2011年10月号掲載 | 文・写真/小杉礼一郎
雨に始まり海に至るまで、北西部の自然を広く深く潤す水
そのさまざまな音色は、この地の生き物と人間の営みを包む
森や海、山の静寂もまた、人々の心を潤し包んでいる
雨音は水の旅の序曲
これから雨の季節に向かう北西部。秋の夜長、外の雨音に耳を傾けていると、心がゆったりと和む。隊長はそんな静かな時間が結構好きだ。イマジネーションも膨らんでくる。雨音は、水が旅を始める音だなと思ったりする。静かに地面に染み入った水が集まり、耳を澄まさなければ聞こえないほどチョロチョロと流れ、小さな筋となる。それが集まり谷にはまだ至らない沢になる。沢の音(ね)が人にはいちばん心地良い水の音色のように思う。英語の「Cascade」とは、まさにその沢のことである。実際カスケードの山々は自然のオルゴールに満ちている。
水の流れはやがて谷川となり、滝の響きで水の合唱は最初のクライマックスを迎える。その後に瀬音の間奏が続く。早瀬を過ぎて川幅が広くなり水量が増えると、川はほとんど静かに流れていく。海に流れた水は、今度は風の力によって波の音を奏でる。ワシントン州の内海(ピュージェット湾)では、波は至って静かだし、潮のにおいもかすかである。水が再びざわつくのは、外海の荒々しい波となる時だ。
オリンピック半島の西側では大潮の時、波がズドドーンと打ち寄せ長大な流木帯を岸に押し付ける。大量の巨木の固まりがいともたやすく動き、ゴトゴト、ギシギシ重低音で軋む。その様は北太平洋の途方もない波浪エネルギーを音と振動で感じさせる。怒涛の海と相まってその水と木の重厚な音は、地球上でもおそらくここでしか聴けないコラボレーションだろう。※1
オレゴン・コーストのヤキナヘッドには、コブル・ビーチ(Cobble Beach)という、ちょっと珍しい石浜がある。こぶし大の丸く黒い石が敷き詰められたような海岸が広がっている。この浜も外海に面しており、強い波の日には浜全体が「ドザザー……」「ゴルゴル……」(まさしく“Cobble Cobble……”という音)ジュゥ~(波の引くときの音)と鳴り続ける。これもまた、この石浜ならではの水と石のコラボレーションだ。※2
生き物が発する音
鳥のさえずりや動物の鳴き声は、いつでも自然探訪に彩りを添えてくれる。生き物が特に騒々しいのは、多くが群れをなしている時と繁殖期で、それは主に鳴き声だ。
では、自然の中で生き物が発する「音」についてはどうだろうか? 足元の茂みからフクロウなどが突然飛び立つ羽音くらいしか、隊長には思い起こせない。自然のいろんなシーンで、鳥や動物はほとんどがひっそりと生息している。それは多分、生き物はいつでもどこでも捕食する/される立場にあるからなのだろう。彼らがなりふり構わず物音を立てる時というのは、全力で逃げるか追うかの時だ。その瞬間まで双方共ひそやかに行動している。今の地球上でいちばん騒々しく生息している生き物は、私達人間であろう。
自然と人、静寂と音
ある仏教僧の修行時代の話である。彼は師に付き、何年も行に精進したが、悟りを得られなかった。やがて仏道を極めることをあきらめ、ひとり山深い廃寺にこもる。ある朝、山門を掃いている時、ほうきではじいた小石が竹に当たり「カン」と小気味良い音を立てた。その瞬間に彼は大悟したという。無論、積年の心の労苦あっての話だが、静寂の中の音にはそういう力がある。あるいは静寂にその力がある。
ここでいう静寂とは、音が何もしないことではない。実際、自然にはいろんな静寂がある。昼下がりの蝉しぐれ、夜長の虫の音、サラサラと流れる水音、風のそよぎ、遠い潮騒……そういう静けさは心を落ち着かせ、澄ませてくれる。人の心にささやく何かがある。それに時折耳を傾けたい。とかく気ぜわしい現代だが、私達は幸い北西部の豊かな自然に囲まれており、それができる機会は多い。
「旅は一人旅、山は単独行に限る」というのは隊長の持論だ。ひとりなら、自然や異文化に360度24時間浸れる。あるがままの感動で心を満たすことができる。だが、山によっては安全や行動のいろんな面からパーティーを組んで登ることが実際は多い。
大学1年の秋晴れの続く時期に、北アルプスの表銀座と呼ばれる山々を縦走した。先輩のNさんとのふたりだけのパーティーだ。山裾の紅葉と紺色の高い空、穂高連峰はフロスト・シュガーを刷いたような新雪のベールをまとっていた。Nさんは日ごろから本当に寡黙な人で、行動中もふたりで言葉を交わすことは数えるほどしかなかった。ふたり共にお互いが黒子になって、その秋の山行を心ゆくまで味わった。まったく理想の登山だった。
そして明日は下山という月の明るい晩、夕食を終えた後ふたりで、テントの外で鈍く銀色に光る北アルプスの美しい山々をあきれたように魅入っていた。その時、Nさんがおもむろに話し始めたのである。大阪弁でとつとつと、体から魂を取り出してそのまま見せるような話し方で……。何を話したかはほとんど忘れてしまったけれども、それはちょっと不思議な時間だった。うまく表現できないが、あれは「声」が媒体になり心と心を触れ合わせた音だった。あの夜、あの山並の静寂があって、あの体験もあったような気がする。
その山行から何十年も経つが、神々しい山々もNさんのことも、今でも鮮やかに、そしてしみじみと思い出される。
※1 オリンピック国立公園の流木海岸
Caravan #11 大自然のエルドラド-オリンピック国立公園
www.youmaga.com/odekake/eco/2003_5.php
※2 コブル・ビーチ(Cobble Beach)
Caravan #79 天然の展望台 ヤキナ・ヘッド特別自然地区
www.youmaga.com/odekake/eco/2009_02.php
▲アラスカの湿原で好物の水草を食べるムース(ヘラジカ)。水から顔を上げるたび「ジャバ」「ザバ」と水音がした
▲滝でもない、川でもないのが「沢」。清冽な水音が伝わってくる。コロンビア・ゴージにて
▲米北西部には長い海岸線があるが、ワシントン州はかなりの部分が内海だし、オレゴン州は砂浜が多い。外海の荒々しい潮騒を感じられる場所は、思いのほか少ない
▲霧の中から「グヮッ、グヮッ……」と聞き慣れた声が聞こえた。カナダ・ギースかと思ったら、ハクガン(Snow Geese)の群れが頭上を通り過ぎた。初冬の南オレゴンにて
▲「チチチチチッ」と小鳥の鳴くような声を出すパイカ(Pika、日本名:ナキウサギ)。鳴き声だけを聞くと鳥だと思う
Reiichiro Kosugi 1954年、富山県生まれ。学生時代から世界中の山に登り、1977年には日本山岳協会K2登山隊に参加。商社勤務を経て1988年よりオレゴン州在住。アメリカ北西部の自然を紹介する「エコ・キャラバン」を主宰。北米の国立公園や自然公園を中心とするエコ・ツアーや、トレイル・ウォーク、キャンプを基本とするネイチャー・ツアーを提唱している。 |
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