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イケテナイぞ、日本アカデミー賞

ロゴ 第8回
イケテナイぞ、日本アカデミー賞

千と千尋の神隠し
「千と千尋の神隠し」
© 2001 STUDIO GHIBLI

監督
宮崎 駿

音楽
久石 譲


柊 瑠美
内藤剛志
沢口靖子

公式ウェブサイト
www.sentochihiro.com

今年もオスカー授賞式が終わり、作品賞に「ビューティフル・マインド」が選ばれて幕を閉じた。主演男女優賞がアフリカン・アメリカンというドラマティックな演出があったが、これも何か政治的な匂いを感じて、純粋に楽しめなかった。それよりもハリウッドのアジア人差別はもっと深刻だと思うし、なにか白人と黒人で傷口を舐めあっているのを見せられているみたいで不快だった。

しかし、受賞式自体は、歌あり踊りありの相変わらずの華やかさで楽しめた。さすがはアメリカ!と、普段はあんまり米国を誉めない私も感心してしまった。これに対して、日本アカデミー賞はあまりにもイケテナイ。私もたまたまテレビで見たが、ありゃ、なんじゃい! 問題の日本アカデミー賞の受賞式は日本テレビ系で現地時間午後9時から放送されていたが、番組開始と同時に助演男優賞の発表が始まるのは毎回同じ。撮影賞などの裏方に対する賞はこの時点で終わっているのだが、だいたいこのことからしておかしい。映画は監督と俳優だけで創られるものではなく、いろいろ要素が組み合わさってできる総合芸術なのだから、随分映画人を馬鹿にした話である。番組が放送される時間どおりに助演男優賞の発表となるのは、いかにもスケジュールどおり進行してきた証拠。つまり、午後9時までに他の発表を終わるように、すべてが組まれていることになる。テレビを見る人にとって映画の裏方さんの功績なんて飯の種にもならない存在なのだろうか。

司会者の一人が吉永小百合なのもおかしい。受賞式のプレゼンターは毎回、前年の受賞者が努める。吉永小百合は去年の主演女優賞受賞者だが、今年も主演女優賞にノミネートされているのだ。主演女優賞の発表では、途中で司会を中断して他のノミネート者と壇上で整列し、その後、発表のためマイクの前に向かうという実に間の悪い、カッコ悪い進行であった。こうなることが判っていながら、なぜ彼女を司会にしたのか? 実行委員会の趣旨は謎である。数年前、前年受賞者の佐藤浩市が父親の三國連太郎の名前を呼び上げたドラマティックなシーンを期待していたのだろうか?

ノミネートの選考基準もおかしい。作品賞の「千と千尋の神隠し」はいいが、監督賞に宮崎駿はノミネートされていない。監督賞の選考基準が実写映画の監督になっているからだ。世界に誇るアニメ監督を多数輩出している日本がこれではおかしい。オスカーでさえ、今年からアニメ部門ができたくらいなのだ。それにノミネートされている俳優はアイドルやトレンディー俳優(死語かな?)ばかり。“スター”は映画に出れば必ずノミネートされるといっても過言ではない。そういえば、数年前、「愛を乞うひと」で監督賞を受賞した平山秀行監督の受賞スピーチの最中、途中でCMを流していた。所詮、この賞は映画人を馬鹿にしたバラエティー番組に等しいのだと実感した。せめて、本場アメリカのオスカーみたいに、死んだ映画人の名場面を流す位の粋な演出があったらいいのにね。

前川繁(まえかわしげる)
1973年愛知県生まれ。シアトルで4年間学生生活を過ごす。現在、東京でサラリーマン修行中。コネクションを作って、いつか映画を作っちゃおうと画策している。