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木と船

アメリカ・ノースウエスト自然探訪
2007年10月号掲載 | 文・写真/小杉礼一郎

古くから人は木で舟を造り水の上へ出て行った
現代人も湖や海、川の畔を好む
きっと人は水辺の生き物なのだろう

フォート・クラットソップ砦
▲ユニオン湖に浮かぶワヲナ(Wawona)号は、今から110年前、1897年カリフォルニア州のフェアヘブンで建造された※4
フォート・クラットソップ砦
▲1922年に建造された現存する最後の木造蒸気船、バージニアV(Virginia V)号※5
国道101号線
▲木造船情報センターは、フェスティバル、イベント、ボランティア、ボート、ヨットのレンタル、ヨット教室、係留されている歴史的木造船の保全と研究、見学、ヨット作りのワークショップ、木造船復元の作業、ハイダ族の伝承カヌー作りプロジェクト等々、文字通り北西部での木造船に関する情報と活動の中心的存在となっている


筏から舟へ、工夫の時期

古くから水辺に住む人は食べるものを採りに水面へ出た。やがて輸送や交通の手段として、身の回りにある自然の素材を使って川や海へ乗り出して行った。古代エジプトの遺跡からはパピルスを縛り合わせて作った小舟が出てきた。ペルー沿岸やナイル川河口では今でも葦で編んだ小舟が使われている。

地球上でどこでも最も手近なものは木であった。水辺の流木をー1本ではクルクル回るのでー数本を縛って筏に組む。だが筏は遅く運動性もない。丸太をくりぬいた原始的な舟は、水辺に木がある世界中の中低緯度地帯で使われた。ヨーロッパでは水辺の木シナノキ(コットンウッド)、西部のアメリカの先住民達は米杉(レッドシーダー)で丸太舟をしつらえた。

しかし丸太舟は安定が悪く、漁には使えない。船底を平らにしたり、アウトリガー※1を付けたりと工夫がなされる。大きな木が得にくい高緯度地帯(北ノルウェー、西アイルランドなどの地方)では、柳や杉などの枝を組み上げ、樺(バーチ:birch)の樹皮や、アザラシなどの動物の皮を張って舟を作った。北米ではカヤック、カヌー、ウミアクなど先住民が小舟の原型を作り上げていた。

カヤックは上舷部が覆われたひとり乗りの軽快な細身の舟。カヌーは上舷部が開いている小型のボート。ウミアクは集団で乗る大型のカヌーである※2。

以上が有史はるか以前からの木と舟の大雑把な話である。素材はグラスファイバーなどに替わったものの舟の形としてほぼ完成されたものが太古から現代まで使われている。

舟から船へ、伝統の時期

大河と海の水辺から4大文明が興り、古代国家の成立と共に舟は次第に大きくなっていった。舟ー漁や移動で使う、ひとりか少人数用の小舟ーから船へと、用途も商船、戦艦へと広がっていった。古代ギリシャ・ローマ時代、地中海が世界の中心にある海だった。

海洋民族として有名なフェニキア人は冒険心旺盛で、レバノン杉で作ったガレー船(オールで漕ぐ軍艦)を駆って地中海にとどまらずヨーロッパ、アフリカ各地へ出掛けた。アレクサンダー大王は大遠征にフェニキア人船乗りを連れて行き、インドの先にあると思われていた大海を渡るつもりでいたのである。古代の船にはモミ、杉、松、骨材にナラの木が使われた。北ヨーロッパから勇名を馳せたバイキングの船団の船は、松とナラの丸太船だった。中国では竹を使った小舟が使われていたが、独自の造船デザインで「ジャンク」が造られた。使われた木はモミとコウヨウザン(杉の一種)である。

この当時、船の水漏れ対策(=目止め)は人類共通のテーマ(?)で、水を含むと膨らむ苔や木の根から編んだ麻状の紐で水漏れを防いだ。松やトウヒのある所では樹脂(松脂や樹蝋)を、水生動物がいる所では動物の脂などを目止めに使ってきた。

