2003年01月号掲載 | 文・写真/小杉礼一郎
オレゴン州北西端の町、コロンビア川が太平洋へ流れ込む30号線沿いにあるアストリア。今から二百年余り前の1805年、ルイス&クラーク探検隊がこの地に到着して以来、交易、水産、木材の拠点として発展してきた。街には往時の繁栄を偲ばせる古いヴィクトリア調の家が多く、市街の高台に建つ展望台アストリア・コラムに上ってみると、カスケードの山々から太平洋の沖合いまで一望することができる。実は、この町は日本の近代史にも深く関わっている。今回のエコ・キャラバン隊は、このアストリアの歴史を探訪してみたい。
ルイス&クラーク探検隊の足跡
1805年11月、若き陸軍大尉メリウェザー・ルイスが率いるルイス&クラーク探検隊一行三十人余は、太平洋に到達し、コロンビア河口の南岸に砦を築いて冬を越している。現在その跡はフォート・クラットソップ・ナショナル・メモリアルとして復元、公開されている。ダグラス・ファーの木立の中、小さな、本当に小さな砦だ。 第三代大統領トマス・ジェファーソンは、1803年にフランスから1エーカー4セントで、ルイジアナ領以西の未知未開の土地を買った。有名なルイジアナ買収である。その地理、地形、境界、動植物、インディアンなどについて少しでも多くのことを知りたいと考えた大統領の命を受け、ルイスは辺境に詳しいウィリアム・クラークと共に28人の西部探検隊を編成した。 一行はセントルイスからミズリー川を遡り、コロンビア川を下って太平洋岸に出るルートを踏査した。この探検隊の案内役、通訳だけにとどまらぬ大きな働きをしたショショニ・インディアンの女性サカジャウェアは、生後2カ月の男の子を背中におぶってフランス人の夫とともに、途中から一行に加わった。彼女も、子供とこの砦で冬を越している(この功績を称え、新1ドル銀貨に、赤ちゃんを背負ったサカジャウェアが刻まれている)。
日本初の英語教師はアストリア生まれ
少し時代を下り1824年、のちに日本初の英語教師となるラナルド・マクドナルドがアストリアで生まれる。母はシヌーク族長の娘、父は英国のハドソン湾会社の吏員であった。12歳の時、ワシントン州に漂着した日本人水夫と出会い、日本に強く憧れた多感な少年は、以来日本に渡りたいとの想いを温め続ける。 当時、米国はハワイを基地として日本近海の北太平洋を漁場とする捕鯨が盛んであった。日本に渡るべく捕鯨船に乗リ組んだラナルドが、死をも覚悟して単身ボートで北海道へ上陸したのは24歳のとき。長崎へ護送され、出島での幽閉中、彼は日本人通詞たちに英語を教える。その中でも熱心だった森山栄之助は、後年、浦賀に来たペリーをはじめ列強各国との日本側首席通訳として、ラナルドから学んだ英語を駆使して通商条約締結に貢献した。
フォート・スティーブンス州立公園内の史跡公園へ
南北戦争から第二次世界大戦の時代まで、その地勢からアストリアは軍事的要衝の地であった。コロンビア川南岸には、河口を固める砲台を中心に要塞陣地が置かれていた。アストリアの西のフォート・スティーブンスである。太平洋戦争の初頭1942年6月には、日本の潜水艦がアストリア沖に浮上し、街に砲撃を加えた。これは米国史上初の、極めて少ない他国から米本土への攻撃だった。
現在のフォート・スティーブンスはオレゴン州立公園を代表する公園のひとつとして賑わっている。19~20世紀の要塞、砲台跡はいずれも当時の様子を再現・復元して史跡公園となり、内部を見学できる。ミリタリー・ミュージアムには太平洋戦争関連の展示が多く、日本人としてはちょっと複雑な思いを抱く。そこに立ってみても、ただただ茫漠とした河口、大きい空と太平洋の海原、緑の大地が広がっているばかりだ。だが、今も沖を睨む砲口を眺め、時代に想いを巡らしていると、わずか2世紀足らずとはいえ、日本の近代とアストリアにある史実との確かな重みがドッシリと伝わってくる。
■Fort Clatsop National Memorial
探検隊が、1805年11月から1806年4月まで越冬した基地。彼らはこの地で雨の続く冬場をしのぎ、帰路用の食糧を準備した。海水を煮詰め塩を造り、捕獲した鹿の肉を加工して携行した。
■要塞(Fort Astoria)とマクドナルドの顕彰碑
アストリア市街、15th & Exchange St.に要塞(復元)がある。マクドナルドの顕彰碑は日英両語で記されている。また、彼の墓は、ワシントン州のFerry郡のCurlewの北にある。
■Fort Stevens State Park
オレゴン州北西端にあるこの公園は、千サイト近くの巨大キャンプ場があり、野生鳥獣観察地、史跡、水泳場、海岸線、森と湖を巡る、のべ14マイルのハイキング・サイクリング・コースがある。
■アストリアのことをもっと知りたい方へ
Astoria Warrenton Area Chamber of Commerce
TEL: 503-325-6311、1-800-535-3637
URL: http://oldoregon.com/
■鯨と日本の開国
幕末期、日本近海で操業していた捕鯨船は多く、ロシアをはじめ列強各国が数百隻の船を繰り出していた。獲られた鯨は産業用の油脂を採られた後に海に棄てられ、まさに乱獲の時代であった。当時アメリカの捕鯨船団はハワイを出航基地として北太平洋で鯨を追っていたが、日本近海は有数の鯨の漁場だった。これら捕鯨船団の水、薪を補給する寄港地を得るべく米国は日本に開国を迫る。それがぺリー率いる黒船来航の最大の目的だった
■ラナルド・マクドナルドと森山栄之助
間違いなく近代日本の扉の鍵を回したラナルドと栄之助だが、その後、時代の波に翻弄された生涯を送り、2人とも不遇の晩年だった。時代に繰り出された2つの駒が激しく押し合い、次の時代の駒に動きを伝えたが、取り残されて忘れ去られていった。あたかも日本の開国のためだけにその時期に天から遣わされたような2人に、歴史の采配の妙を見る思いだ。ラナルド・マクドナルド(Ranald Macdonald)と、森山栄之助のことを詳しく知りたい方は、インターネットでの検索(日英両語)で多くの情報が得られる。
参考:『海の祭礼』吉村昭著/文藝春秋社
Reiichiro Kosugi 1954年、富山県生まれ。学生時代から世界中の山に登り、1977年には日本山岳協会K2登山隊に参加。商社勤務を経て1988年よりオレゴン州在住。アメリカ北西部の自然を紹介する「エコ・キャラバン」を主宰。北米の国立公園や自然公園を中心とするエコ・ツアーや、トレイル・ウォーク、キャンプを基本とするネイチャー・ツアーを提唱している。 |
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