2006年06月号掲載| 文・写真/小杉礼一郎
広いこの峡谷の古道をたどれば、そこかしこに自然と風土の断層を見つけることができる。
この風の谷には「時」もまた大河となって流れている。
想像も及ばぬ太古の景色
コロンビア・ゴージを一望するクラウン・ポイント(Crown Point)に立つと、眼下には雄大で美しいコロンビア川がゆったり流れている。眼をつむって有史前のこの谷のありさまを思い描いてみる。
「ゴドドドドドドドドドドドド……」
鼓膜が破れそうに、地面も大気もピリピリと轟きかえり、一瞬たりとも静寂はない。空まで舞い上がる泡としぶきと狂風で、水面と空気、川と空との境もはっきりとしない。
北の氷河から崩れ出た巨大な氷塊や巨岩、膨大な土石、流木を巻き込んだ濁流が、時速80マイル(125キロ)のジェット奔流となって流れていく。とてつもなく速い。ナイアガラの滝を見たことのある人は、想像してみて欲しい。あの何百倍の量の水が水平方向に走る景色を。それは、もはや川と呼べるものでなく、水平にほとばしる、果てしなく広く長大で凶暴な巨滝である。
その当時のコロンビア川は、過去200万年間、地球上のあらゆる川の中でも最大の川であったと推定されている。幅約2マイル(3キロ)、水深1,000フィート(300メートル)の激流は、クラウン・ポイント展望台のはるか頭上を越えて流れ、一望の川面は対岸(ワシントン州)の山まで逆巻いている。
▲ジョン・デー化石層国定公園のシープ・ロック地区は、古生代の化石の宝庫である
▲氷河でなく、太古の大洪水によって造られた壮大なU字谷。北緯45度の中緯度にあっては稀な景観
ミズーラの洪水
およそ1万3,000年前の最後の氷河期には、ワシントン州の北部はコルディレラ氷床(Cordilleran Ice Sheet)に覆われていた。この氷の最南端は、今のオリンピア辺りまで南下していたことがわかっている。その東、現在のアイダホ、モンタナ州境辺りにせり出していた氷床の舌端は、この氷床から溶け出た水をダムのようにせき止めていた。そうしてできた巨大な水面がロッキー山脈の西(現在のモンタナ州の西)のミズーラ湖(Lake Missoula)である。
このダム湖は、その氷河舌端の消長により、氷河期が終わるまで不定期に決壊を繰り返す。地質学上、この決壊によって起こる下流の洪水は「ミズーラの洪水」と呼ばれ、その回数は、数十回から100回に及んだと推定される。ノアの箱舟の話に出てくるようなこの巨大洪水は、ワシントン州の東の半分を水没させ、カスケード山脈の亀裂から西へ流れ出る。度重なる氷塊と土石の洪水は、この亀裂を削り洗い、まるで氷河地形のような長大なU字谷に変えていった。これが、今私達の目の前に広がるコロンビア・ゴージである。
このU字谷の水路をほとばしり出た水は、下流にある現在のポートランドからウィラメット・バレーを、水深400フィート(120メートル)の広大な-ほとんど海のような-湖に変えてしまう。
▲コロンビア・ゴージを代表するビュー・ポイント。特に朝夕、ここから眺める峡谷の眺めは美しい
ゴルジュとゴージ
「井の中の蛙、大海を知らず」というが、まさに真言である。蛙=隊長だ。
日本で山や沢(渓流)登りをしたことのある人なら、一度は「ゴルジュ」という言葉を聞いたことがあると思う。ゴルジュはフランス語で「谷の両岸が喉のようにくびれた、狭く深い廊下のような谷」のことを言う。谷の両岸を両手で触れることができるほどの狭い、ちょうどオネオンタ・ゴージ(Oneonta Gorge、写真・右)のような谷が、隊長の頭に刷り込まれたゴルジュのイメージである。だから、初めてコロンビア・ゴージの名前を聞いた時は、そういう谷を思い描いていた。
ところが、実際に見たコロンビア・ゴージはそれまでに見たこともないような大河と、明るく大きく広い谷である。だから英語の「ゴージ」とは、ただ単に広くても狭くても「谷」のことを指すのだと長く思っていた。しかし、北米大陸の地形図を見て、前述したミズーラの洪水のことを知った後、隊長は初めて自分の取り違えに気が付いた。
つまり、北米第2の大河であるコロンビア川の源流から河口までの長大な流れの流域中、ただここの場所1カ所だけがまるで喉のようにくびれ、狭まっているのである。だから、ここコロンビア・ゴージは、コロンビア・キャニオンでも、コロンビア・バレーでもなくやはりゴルジュ……狭い谷なのだ。
▲マルトノマ滝(Multnomah Falls)の東約2マイルにあるオネオンタ・ゴージ。これぞゴルジュらしい風景。30分ほどこの両岸の迫った中を遡ると、オネオンタ滝にたどり着く
天然回廊ミュージアム
