2014年02月号掲載 | 文・写真/小杉礼一郎
シアトルからわずか40マイル。
なのにこの街、訪れるにちょっと不便でツアーコースにも入っていない。
そのスルーされる立ち位置なればこそ今日のたたずまいが出来上がった。
人だけではない、自然と時代の妙が作った街なのだ
浅い人には浅い街
「ビクトリア調の建物」「映画『愛と青春の旅立ち』の舞台」。日本のガイドブックやツアー情報にはポート・タウンゼントのことを判で押したようにそう紹介している。
が、それだけの観光地と思って訪れる人にはそれだけのものしか目に映らない。せっかちな人なら1、2時間で観光は済んでしまう。ヨーロッパやアメリカ東部の町を訪れたことのある人には「なんだ、古い街ったってこの程度? たいして古くないじゃん。アメリカってしょせん歴史が浅い国だから」という印象だけで帰るかもしれない。そしてまた訪れようとは思わないかも。恥ずかしながら実は30年ほど前にこの街を訪れた隊長はまさにそうだった。
人々は有名な観光地には行ってみたいし、人の集まる所に群れたがる。どっこいそれが行き過ぎると「わざとらしい」だの「観光地ずれしている」の「人多過ぎ」だのと言う。勝手なものだ。
だが、この港街にはそういうあざとさがない。ここに吹く心地よい海風のような爽やかさがこの街にはある。と今はわかる。立ち止まればそれが感じられるのだった。
地勢と歴史の因果で…
ポート・タウンゼントはファンデフカ海峡の東端にある。オリンピックの山並が衝立となり、冬の雨風を防いでくれ北西部海岸にあって比較的温和な局所気候と言える。
北米大陸の開拓は大雑把にいうと、東から西へ、西海岸では南から北へと進み、人が移り住み街ができていった。つまりワシントン州の北西部はアメリカ本土で最後の方の開拓地と言っていい。18世紀後半からこの地に入り始めた移住者がヨーロッパから持ち込んだのは文明だけではない。天然痘やはしかなどの病気も持ってきた。19世紀初頭には、この周辺の先住民の人口は以前のわずか10分の1にまで減ってしまった。
この街はピュージェット湾内のシアトルやタコマ、オリンピアなどの都市へ出入りする船の航路の軍事・通商面の要衝に位置する。オリンピック半島の豊かな森林資源と、四方の内海の海産物が集まり、積み出された。19世紀後半には水産物と木材の輸出が盛んになり、人口も増え、銀行や商店が次々と建てられた。北のフェアヘイブンが「セカンドシカゴ」と呼ばれたように、この街は「ドリームシティ」と称され、やがてアメリカ西岸で最大の漁港、貿易港になるだろうと誰もが思った。
しかし、19世紀末に転機がやってくる。大陸横断鉄道は本土の西岸に敷設され、ポート・タウンゼントまでは延伸されなかった。貿易港の夢はついえ去り、人々も街を去っていった。華麗な建物群を残して。
そして街並みはそっくりタイムカプセルに入る。20世紀の前半と中盤はポート・タウンゼントの街に点滴の管が付けられたようなものだった。街の北に広大な砲台陣地フォート・ワーデン(Fort Worden)が置かれ、製紙工場、缶詰工場が人々の雇用を支えた。軍事の主役が大砲から飛行機へ移り、砲台は1953年に軍事基地の使命を終えた。基地の土地はその後、ワシントン州に移管され、少年拘置所が置かれたりしたが、73年よりフォート・ワーデン州立公園となり今に至っている。20世紀の3分の2の時間が、まるで仮死したかのように、ただ過ぎ去り、少雨も幸いして建物は取り壊されなかった。
70年代になると、安い家賃、田舎の時間、スローな経済などに憧れてアーティストや作家がこの街に移り住むようになってきた。また、シアトルに近いこともあり避暑地あるいはエスケープの場所(隠れ家)として富裕層も住むようになった。街にはレストラン、アトリエやギャラリーが増え、大学や研究機関も移り、芸術と文化のコミュニティとなった。
建物と街の復元
「観光」を打ち出して街を作ったのではない。ベトナム戦争後の疲弊したアメリカの人々には山と海の広がる景色、前世紀が残してくれたビクトリア調、ロマネスク調の建物群の街並み、そこに流れる穏やかな時間、そういった癒しの場所が必要だった。そのときそこにあるタイムカプセルに人々は気づいたのだ。
建物、街並みがナショナルトラストの対象となり、ジェファーソン郡歴史協会は市との共同プロジェクトで、全国から100万ドル以上の寄付と補助金を得ることができた。カーネギー図書館、連邦ビル(現郵便局)、市庁舎、消防署、警察署、裁判所、劇場、集会場カフェ、鐘楼などが復元保存された。
旅の要素として見る
ポート・タウンゼント滞在は、フェリーを使い、さまざまに展開することもできる。サンファン諸島国定公園、オリンピック国立公園、カスケードループとの組み合わせ、ビクトリアに抜けることも可能だ。
▲たかだか100年前のモノや建物だが、それらが残されてきたことがこの街の大きな財産である
▲1889年築のビクトリア調の建物(B&B)。街には古い建築物を利用したホテル、B&B、レストランが多く、訪れるなら日帰りでなく連泊で滞在したい
▲フォート・ウォーデン州立公園にある司令長官公邸。3階建ての邸内を見学できる。当時の家族の暮らしをうかがえる
▲フォート・ウォーデンのポイントウィルソン灯台。ファンデフカ海峡とピュージェット湾の航行船のため1913年に設置。登録国家史跡
© Steve Mullensky
▲19~20世紀、フォート・ウォーデン砲台は海峡の出入り口に堅固な三角火網を構成するワシントン州沿岸の要衝の重要な守りであった
▲人口約9000人のこの街に年間150万人の訪問者がある。夏にはほぼ毎週末、色々なイベント、フェスティバル、ワークショップが行なわれる
■ポート・タウンゼント・シティガイド
見所、宿、食事、イベントなど、ポート・タウンゼントを訪れる人々の知りたい情報がほぼ網羅され、見やすく整理されているポータルサイト。
町の入り口にある”Gateway visitor center”でマップとその時期のイベントやオープンハウスなどの情報を手に入れよう。ミュージアム、ロスチャイルド邸、司令長官公邸の三カ所の入場料がセットされた“passport”を使えば、街の要所を効率よく見学でき一日楽しめる
www.ptguide.com
■エンジョイ ポート・タウンセンド
ポート・タウンゼンド市による観光情報サイト
http://enjoypt.com
■フォート・ウォーデン州立公園
19~20世紀にかけて合衆国陸軍の大きな基地=砲台陣地であったポート・タウンゼントの町の北側にある広い州立公園
www.parks.wa.gov/fortworden/
(2014年2月)
Reiichiro Kosugi 54年、富山県生まれ。学生時代から世界中の山に登り、77年には日本山岳協会K2登山隊に参加。商社勤務を経て88年よりオレゴン州在住。アメリカ北西部の自然を紹介する「エコ・キャラバン」を主宰。国立公園や自然公園のエコ・ツアーや、トレイル・ウォーク、キャンプを基本とするネイチャー・ツアーを提唱する。 |
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