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歴史的建造物・ティンバーライン・ロッジ/マウント・フッド

アメリカ・ノースウエスト自然探訪

「建物すべてがミュージアム」(前編)

2008年03月号掲載 | 文・写真/小杉礼一郎

美しい山容を見せるマウント・フッド南面の森林限界に重厚な木造建築が建っている。
その名はティンバーライン・ロッジ。
この民族遺産は前世紀アメリカの職人芸を後世に伝えている。

時代が生んだロッジ

オレゴン州の最高峰、3,426メートルの秀麗な山マウント・フッドは州のシンボルである。平野からの眺めではわからないが、山頂のクレーターは南に向かって開いている。

初登頂は1845年。その南斜面からなされ、以来この山のメインの登山ルートとなった。人々は麓の町ガバメント・キャンプまで車で来て、そこからトレイルを歩いて森林限界(=ティンバーライン)で1泊。翌早朝に山頂を目指して登り出すのだった。次第に増える登山者の便宜のため、この山と森林を管理しているマウント・フッド・ナショナル・フォレスト(森林局)は最初にキャビンを、ついで小さな小さな木造の“ホテル”を作った。コーヒー1杯が10セントの1924年のことである。

その後、この山の絶景がくちづてに人を呼び、登山客に加え、スキー、ハイキング、観光の人達がどんどん訪れるようになった。「ここにもっと大きな宿泊施設が要る」と関係者の声が次第に高まってきたちょうどその時期……1929年の10月24日に暗黒の木曜日を迎えることになる。未曽有の世界大恐慌が起こったのだった。その後の不況の嵐は世界中を吹き荒れ、北西部のシアトル、ポートランドにも失業者があふれた。今日の仕事、明日のパンをどうするか? 「悠長に山の上にホテルを建てている時ではない」と誰もが思った。ところがこの暴風が“より大きなホテルの計画”を後押しすることになったのである。

イメージキャラクター
▲屋根組みの母屋材の端にはこんな遊びが施されている。このラムの頭も、ロッジを装うイメージ・キャラクターのひとつであり、気を付けて見ていると、館内外のあちこちで見掛けるはずだ
インテリア
▲床、窓、壁、カーテン、机、椅子、絵画、この中のすべてがこのロッジのためにあつらえられた
建物内部
▲建物の中心には、3階を貫く巨大な暖炉が組まれている。2階から上は吹き抜けになっており、石組みと木組みで構成される巨大空間の雰囲気は何か特別なものがある。正面2階の窓からの景色は絶景!
モザイク壁画
▲これは1階入り口左の水飲み場の壁面に施されている
 正面テラス石垣
▲正面テラスの石組みが見事。ルーズベルト大統領はここに立って完成のスピーチをした。使用された石と周囲の岩がほとんど同じであることでこの建物が見る人に威圧感を与えず、自然な重厚さを醸している


500人の老職人達が

時の大統領フランクリン・D・ルーズべルト※1は、国全体を大不況から救うべく、ニューディール政策を強力に推し進めた。公共事業促進局(WPA=Works Progress Administration)の事業のひとつとして“ティンバーライン・プロジェクト”を実行することにしたのである。

工事は1936年の秋から始まった。大工や石工など、主に高年で職を求めていた人々(男も女も)常時500人以上が建設に従事した。就労した職人の平均年齢は56歳、時給は90セントだった。

森林限界に建つ時代のモニュメントとなる建物である。ふさわしいものを建てようと、森林局が中心となり現ロッジの青写真が作られた。でき上がった建物は森林と山容に見事に調和し、かつ今後何世紀にも渡り厳しい自然に耐えうる風格を備えている。

