2011年12月号掲載 | 文・写真/小杉礼一郎
天才、異端児、破天荒……スティーブ・ジョブズが亡くなり、いかようにも称されて彼はきっと苦笑いしているだろう。「俺は1955年から半世紀生きたひとりの人間さずっと俺自身で居続けてきただけだ」と
▲アラスカ、タルキートナにて。暮れなずむ夏の夜、タルキートナ川の川原に出てデナリ三山を愛でる。川音がサラサラと聞こえる至福の時間。誰も言葉を発しない
禅とスティーブ・ジョブズ
自分が何であるかを見つけるのが禅。スティーブ・ジョブズは禅と出合うべくして出合った。禅が彼と出合うまでを端折って追おう。
禅(座禅):インダス文明の時代(数千年前)のヨガの修行法→インド諸宗教(≒ヒンズー教)→ブッダ=仏教の始祖→5世紀、頃達磨大師「禅宗」始祖→中国に渡り中国禅→13世紀、道元が宋で学び日本に帰国、曹洞禅を興す→20世紀、曹洞禅がアメリカで普及活動→スティーブ・ジョブズ、禅と出合う。
数千年の時空を超え人をいざなう普遍的な価値が禅にあるようだ。彼もまたそれに引かれたひとりらしい。道元は宋で禅と出合いそれを極め、一巻の経すら持たずに帰国し、こう言った。「私は何も得ていない。逆に身も心も脱け落ちてきた」。それは、心を空(=自在)にし、すべての思慮を離れ、物事をあるがままの姿で受け入れる。平たく言えば柔軟な発想をする。己の創造力を自在に最大限に高める(=知恵の発露)ということだった。座禅はそれに至る安楽の法門(=最善の道)だ。だから只管打座(ひたすら座れ)と。
スティーブ・ジョブズは自分の何たるかを見極めるべく禅に傾倒したが、結果として禅は彼の創造力に大いに資した。彼はメーカーの立場をフッと捨て去り、ユーザーの極みに自分を置いて、自分が欲しい物のビジョンをはっきりと見ることができたし、次の瞬間にはそれを創り出す者となることができた。
静かなアメリカ
道元は帰朝後『普勧坐禅儀』(あまねく座禅を勧める書)を著し、日本で禅を広めることに生涯を捧げた。日本の本格的な禅道場はそれ以降、曹洞宗の始祖となった彼とその弟子達によって興された。
スティーブ・ジョブズが参禅しようとした永平寺は、福井県の山中にある宗門の総本山。隊長も訪れたことがある場所だ。境内は、太い杉の木立に包まれ冬は深い雪に覆われる。寒さは厳しいが道元禅師が望んだ、まさに只管打座にふさわしい禅道場だ。普勧坐禅儀には「夫れ参禅は静室宜しく」つまり「座禅は静かな部屋で行なう」と説かれている。
スティーブ・ジョブズはメンター(指導者・助言者)の乙川弘文師に「永平寺まで行かずとも良い。禅道場はここ(アメリカ)にもある」と諭されたのだろう。カリフォルニアのタサハラ禅マウンテン・センター禅心寺で参禅する。実際、この国の存分に広い国土のおかげで、現在世界中のほとんどあらゆる宗教宗派がさほどの迫害や対立、抗争もなく寺院や教会を運営している。それらは静かで落ち着いた環境の中にある。何も寺院教会に行かなくても、遠くの山や森や海へ出掛けなくても、私達の身近に豊かで静かな自然はたくさんある。とりわけこの北西部には。
うるさいアメリカ
私達の身の回りには静けさとは正反対のうるさいアメリカというのがあるのもまた事実だ。
オートバイの爆走や大音響のカー・ステレオなど、悪意あっての騒音というのはもってのほかだが、善意(?)の騒音というのもある。思わず深呼吸したくなるほどスカッと晴れた気持ちの良い日に限って、隊長がいつもため息を漏らすのは、芝刈り機やパワーブロアーの音である。北米の地に入って来た人達は、東海岸から西海岸、アリゾナからアラスカまで、新しい住宅地や商工用地、公園を造るため、元々の自然植生をまず全部0にせねばならないと固く信じている。森林は伐採し、乾燥地帯なら散水し、荒野は耕す。北米の全国土一律に芝生と花壇、植栽木を植える。そうして自然を従えることが文明社会。それがアメリカの風景だと思っている。やがて半年も経たぬうちから、野草には除草剤をまかねばならず、芝生は刈らねばならず、落ち葉は吹き飛ばさなくてはならない、永久に。かくして各地にうるさいアメリカが生まれる。スティーブ・ジョブズが永平寺へ行きたかったり、日本ファンであったりしたのは案外そういう理由ではなかったろうか?
街から離れたとて、静けさを妨げられることも起こる。ある秋、イエローストーン国立公園でキャンプをしていた時だ。こちらはテントだが、隣はキャンピング・カー・サイトだった。夕方6時ごろ、そこに大型のそいつがやって来た。はぁ、でかい車だな、と見ていると、車の全部のカーテンが同時にツーと電動で閉じ、車の屋根にテレビのディッシュ・アンテナが立ち上がり受信する電波を探して首を振り出す。そしてドアの下に何段かのステップがシャカカ……とせり出してきた。しかし次がいけなかった。中から出てきた男性が発電機をこちらに近いぎりぎりの所へ置いて発電を始めたのだ。ダダダダダダダダ……気分が良いものではない。
横を通った時に窓の隙間からしげしげと中を拝見させていただいた(=覗いた)。食事は電子レンジで(TVディナーだろうか)作っている。お父さんはフットボールを見ている。子供はTVゲームをしている。こっちはダダダダダ……に気分を悪くしている。しかしそのキャンプ場では発電機の使用時間は決められていたので、8時にはダダダ……も止んだ。その後、男性は車から薪を持ち出してファイアー・ピットで燃やし始めたが、家族は車から出てこなかったので、火はそのままで早々に車に引っ込んでしまった……。
そういう経験があるせいか、隊長にはキャンピング・カーはSUVやヨットや芝生と同じアメリカニズムの象徴のように思えて、いまだにわだかまりがある。自然の中では静かが良い。静寂の時間はそういう人達にも(こそ?)必要だ。
▲オリンピック国立公園クレセント・レイクの秋。雨がやみ、落ち葉を踏む音さえ静かだ
▲ペンシルバニアにて。アーミッシュの人達は文明の利器は使わない。カッカッカッカッと蹄の音が行き交う。社会の多様性にアメリカの懐の深さを思う
▲クレーター・レイクにて。湖岸から湖面に映る宇宙の蒼さを覗き込む。雲が静かに動いていく
▲芝刈り機2台、ブロワー、コンクリート・カッター。「何で今日みたいに気持ちの良い日に?」と言っても、そういう時の作業なのだから全く恨めしい限りだ
▲夕陽を見る息子。言葉の要らない時間
■曹洞宗の海外寺院一覧
北米には40余りの禅センターがある。やはり、ハワイとカリフォルニア州に断然多いが、ワシントン州にはオリンピアに、オレゴン州にはユージンとクラツカナイに禅センターがある。
Sotozen – Net www.sotozen-net.or.jp/sotolink/foreign
Reiichiro Kosugi 1954年、富山県生まれ。学生時代から世界中の山に登り、1977年には日本山岳協会K2登山隊に参加。商社勤務を経て1988年よりオレゴン州在住。アメリカ北西部の自然を紹介する「エコ・キャラバン」を主宰。北米の国立公園や自然公園を中心とするエコ・ツアーや、トレイル・ウォーク、キャンプを基本とするネイチャー・ツアーを提唱している。 |
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