2014年09月号掲載 / 文・写真/小杉礼一郎
湖上の空はいつも高く、
蒼い空と白い雲を映す水をたたえた湖面が広がる
このうるおいの景色に慣れ親しんだ人が、もし乾いた内陸に移り住んだら
体と心は深いところから「渇き」を訴えるのではなかろうか
▲湖の北東部にあるワニータ・ビーチパーク。市民が水辺に遊び憩う場所。公園の一角の湿原帯は水鳥の生息地であり湖畔をめぐるトレイルが通っている
湖畔の景色点描
前編で述べたように、ワシントン湖が生まれて一万年余り、100年前には湖に流出入する河川を人間が南から北へ付け替えてしまった。かつては針葉樹の森だった湖畔の景色はずいぶん変わった。
近代から現代へ、アメリカの都市の中でも大きく発展してきたシアトルの東にあるこの湖は、風光明媚で緑あふれる住宅地としてのステータスを打ち立てた。今や世界的企業のトップ(=世界的富豪)たちが湖畔に住んでいる。広い水面は、もっぱらさまざまなウォーターレクリエーションの場としてシアトル圏の人々に利用されている。
湖の北西に広がるワシントン大学のキャンパスは、大きな木々と湖の空間が明るく堂々と落ち着いた風格を醸している。湖の南端には、戦前はB-29などの爆撃機を作っていたボーイングのレントン工場がある。シダーリバーはこの工場と滑走路の間を流れ、湖にそそいでいる。
水路が出来、湖面の水位が下がった後、湖岸には湿原帯が現れた。水鳥など水辺の生物の格好の生息地となっているほか、オフィス街や農園としても利用されている。ベルビューの湿原とオフィスビルの取り合わせは、ポートランドの西の湿原を開発したビーバートンの景色に少しだけ似ている。
浮橋のはなし
ワシントン湖の景色を語るときに欠かせないものが、湖を横断する2つ(正確には3つ)の浮橋(Floating Bridge)である。
「I-90の浮橋」「(州道)520号線の浮橋」と一般に呼ばれているが、I-90のエクスプレスレーンの橋は独立した橋であり、3つの橋それぞれに正式名称はある。長ったらしく、誰も使わないのでここでの紹介は略す(知りたい人はLake Washington Floating Bridgeで検索してください)。
視界を妨げる橋脚も鉄骨も一切無く、天気のいい日にはレニア山の雄姿が湖の上に遠望できる。車でほぼ湖面の低さを走り抜けるというのは、他所では体験できない、いささか爽快なドライブだ。
ワシントン湖の水深は200フィート(約60m)とさほど深いわけではない。が、氷河湖だけあって氷河が谷を削り出したときに出来たシルトと呼ばれる、砂よりも細かく粘土よりも粗い泥が湖底を分厚く覆っている。
このため、橋脚工事には多額の工費がかかり、かつ何年にもわたって湖水をひどく濁らせるだろうという大きな懸念があった。結果、今の浮橋案が採られた。
それには、この辺りの自然条件が味方したことも忘れてはなるまい。
つまり、東海岸のようなハリケーンがない。中西部のようなトルネードがない。太平洋プレートの沈み込み帯からは離れているため、大きな地震と津波の心配がない。厳冬期でもワシントン湖が氷結することはない。こういった好条件である。
520号線の浮橋の長さは1.44マイル(2.3㎞)あり、コンクリート製浮橋としては世界最長。90号線の浮橋は1.25マイル(2㎞)で、世界第2位である。
ちなみに3位はシアトルの北西にあるフッドカナルの浮橋で、これは海峡を渡る浮橋。実に世界最長の浮橋の1、2、3位がこのシアトルエリアにあることが、北西部の自然の穏やかさを何よりも物語っている。
サーモンの禍福
ワシントン湖水系の天然のサーモン(鮭)にも、100年前の環境の変化は大きかった。
ピンクサーモンとチャムサーモンにとって川の付け替えは災厄だった。この二種の稚魚は川から海へできるだけ短時間で動くように体組織ができている。移動の途中に現れた広く長い湖水には適応しづらく個体数は減った。
一方、ソックアイサーモン(紅鮭)の場合は逆だ。ソックアイサーモンの稚魚は、川から海へ下る旅のうち、淡水でほぼ一年を過ごし、充分に成長してから海へ向かう。その点、ワシントン湖は絶好のナーサリーとなった。
1930年代、40年代とワシントン州北部のマウント・ベーカーの麓のベイカー湖からワシントン湖へ相当量のソックアイサーモンの稚魚が人の手によって移された。その後、この水域のソックアイサーモンはみるみる増え、現在はその生息数は米本土でワシントン湖がトップである。
この20、30年にサーモンの生息数は危機的な水準まで下がった。合衆国政府をはじめ、世界各国が資源保護に乗り出している。商業漁獲でもレジャー用でも魚種毎に漁獲高は厳しく制限され、今日び、天然のキングサーモンは上級のステーキ肉よりも高い。アトランティックサーモン(養殖サーモン)が市場に浸透しつつあるものの、激減したキングサーモンに代わり、天然のサーモンとして近年寿司屋でも食卓でもよく食べられているのは、このソックアイサーモンである。米北西部に住む我々はとりわけその恩恵に浴している。
▲東岸のニューキャッスルゴルフコースよりワシントン湖を遠望する
▲産卵を終えたソックアイサーモンが自然の循環に戻っていく
▲ワシントン湖岸には湿原が点在しているが、東岸のベルビューの南側に最大級の湿原帯マーサー・スロー自然公園が広がっている
▲湖岸の湿原帯は水鳥をはじめ、さまざまな生き物たちを育んでいる。ワニータ・ビーチパークの湿原帯で見かけたマガモの親子
▲ワシントン湖を渡るI-90の浮橋。湖岸付近は橋脚があり小中型船が通る。水面に接している区間が湖面に浮いている部分
▲ワシントン湖の南端に位置するボーイング社レントン工場。ここから一日1.5機のペースでジェット旅客機のベストかつロングセラー機737が世界中に送り出されている
■サーモンの溯上を観察する シダーリバー・サーモンジャーニー
毎年夏に産卵に帰ってくるサーモンが見られる
www.cedarriver.org/programs/cedar-river-salmon-journey
■アーゴシークルーズ
ワシントン湖一周クルーズがカークランドから出ている
www.argosycruises.com/sightseeing-cruises/kirkland-lake-washington-cruise
■ワシントン湖周辺の公園
ワシントン湖の周辺には国、州、郡、市が運営する大小たくさんの公園がある。シアトル市の公園一覧
www.seattle.gov/parks
■湖畔のブルーベリー農園
ベルビューダウンタウンの南にあるマーサー・スロー・ブルーベリーファーム。U-Pickもあり
www.ci.bellevue.wa.us/blueberry_farm.htm
(2014年9月)
Reiichiro Kosugi 54年、富山県生まれ。学生時代から世界中の山に登り、77年には日本山岳協会K2登山隊に参加。商社勤務を経て88年よりオレゴン州在住。アメリカ北西部の自然を紹介する「エコ・キャラバン」を主宰。国立公園や自然公園のエコ・ツアーや、トレイル・ウォーク、キャンプを基本とするネイチャー・ツアーを提唱する。 |
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