建設には地元の建築材料を使い、地元の職人の手で造り上げた。建物を構成する主な素材は、石、木、鉄、布である。石は標高1,816 メートルの建設サイト付近の谷から、ロッジ周辺の岩と同じ色・形の物を選び加工した。木は当のマウント・フッド国有林のほか、ワシントン州から調達した米松(ダグラスファー)が主体となっている。トラックやクレーンも使われたが、多くの作業はもっぱら人の手で行われた。何と言っても失業対策事業である。良い物を作るためには人手を惜しみなく掛けた。カービング、ステンド・グラス、タイル・ワーク、鋲から大きな接合金具など、大小実にさまざまな鉄細工。そして、石積み、建具、椅子、テーブル、ベッド等の家具や調度品など一切合財をデザインし、職人が手作りしたのである。女性達は、カーテンやベッド・カバー、じゅうたん、タペストリーなどのファブリック類を織機で織ったりミシンで縫ったり、染めたり刺繍したりして、内装とロッジで使われる家具(の布張り)などを作った。

着工翌年の1937年9月28日、完成したロッジのテラスからルーズベルト大統領が祝福のスピーチを行った※2。そして、ティンバーライン・ロッジは1972年に国の史跡に指定された。

ティンバーライン・ロッジの魅力を堪能する

建築に興味のある人もない人も、ティンバーライン・ロッジに1歩入ると、ちょっと改まった気分になるだろう。あたかも大きな構えの議事堂や教会、社寺仏閣を訪れた時のように。それは、ひとつにはこの建物の柱や壁、床の部材がひときわ大きいことにあると隊長は思う。壁に触れ、階段の手すりをなぞり、どっしりした椅子に腰を下ろすと、よりいっそうそれを感じる。その「マスから伝わるパワー」とでも言うべきものは、天然の石や本物の木が大いに関係しているようだ。あたかもこのロッジ全体が、山の一部であるように五感で感じられる。ロッジの椅子にもたれると、この山、この大地に体を預けているように感じるのである。

3階の「ラムズ・ヘッド・バー」で温かい飲み物でも調達して、しばらく椅子に座っていると、心が落ち着いてきて自然モードになり、しだいにロッジ内の暗さにも目が慣れてくる。そうしたら館内の至る所にある500人もの職人達が残したメッセージ=アート・ワークを探してみよう。あなたはいくつ見つけられるだろうか? きっと10や20はすぐに見つかるだろう。※3

職人の技がいかんなく発揮された内装、装飾の数々。それらはすべてこのロッジのためにオリジナルにデザインし作られたものである。花や動物のデザインのモチーフはほとんどこのマウント・フッド近辺の自然から得られたものばかり。さらにはC・S・プライスなどの手による油絵や、彫刻。これらの装飾品はシンプルで無骨なこの建物の重厚さと調和している。

そして、もちろん建物自体が壮大なひとつの工芸品と言える雰囲気をまとっている。建築家ひとりがそれを演出したわけでなく、その意図に共感し、あの大不況時代に底辺から支えた何百人の老職人達の心意気がなければ、隅々のディテールまで凛としたこの建物はでき上がらなかっただろう。

※1 第32代合衆国大統領(民主党)。米国史上唯一、4選した大統領。在任中に世界恐慌と第2次世界大戦があり、現代史の表にも裏にも深く関与した。
※2 その後、内装など実際の完成にさらに1年(合計2年間)を要した。
※3 1階のギャラリー・ギフト・ショップの書籍コーナーにはティンバーライン・ロッジのガイドブック、及び小冊子が売られている。ロッジ建設にまつわる話や、内装に施されている、あるいは飾られている数々の美術工芸品について解説している。これらを片手に館内を探訪してみると、より一層、興味と理解が深まる。

ガラスモザイク
▲ガラスモザイク細工で描かれた青い牡牛。1階の奥まったダンジョンのような場所にバーがあり、その壁面を飾っている。バーの名前はもちろん「Blue OX」
カービング
▲階段の手すりの柱に施されているカービング。1本1本に、それぞれ異なるマウント・フッドにすむ動物が彫られている。なお、ロッジの階段の材料は電信柱の廃材を再利用した
小物
▲1本の木をくりぬいて作られている。このような小物(?)がロッジ内のあちこちにしつらえてあるので、今はもうほとんど世を去った職人達が残した遊び心を探してみよう


