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サスペンスの巨匠ヒッチコックの最高傑作というと、個人的には「サイコ」「鳥」「裏窓」の3本になる。中でも「サイコ」に対する私の思い入れは相当なものだ。黒澤明の「七人の侍」が娯楽映画としてのノウハウをすべて凝縮した教科書映画として評価されているが、「サイコ」はサスペンスやホラー映画のノウハウを詰め込んだ教科書映画と言っても過言ではない。 冒頭、アンソニー・パーキンス扮するノーマンが登場するまでのストーリーの作り方が秀逸だ。会社の金4万ドルを持ち逃げしたジャネット・リー扮する秘書が、ノーマンの経営するベイツ・モーテルに宿泊し、かの有名なシャワー室での惨殺シーンに至るまで約30分。ジャネット・リーがいかに警察や会社から逃げられるかをスリリングに描くため、観客は画面に釘付けになってしまう。ベイツ・モーテルに入った後も、ことさらに封筒の4万ドルを強調するので、観客はいきなりシャワー室で殺されてしまうジャネット・リーにびっくりするのだ。 これは「レッド・へリング(red herring、薫製ニシン)」というテクニックで、犬をトレーニングする時に調教師が犬の注意をほかにそらすための道具として燻製ニシンを使用したことから、「ストーリーが目指す本筋の方向から、いったん観客を引き離しておいて、その後にガツンと一気に展開を見せる」という意味に使われるようになった。つまり、秘書が4万ドルを横領して追手から逃れる過程をあえて丹念に描くことで、後のシャワー・シーンでのスター女優の惨殺という衝撃へと繋がり、観客の予想をことごとく裏切る先の読めない映画を作りあげることに成功している。 後の恐怖映画の多く、例えば「13日の金曜日」で、シャワー・シーンやセックス・シーンの後で必ずジェイソンに襲われるのも、このレッド・へリングと言える。シャワー・シーンと言えば、シャワー・ルームの惨殺シーンには、撮影に1週間も費やされ、数秒のシーンのために50回以上カメラ・アングルを変え、ナイフを体に一度も触れさせることなくモンタージュを巧みに利用し、リーがあたかも14回も刺されたように見せかけた。現在のホラー映画の生々しい特殊メイクを使った惨殺シーンよりも数段恐ろしい惨殺場面になっているのは、前述のレッドへリング効果と、バーナード・ハーマンによる耳に付く音楽、そしてヒッチコックのカメラ・テクニックであることは間違いない。 しかし何と言っても、ラスト・シーンの衝撃は現在まで作られた映画のどれよりも衝撃的だ。何かありそうで何にもなかった「サイン」なんかと比べると、何かありそうで本当にあった「サイコ」はすごい。ウィスコンシン州に実在した伝説の殺人鬼、エド・ゲインをモデルにしているのだが、当時青春スターだったアンソニー・パーキンスは本当にこんな人じゃなかろうか、と思わせる熱演ぶり。実際、この後あまりに強烈なイメージのため、どの役もノーマンにしか見えなかったが、数年前エイズで他界した。 1998年にガス・ヴァン・サントが「サイコ」をリメイクしたが、これは世界でも稀なリメイクだった。何しろそっくりそのまま同じものを作ってしまったのだから。ヴィンス・ボーンがまったくの悪者にしか見えないし、アン・へッシュは金を横領するようにしか見えない。全くレッド・へリングが効を奏さない駄作だった。 |
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