米西岸の要衝
▲東南アラスカのハイダ族は北西部沿岸の豊かな原生林からレッドシーダーのカヌーを作る


大航海時代 発展の時期

中世から近代に掛けて、国の膨脹には交易、植民地が欠かせず、当然そのために多くの軍艦が造られた。帆船、木造船の時代が現代世界の大勢の基礎を作ってきたとも言える。

これら木造船の大きさは100トン200トン・クラスが中心であったが、中には1,000トンを超す大きな船も造られた※3。これらの船には大量の木材が使われる。大型軍艦1隻を建造するために何十エーカーものナラの原生林が伐採された。国力の維持のためには大量の森林資源が必要であった。それにかなった土地がスカンジナビア半島南部、ドイツ、東ヨーロッパ、ロシアの森林だった。

伐採された木を丸太にし、筏に組んで河川へ流してくるので、バルト海が造船用木材の集散地となった。ナラ、モミ、松、杉の丸太のほか、製材、樹脂、タール、テレピン油なども取引された。

フランスは優良な森林資源を擁していたにもかかわらず利用の体制が不備で海洋国家にはなり得なかった。かたやイギリスは、木造船建造に必要な資源を巧みな交易で得ながら大海軍を維持してきた。

国道101号線
▲サマミッシュ湖で行われるコンクリート製カヌーのレース。土木工学学会がコンクリート工学と技術の向上普及を兼ねて行うレース。西部の各州立大学の土木学科の学生達が自分達で工夫して作ったボートを持ち寄ってレースを行う
フォート・クラットソップ砦
▲アラスカの沿岸先住民ユピック、イヌピアックは、海獣の骨や柳の枝で作ったフレームにアザラシの皮を張ってボートを作り、鯨を獲った(これは復元船)


新大陸と船

新大陸の歴史は木と船の歴史でもある。有史前、氷河期の終わりと同時にモンゴロイドがベーリング海峡を越えてやってきた。これはベーリンジア陸橋を歩いて渡ってきたのだが、ベーリング海峡となってからもアリューシャン列島を船を使って先住民がアラスカ南岸へ渡ってきた。

私達は「1492年コロンブスがアメリカ大陸を発見」と歴史の授業で習うが、それよりもうんと以前、紀元前数世紀の青銅器時代には北米にフェニキア人が到来していたとされる。下って1002年にバイキングの一隊が東部のコッド岬へ上陸している。

1620年、メイフラワー号がイングランドのプリマス港を出航。65日間の航海の末、マサチューセッツに着いた約100人が、アメリカの言わば「種」となって国を造っていった。その後の東部ニューイングランド地方、チェサピーク湾、ポトマック川、ボストン、ポーツマス、独立戦争、大型木造帆船の戦い……と、木造船の活躍の舞台はヨーロッパと大西洋、米東部を中心に繰り広げられる。アメリカ建国史は15~19世紀に木造船が作ったと言っても良いほどである。1775年~1783年の独立戦争も、海の上では木造軍艦が戦いの死命を制した。

そして独立後。19世紀、帆船、木造船はその地位を蒸気機関と鉄の船に取って代わられていく。そして皮肉にも、いつの時代も戦争が文明を推し進める。

南北戦争の時代に、初めて鉄製軍艦と木造軍艦の戦いが行われ、 「木の船」は歴史を切り拓く主役の座を鉄の船に譲ったのだった。その時代、ちょうど日本は開国、維新のころである。ペリーが率いてきた黒船のその内訳は蒸気船2隻と帆船2隻であった。

1792年には、ジョージ・バンクーバー率いる英国艦隊のディスカバリー号が太平洋岸を訪れる。さらに1805~1806年に、ルイス・アンド・クラーク探検隊がコロンビア川をカヌーを使って下ってきた。

