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ワシントン湖を巡って(前編)

アメリカ・ノースウエスト自然探訪
2014年08月号掲載 / 文・写真/小杉礼一郎

自然に恵まれたシアトルエリア
氷河が輝くレニアと、対をなすオリンピックの山並み
緑の島々を抱くおだやかな海 それだけでも十分に美しいのに
加えてこの広い氷河湖がもたらすうるおいはどうだ

ユニオン湖を経てワシントン湖とエリオット湾をつなぐ運河Washington Ship Canal
▲ユニオン湖を経てワシントン湖とエリオット湾をつなぐ運河Washington Ship Canal。フリーモントの跳ね橋、99号線の橋を通過する外輪船

たかだか1万年

のっけからの脱線を許してほしい。各地の自然を探ね歩くうち、いつの頃からか隊長は1万年前を「たかだか」と思うようになっていた。自然探訪でクマやクジラを見る。見つけるとうれしいがそれだけではない。絶景やきれいなお花畑も見る。感動するがそれだけでもない。実際に目で見えるわけでないが「時の流れを腑に落ちるように感じ、心を揺さぶられる」ことも得ることの大きな一つなのだ。1万年、それは十分に私たちの想像の及ぶ時間だ。
 
一万年、最後の氷河期が終わり、地球が温暖になっていく期間。ユーラシア大陸の東にいた人類のあるものは北アジアからベーリンジア陸橋を渡り、アラスカに入っていった。そして温暖化が始まると一気に(といっても千年のうちに)南北アメリカ大陸に広がっていく。ノースウエストにも先住民がいた。彼ら彼女らは今のワシントン州で氷河が年々後退し、海が次第に迫り上がってくるのを見ていただろう。ミズーラの洪水でコロンビア川が地球一凶暴な川と化するところも見たであろう。マザマ山が大噴火し、その火口に水が貯まり、それが空と同じ真っ青な色に染まっていることも見たであろう。 無論、同一人であるわけがない。今の時代なら一世紀100年で3~4世代の人類の交代だが、1万年前だと、それは100年で5~6世代のペースでの交代だったかもしれない。米北西部のこの一万年とはそういう「人がいる時代」のことだ。
 
脈々と続く人類の目でワシントン湖とその周辺を眺めてみると、時の流れと人の営為がリアルな時空感を伴って立ち上がってくる。

ワシントン湖現わる

1万5千年前の最後の氷河期(フレイザー氷期)、現在のシアトルの辺りは3千フィート(約900m)もの分厚い氷河、というより氷床(コルディレラ氷床)に覆われていた。今の南極大陸の分厚い氷の層と同じである。北極から連なるそれが現在のオリンピアの南辺りまでを覆っていた。
 
地球はやがて温暖な時代に入り氷河は次第に後退していく。氷河の下にあった地表が現われ、谷の部分は、あるものは海水が満ちてフィヨルドとなり、内陸に現われた谷は川の水が流れ込んで湖となった。氷河によって削られた谷は概して深いU字谷だ。ワシントン州最大の湖、シュラン湖、第2位の大きさのワシントン湖、そのすぐ東のサマミッシュ湖、オリンピック半島のクレッセント湖。皆、氷河の後退によって出来た氷河湖である。

そしてこの100年で

一万年の間、ワシントン湖は周辺の谷の水を集め、豊かな水をたたえてきた。湖水はその南端レントンから流れ出て、ブラックリバー、ドゥワミッシュリバーを経てエリオット湾に流れ込んでいた。19世紀後半のシアトルでは木材(原木、製材品)の輸出が盛んだった。原木は無尽蔵にある(と思われていた)原生林を切り倒すだけで金になった。まだ自動車が無い時代である。丸太を運ぶ手段は牛、馬、そして谷や川、湖、海をつなげて使う水運が主体だ。ワシントン湖には周辺の森林から切り出された丸太が集められ、西岸の狭い谷川を使ってエリオット湾で待つ船に積み出されていた。20世紀に入り、この流送路を広げ、ユニオン湖を経て船が海に出られる運河を作るかねてからの大プロジェクトが日の目を見る。折しも湖南端のレントンは春の増水期にワシントン湖から流れ出す水とシダーリバーの氾濫でしばしば洪水に見舞われていた。
 
