くだんの原発はほぼそれくらいの広さに放射能を放ち続けているわけだ。そしてその放射能を封じる処理剤として大量の水と共に炉内に投入されたのがホウ素※2である。19世紀末、デスバレーはこのホウ素の一大生産地だった。その採掘跡は今も残っている。

……と、ここまで書いてみたものの、どうにも震災のことが頭を離れない。だめだ。今回は、いたたまれぬ今の、隊長の熱いままの思いを書きたい。

イマジネーションを裏打つもの

地震、大津波、原発事故と次々にニュースが伝わり、とてつもない被害の爪痕がしだいに明らかになってきた。世界中の人達がいろんなメディアを通じ、体験を通じ、この大震災に心を寄せ、支援活動を行なっている。

人が情報を受け行動に移す思考の流れはこのようなものだろうか。
Information×Imagination=Decision⇒Action

(情報)× (想像力) = (判断)⇒(行動)
現下の大震災のような非常事態には、とりわけ正しいインフォメーションが求められることは言うまでもない。が、ここではコンピューターにたとえるなら、CPU(中央演算装置)に当たるイマジネーション(想像力)について話したい。
巨大津波の被害は、そのあまりの惨状に、これは悪い夢ではないかとさえ思われるほどだ。家や肉親、職場や町そのものまでを失った人達の心境は、察するにあまりある。被災地での食べ物が少なく、凍える寒さの避難所生活とはどういうものなのか。私達のイマジネーションを超えている。超えた部分を補っているものは「共感」「愛」だろう。家族愛、郷土愛、同朋愛、人類愛、地球を幾重にも覆っているそういう愛の力の大きさ、大切さを思わずにはいられない。

続く原発事故については、事故前の「絶対安全」の尊大さと事故後の体たらくの落差から、人々のイマジネーションはいやが応にもマイナス値に働く。まして目に見えない、経験も予備知識もまるで少ないことから、不安はより増幅される。こういう事態こそ初動時の専門家による的確なインフォメーションがもっとも重要なのに、見事に失敗した。だから世間と世界中が疑心暗鬼を起こしたのは無理もない。

「さしあたり健康に影響はない」と言う一方で、右往左往の大騒ぎをしているという現実から、人々のイマジネーションのマイナス値は悪くなるばかりだ。ひるがえって、過去数十年日本の原子力行政をリードしてきた人達に深い憤りを覚える。「想定外」と言うが、それを覆す事実はいくつも挙げられている。彼らのイマジネーションとは一体どのようなものだったのか? この後人類が共有するケーススタディーとして、彼らの思考と判断のプロセスが検証されねば次へ進めないだろう。この記事が出る頃には、少しでも事態が良くなっていて欲しいと祈るほかない。

この10年あまり、身の回りには格段にCGや映像の情報があふれるようになってきた。速く短く、情報は大体きれいに整えられている。しかし的確というより「短絡」というほうがふさわしい情報が実に多い。“Yeah”か“Boo”かという2択(か、せいぜい3択)に私達のイマジネーションは知らず知らずに押し込められている。受け止め、考える間もなく“Yeah”か“Boo”のキーを押す。そんな今だからこそ、私達は自分のイマジネーションを一生掛かっても大切に育てるべきだと隊長は考える。

豊かなイマジネーションには豊かなリアリティー(=実体験)の裏打ちが必要だ。教科書やテレビやコンピューターの情報というのは、程度の差こそあれ、紙や画面という、ある意味バーチャルである。バーチャルよりリアリティー、それも見るだけより、聞き、話し、嗅ぎ、触り、歩き、食べ、あるいは飢えることで人はより自分のイマジネーションを正しく育てることができる。いろんな反対意見はあるが、だからこそトップの現地視察に、隊長は賛成する。

ふたつの自然

20年前、ある哲学者が原子力発電についてこう言っている。「~絶対に間違いはないと、人間の分際でなぜそういうことが言えるのですか。壊れるかもしれない時にどうしたらいいのかということを、二重、三重に考えなくてはなりません。災害学と災害処理学がより完全に研究され、十分に整備されなくては、この恐るべき火は使ってはならないのです」(今道友信※3著『エコエティカ』講談社学術文庫より1990年発売)

ここでのキーワードは「人間の分際」である。「自然の恵み」「自然の美しさ」「自然を大切に」「地球にやさしい」……人は自然についてさまざまに語る。しかし人間は、しょせん技術という金斗雲に乗ってお釈迦さまの周りを飛び回っている猿ではないか。お釈迦さま、すなわち自然である。自然が不可知であり、無慈悲でもあることを現代人は忘れる。というより本当はわかっていなかった。今、私達は大変な状況と引き替えに、そのことを学びつつある。