その後、開拓時代の北西部の主要産業であった木材、水産、農産物の輸送には木造帆船が活躍した。アストリア、ポート・タウンゼント、ユリーカ※4など、その当時の栄華は今も残っている。

現代、木の船は姿を消したかと言うとさにあらずで、合板、集製材、接着剤、塗料と、木を利用する技術が格段に進歩した。ことに海、湖、川の豊かな北西部では、ヨット、レジャー・ボート用としての木の船は根強い人気がある。

今でも掃海艇は木造船であり、ダグラスファーが用いられている。なお現代の木造の造船は、日本の技術が世界最高の水準である。

自然の素材(木)で船を造り自然のなか(海、川、湖)へ乗り出して行く。そのことに時代を超えたロマンがあることは間違いない。

※1 アウトリガーとは舟にアームで取り付けられたフロートの副木のこと。
※2 日本でカヌーは、英語で言うカヤックを指し、カヤックは逆にカヌーを指す。同じような例では、日本で言う車のバン(=ステーション・ワゴン)とワゴン(=バン)がある。最初に日本へこれらの英単語が紹介された際に間違ったのだろうか?
※3 ちなみにコロンブスの乗ったサンタ・マリア号が120トン、アメリカ移民第1号のメイフラワー号は180トン、キャプテン・バンクーバーが北西部沿岸を探検したディスカバリー号は300トン、ペリーが率いた黒船は2,000~3,000トン級の蒸気船2隻と、1,000トン弱の帆船2隻の計4隻である。
※4 長さは165フィート、幅35フィート、喫水11.5フィート、ダブル・ハル(2重構造の船体)。当初は木材運搬船だったが、後にベーリング海でタラ漁の漁船の母船として使われ、第2次大戦中は軍に徴用された。19世紀に建造されたその当時、北米で造られた最大の3本マストのスクーナー船(帆船)は200隻余り建造された。現在、木造スクーナー船として北米に現存する船は二隻のみ。このワヲナ号がその1隻であり、もう1隻はサンフランシスコにある。フェアヘブンは、カリフォルニア州北部の太平洋岸、ユーレカのフンボルト湾を挟んだ対岸の町。ワシントン州のベーリングハムの郊外にも同名の町がある。
※5 戦前はシアトルとタコマを結び、乗客と荷物を運ぶフェリー船として活躍した。戦後はピュージェット湾を巡る観光船となり、クルーズやチャーター、結婚式などのイベントに現在も活躍している。1992年にシアトル市とタコマ市の史跡に指定され、同時に国の船舶文化財(Landmark)ともなっている。

Information

■木造船情報センター
シアトル・ダウンタウンのすぐ北、ユニオン湖南端にある木の船に関する情報センター
The Center for Wooden Boat
ウェブサイト:www.cwb.org
■コロンビア・リバー海事博物館
北西部の水路の要衝、コロンビア河口のアストリアにある海と船の博物館
Columbia River Maritime Museum
ウェブサイト:www.crmm.org
■ハンボルト湾海事博物館
ワヲナ号が建造されたユリーカにあるミュージアム。19世紀末から20世紀初頭に掛けて隆盛を見せた、当時のユリーカの木造船の足跡が見学できる。当時建造されたフェリー・ボートでハンボルト湾を周るクルーズでは、船長からの木造船とユリーカの歴史について解説がある。なお、ユリーカは今もレッドウッドの最大の産地。巨大製材工場も見学できる。
Humboldt Bay Maritime Museum
ウェブサイト:www.humboldtbaymaritimemuseum.com

Reiichiro Kosugi
1954年、富山県生まれ。学生時代から世界中の山に登り、1977年には日本山岳協会K2登山隊に参加。商社勤務を経て1988年よりオレゴン州在住。アメリカ北西部の自然を紹介する「エコ・キャラバン」を主宰。北米の国立公園や自然公園を中心とするエコ・ツアーや、トレイル・ウォーク、キャンプを基本とするネイチャー・ツアーを提唱している。ウェブサイトをリメイク中。近日公開予定。