大きな湖を海と結ぶために川を付け替える大工事は1911年から7年を要した。1万年の間、湖から南へ流れていた川が北へ流れ、海へ注いでいたシダーリバーは湖へ注ぎ、ブラックリバーが消滅した。そして西岸には運河が作られ、湖水はこの新しい水路を通り海に注ぐ。ワシントン湖と海面との間に20~22フィート(6~7m)の水位差を保ち、かつ船を通すための大小二つの水門が造られ、その横には海から産卵に戻ってくるサーモンを溯上させるための21段の堰からなる魚道(Fish Ladder)が設けられた。水路が完成し、水が流されるとワシントン湖の水位は一挙に9フィート(2.7m)下がった。レントンが洪水の懸念から開放された瞬間だった。
 
運河の上を通る主要な道にはいずれも船を通せる跳ね橋が架けられた。University Bridge、Fremont Bridge、Ballard Bridgeなど現在も立派に役目を果たしている。工事は合衆国陸軍工兵隊が行い、水門には主任設計技師のヒラム・M・チッテンデン大佐の名が冠せられ後世「チッテンデン水門」と呼ばれることになった。設計、施工だけでなく水門の運営・管理・警護は今でも陸軍工兵隊が担っている。
 
21世紀になり、空港、ダム、橋、港湾、原発、水門などインフラをテロ攻撃から守る時代が来るとはチッテンデン大佐も思いもしなかっただろう。

 

シータック空港へ降りる飛行機の窓からワシントン湖のスナップ
▲シータック空港へ降りる飛行機の窓からワシントン湖のスナップ。光の帯は90号線。浮橋とマーサーアイランドが見える
シダー川
▲レントン市街の真ん中を流れワシントン湖に注ぐシダー川。この川で毎秋サーモンの溯上が見られる
シェラン湖
▲ワシントン州最大の湖、シェラン湖。ワシントン湖と同じく氷河湖だ。その形は細く長く両岸にノースカスケードの山が迫ってくる
バラードの水門の正式名称はHiram M.Chittenden Locks
▲バラードの水門の正式名称はHiram M.Chittenden Locks。Government Locks、Ballard Locks、あるいは単に水門(Locks)とも呼ばれる


スワードパーク
▲スワードパークにて。穏やかなワシントン湖で父が娘にカヤックを教えている。対岸の森の向こうはシアトル
風の強い日のワシントン湖
▲風の強い日のワシントン湖。カークランドからシアトルのビル群を見る。この湖岸にはボート・ヨットを係留するマリーナがあちこちにある

Information

チッテンデン水門
チッテンデン水門を造り、現在も管理運営している合衆国陸軍工兵隊のサイト
www.nws.usace.army.mil

■アーゴシークルーズ
アーゴシークルーズがワシントン湖とユニオン湖を巡るミニクルーズ船を走らせている。いろいろなコースがあるが、隊長の一押しはエリオット湾、水門、ユニオン湖を巡るLocks Crouse Tour
www.argosycruises.com

■ヒストリーリンク
ワシントン州の歴史を紹介するウェブサイト。下記のページでは、本文で紹介しているワシントン湖から海までの工事について、当時の写真を交えて説明している
www.historylink.org/index.cfm?DisplayPage=output.cfm&file_id=1444

(2014年8月)

Reiichiro Kosugi
54年、富山県生まれ。学生時代から世界中の山に登り、77年には日本山岳協会K2登山隊に参加。商社勤務を経て88年よりオレゴン州在住。アメリカ北西部の自然を紹介する「エコ・キャラバン」を主宰。国立公園や自然公園のエコ・ツアーや、トレイル・ウォーク、キャンプを基本とするネイチャー・ツアーを提唱する。