2007年02月号掲載 | 文・写真/小杉礼一郎
20世紀はアメリカが空に向かってその真骨頂を発揮した時代だった。
世界最初の飛行機、世界最大の飛行機は、共に木で造られた。
人と空を結ぶところ、木が果たしてきた役割に、北西部で思いをはせる。
▲オハイオ州デイトンにある町工場「ライト自転車商会」。ライト兄弟はこの工房で飛行機の試作を繰り返した
▲残存する約6割のオリジナル・パーツで復元されたライト・フライヤーⅢ。ライト兄弟による1905年の実験機で、フレーム、プロペラにはスプルース材を使用している
▲シトカ・スプルースの木。
米北西部の海岸沿いに分布し、太く大きい代表的な針葉樹
飛行機の歴史
「鳥のように空を飛びたい」と、人間がいつごろから思ったかと聞かれたら見当も付かない。レオナルド・ダ・ビンチのスケッチを紐解くまでもなく、文字や絵が残されるようになったころには、すでに「空を飛ぼう」と試みた人達がいたことが知られている。それはずっと長い間、人類が抱いてきた大きな「夢」だった。
それが叶うまでには、文明の発祥や宗教の誕生以上に機が熟する必要があった。近代になり、欧米、そして日本でも同時期にさまざまな人物が凧、気球、模型飛行機、グライダーなど「空を飛ぶ道具」を作ることに熱中する。そして人類の大きな「夢」は、固定翼とエンジンを得て臨月を迎えたのである。
オハイオ州デイトンの町工場「ライト自転車商会」で自転車を造っていたウィルバーとオービルも、空飛ぶ夢を抱いた兄弟だった。ふたりは竹トンボから模型へ、大きな凧からグライダーへと、だんだん夢を形にしていった。手作りの風洞実験装置を使って幾度も主翼の試作を重ね、現在の飛行機の翼の形へと近付くのである。そして、ライト兄弟は世界初の「飛行機」を造り上げ、1903年、ノースカロライナの空を飛んだ。1世紀前のことだ。
翼と骨組みばかりのその機体は、当初はアッシュ(タモ)材で造られた。が、貧弱なエンジンに対して重過ぎたため、試行錯誤の末に針葉樹のスプルース(トウヒ)材が用いられた。また、プロペラも2枚合わせのスプルース材である。ライト兄弟は、本業である自転車工場の経営で飛行機の開発資金を捻出。その工場と技術が、彼らの飛行機の部材を造るのに大変役立ったことは言うまでもない。その後、ほぼ半世紀にわたり、飛行機と木は深いつながりを持つのである。複葉機が主流だった初期の飛行機のフレーム材には、もっぱら広葉樹のアッシュ、ヒッコリー、トネリコ、針葉樹ではスプルースが用いられた。※1
20世紀の初めに産声を上げた飛行機を大きく育てた契機は、ふたつの世界大戦だった。第一次大戦は複葉機の時代である。木材のフレームにキャンバス張りという機体が多かった。第二次大戦ではアルミ、ジュラルミンが木材に取って代わり、飛行機の構造も一変した。
しかし、イギリスで造られたデ・ハビランド・モスキート爆撃機だけは、金属機全盛の第二次大戦で異彩を放つ、稀な木製の傑作機であった。この飛行機は金属資源の節約のため、機体の主な構造はすべて木製だった。使用された木の種類は、骨組みにスプルース、モノコック(=外殻構造)の胴体はバルサとカバ(樺)である。※2ほとんどの接合部には接着剤が用いられた。木製の機体は軽く、時速640キロのスピードで飛ぶことができた。そのため、爆撃機として開発されたモスキートは、後に戦闘機にも転用されたほどの高速運動性を誇った。
現代では、軍用機も旅客機も小型機もすべて、ジュラルミンやチタンの金属製になってしまった。だが、小型飛行機用や、ホビー用小型機、モーターカイトなどのプロペラの部材には、今でも木材が多く使われている。※3
▲スプルース・グース。エバーグリーン航空博物館は、この史上最大の飛行機を展示するために設計された
飛行機と北西部
ライト兄弟が世界初の飛行機を造っていたのは中西部のオハイオ州であり、初フライトには最適な気象条件と風が期待できる場所としてノースカロライナ州キティホークの地が選ばれた。
その後の飛行機史には、「木」と「水」が発展の要素としてかかわってくる。それら資源の豊富な北西部が台頭してくるのである。そして、おそらく西部のフロンティア気質が飛行機の発展に資した役割も大きいと思う。
世界の飛行機メーカーの雄、ボーイング社の創始者ウィリアム・ボーイングは木材業者だった。自ら飛行機の操縦士で技術者でもあった彼には、「ものづくり」に対する深いこだわりがあった。1916年、ボーイングはシアトルで飛行機を造る会社を興した。当時、飛行機は木で造るものだった。この地では、ことに良質のスプルース材が得やすかった。彼が最初に造ったのは、双フロートの水上機である。まだ、飛行機そのものが世の中に少なかった時代、当然滑走路もない。しかし、ピュージェット湾があり、大小の湖が点在するこの地は、水上機の離着水面に事欠かなかった。