Information

■マウント・フッド国有林
ティンバーライン・ロッジを管理している政府機関。このほかに、キャンプ場やスキー場、登山、松茸狩り、クリスマス・ツリー・カッティングなど、あらゆるサービスに携わるマウント・フッドのよろず承り屋。

Mt. Hood National Forest
ウェブサイト:www.fs.fed.us/r6/mthood/
■ティンバーライン・ロッジ
フォレスト・サービス職員によるロッジ館内を巡るインタープリテーション(ツアー)が行われる。集合は、1階ロビーにあるフォレスト・サービスのデスクの前。
Timberline Lodge
ウェブサイト:www.timberlinelodge.com


「建物すべてがミュージアム」(後編)

2008年04月号掲載 | 文・写真/小杉礼一郎

ティンバーライン・ロッジのそこかしこにあふれる老職人達の技は、館内にとどまらず、その名の通り建物も森林限界線上のランドマークとして、見事にマウント・フッドの自然景観と調和している

ロッジの周辺を歩く

イメージキャラクター
▲1960年代よりロッジのマスコットは代々セントバーナード犬のブルーノ(雄)とハイディ(雌)。これは先代のブルーノ。遭難事故の救助犬として以前はロッジに住んでいたが、人気の過熱から今は従業員の家に住んでロッジへ「出勤」している
建物内部
▲ロッジのダイニングルーム。テーブル、いす、床、天井、壁の素材はこの地の木。Solid(本物)の木の質感が安らぎを醸す。右の窓から眺めるカスケード山脈の夕暮れは絶景だ
 正面テラス石垣
▲ティンバーライン・ロッジは「調和」のコンセプトを守りつつ順次内外
の改装を続けて進化している。これはエレベーターのドア
モザイク壁画
▲ロビーにて


オレゴン州最高峰の秀麗なマウント・フッド(3,426メートル)の南斜面、ティンバーライン・ロッジは、その森林限界線上(標高1,800メートル)に建設された。ロッジの正面は南に面し、晴れの日には正面のテラスと玄関前の駐車場から、カスケードの山並みを見渡すことができる。また、正面の重畳と続く濃緑の原生林の中には、天を指すようにそびえている山が望める。カスケード山脈の盟峰マウント・ジェファーソン(3,204メートル)だ。

ティンバーライン・ロッジは山腹の傾斜地に建つ。正面(南)の入り口は地下1階だが、北側の出口は中2階からとなる。ロッジの北側(裏手)からは、マウント・フッドの山頂までを一望できる。夏でもロッジのすぐそばまで雪が残っている。※1 山頂直下に見える特徴のある岩峰は、クレーター・ロックと呼ばれる噴火口の中のドームである。その岩を目指して上へ少し歩いてみよう。※2 スキー場の真ん中辺りに岩小屋風の建物が見える。これはティンバーライン・ロッジの別館(離れ)で、シルコックス・ハット(Silcox Hut)という名の山小屋だ。※3 振り返りロッジを見下ろすと、森林限界付近の景色にごく自然におさまっていることがわかる。※4 

今度は、南に下ってみよう。建物から離れてロッジとマウント・フッドを振り仰ぐと、ティンバーライン・ロッジの建物のデザインがマウント・フッドの盆景だとよくわかる。さらにその盆景が、本物を借景していて、山と建物と森の風景全体が一幅の絵に見えてくる。ロッジが建つ位置が、ここより少し高くても低くても、その絵の調和が崩れるように思う。実に見事である。

山と建物の景色だけでなく、ロッジから延びるトレイルの周りには、雪溶け後の山肌にルピナスやベアーグラス、インディアン・ペイントブラッシュなど、山の花が次々に咲く。そしてロッジに戻ればそれらの花をモチーフにした絵と彫刻、内装品を目にすることができる。訪れる人々に「この山に泊まる」ということを五感で堪能させる、心憎い演出だと思う。

