最近、日本では「白い巨塔」「砂の器」など、往年の名作をリメイクしたTVドラマが話題を呼んでいる。アイデア不足から来るリメイク・ブームはアメリカだけかと思ってたら、日本もそうなっちゃいました。 断っておくが、リメイクが悪いと言うつもりは毛頭ない。往年の名作映画を盗作※1して、それでも最低視聴率しか得られず、しょうがないから韓国のメロ・ドラマ※2に頼っていて、そんでもって毎晩諦めずに受信料を回収しに来る、我が国の国営放送の作る自称オリジナル・ドラマよりはずっとマシである。 要は作品の質だ。オリジナルである田宮二郎主演、山本薩夫監督の「白い巨塔」(1966)も、加藤剛主演、野村芳太郎監督の「砂の器」(1974)も最高レベルの傑作だった。その昔、内田吐夢監督の「飢餓海峡」(1965)がTVドラマになり、映画界の巨匠クラスが演出したが、それでもオリジナルを凌ぐにはほど遠い出来栄えだった。その後も、某巨体宗教家との結婚で話題の若村麻由美が主演したものもあったが、これは出来栄え以前のレベルだった。 映画「砂の器」はお気に入りの作品だったので、ドラマではどういう風に描かれるのか興味があって観てみた。ストーリーは、まず東京の操車場で老人ひとりが殺害される。やがて、被害者が島根県の亀嵩(かめだけ)で長年警察官をしていた三木謙一という人物であること、亀嵩の位置する奥出雲の言葉が東北弁に似ていることなどが判明していく。亀嵩を訪れた今西修一郎刑事は、ある老人から三木がかつて助けた放浪の親子のことを聞かされる。そして必死の捜査によって、若き天才作曲家・和賀英良の存在が浮かび上がってくるという内容。 物語のクライマックスは、刑事がすべてを明らかにする捜査会議と、和賀の暗い過去である親子の道行きシーン、そして和賀の演奏会のシーンがカットバックで描かれる場面である。そこで演奏される曲「宿命」と父子の道行きシーンが重なり、類まれな感動を呼んだ。映画版とドラマ版の基本的構成は同じである。しかし、物語の核とも言うべきものだけ変わっていた。 オリジナルの映画では、つい最近まで不治の伝染病として隔離政策を取られていたハンセン病が重要なテーマになっていた。ハンセン病の父と共に村を追われ、全国を放浪した暗い過去を持つ和賀は、当時の様子を知る警官が自分を訪ねて来たことで、過去が露呈するのを恐れて警官を殺す。しかしTVドラマの方は、父親が村から仲間外れにされたことで病気の妻の治療が遅れて死んだと怨んだ末、村人を虐殺。その結果、追っ手から逃れる親子との道行きに変更されていた。いくら仲間外れにされたといっても殺人はやりすぎで、この父親への同情は生まれない。父親が殺人者だということがバレても、それが彼の経歴にとって致命的だとも思えない。それだけで、昔親切にしてもらった人物を殺す主人公には、全く感情移入できなかった(一応、不可抗力的な殺人として描かれているが)。 かつてハンセン病は伝染病と言われていたため、父親がハンセン病患者だということは音楽家としては致命的だった。そのオリジナルの設定と比較すると、どうしてもこのTVドラマでの殺人の動機が釈然としない。ハンセン病というテーマが重かったために、最後に流れる曲「宿命」が魂を揺さぶる感動を呼んだのだ。現在では患者の隔離政策も解かれ、番組でこの病気をテーマにすることに踏み出せなかった制作者側の苦心も感じ取れるが、だったらリメイクは無理があるし、こんなストーリーで感動してしまった若い視聴者がいるとしたら、亡き原作者松本清張と映画の作者達に失礼である。ハンセン病の名前さえ知らない若者に知らせるためにも、ドラマで取り上げるくらいの気骨が欲しかった。 でも、いくら同じストーリー展開だったとしても、このドラマのキャスティングではどう考えても違和感がある。中居正広が有名作曲家にはどう考えたって見えません! ※1 NHK大河ドラマとして放送された「武蔵 MUSASHI」の一部が、故黒澤明監督の映画「七人の侍」に酷似しているとして、著作権を相続した長男らが損害賠償などの訴訟を起こしている。 ※2 NHKBSで2回、現在はNHK総合で再々放送されている韓国ドラマ「冬のソナタ」が日本で大人気。主演俳優ペ・ヨンジュン来日の際には、空港に約5,000人のファンが殺到した。
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