ボーイング社の幸運はその立地と時代背景にあった。同社を大きく跳躍させたふたつの世界大戦の間に、飛行機の部材は木からアルミへ替わった。アルミ原料のボーキサイトは、シアトル・タコマの港湾沿岸へ輸入され、精錬に必要な大量の電力は、ニューディール政策によってコロンビア川上流に造られたグランド・クーリー・ダムから供給された。
第二次大戦時には、ワシントン湖畔のレントン工場で、B-17、 B-29といった大型爆撃機を大量に生産し、ボーイング社を世界一の航空機メーカーに押し上げ、現代の大型旅客機メーカーとしての基礎を築いた。※4
▲木製の傑作機、デ・ハビランド・モスキート爆撃機。これが木製とは信じがたいが、リベット(びょう)がないこと、ボディーの厚みでそれとわかる
©National Museum of the United States Air Force
スプルース・グース
米映画「アビエイター」(2004年)は、20世紀の伝説の大富豪、ハワード・ヒューズの生涯を描いた作品だ。レオナルド・ディカプリオ演じるヒューズが巨大飛行艇、スプルース・グースを飛ばせるシーンが、この映画の、そしてヒューズ自身の人生のクライマックスとも言える。ヒューズとスプルース・グースについては、多くの物語と資料があるので、ここでは詳しく触れない。
翼長97.5メートル。この史上最大の飛行機ーーいっそ船と呼ぶほうがふさわしいかもしれないーーは、第二次世界大戦中、750人の兵員あるいは戦車数台を、ドイツの潜水艦の攻撃を受けることなく輸送する目的で作られた軍用輸送機だ。とにかく巨大である。長い翼に8基のエンジンが並び、これの整備時には翼の中を人が立って歩けるほど。実際、この巨機が飛んだ時、翼の中には整備員が乗っていた。この飛行機は木製である。機体はいぶし銀の色をした塗装のため、一見すると金属製に思える。だが、指で叩いてみると、コンコンではなくトントンと鳴る木の感触である。日本では、この木造機を、そのスプルース・グースという名前からスプルース材で造られているという誤解が広まっているが、スプルース(Spruce)には木のスプルースのほかに「粋な、おしゃれな」の意味があり、正しくは「おしゃれなガチョウ」の意である。
この巨大機の構造は、ほとんどが前述のモスキート機と同じくカバ単板の直交貼りである。光が機体に差すと、ある角度からはその下地の様子がうかがえる。そのほかに、メープル、ポプラ、バルサ、そしてわずかのスプルースが使われている。それにしても、どうしてこの巨体が木製でなければならなかったのかという素朴な疑問がわいてくる。それは戦時下にアメリカ政府が、「鉄、アルミ、熟練技術者は使うな」という指示をこのプロジェクトに出していたからである。
いろんな意味で、ヒューズは異端視(やっかみやいじめに近い)されていた。事実、スプルース・グースは完成しても、当局からは飛行禁止命令が出された。「木の飛行機だって?」「あんな大きなハリボテが飛ぶわけない」「あっという間にバラバラになるだろう」。そんな衆目を集める中、ヒューズは自ら操縦桿を握り「滑水」試験に出る。そして、アビエイター、根っからのヒコーキ野郎である彼は、スロットル・レバーを“間違えて”全開し、1分間飛んでしまうのである。1947年12月2日のそれが、この史上最大の飛行機の、最初でおそらく最後の飛行である。このスプルース・グース、現在はポートランド南西、マクミンビルにあるエバーグリーン航空博物館にその巨体を休ませている。
※1 アッシュは農機具や工具の柄、野球バットなどに使われている。加工しやすいうえ強度があり、適度な弾力性も備える、硬くて重い木である。日本ではタモの木として北海道・東北地方に多く分布する。主に中国、ロシア、ヨーロッパ、北米の東半分に生育。西海岸でもオレゴン・アッシュがワシントン州からカリフォルニア州にかけて海岸沿いに見られる。また、スプルース(トウヒ)は、非常にバランスの取れた有用性トップ・クラスの木で、大きく加工しやすく、狂いが少ない。軽くて強度があるので建材(構造)、内装材はもちろんのこと、ピアノ、バイオリンなどの楽器にも用いられる。日本では、和風建築のほとんどの部材を始め、まな板、棺桶、卒塔婆など、まさに木のオールラウンド・プレーヤーである。日本でえぞ松と呼ばれているが、北半球の北部では、ユーラシア大陸と北米に広く分布している。米北西部では海岸地帯に生育するシトカ・スプルースが身近で、あちこちに大木が見られる。