この峡谷はミズーラの洪水を、あたかもノズルのようにそのただひと筋に集めた。1万3,000年後の今日、谷の両岸と川底には、激しい怒涛の流れに耐えさらされた硬い岩盤、岩塔が、当時とほとんど変わらない姿で残っている。前述のクラウン・ポイント、巨岩ビーコン・ロック(Beacon Rock)、ロウィーナ・クレスト(Rowena Crest)などの断崖。きつ立する大小、有名無名の岩のオブジェは皆そうである。そして、巨大洪水が東西に貫いたカスケード山脈の断面には、大小の滝が出現した。
天然の大回廊であるコロンビア・ゴージをそのまま屋外美術館と見立て、その配された自然の造形物を鑑賞して回る通路があるとすれば、それは旧道30号線であろう(※1)。峡谷の南岸を、時に中腹の深い樹林を縫い、時に川原に降り、また断崖の上へ登る。
この1世紀近くも前に作られた優れた設計の道路を行くと、自然の万華鏡を覗いたように、あるいは「時」の玉手箱を開けたように、谷は豊かな景色を私達に開いて見せ、谷を渡る風は古い物語をささやいてくれる。川の流れに沿ってたどってみよう。
【ゴージの入り口】 カスケード山脈の東側は、乾燥した内陸平原のいかにもアメリカらしい景色だ。谷を下るに従い、両岸には豊かな緑が溢れる。春から夏に掛けて、台地や林間には大河と山を借景に、色とりどりの花の群落が出現する。
【桃源郷の谷】 フッド・リバー(Hood River)川岸は風の谷でもある。年間を通じて「ゴージの風」と呼ばれる冬の東風、夏の西風が広い川面を吹き渡る。この風と水面が、フッド・リバーの街をウインド・サーフィンのメッカにした。
【ビンジェン】 その対岸、ワシントン州にビンジェン(Bingen)という名の街がある。ドイツのライン川畔にもビンゲン(Bingen)があるが、ビンジェンでのコロンビア川幅は元祖ビンゲンのそれの3倍ほどもあるだろうか。この右岸ビンジェンから、左岸フッド・リバーに向けて、コロンビア川を泳ぎ渡る夏の恒例イベントがある(※2)。
【カスケード・ロック】 東西約70マイル(112キロ)のコロンビア・ゴージの流域で、川幅が最も狭い場所がカスケード・ロック(Cascade Locks)。ここの両岸を結ぶ鉄橋(Bridge of the God)の名は、「神が架けた岩の橋がこの地にあった」という先住民の伝説に由来する(※3)。
【ボナビル・ダム】 カスケード・ロックの下流にボナビル・ダムがある。このダムの見学設備はとても充実している。サーモンの溯上のシーズンには、水面と水中から流れを遡る魚群をつぶさに見ることができる。1993年にできた水門は幅26メートル、長さ206メートルの巨大なもので、5艘のはしけ(艀船)が目の前を1回の揚下水で通過する様子は、実に壮観だった。が、9・11事件以後、施設への立ち入りは禁止される。
【クラウン・ポイント】 ゴージ南岸の西端にあるのがクラウン・ポイント。岩壁の上には展望台であるビスタ・ハウスが建っている。ここからのゴージの眺めは素晴らしい。さらにはこのクラウン・ポイントとビスタ・ハウス自体が峡谷の景色にうまく調和して、コロンビア・ゴージのシンボルのごとく景観の1部をなしている。さらに西へ1マイルの場所にあるポートランド・ウィメンズ・フォーラム州立展望台(Portland Women’s Forum State Scenic Viewpoint)は、クラウン・ポイントを前景に置いてゴージの景色が堪能できる素晴らしいビュー・ポイントである。
▲ロウィーナのトム・マコー景観保存地(Tom McCall Preserve)。4~7月にはルピナス、バルサムルーツなどの花々が咲き乱れる
川の風格
ミシシッピ、ミズーリ、ユーコン、ドナウ、セーヌ、ライン、インダス……。各地の大河を見てきた隊長は思う。
「山や街と同じく、川にも風格や気品があるが、数ある大河の中でコロンビア川の風格は世界一ではなかろうか」
この川の上流にはその片鱗が伺えるし、河口付近は十分、その風格を醸している。では、この川の風格を一番感じる場所は?と聞かれれば、即それはコロンビア・ゴージだと答えるだろう。
荒れ狂った古代に比べると、今はどんなに大雨が続こうと、広い谷の器の底を静々と水は流れている。初めてこの川のほとりに立って眺める人は、この川の桁外れに大きい構えから、この谷にかつて渦巻いていた狂大な自然のエネルギーを(知らずとも)感ずるだろう。その風格はあたかも、老境に至った英雄がたたえる枯れた魅力のようなものかもしれない。
