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動物との出合い(1)クマを巡って

アメリカ・ノースウエスト自然探訪
2006年11月号掲載| 文・写真/小杉礼一郎

自然を訪ねる私達は海や野山で動物と出合う時、心がときめく。
それはなぜか? 思いのままに語ろう。>

縁と運

隊長にはひとつの忘れられない情景がある。家族で行ったデナリ国立公園でのことである。

広い河原の対岸を歩いているハイカーがふたり。300メートルほど離れた場所には、一心にコケモモの実をあさっているグリズリー・ベア。こちらからはその両者が見えるが、両者の間は低い柳の茂みで隔てられ、クマとハイカーはお互いの存在を知らない。そこに何か、厳然とした自然と人の縁を見た気がした。

野生生物が棲む自然の中での、彼らとの出合い。それは映像や動物園の中の彼らとの出合いとはまったく違う。広大な景色の中、動物はわずかな点にしか見えない場合もあるし、ほんの一瞬まみえるだけかもしれない。あるいは、命のやり取りが起こるかもしれない。自然の中での動物との出合いそのものが自然であり、それは必然でもある。運が良いとか悪いとかは、それを人間があっちからこっちから見て言っていることに過ぎない。以前キャラバン#27 北西部の動物達:陸上編、#32 北西部の動物達:海洋編で、動物を列挙するがごとく、あらましを紹介した。動物の生き様や人とのつながり、出合いのエピソードなどを、これから何回かにわたり、心置きなく綴ってみようと思う。

グリズリー・ベア
▲グレイシャー国立公園で見たグリズリー・ベア。ヒグマの一種で、和名は灰色熊
デナリ国立公園
▲デナリ国立公園にて。3頭の子グマが揃って2年目を母グマと抑えることは、大変に幸運なことである
オオカミ
▲オオカミの行動範囲は驚くほど広い。群れを作り、頭脳プレーで大型動物を仕留める


グリズリーの敵はグリズリー

動物の中でも、キャラクターとしてのクマの人気はひと際高い。テディー・ベアの例を持ち出すまでもないだろう。モコモコした体つきや身のこなしは愛らしく、特に子グマがじゃれ合っているのを見ていると、誰しも顔がほころんでくる。しかし、それは人間がクマの領分を脅かさず、かつ自分達が安全にクマの生態を眺めることができるという前提である。昨今の日本列島の、クマと人間の間合いのなくなった状態では、かわいいの愛らしいのの話ではなくなってくる。

とりわけ子連れの母親は強い。子を守るためには、敵が何であろうと捨て身で向かって来る。ヒトも含め、多くの動物がそうだ。だから、動物ウォッチングの時は、人間はひたすら黒子に徹して眺めるだけにしたいのである。以下は、アラスカのトラッパー(罠猟師)から聞いた話だ。

グリズリー・ベアの子供にとって最大の敵は、実の父親を含むオスのグリズリー・ベアである。クマの多くがそうであるように、グリズリーの世界は乱婚で、夏の間、オスは交尾するメスを求めて歩き回る。メスは複数のオスと交尾し、1~3胎の子を身籠る※1。大方の動物と同じく、クマもメスだけで子育てをする。そして、子育て中のメスは発情せず、オスの交尾には応じない。オスには種付けの本能しかない。で、メスの発情を抑えている存在である子グマを噛み殺そうとする。母グマは必死に子グマを守ろうとする。撃退されるオスもいるが、守り切れずに子グマを殺されてしまったメスは交尾を受け入れる。人間側から見ればまがまがし過ぎて、ちょっと感情移入できる話ではない。罠猟師の話は続く。

子グマはオスのグリズリーのほかにも、オオカミやコヨーテにも襲われる。母親だけで複数の子を守るのはとても難しいことなのだ。外敵から生き延びても、夏から秋に十分に食べることができなければ、冬を越せずに凍死してしまう。母グマが子グマと一緒にいるのは二夏で、三夏目に子は自立する。メスのクマはほぼ毎年、子育てをするか、懐胎出産をするかしている。条件の整った自然界で、クマの頭数がほぼ一定していることは何を意味しているか? そのことに思いを深く巡らせると、ため息をついてしまう。そして愛らしい動物らが一層いとおしくなる。