ぜひ泊まってみよう

隊長の家は、ティンバーライン・ロッジから1時間あまりの場所にある。だからこのロッジに泊まることはついぞなかった。が、一昨年の夏、ここに2泊する機会が巡ってきた。そして、やはり泊まらねばわからない魅力がこのロッジにはあった。……とだけ隊長は言っておく。あまりつまびらかにその魅力をここに列挙するのは野暮というものである。シアトルの人は無論、地元ポートランドの人でもぜひ一度はこの歴史建造物で一夜を過ごされることをおすすめしたい。街のホテル並みかそれ以下の料金で泊まることができる。ここは、あくまで「ロッジ」なのだ。

でも、やはり、ひとつだけ述べよう。マウント・ジェファーソンのシルエットを残し、暮れなずんでいた西の空にも次第に星が輝き出して、ロッジが次第に夜の帳に包まれる。夕食を終え満ち足りた気分でロビーの巨大暖炉の前にあるソファーに身を預ける。その石も、その鉄も、このいすも、テーブルも、床も、あの柱も、自分達が今見ている物は、ぜーんぶ1936~1938年の間に作られたものだ。

造ろうと言い出した森林局の人達も、造れと言った大統領も、造った職人達もすでに世を去っている。その間、日本とアメリカの間には大きな戦争があったし、20世紀そのものが人類史上未曾有の激しい変化の時代だった。

ロッジができて、たかだか70年とも、されど70年とも思う。でも今これ以上に快適なものは何もいらないと感じる。これって何なんだろう?…そんなできそこないの疑問のような、ある種の感慨のような気持ちが胸の底から湧いてきたのはやはり、その晩は帰らなくてもいい、ゆっくりした時間と気分があったからであろう。

「リゾート」ということ

ティンバーライン・ロッジは、いまやオレゴンを代表するランドマークとなっている。そして北米の国立公園の各地には、このような歴史的価値のある建物が数多く造られている。それらはいずれも古い。近場から挙げるとレニア山のパラダイス・イン(1917年)、ロングマイヤーのナショナル・パーク・イン(1926年)、オリンピック国立公園のレイク・クレッセント・ロッジ(1916年)、クレーター・レイク国立公園のクレーター・レイク・ロッジ(1915年)、ヨセミテ国立公園のアワニー・ホテル(1927年)、グレイシャー国立公園のメニ・グレイシャー・ホテル(1914年)、いずれもティンバーライン・ロッジ以前に建てられた木造建築物であり、重厚な趣を纏っている。イエローストーン国立公園のオールド・フェイスフル・イン(1904年)は世界最大のログ・キャビンでもある。

大恐慌後のアメリカ社会は、明日の糧を得るのも大変な時代であったはずだ。それでも純粋にレジャーを楽しむため、豪奢ではないが長い年月にも朽ちることのない、上質のインフラを造ろうと企てた。そんな困難な時代にも、国民が力を合わせてそういうものを造り上げる精神の余裕に、隊長は感銘を覚える。

日本の本格的な山岳リゾート・ホテルは、1933年に建設された上高地の帝国ホテルだ。※5 軽井沢や箱根にも由緒ある木造のホテル建築があるが、これらは明治以降に日本に滞在した欧米人が、モンスーン・アジアの夏の蒸し暑さをしのぐための避暑地として建てたホテルである。ティンバーライン・ロッジの重厚さには及ぶべくもないが、やはり欧米の風が感じられる。そしてこれらがその後の日本におけるリゾート・ホテルの原型となった。

いっぽう日本にも、風光明媚な土地には古くからの湯治遊山の宿があった。「鄙(ひな)び」をもって良しとする日本の感覚は、現代にも残っている。そちらも隊長は好きである。

