最近、ドキュメンタリー映画にはまっている。「事実は小説より奇なり」なんて言うが、事実をそのまま映像にした映画なんてものには興味はない。そんなドキュメンタリーなんか、このヤラセの盛んな世の中で今時ないとは思うが。音楽や編集で技術的に盛り上げて感動させるドキュメンタリーも興味はない。そんなものはNHKの「プロジェクトX~挑戦者たち~」に任せておけばよろしい。 「人間蒸発」というドキュメンタリーには正直度肝を抜かれた。婚約者が突然蒸発した若い女性・早川佳江と共に俳優露口茂が協力者として、その婚約者を日本全国探し回るというドキュメンタリー。監督は今や世界的巨匠となった今村昌平。この映画は、事実をそのままカメラに収めてこそドキュメンタリー、という考え方の人間が観ると嫌悪感を覚えるに違いない。興味深いのは、劇中何度も登場する今村監督と露口の密談シーン。進展がないと新たな打開策として女性に作為的な展開を仕掛けるシナリオ作りを打ち合わせするのである。蒸発という社会的テーマよりも、あくまで人間・早川佳江としてのリアクションをカメラは追求しているのだ。しまいには、女性が露口に対して恋愛感情を芽生え、その感情をぶちまけるシーンもカメラがじっくり冷静に捉えている場面は寒気すら覚える。その際には露口が「監督が悪いんだ……」と言って監督を批判する。それらも一切カットすることなく映画に取り込まれている。これら、プライバシーの尊重などお構いなしとばかりに、ずしずし人間の深層心理に入り込んでいくアプローチのしかたは当時、相当な批判を浴びた。しかし、これだけ面白い映画は劇映画ではあり得ない。 「ゆきゆきて、神軍」も面白かった。被写体は奥崎謙三というアナーキストで、戦争中のニューギニア戦線での上司による部下殺害事件を告発すべく、現存する当事者を追及するという構成になっている。しかし、この男は過去に天皇にパチンコを投げつけたり、人を殺したりしたこともある危険人物で、実際かつての上官を追及する際は暴力も平気で振るう。別のドキュメンタリー「神様の愛い奴」でもわかる通り、この男は相当の危険思想の持ち主だ。映画の最後には上官の息子を殺そうとして(上官が留守だったから身代わりにしたという驚きの理由で)逮捕されるという衝撃のテロップが流れて終わる。しかし、この映画の面白さは、かつての日本軍の軍人がみんな普通のおじいちゃんで、彼らの口から出る戦争の真実(証拠隠滅のための同朋の虐殺、そしてカニバリズムなど)と、それらを正当化して過去のものとし、「死人に口なし」とばかりに死んだ戦友を冒涜する姿。これらは、奥崎謙三という強烈な被写体を得たからこその成果なのだろう。「やめてください」と泣き叫ぶ元兵士の妻までカメラに収め、それをを劇場公開までしてしまうというプライバシー無視の姿勢は、原一男監督と今村昌平は共通している。 「ボウリング・フォー・コロンバイン」も傑作だった。マイケル・ムーアの作品では「ロジャー&ミー」も面白かったが、彼の手法は取材や分析だけで終わらせず、自ら積極的に問題を引っかき回し、澱みの中に隠れている真実を暴き出そうとする点が特徴だ。こうしたドキュメンタリーとしては邪道な手法をあえて使うところは「人間蒸発」とも共通点がある。コロラド州リトルトンのコロンバイン高校。在学生のふたりの少年が銃を乱射し、12人の生徒と1人の教師を殺害、その場でふたりは自殺をした。この事件は全米を震撼させ、あらゆるメディアが事件の分析を試みた。映画やTVゲームのバイオレンスの氾濫が悪い、家庭崩壊の産物、高い失業率が原因、など。銃の報道はどんどん加熱し、犯人の少年が聴いていたという理由からマリリン・マンソンのライブがコロラド州で禁止された。しかし、ゲームは日本の方がもっと進み、家庭の崩壊はイギリスの方が悲惨であり、そして失業率はカナダの方がはるかに高い……。メディアは恐怖を煽り立てて消費に走らせる。いい靴を履かないと女の子にモテないぞという脅迫観念を植え付け、高い靴を買わせるようとする。人を銃に向かわせるのもこうした恐怖である。過去に黒人やネイティブ・アメリカン、そして現在は中東の人々に対して殺戮を繰り返しているアメリカ人は、同じような脅迫観念をマスコミに植え付けられて怯えているのでは、という印象で映画は終わる。実際に具体的な解決策を見出せないのは、社会派ドキュメンタリーとしての宿命か。結局、チャールトン・ヘストン※に八つ当たりするのが精一杯だったのが残念だった。 ※保守派の俳優として知られ、元全米ライフル協会(NRA)会長。「ボウリング・フォー・コロンバイン」では、マイケル・ムーア監督の取材に怒りを露わにし、逃げるようにその場を跡にするシーンが撮影されている。
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