2014年06月号掲載 | 文・写真/小杉礼一郎
群馬県の富岡製糸場が世界遺産となるニュースに
沸き立つ日本。“オリンピックで優勝!”のように。
本来「世界遺産」の理念は崇高で運営は厳格だ。
かたや醒めたアメリカはどちらにもくみせず独自の道を進む
▲クレーターレイクは世界遺産ではないが、このままずっと登録されないほうが良い。それが世界の先々の世代のためだと隊長は切に思う
日本人の「世界遺産」観
富士山が世界遺産となる前のこと。関連する自治体の議員団を「世界遺産視察」でオリンピック国立公園へ案内したことがある。事前に届いた行程表には世界遺産のホー・レインフォレスト(Hoh rain forest)を訪れる予定がない。それを事務局に言うと「予定はない」との返事。「それはいかん」と理を尽くし、できる行程を話したのだが「時間も予算もない。直接団長と話してくれ」と。ポート・エンジェルスに一行が着き、まずそのことを隊長は話した。「帰りは遅くなるが今出れば明るいうちに見られる。あるいは明朝早くにでも行ける」と。が、もとより「行く予定はないし行かない」と即断された。
翌朝は街のビジターセンターで国立公園の広報担当との“ミーティング”。ただし時間は30分。挨拶が済み「ホーは見てきたね?」と広報官。「いや…」、「じゃあ、これから行くんだね」、「それが…」、隊長はのっけから日米の絶望的な認識の違いの間に立たされた。彼が「え?30分だけ…(暫し絶句)。よし、話は車の中でもできる。こんなところにいるべきじゃない」と即決し、私達一行はセンターからバンに乗ってハリケーンリッジへ向かう。が、片道15分では途中の見晴らし台までしか行けない。天に見透かされているのか、尾根のすぐ上は厚い雨雲だ。視察団からの質問の開口一番は「世界遺産になって入園者は何%増えたか?」。あとのやりとりを述べるのは誌面の無駄である。
あれほどむなしい通訳をあとにも先にも隊長はしたことはない。が、語るに落ちるが話のオチはある。ポート・エンジェルスでの「視察」を終え、一行はすぐシアトルに向かう。そしてマリナーズの試合に間に合った。念願のイチローを見られたのだ。
富士山の今。そして…
隊長は春夏秋冬それぞれの富士山に登った。優美な山容からは想像はつかないだろうが、冬と春の富士は氷結と突風でとても危ない。秋は天候の急変で気温が下がり凍死の危険がある。夏はぎっしりと人が並び大変に汚い。
2013年、夏の富士山の登山者数は30万人(シアトルやポートランドの人口の約半分!)。厄介なのは登山者と観光客がゴチャ混ぜなことだ。遭難までいかない軽装の「迷子、迷大人」や、歩けなくなった人が続出した。ゴミのポイ捨ては増え、トイレはまるで足らず、直接的な環境破壊が起こった。想定外でもなんでもない。13年6月末に世界遺産となり、ほんの2カ月余りで懸念されていた問題が全て出た。屋久島や知床の現場から、既にオーバーユース問題は言われていた。にも関わらず「14年夏からは一人1000円の入山料を任意で払っていただく」というへっぴり腰の対策を決めたそうだ。誰に何を遠慮しているのだろう?セント・へレンズは一日の入山者数は100人と決められている。危機自然遺産に指定されたこともあるガラパゴス島の入島制限はとても厳しい。富士山は適正な入山者数となるレベルの入山料を課すべきと隊長は思う。
日本の世界遺産がみな後手後手の状態というわけではない。93年世界遺産登録の白神山地は入山規制が厳格に運営され、世界最大級の原生ブナ林が守られている。
富岡製糸場は今後の観光収入増が期待されているものの、富岡市は施設維持のため100億円の改修費が必要と算出している。自然生態系や文化遺産を守るー遺産を引き継ぐー覚悟は、管理する側にも、訪れる側にも必要だろう。
米北西部の世界遺産
米北西部にある世界自然遺産の一つ、オリンピック国立公園のホー・レインフォレスト。この高緯度温帯雨林は、規模も美しさも見事で、訪れる人を圧倒する。幸か不幸かオリンピック半島西側の谷の奥に位置し、シアトルからもポートランドからも片道5、6時間かかる。日帰りにはつらい距離だ。シアトルからの一般的な旅行ツアーでは「世界遺産のオリンピック国立公園を訪れる」と銘打たれているが、公園全体が世界遺産に指定されているわけではない。ツアーでは国道に近いクレッセント・レイク湖畔の苔むした針葉樹林を訪れるが、世界遺産のホー・レインフォレストを見たい人にはバター代わりにマーガリンを出されるようなものだろう。
さらにレッドウッド国立公園の巨木林。ここも地理的に絶妙な位置だ。カリフォルニア州にありながらサンフランシスコからは7時間あまり、ポートランドからも6時間、シアトルからだと9時間のドライブだ。このため現地発着ツアーがない。2つの世界遺産がともにゲートシティから遠く、観光客をその意思でふるい分けていることは自然を守る天与の緩衝材だと思う。
アメリカの隠し世界遺産
後編では世界遺産を巡るアメリカの考え方と姿勢について述べる。「来訪者のインパクトから守るために世界遺産にしない」という、日本とは正反対の考えだ。
▲オリンピック国立公園が81年に世界自然遺産に登録されたことを示すプレート。さて、このプレートはどこにあるのでしょう?
▲地球内の神秘と地表との接点、イエローストーンは、全米、全世界初の国立公園。78年の世界自然遺産登録はもちろんアメリカで最初
▲ホー・レインフォレストから一本南の谷にあるキナルト・レインフォレスト。雨林と小川の醸すこの美しさは別格だ
▲レッドウッド国立公園は80年に世界自然遺産に登録された。この森に来れば全ての人が世界遺産とは何かが体で実感できる
▲アメリカ・カナダ国境地帯に広がるランゲルセントエライアス国立公園。79年に世界自然遺産登録。隣接する両国の公園面積は世界遺産最大級
▲アラスカのグレイシャーベイ国立公園。80年世界自然遺産登録。そこに至るアプローチの困難さと出会いの感動は正比例すると思う
■オリンピック国立公園(Olympic National Park)
高緯度温帯雨林と多様な自然生態系により、1981年、世界自然遺産に登録
www.nps.gov/olym
■レッドウッド国立公園(Redwood National Park)
コースタルレッドウッド(セコイア)の巨木林により、1980年、世界自然遺産に登録
www.nps.gov/redw
■富士登山オフィシャルサイト
富士登山のための装備、マナーなどを網羅した総合サイト
www.fujisan-climb.jp
(2014年6月)
Reiichiro Kosugi 54年、富山県生まれ。学生時代から世界中の山に登り、77年には日本山岳協会K2登山隊に参加。商社勤務を経て88年よりオレゴン州在住。アメリカ北西部の自然を紹介する「エコ・キャラバン」を主宰。国立公園や自然公園のエコ・ツアーや、トレイル・ウォーク、キャンプを基本とするネイチャー・ツアーを提唱する。 |
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