どちらがどうと甲乙を付けることではないのだが、リゾートに建つ木造建築物を巡っての、この欧米と日本の発想の違いが何に由来するか興味は尽きない。

余談

森林局が作ったティンバーライン・ロッジのパンフレットが今、隊長の手元にある。“An Expression of Hope and Purpose”とサブタイトルが書かれている。希望と決意の象徴……か。ロッジ建設当時、このプロジェクトに携わった多くの人々は、何ごとかを決意し、ある希望をこの石と木と鉄の建物に託したのだ。

時代を超え、世界を超え、世代を超えて引き継がれていくもの。ロッジに泊まったあの夜の、できそこないの疑問に今、隊長なりに答えてみる。彼らが希望し決意したもの、それは「調和」ではなかったろうかと。

※1 ティンバーライン・スキー・エリアは滑走可能期間が長く、夏場も営業している。
※2 ティンバーライン・ロッジを基点とし、シルコックス・ハットに上りさらに反時計回りにロッジに戻るトレイルがある(マウンテニア・ティンバーライン・ループ約5キロ、1.5~2時間)。トレイル情報はフォレスト・サービスで入手のこと(Information参照)。
※3 シルコックス・ハットは、標高2,100メートルの位置にあるティンバーライン・ロッジの別館。宿泊可能。貸切でも利用できる。山小屋の雰囲気と眺望が抜群。
ウェブサイト:www.timberlinelodge.com
※4 1981年、増え続けるスキーヤーのための設備として、ティンバーライン・ロッジの南側下方にワイ・イースト・デイロッジ(Wy’east Day Lodge)が建てられた。周囲の自然とティンバーライン・ロッジの景観に配慮したデザインとなっている。なおWy’eastとはマウント・フッドの先住民名。
※5 現在の上高地帝国ホテルは、その開業当初の外観を忠実に再現しながら1977年に再築されたもの。

ガラスモザイク
▲ロッジ側面。ホラー映画の最高峰といわれる「シャイニング」(1980)はこのロッジで撮影された。映画を見てからこのロッジに泊まると……眠れない(かも)
ガラスモザイク
▲森林限界に位置するティンバーライン・ロッジからは上へ向かえば高山の花、下へ向かえば森の花を足元に見つけることができる


Information

■マウント・フッド国有林
ティンバーライン・ロッジ付近の散策には、現在パスはいらないが、そのほかのトレイルを歩く際はパスが必要かをフォレスト・サービスのインフォメーションで確認しよう。その際にトレイル・マップと最新のトレイル情報も入手しよう。マウント・フッドに登るには、登山届け(Registration)とパーミット(Wilderness permits、無料)が必要。また、ティンバーライン・ロッジとトレイルヘッドの多くではパーキング・パーミットが必要である。
Mt. Hood National Forest
ウェブサイト:www.fs.fed.us

■ロッジ周辺のトレイル
ポートランドのハイキング・フォーラムが提供するトレイル情報。
Portland Oregon’s Hiking Network
ウェブサイト:portlandhikersfieldguide.org

■ティンバーライン・ロッジ
ティンバーライン・ロッジの公式ホームページ。現役の宿泊施設であるからして、料金、設備、レストランなどロッジ内外のアメニティーについての情報はもちろんであるが、スキー場のインフォメーション、ロッジの沿革、ロッジ内の美術工芸作品に関する解説も興味深い。
Timberline Lodge
ウェブサイト:www.timberlinelodge.com

Reiichiro Kosugi
1954年、富山県生まれ。学生時代から世界中の山に登り、1977年には日本山岳協会K2登山隊に参加。商社勤務を経て1988年よりオレゴン州在住。アメリカ北西部の自然を紹介する「エコ・キャラバン」を主宰。北米の国立公園や自然公園を中心とするエコ・ツアーや、トレイル・ウォーク、キャンプを基本とするネイチャー・ツアーを提唱している。ウェブサイトをリメイク中。