情報化時代の私達が、逆にますます本当には知ることのできない万物の生が、膨大な生(=死)によって支えられていることを思わずにはいられない。

クマはサケを食べない

デナリ国立公園のクマは、サケを食べない。なぜか? デナリにサケはいないからである※2。彼らの栄養源の7、8割は植物。春から夏に掛けて、およそ栄養になるあらゆる草の新芽、花、根を食べる。夏の半ばから秋に掛けては、ベリー類をひたすら食べまくる。とりわけ、脂肪分の豊富なソープ・ベリーが大好物である。動物生態学の研究者がグリズリー・ベアの後をつけ、その糞を集め、1頭のクマが1日に食べるベリーの数(=種の数)を数えたところ、20万個もあったそうだ。クマがシカなどの大きな動物を襲って食べることはまれである。動物性たんぱくとしては、あの大きな体で地リスを追っ掛け、巣穴を掘って食べるのである※3。

川でサケを取るクマの映像が世の定番となったようで、へそ曲がりの人以外はそれを素直に受け入れている。サケのいない夏の数カ月間はどうしているのだろう? 川のない内陸に棲むクマは? 残念(?)ながら、動物は手間が掛かりいつ食べられるかわからない獲物は当てにしていない。川面のサケをキャッチする白頭鷲や、サケを取るクマもまた、動物の“芸能人”のような存在である。「そのシーンが撮れるまで帰って来るな!」と言われる撮影スタッフもかわいそうだ。情報化、映像化の今の時代には、心していなくては真実から逆に遠くなることもあると思う。実際の自然へ足を運び、自分の目で見て、インタープリター(自然観察指導員)の話に耳を傾け、自分で考えて納得する意味はここにもある。テレビやゲームで、生きることや死ぬこと、「いのち」の意味が、単なる○や×のような記号のように頭に刷り込まれつつある子供達。せめて彼らには、なんとかしてそのことを感じて欲しいと、隊長は常々思っている。

木に登ってしまったブラック・ベア
▲ワシントン州ウィンスロップの街外れの木に登ってしまったブラック・ベアは、麻酔銃で眠らされ、木から下ろされた。この後、森の中で放されたそう


ヒトとクマとの出合い

近年、日本では秋になると毎日のようにクマの被害や目撃がニュースになっている。理由のひとつは、これまでクマとヒトとの緩衝帯だった里山が消えたからだと言われている。

隊長はこれまで3回、クマとサシで出合ったことがある。いずれも、日本の山深い渓流でのツキノワグマとの出合いで、先方は私達をシカトし、こちらも別に恐怖を覚える暇もなかった。アメリカでは、グレイシャー国立公園とアラスカでおそらく数十回は見ているが、いずれも車の中からである。一番最近は、東南アラスカのスキャグウェイへ向かう道路上で、ブラック・ベアと出合った。これはグリズリーにひけを取らないほど体の大きなオスで、昔の軽自動車ほどの大きさだ。黒く大きく、ものすごい迫力である。彼は車の目の前を、左の谷から右の斜面へ、悠々と歩いて渡る。その間、何秒もないのだろうが、見ていて固まってしまった。向かってきたらひとたまりもないだろう。車の窓ガラスがセロファンのようにまったく頼りなく感じられた。友人の女性は、ヨセミテでキャンプしている時、夜中にクマがテントにやって来て、彼女が入っている寝袋の顔の辺りをクンクンと嗅ぎ回り、生きた心地がしなかったと言っていた。

グリズリー
▲独り立ちして間もない子グマ。グリズリーは熊手のような(???)手の爪を使って、驚くほど速く地面を掘り、地リスの巣を掘り当てる
ホッキョクジリス
▲ホッキョクジリス(北極地リス)は、かわいらしい仕草で人々の間で人気者。肉食動物にとっても、豊富なたんぱく源として人気


デナリのレンジャーの体験談を書こう。彼はその日、オフで女友達と園内のトレイルを歩いていた。向こうからグリズリー・ベアがやって来るのが見えた。ふたりは、クマと遭遇した時の対処の基本通り、遠くから手を振り、低く声を出し、人間がいることを相手に知らせ、後ずさりを始めたけれども、クマはどんどん近づいてくる。もはや、というところで、ふたりとも腕で首と頭を守って、トレイルの両側に身を伏せた。すると、グリズリー・ベアはふたりを鼻先で“クンクン”嗅いだ後で、女性の隣に身を寄せて寝てしまったそうだ。男性が少しずつ身を引いてその場から離れ、次いで女性も、そお~っと離れて元来た道を引き返して来た。自然界では必ずしも定石通りに動物は動いてくれないが、クマの“クンクン”は定石のようだ。

