2005年01月号掲載 | 文・写真/小杉礼一郎
ワシントン州北端、カナダとの国境近くに美しい谷が広がっている。
米北西部の中でもひと際豊かな自然とその風土に魅せられた
ひとりの日本人がいた。およそ100年前のことだ。
もうひとつの桃源郷
今回紹介するエリア、オカノーガン渓谷の“OKANOGAN”は先住民(サリッシュ族)の言葉で、ランデブー(人が会う所、約束の土地)を意味する。ここは、以前キャラバン#22でお伝えしたオレゴン州の「桃源郷の谷・フッドリバー」といくつか共通するところがある。
まず位置関係。オカノーガン渓谷もフッドリバーと同じくワシントン州の北辺にある。双方の谷とも主産業は果樹栽培で、りんご、梨、桃、チェリーなどの果樹園が広い谷を覆っている。また、カスケード山脈のすぐ東側に位置し、年間を通じて晴天の日が多い。これが桃源郷と呼びたい所以だ。
そして、20世紀初頭に米北西部へ移民としてやって来た日本人との関わり。500人余りの日本人入植者達の努力の結果、果樹園が広がる今の谷の景観が作られたフッドリバー。だが、オカノーガン渓谷の場合はちょっと違う。たったひとりの日本人がこの谷の自然や人々を、1世紀も前にたくさんの写真に収めた。
▲街のところどころにフランク松浦が撮影した写真がある。上は郡事務所の壁に飾られた、正装したネイティブ・アメリカン
▲オカノーガンのダウンタウン。中央にある時計台が付いた建物は郡事務所
谷の風土と人々の暮らし
オカノーガン渓谷はコロンビア川上流のひとつの大きな谷だ。谷は北に延び、カナダ側に入ると名が変わり、“オカナーガン(OKANAGAN)”と呼ばれる。谷の東側は内陸性の風土、西側はカスケード山脈の山麓の山岳性の風土が入り組んでいる。
この谷の四季ははっきりしている。春は新緑が萌え出し、さまざまな花が咲き誇る。夏は強い日差しと乾燥した空気が爽やか。秋にはアスペン、ヤナギ、ポプラの紅・黄葉が美しい。冬は厳しい寒さと雪景色でさしずめ北国の様相になる。この地で生まれ育った人達がこの谷を出たら、アメリカのどこに住んだとしても四季の変化に物足りなさを覚えるのではないかと心配になってしまう。
西にノース・カスケード国立公園が隣接しているので、山のハイキング・コース、ロック・クライミング、マウンテン・バイクのコースには事欠かない。もちろん景色も素晴らしい。川は美しく、大小数百の湖もあるので、釣りやカヤックにも格好のエリアだ。
谷の中には環境のいいキャンプ場が点在している。ハンティングも盛んだが、何よりも谷を挙げて乗馬が盛んである。自然の中での乗馬はもちろん、春から夏にかけては毎週ロデオ競技が、夏には「オマク・スタンピード(Omak Stampede)」が開催される。これは、その名も「Suicide Race Hill」という急な丘の斜面を馬を駆って下り、オカノーガン川を走り抜ける勇壮で過激なレースだ。
オカノーガン川の東側には広い「コルヴィル・インディアン・リザベーション(Colville Indian Reservation)」があり、毎年7月には「パウワウ(Powwow。ネイティブ・アメリカンの各部族が集まって行う歌と踊りの祭り)」が盛大に行われる。実りの秋には、果物、ワイン、ビールなどがたっぷり堪能できる。冬にはスキー、スノーボード、クロスカントリー・スキー、犬ぞり、スノー・モービルなど、あらゆるウインター・スポーツが楽しめる豊富な積雪がある。
▲オカノーガン渓谷の景観。オカノーガン川に沿って農地と果樹園が
広がるのどかな風景
▲オカノーガン川。“人が会う所”という意味の通り、人々の暮らしはこの川の周囲に集まっている
フランク松浦
昨年、イチロー選手が大リーグの年間最多安打記録を塗り換えた。彼がシアトルにやって来たのは21世紀が始まる2001年、27歳の時だった。
それよりちょうど100年前の1901年。アメリカ人からフランク・マツーラと呼ばれた日本人、松浦栄がシアトルへやって来た。彼もまた当時27歳だった。
松浦は1873年(明治6年)東京で生まれた。旗本与力(※1)だった実家は明治維新で没落。苦学を強いられた松浦は、海の向こうの新天地で己の人生を試そうとする。この心意気もイチロー選手と通じるところがある。
彼はシアトルに2、3年いたとされるが、その足取りは定かではない。日本にいる時に写真の技術を身に付けた松浦だが、シアトル時代の写真が残っていないからだ。松浦は1903年にオカノーガン渓谷へ現れる。当時、鉱山開発で活況を呈していたこの一帯で、彼はホテルの皿洗いなどをしながらカメラ(写真機)を手に入れ、やがて自分の身の丈ほどの三脚付きカメラで、谷の風景や人物、日常生活、季節の行事などを撮影し始める。周囲の人々から“フランク・マツーラ”と呼び親しまれた彼自身が写った写真を見ると、アメリカ人と比べてかなり小柄だが、精悍な武士の顔をしている。控えめな性格だがユーモアがあり、周囲の人に愛されていたようだ。これもまた、イチロー選手とオーバー・ラップする。
カメラが登場したその当時、人々は写真にいわば憧れていた。フランクは次第にこの土地の人々から撮影を頼まれるようになり、写真家として身を立てていく。1906年にはオカノーガンの街で「Frank S. Matsura Photo Shop」を構えるまでに至った。彼はオカノーガン渓谷で10年にわたってドキュメンタリー・タッチの写真を撮り続け、撮影の対象はあらゆる風物に及んだ。先住民や開拓者、毛皮取引、探検隊、採鉱ラッシュ、ダム工事、鉄道建物、農業、潅漑(かんがい)、そして四季折々の自然の風景……。
