2006年09月号掲載| 文・写真/小杉礼一郎
クリップボードを手に隊長は家の前のトレイルを歩く
路傍のヤナギランはアラスカへと咲き続いている
北西部の山野に至るこの小路が「ノースウエスト自然探訪」の書斎だ
執筆の舞台裏
2002年7月号連載スタート。「キャラバン#1 オレゴン・コーストのタイドプール」は、白黒写真2枚、1/2ページの小さなコラムだった。#3からカラー1ページ、写真も増えるが#12~26は再び白黒に。この白黒時代のおかげで隊長は「写真は構図」と悟る。04年10月#27より現在のカラー2ページになった。書いた記事にはその時々の思い出がある。毎回遅筆で歴代担当者を困らせたが、「それは太陽のせいだと思う」と隊長は言いたい。
原稿を携えトレイルへ出ても、晴れると「お、いい天気! 原稿? ヤメヤメ!」と、クリップボードを置いて犬と走り出してしまう。そして隊長は旅が多い。次号の写真だけ先に編集部へ送り、文は旅先で書きホテルなどからメールする。折り返し校正を次の旅先にFAXしてもらい、次の宿から著者校正をまた送る綱渡りで50回に至った。コンピュータの頓死、やっと書いた原稿を消去したり、画像ごとカメラを失くしたりなど再三あった。締め切りは過ぎ、写真0枚、原稿用紙も真っ白という回もある。そんな時はトレイルに出ると、頭の中で少しずつ思いが言葉になり、言葉が文になっていくのをメモに書き留めて原稿ができていくのである。
▲自宅前のトレイルにて。家族の一員、マックスの散歩タイム=当コラムの執筆タイムである。このトレイルは廃線跡で、隊長がここへ住み出したころまで列車が通っていた
▲アラスカのブルックス山脈、ノース・スロープ。大地の紅葉。この写真は時季と天候と行動がすべてうまく作用したマイ・ベスト・ショットのひとつ
写真のこと
隊長は、写真は素人。使っているのは普通のカメラだ。前は一眼レフだったが、1メガピクセルのオリンパスのポケット・カメラが初のデジカメである。それを紛失、2台目は同型の2メガピクセル。それも失せ、3台目も同型の3メガピクセル。が、動物を撮る際は望遠が欲しく、昨夏コンパクトで光学10倍ズーム、3.2メガピクセルを$180で買った。今の愛用機C-740である。こんな素人でもひと皮向けたと感じた時がある。99年秋、1カ月の西部国立公園キャラバンだった。行く先々は抜ける秋晴れで、用意した25本のフィルムでは足らず途中で買い足し、結局30数本のフィルムで撮りまくる。フィルム、現像・プリントの出費が痛かった。できた写真を見ると、使えるのは1本に1枚あるかどうか。「自分は写真が下手だ」「フィルムの無駄」ということが、出費と共に身に染みた。以後、ファインダーを覗く際、少しずつ構図を考えるようになる。デジカメでも、使えぬ写真は撮らない癖が着いた。さらに素人のできる工夫はシャッター・チャンスだと気が付いた。相方は世界第1級の自然景観。被写体に文句はない。動かぬ景色でも、これらに気を付ければ素人なりに「使える写真」は撮れる。
▲最近の写真から。日本からのハイキング・グループと訪れた6月末のクレーター・レイク国立公園にて。9時ごろまで粘って撮ったクレーター・レイクの残照
▲雨にたたられたキャラバンの夜は、アジア屋台が出現する。ランプの光とポップコーンの爆ぜる音にみんな集まってくる。コンロで次々にスルメやみりん干しを焼く隊長に、この夜「アジア屋台の親爺」という称号が贈られた
隊長のモノローグ
漠まで多様でかつ美しい。こんな自然景観が集まっているエリアは地球上でも稀だ。それに引かれてあっちの山こっちの谷へと隊長は探訪するわけである。人から「自然が好きなんですね」とよく言われる。確かに自然は好きだが、隊長は自然と人間が接する場面により引かれている。自然と関わってきた人間の行状(歴史)が特に面白い。有史前から人間は自然と闘って、勝ったり負けたり折り合ったりして生存圏を広げてきた。特に“新大陸”の広大な山野は、文明を得た人類全体の壮大な実験場だと思う。時間を横軸にした実験結果を現在進行形で見ることができる。それが北米の歴史と風土であり、隊長はそこが面白くて仕方がない。だからタイトルは「自然探訪」だが、今後も米北西部の自然とそれを舞台とした風土、歴史も探訪・紹介していく。
「自然観察指導員」なる制度が日本にあり、隊長もその末席に名を連ねている。英語ではインタープリター(Interpreter)という。つまり「通訳者」だが「解説者」の意である。目の前の自然の事象を解説することをインタープリテイション(Interpretation)という。その原則は、参加者の知っている事柄に引き付けて未知のものを伝えるという当たり前なことである。これは簡単なようでなかなか難しい。この記事を書く時は平易を心掛けているが、編集者に多くを直していただいている(感謝)。