自然にはふたつある。外の自然と内なる自然だ。外の自然とは、海や山や森など、この記事で取り上げる自然。アメリカの自然で言うと、青い海、白い砂浜、椰子の木のあるリゾートがステレオ・タイプとしてある。そういう楽園の(商業)自然も良いが、人はスイーツばかり食べて生きてはいけない。たまには硬派な自然、人間を超絶した自然、人智の及ばぬ世界と向き合うことも必要だ。そこはリゾートより日射しは強く、うんと暑いかもしれない、寒いかもしれない、雨や雪や砂嵐があるかもしれない、嫌いな虫や危ない動物がいるかもしれない、アプローチに苦労するかもしれない。しかし自然と自分(達)の確かなつながりを五感で感ずることができる。自然に対する「人間の分際」を知ることができる。自分のイマジネーションを育てる大事な栄養素がそこにある。

もうひとつの内なる自然は、脳、心臓を始め、いろいろな臓器、循環器など、つまり自分の体だ。命も心もその総体と言える。投薬や手術などで人間がコントロールできることもあるが、できない部分もある。外の自然同様「人間の分際」をわきまえずにいると、さまざまなトラブルや苦しみが生じることになる。

体を整え、いわゆる「気づき」の機会を持つこと。心も含め自分の内なる自然に向き合う時間を持つことは大事だ。手近なところでは、散歩でも瞑想でもヨガでも良い。

そして人は、いつか自然にかえる。だから、生きていくうえで折りに触れ、ふたつの自然を通い合わせること、つまり自分の内なる自然と外の自然をシンクロナイズさせる機会があるとしたら幸運だと思う。これは、しばしば言ってきた“Down to Earth”、自分が地球とつながっていると実感する至福の時間だ。こうした体験を持つことで、私達は思考(≒イマジネーション)のバランス感覚を保つことができる。

隊長より

今回の大震災で命を落とされた大勢の方々の冥福を心から祈ります。惨禍に遭われた多くの人達にお見舞いを申し上げます。そして自ら、あるいは周りの人達を支えて頑張っているたくさんの方々へ。米北西部にある我々は、今できる限りのサポートを続けていきます。人間は大きな自然の前では弱く小さいひとつの生き物でしかないけれども、どんなに遠くても助け合うことができる唯一の種です。自然は無慈悲でもあり、しかし、分け隔てない慈悲をあまねく施してもくれます。声を掛け合い、知恵を出し合い、力を合わせてこの試練を耐え抜きましょう。「ありがたい」と自然の慈悲を、また心から喜べる日まで。

※1 デスバレー国立公園の面積、1万3,490平方キロメートル福島県の面積、1万3,782平方キロメートル

※2 ホウ砂(ホウ酸ナトリウム)英語名:Borax ガラス、洗剤の原料。防腐剤、消毒剤として広く用いられる。

※3 いまみちとのもぶ 哲学者 東大名誉教授 新時代の倫理学 Eco-Ethica(生圏倫理学)を提唱

リシア・パーク
▲コロンビア河下流、オレゴン州岸カラマにあった原子力発電所。1990年頃までは原子炉から空高く水蒸気が立ち昇っていた。事故があったわけではない。原発は危険ゆえ廃炉しようという住民投票が州議会にかけられその通りになった。電力料金は値上げされたが、今その場所には原発の跡形もない
リシア・パーク
▲2年前の冬にワシントン州西部を覆った洪水では、各地の道路が寸断。I-5も水没し数日間通行止めになった
リシア・パーク
▲数年前の冬の中西部オハイオ州での洪水。東西の動脈I-70が冠水し、通行止めとなった
リシア・パーク
▲マイマ・マウンドの波打つ大地。同じ地形は北米大陸の同緯度に分布。巨大地震による液状化現象説も唱えられている
リシア・パーク
▲デスバレー国立公園のダンテス・ビューから谷を望む。対岸の山まで直線で約30キロ
リシア・パーク
▲レニア山の火山泥流が予想される谷合いの町オーティング(Orting)。避難ルートのサイン
リシア・パーク
▲オレゴン・コーストにある津波危険箇所を示すサイン。この地は東日本大震災の10時間後には実際に避難命令が出された
リシア・パーク
▲1980年5月、セントへレンズ火山が大噴火し、北斜面の森林を一撃でなぎ倒した。すさまじい破壊力

(2011年5月)

Reiichiro Kosugi
1954年、富山県生まれ。学生時代から世界中の山に登り、1977年には日本山岳協会K2登山隊に参加。商社勤務を経て1988年よりオレゴン州在住。アメリカ北西部の自然を紹介する「エコ・キャラバン」を主宰。北米の国立公園や自然公園を中心とするエコ・ツアーや、トレイル・ウォーク、キャンプを基本とするネイチャー・ツアーを提唱している。