デジタルでもフィルムでもない、乾板写真(※2)の時代だ。いくら撮っても撮りたい風物への興味は尽きなかっただろう。まさしく十年一日の如く時が過ぎた。
1913年、フランク松浦は結核のために喀血死する。享年39歳。亡くなった時は彼を慕い、白人、黒人、ネイティブ・アメリカンなど、人種を問わずたくさんの人々が集まり、オカノーガンの街が始まって以来の葬儀が行われた。その様子と彼の業績が3ページにわたって掲載された地元紙が「オカノーガン郡歴史博物館」に残っている。
フランク松浦の死後、アメリカは2度の世界大戦に参戦。この桃源郷の谷も激動の時代の波に洗われ、日本人だった彼も、そして彼が撮った写真の存在も、半世紀以上の歳月の流れの底に忘れ去られてしまった。60年という年月と人手を経てガラス乾板のネガが発見され、彼の写真が再び人々の目に触れるようになったのは、偶然からだった。現在、彼が写した数千枚の写真は、オカノーガン渓谷開拓時代の貴重な写真資料として各方面で使用されている。
隊長の独白
オカノーガン渓谷には、特に珍しい自然景観があるわけではない。しかし、米北西部の各地にあるような豊かな自然がそこにある。四季折々のオカノーガン渓谷の眺めはどれも素晴らしい。ここに住むだけで心身共に浄化されるような土地柄だ。きっとこの谷で生まれ育った人は、郷土と人々をこよなく愛するようになるだろう。フランクがシアトルではなく、この地に惹き付けられたのは、やはりそういうことだったのではないかと思う。
フランク松浦がこの地に渡ってきた頃の明治日本は、国を挙げて“富国強兵”を進めていた。「富国とはいったい何なのだ?」。自然豊かなこの谷で、開拓のかたわら人々が春、夏、秋、冬の生活を楽しんでいる様子を見て、フランクは自問自答を繰り返したに違いない。今の我々は、この時代を迷うことなく「古き良きアメリカ」と言うだろう。その良い時代と風土と人々の間に、短かったが、彼はまっすぐに生きた。オカノーガンの谷は開拓の人々が入ってきた後も一層美しい。そしてフランクという、いわばエコ・キャラバンの先人の足跡にも、隊長は美しさを感じている。
■注釈
旗本与力(※1)……江戸幕府直属の中級武士。
乾板写真(※2)……感光剤を表面に塗布したガラス板に画像を焼付ける方法。現在のネガ・フィルムにあたる。
■参考資料
・フランクと呼ばれた男 西部の写真家「松浦栄」の軌跡(著者:栗原 達男 / 出版:情報センター出版局)
・文芸春秋(1999年9月号)
■オカノーガン郡歴史博物館
開拓時代のOmakの街並みを再現した屋外展示があり、当時のことを知るには格好の場所。フランク松浦の写真館(レプリカ)もここにある。また、この博物館内には「Okanogan County Historical Society」のオフィスもあり、ここではフランク松浦の撮った写真を中判のネガ・フィルムにして保管しているほか、印刷物の資料や書籍も閲覧できる。
Okanogan County Historical Museum
住所:1410-2nd Ave. N., Okanogan, WA
509-422-4272
ウェブサイト:www.omakchronicle.com/ochs/ochm.htm
【ウェブサイト】
■Frank S. Matsura Image collection
ワシントン州立大学の図書館のサイト。サイト上でフランク松浦の写真アーカイブ数百枚をジャンル別に見ることができる。
ウェブサイト:www.wsulibs.wsu.edu/holland/masc/xmatsura.htmlochm.htm
【写真集】
■Frank Matsura, Frontier Photographer
著者:Joann Roe, Frank Matsura
出版:Madrona Publishers
1981年に出版された、フランク松浦のオカノーガン渓谷での軌跡と写真を紹介した写真集。絶版。
■Images of Okanogan County as Photographed by Frank S. Matsura
編集・出版:Okanogan County Historical Society
フランク松浦の撮影した写真を含むオカノーガン渓谷の歴史や風土を紹介した写真集。絶版だが「Okanogan County Historical Society」に在庫がある。
Reiichiro Kosugi 1954年、富山県生まれ。学生時代から世界中の山に登り、1977年には日本山岳協会K2登山隊に参加。商社勤務を経て1988年よりオレゴン州在住。アメリカ北西部の自然を紹介する「エコ・キャラバン」を主宰。北米の国立公園や自然公園を中心とするエコ・ツアーや、トレイル・ウォーク、キャンプを基本とするネイチャー・ツアーを提唱している。ウェブサイト:http://c2c-1.rocketbeach.com/ ̄photocaravan |
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