執筆時に参考にするのは、パンフレットやトレイル・ガイドなどで、解説板に書かれている内容も紹介する。いずれも現地に行けば接する情報である。でも現実は、悲しいかな大自然の中に入ってすら皆さん忙しい。ゲートでパンフレットをもらっても車を運転しているし、トレイル・ヘッドでトレイル・ガイドを手にしても、大方の人は立ち止まって読まない。解説板についても同じだ。自然の驚異の景色を見ても、写真を撮ると次へ行ってしまう。目の前の自然と自分がどうつながっているか、異なっているかを知ることも確かめる時間もない。それならば、日系誌上で私達の住む当地の自然や風土について、あらかじめ関心を持てる情報を発信しよう。それが執筆の動機だ。自然を言葉で伝えること、つまり自然と人間の橋渡し、一人ひとりが目の前の自然や風土と何らかの結び付きがあることを伝えていきたい。さらにバーチャルからリアリティーへの「気付き」、過去と未来、世代と世代、東洋と西洋、アメリカと日本の橋渡しをすること。これら「結ぶこと」が自分のライフワークだと隊長は思う。
隊長の少年時代、昭和30年代の日本にはコンピュータもTVゲームもなかったが自然は身近にあった。木に登りセミ捕りをしたりフナを釣ったり、とにかく日の暮れるまで外で遊んだ。野原で「すみか」を作って遊ぶのが好きだった少年を隊長の親はボーイスカウトに入れた……入れてしまった。ハイキング、キャンプ、山登りへと高じ、やがて日本から世界へとその子は旅立ってしまうのである。
時は移り、日本からノースウエストの一角へ来て、今の時代にこの地の多様で広大な自然を舞台に自然と人間を結ぶこと、書くことや話すことで自分にその機会が与えられていることにたぶん何かの意味があると隊長は思っている。
▲夕焼け、たき火、天の川、流れ星、漆黒の闇、夜の帳、朝のしじま、日の出……。どこでも見られるはずの風景にもかかわらず、いつのころからか忘れられてしまっている「ありきたり」の自然の情景
▲レッドウッド国立公園にて。エコキャラバン発足の契機となった第1回のキャラバン・ツアーの仲間と。この木の下でキャンプをしていると、雨が降り出しても1時間は雨だれがテントに落ちてこない
これから書きたいエリアとテーマ
ありがたいことにこの記事のテーマは隊長が自由に選んできた。そして今、あと50回以上、書きたいテーマがある。これまでメジャーなエリアの紹介が先行したが、これからマイナーなスポットも取り上げていきたい。「地の果てのキャニオン」 「草葉の砲台」 「北西部のゴースト・タウン」 「アプローチが大変な自然」などだ。
さらにワシントン州についてはこれから取材・紹介したいエリアが多い。ノース・カスケード、ピュージェット湾の島々などである。州境にはかかわらない北カリフォルニア、アラスカ・ハイウェイ、北西航路、ロング・ドライブ続編などのテーマもある。
また、北西部を横断的に見るテーマ「野生生物保護区とは」 「国民有林」 「砦」 「ダム」 「北西部の歩ける街」 「都市近郊の山々」 「シーニック・ドライブ」 「都市公園探訪」あるいは「映画とノースウエスト」 「古道を辿る」 「腕を磨く写真スポット」 「自然な宿」 「米北西部に見る日米史」 「ゴールド・ラッシュ」などである。さらには、「ノースウエストのエネルギー事情」 「水源を訪ねて」 「ゴミはどこへゆく」 「先住民のこと」 「木の話1・2・3」「動物との出合い1・2・3」 「木と飛行機」 「車椅子で自然探訪」 「犬と行く自然探訪」 「エコキャラバンのキャンプ料理」などなど……。
さらに、シアトルとポートランドで、トレイル・ヘッド集合・出発・帰着・解散の“自然探訪ハイキング”を1度実行したい。そして、今夏成せなかった夢のひとつ、アラスカ、インサイド・パッセージの船+車+トレイル・ウォークの旅を、2007年に再チャレンジする企てでいる。
隊長からのメッセージ
読者の皆さん、歴代編集スタッフの皆さん、小杉晶子さん、「ノースウエスト自然探訪」は連載50回を迎えることができました。皆さんを始め多くの人々からいただいたサポートのおかげです。ありがとうございます。隊長は連載100回を目指します。引き続きご愛読ください。
ノースウエスト自然探訪 Q&A |
読者の皆さんからいただいた質問に隊長が回答! Q.コラム名はどのように付けられたのですか? Q.時々隊長の代わりに筆者として登場する小杉晶子さんは奥様ですか? Q.隊長は旅好き、自然好きだとお察ししますが、1年のうちにどのくらい旅に出ているのですか? Q.これまでにどのくらい多くの土地を訪れたのですか? そのうち一番好きな場所は? Q.歴史や地理の知識や情報は、どのようなところから収集していますか? Q.オレゴン州、ワシントン州でオススメのスポットを教えてください。 Q.「死ぬまでに1回はここに行っとけ!」という場所があったらぜひ知りたいです。 |
Reiichiro Kosugi 1954年、富山県生まれ。学生時代から世界中の山に登り、1977年には日本山岳協会K2登山隊に参加。商社勤務を経て1988年よりオレゴン州在住。アメリカ北西部の自然を紹介する「エコ・キャラバン」を主宰。北米の国立公園や自然公園を中心とするエコ・ツアーや、トレイル・ウォーク、キャンプを基本とするネイチャー・ツアーを提唱している。ウェブサイトをリメイク中。近日公開予定。 |
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