※2 機体は、20ミリ厚のバルサ材の芯に2ミリ厚のカバ単板を裏表の両面に90度の角度でクロスさせて貼った、「直交貼り」と呼ばれるサンドイッチ構造になっている。流線型の曲面を造りやすく、でき上がった胴体はねじれに強いうえ、補強材が不要であった。カバ単板は、屋内のドア(トイレや物置など)の表面材として使われ、一般の人にもなじみ深い材料である。
※3 ウォールナット、マホガニー、シナ、ブナ、ホウ(朴)、パイン、スプルース、スギなどを薄く何層にも重ねて樹脂で固め、さらにFRP、炭素繊維、ガラス繊維などで補強したものが用いられている。
※4 その後の大型旅客機を巡る欧対米(≒エアバス対ボーイング)のコンセプト勝負は興味深い。ジャンボ対コンコルドは、ジャンボのコンセプトがその後の時代に応えた。しかしエアバスは、コンコルドを開発した技術を基にしたA300型のコンセプトでは、ボーイングをしのいで世界に受け入れられた。そして、ボーイング787ドリームライナーは、エアバスA380型のような大型化路線とはたもとを分かち、環境に配慮した次世代の旅客機である。派手なものではないが、ボーイングが「ものづくり」の初心に帰って提案するコンセプトを、世界はどう受け取るだろうか?
■デイトン航空遺産国立歴史公園
オハイオ州デイトンにある。ライト兄弟の「ライト自転車商会」に隣接する博物館を起点として、19世紀から20世紀初頭のデイトンの歴史を探訪する「アビエーション・トレイル」が設けられている。途中にあるカリヨン歴史公園には、ライト・フライヤーⅢの復元機(P38写真)が展示してある。
Dayton Aviation Heritage National Historical Park
ウェブサイト:www.nps.gov/daav/
■米空軍博物館
同じくオハイオ州デイトンにある、世界最大の航空博物館。飛行機を始めとする約300以上の展示物には、それぞれに詳しい説明が付けられている。入場は無料で、すべての展示物をじっくり見ていくには2、3日を要する。
National Museum of the US Air Force
1100 Spaatz St., Wright-Patterson AFB, OH
TEL: 937-255-8046
ウェブサイト:www.nationalmuseum.af.mil
■航空博物館
シアトルのダウンタウンから南、I-5の西側に広がるボーイング・フィールドの一角にある。初期の飛行機から宇宙船まで、屋内外で充実した展示が行われている。
The Museum of Flight
9404 E. Marginal Way S., Seattle, WA
TEL: 206-764-5720
ウェブサイト:www.museumofflight.org
■フューチャー・オブ・フライト
ボーイングのエベレット工場に隣接する、05年12月オープンのミュージアム。目下開発中のボーイング787に関するディスプレイが中心となっている。747、767などの大型旅客機を製造する工場を見学するバス・ツアーはここから発着。ちなみにこの工場は、世界最大の建築物でもある。
Future of Flight
8415 Paine Field Blvd., Mukilteo, WA
TEL: 425-438-8100
ウェブサイト:www.futureofflight.org
■エバーグリーン航空博物館
オレゴン州マクミンビルにある。展示の主役はもちろん、世界最大の飛行機であるスプルース・グースだ。
Evergreen Aviation Museum
500 NE Captain Michael King Smith Way,
McMinnville, OR TEL: 503-434-4180
ウェブサイト:www.sprucegoose.org
Reiichiro Kosugi 1954年、富山県生まれ。学生時代から世界中の山に登り、1977年には日本山岳協会K2登山隊に参加。商社勤務を経て1988年よりオレゴン州在住。アメリカ北西部の自然を紹介する「エコ・キャラバン」を主宰。北米の国立公園や自然公園を中心とするエコ・ツアーや、トレイル・ウォーク、キャンプを基本とするネイチャー・ツアーを提唱している。ウェブサイトをリメイク中。近日公開予定。 |
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