もうひとつ、アラスカでの話。ネイチャー・ガイドのAさんは、日本から来たグループを連れてキャンプをしていた。そこへグリズリー・ベアが現れた。「走らないで」というAさんの言葉にも構わず、みんな車へ走る。Aさんがあ然としたのはその後で、なんと皆、手に手にカメラを持って引き返し、銃を構えたAさんの前へ行って一斉に写真を撮り出したのである。Aさんとクマの間には人の壁ができてしまった。「構わんからブッぱなしゃ良かったのに」と言ったのは隊長である。さらに、同僚のガイドY君が、日本からのハイカーのグループを連れて標高1,000メートルほどの尾根を登っていた。樹林帯の中のトレイルで後ろのほうから、「クマだ」という声が上がった。「じっとして」というY君の注意も構わず、皆一斉にカメラを構え、写真を撮り出した。フラッシュまで使う者もいたそうだ。Y君は言う。「動物はフラッシュを嫌う。クマが向かって来なかったのは、単にラッキーだっただけ」

群集心理というのは日本人に限らず確かにある。それが恐怖心を鈍らせたりも煽ったりもする。クマとの遭遇では、その境の人数は5、6人だろうというのが隊長の見方である。多人数でそういう状況になったら、そのことをあなたの念頭に置いておくといいかもしれない。もっとも、こんな話もある。「クマが襲って来たら走って逃げるさ」「でも、クマは100メートルを6秒で走るくらい速いんだぞ」「そんなに速く走れなくてもいい。ほかの人より速ければいいのさ」

※1 冬眠直前までに体に蓄えた栄養量に応じて、春から出る乳の量に見合った胎仔の数だけを最終的に懐胎して産むと言われる。
※2 氷河の削り出し(シルト)がエラに詰まってしまう、サケが棲むだけの栄養分が水中に含まれていない、などの諸説がある。園内の河川には実際、グレイリング(=カワヒメマス)などの小型の魚は生息するが、サケはいない。
※3 地リスは彼らより大きい(つまり、ほとんどすべての)肉食動物に食べられる。これも自然界の厳然としたメカニズム。地リスは多産で、1回の出産で5~10匹生まれる。愛きょうがあり、かつ北の大地の大きなたんぱく源ある。

Information国立公園のウェブサイトでは、野生動物について学べるページがあるので覗いてみよう。

■レニア山国立公園
特にエルクの生態について、詳細な観察の記載があるのが素晴らしい。
Mount Rainier National Park
ウェブサイト:www.nps.gov/mora/naturescience/

■オリンピック国立公園
陸上のほ乳類を始め、鳥類、海の動物、両生類など、園内のあらゆる生き物について解説している。
Olympic National Park
ウェブサイト:www.nps.gov/olym/naturescience/animals.htm

■イエローストーン国立公園
イエローストーンに棲む動物を、種類ごとにクリックして詳しい解説が読めるようになっている。
Yellowstone National Park
ウェブサイト:www.nps.gov/yell/naturescience/wildlife.htm

■デナリ国立公園
北方の野生の王国、デナリ国立公園内の動物についての解説が読める。
Denali National Park
ウェブサイト:www.nps.gov/dena/naturescience/animals.htm

■国立野生生物保護区
米国野生生物保護区の各保護区について、美しい写真と共に詳細を見ることができる。
Cavanaugh Pond
ウェブサイト:www.fws.gov/refuges/refugelocatormaps/washington.html(ワシントン州)、www.fws.gov/refuges/refugelocatormaps/oregon.html(オレゴン州)

Reiichiro Kosugi
1954年、富山県生まれ。学生時代から世界中の山に登り、1977年には日本山岳協会K2登山隊に参加。商社勤務を経て1988年よりオレゴン州在住。アメリカ北西部の自然を紹介する「エコ・キャラバン」を主宰。北米の国立公園や自然公園を中心とするエコ・ツアーや、トレイル・ウォーク、キャンプを基本とするネイチャー・ツアーを提唱している。ウェブサイトをリメイク中。近日公開予定。