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「ドーン・オブ・ザ・デッド」はホラーの古典を超えられたか

ロゴ 第32回
「ドーン・オブ・ザ・デッド」はホラーの古典を超えられたか

「ドーン・オブ・ザ・デッド」を観た。なんで、お前はこんないかがわしい映画ばかり観るのかと軽蔑されそうだが、実はオリジナルの「ゾンビ」は、自身のベスト映画に入るほど好きな映画なのだ。

1978年公開の「ゾンビ」は、マスター・オブ・ホラーとしてマニアから崇拝されるジョージ・A・ロメロ監督のゾンビ映画第2弾だった。ロメロは、1968年の「ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド」で初めてゾンビを描いたが、この作品がニューヨークのミッドナイト・シアターで封切られると、熱狂的な支持を集めた。廃墟に閉じこもる数人の人々、その家を取り囲むスローモーなゾンビの群れ、ゾンビに襲われると自らもゾンビになるという設定だけでも、映画からはただならない雰囲気が充満していた。この1作目といい、続編の「ゾンビ」、そして3作目の「死霊のえじき」(通称ゾンビ3部作)は、まさにホラー映画の傑作だったのだ。3作で共通しているのは、人間とゾンビとの戦いというよりも、人間のエゴや凶暴性を強調しており、その哲学性は多くのインテリを唸らせた。

そんな「ゾンビ」フリークの私が期待しない訳はない。皆から軽蔑されながらも、ひとりで「ドーン・オブ・ザ・デッド」も鑑賞しに行った。ストーリーはこうだ。

主人公の看護婦、アナがいつものように朝を迎える。寝室のドアが静かに開く。それが始まりだった。立っていたのは恐ろしい顔をした隣家の娘。彼女はアナの夫を噛みちぎり、その肉を食い始めた。呆然とするアナ。次の瞬間、死んだはずの夫が起き上がり、アナを襲う……。何か違う。そう、このゾンビ、なんと走るのだ。しかも全力疾走で。

オリジナルでは、スーパーモールにたどり着いた主人公達がスローモーなゾンビ達をくぐり抜け、モールの中からゾンビを一掃する。それが、その後のつかの間の休息、モールを占領しようする人間同士の死闘へとつながる。その際の、スローモーな動きのゾンビをギャングがなぶり殺す場面も映画の重要なポイントだった。

監督は、ゾンビを走らせることで作品にオリジナルティーを持たせようとしたのかもしれない。しかし、走るゾンビが登場する映画は既に存在する。それは「バタリアン」という作品で、ストーリーはロメロの「ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド」の続編と言っていい。軍の管理下でゾンビ達が保存されているのだが、それがアクシデントで甦る話で、ゾンビが進化して走ったり喋ったりすることができるという設定だった。この映画はコメディーだったが、この「ド-ン・オブ・ザ・デッド」はクソ真面目な映画である。親しい友人がゾンビに感染してしまい、悲壮感を演じていても、全力疾走で走るゾンビになってしまうと悲しいよりも笑ってしまうのだ。

“リメイクはオリジナルを凌駕しない”という映画界の定説があるが、ホラー映画も例外とはならない。先の「テキサス・チェンソー」※1といい、技術が進歩したからといって、先人がアイデアを振り絞って生み出した物を作り替え、それを超える作品を、というのはずうずうしいのかもしれない。

いや、それ以前に、全力疾走で走るゾンビは絶対おかしい!!


※1アメリカに実在した殺人鬼、エド・ゲインをモデルにしたホラー映画「悪魔のいけにえ」を、マイケル・ベイ監督がリメイクした作品。

前川繁(まえかわしげる)
1973年愛知県生まれ。シアトルで4年間学生生活を過ごす。現在、東京でサラリーマン修行中。コネクションを作って、いつか映画を作っちゃおうと画策している。