コロンビア・ゴージはI-84を通れば1時間余りで走り抜けてしまう。旧道30号線を通れば半日掛かるだろうか。しかし、旧道沿いの見どころを見ていくと何日掛かるのか? そして一つひとつの滝、谷、トレイルに入り、史跡、風土をつぶさに訪ねて歩くと、ひと夏はそれだけで過ぎるかもしれない。しかも、厳冬の谷、新緑の季節、水と遊ぶ夏の午後、柳やメープルが黄金や赤に色付く秋と、それぞれにこの谷の表情は変わるのだ。ああ、なんと広く深い谷だろう。水も風も時も人も、絶え間なく流れているこの亜空間に、隊長は終身囚われている気がする。
※1 Historic Columbia River Hwy./自動車大衆化のきっかけとなったT型フォード登場から5年後の1913年、コロンビア川沿いの旧道30号線が着工。9年の難工事を経て、1922年にポートランド~ザ・ダラス間が開通した。車線幅の狭さが当時をしのばせる。
※2 Columbia River Cross Channel/60年以上続いているレイバー・デーのイベントで、コロンビア川の約1.1マイル(2キロ弱)の川幅を、流れに沿って斜めに泳ぎ渡る。子供から老人まで数百人が参加する。
※3 Cascade Locks/カスケード・ロックはコロンビア・ゴージを回るボート・クルーズの発着港となっている。春から秋には、橋の下で先住民の人達が獲ったサーモンと筋子を売る光景が見られる。カスケード/シエラネバダ山脈を通り、カナダ国境からメキシコ国境までを結ぶパシフィック・クレスト・トレイル(Pacific Crest Trail)はこの橋を通っている。
▲旧30号線の通称ツイン・トンネル
■コロンビア・ゴージ国定風致地区
フッド山国有林(Mt.Hood NF)が管理。ドライブはもちろん、滝巡り、ハイキングなど楽しみ方は多彩。キャンプ場、ピクニック・エリア、水泳場、サンド・ビーチ(ヌーディスト用まである)も利用できる。カヤックやウインド・サーフィンも人気。
Columbia River Gorge National Scenic Area
902 Wasco St., #200, Hood River, OR TEL:541-308-1700
ウェブサイト:www.fs.fed.us/r6/columbia/forest/
■旧30号線
全米で屈指のシーニック・ドライブ・ルートであり、20世紀の史跡としての価値も高い。ハイキング・トレイル、サイクリング・ルートとして再現されている場所も。下記、オレゴン州政府運輸交通部(DOT)のウェブサイトで詳細が見られる。
Historic Columbia River Hwy.
ウェブサイト:www.oregon.gov/odot/hwy/hcrh/
■コロンビア・ゴージ・インタプリティブ・センター・ミュージアム
コロンビア・ゴージ右岸(ワシントン州側)にあるミュージアム。ゴージの自然、歴史、風土についての展示、解説があるほか、年間を通じてさまざまなプログラムとイベントを行っている。
Columbia Gorge Interpretive Center Museum
990 SW Rock Creek Dr., Stevenson, WA TEL:1-800-991-2338
ウェブサイト:www.columbiagorge.org
■ビスタ・ハウス
コロンビア・ゴージの象徴となっているのが、クラウン・ポイント州立公園にあるビスタ・ハウス。ゴージに住む人々の手で造られ、愛されてきたこの建物には、その誕生から現在までの平坦ではない80年の歴史と現在進行形の物語が息づいている。
Vista House
40700 E. Historic Columbia River Hwy., Corbett, OR
TEL:503-695-2230 ウェブサイト:www.vistahouse.com
■ボナビル・ダム
コロンビア川の3つの中洲を結んで、2つのダムと、放水路、水門、魚の溯上路(Fish Ladder)と孵化施設(Fish Hatchery)がある。陸軍工兵隊がこのダムと施設を建設し、現在も管理と運営を行っている。
Bonneville Lock and Dam
TEL:541-374-8442 ウェブサイト:www.nwp.usace.army.mil/op/b/
Reiichiro Kosugi 1954年、富山県生まれ。学生時代から世界中の山に登り、1977年には日本山岳協会K2登山隊に参加。商社勤務を経て1988年よりオレゴン州在住。アメリカ北西部の自然を紹介する「エコ・キャラバン」を主宰。北米の国立公園や自然公園を中心とするエコ・ツアーや、トレイル・ウォーク、キャンプを基本とするネイチャー・ツアーを提唱している。新規ホームページとブログ作成中。近日完成予定。 |
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