| 「ガン・ホー」 ■ 監督 ロン・ハワード ■ 脚本 テッド・グリフィン ■ キャスト マイケル・キートン ミミー・ロジャース |
欧米の映画にはアジア人を侮辱しているものが多いと思うのは私だけだろうか? 「そんなこと分かっているけど大人気ないこと言わないの」って笑って見過ごしている人もいると思うが、私は腹が立ってしょうがないのだ。 前回取り上げた洋画「オーシャンズ11」の中に、身の軽さを得意技にするアジア人が出てくるのだが、そいつがやたら貧弱で猿みたいな役回りなのだ。こういう魅力薄なアジア男を登場させ、ジョージ・クルーニーやブラピといった主演男優の男性的魅力を強調させようという意図がみえみえで、実に嫌な映画だった。リュック・ベッソンが広末涼子を起用して話題になった「WASABI」も、白人至上主義の匂いがぷんぷんするリュック・ベッソンの趣味が全編を貫いた嫌味な映画だった。だいたい、広末涼子にフランス映画の主役を張る才能があるわけないよ。ベッソンの個人的ロリコン趣味からきたキャスティングとしか思えない(おっと、これは余談だが)。 思えば、ハリウッド映画の歴史は人種差別と切っても切り離せない関係であった。アメリカ映画史上初のエポックメイキングな作品として知られるサイレント映画「国民の創生」は、さまざまな映画手法を発明した歴史的傑作として知られるが、黒人を悪人、彼らを討つKKKをヒーローとして描くなど、当時から非難を浴びた。戦時中は、ハワード・ホークスやジョン・フォード、フランク・キャプラなど巨匠監督たちがこぞって戦意高揚映画、つまり当時の敵国日本を悪く描いた映画を量産した。その中で描かれた日本人は無表情で、ときどきニヤニヤ笑い、何を考えているのか分からない不気味な存在として描写された。 時代は変わって黒人の発言権が強くなったことにより、差別の対象になったのがアジア人である。特に経済成長を遂げた日本人はいろんな映画で馬鹿にされている。1986年に公開された「ガン・ホー」という映画で、空港から降り立った日本人が、地面に歓迎の絨毯が敷いてあるのを見て、やおら靴を脱いでしまうシーンがある。いや、このシーンに限って言えば文句をつける気はない。なぜなら、私は同じ状況で靴を脱いでしまったことがあるからだ。自分の名誉のためにもこのシーンが笑う場面でないことを祈りたい。問題はその後のシーンである。日本人とアメリカ人の仕事仲間が、親睦を深めようと野球の試合をする場面だ。アメリカ人の方は単純にゲームを楽しもうと、ジャージにスニーカーで来るのだが、日本人はお揃いのユニフォームを着て、バントを連発するなど“勝つための野球”をし、アメリカ人を白けさせる。実際にありえるシーンなので実に複雑な心境にさせられた。この映画はアメリカ人の悪いところも描き、最終的にハッピーエンドなので良心的なのだが、それにしても日本人、アジア人を劣等人種とみなしたハリウッド映画が多すぎる! 外国映画を観ないアメリカ人にとって、当然映画から外国の文化を学ぶ人も多いだろう。彼らはちょんまげをして、カメラをぶらさげ、川でみそぎをするのが日本人だと思ってしまうではないか! 映画の作り手の悪意がもたらす罪の部分は大きいのだ。 |
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