2009年06月号掲載 | 文・写真/小杉晶子
絶滅してしまった日本産の野生トキ。野生復帰活動によって
繁殖させた10羽のトキが08年に日本の空を羽ばたきましたが、
ここノースウエストでは、野生のトキを見ることができます。
▲遠目ではカラスに見える、黒いトキの群れ
▲広大な湿地帯の中にあるマヒュアー湖
いざ、不毛の地へ
我が家の恒例行事である早キャンプ。この年は、夫のほうから「オレゴンへ行きたい」という要請がありました。それも不毛の地、南東オレゴンだそうです。理由は「黒いトキ(White-Faced Ibis)が見たい」から。わたしの答えは「ふ~ん」でした。そこから夫の説明が始まります。なんでも南東オレゴンには、まだ手つかずの自然があるそうです。また、西海岸最大のウェットランド、マヒュアー野生保護地区(Malheur NWR)は、ノースウエスト近辺を渡る鳥達が、しばし羽を休めるオアシスであり、静かな不毛の地がこの時期、まさに野鳥の楽園になるのだとか。
「黒いトキねぇ……」と最初は思いましたが、日本での、トキにまつわる野生復帰活動のことが気になっていたので、野生のトキが見られるというところに私の心が動きました。
夏日を思わせるほどの晴天に恵まれた6月上旬、目指すは南東オレゴン。まずはI-90を東へ。ヤキマからオレゴン東部へ入り、広大な農業地域を抜けます。さらに南下すると、周りは荒野のごとく、人工物が見えない何もない世界へと入っていきます。Burnsという小さい町で最後の給油と食料を買い、やっとの思いで目的地のマヒュアー野生保護地区に到着しました。
ビジター・センターのあるマヒュアー湖から南に位置するFrenchglenという小さなキャンプ地に今夜の寝床を確保し、まずは近くにある湿地帯を探索しに出掛けました。マヒュアー野生保護地区は、18万6,000エーカーの広大な土地の中にマヒュアー湖とハーニー湖がある、大きな湿地帯です。春になると、背後にそびえ立つスティーンズ山から流れる雪解け水がその湿地に流れ込み、渡り鳥のオアシスを作り上げます。アメリカ西部で唯一見られる鶴、カナダツル(Sandhill Crane)などもここで静かに子育てをしにやって来ます。
▲ちょっと顔が怖いヒメコンドル
▲展望台から眺めるマヒュアー野生保護地区
早過ぎた渡りシーズン
まだ、キャンプ・シーズンには早いこともあり、小さなぼっとん便所がひとつだけあるキャンプ場には、3組ほどの先客がいるだけでした。
翌日は朝ご飯を軽く済ませ、早速車で野鳥探しに出掛けました。保護区には、メインの道路とは別に、湿地の間に舗装されていない道路が東西南北に走っているので、そこを徐行しながらのバードウォッチングです。私達がまず目にしたのは、「ヒメコンドル(Turkey Vulture)」。ワシントン州でも東部でしか見られない、真っ赤な顔が気持ち悪い鳥です。そばで見ると怖いなぁ……と思いながら、ふと近くの鉄塔を見ると、鈴なりに止まっています。うわぁぁぁ……。なぜだか、集団でいるヒメコンドルはいやだなぁ、という気持ちになりました。ほかには、葦の群生から出たり入ったりするヌマミソサザイ(Marsh Wren)や、なかなか目にすることのないコウライウグイス(Bullock’s Oriole)などもいるのですが、それが、ここではまるでスズメのようによく目にするので、野鳥天国に来ているのだなと確信しました。
日もだいぶ上がり、お昼近くなってきたころ、持って来たサンドイッチでも食べようかと腰を下ろした場所から、はるか遠くにクビの長い鳥が2匹、葦の合間を行ったり来たり。あっ、と思った瞬間、双眼鏡の中にくっきり赤い帽子をかぶった鶴の顔がありました。カナダツル(Sandhill Crane)のツガイのようです。時折、小枝をつまんだりしているので、巣作りでしょうか。鶴は警戒心が強く、少しでも騒がしいとすぐに隠れるとてもミステリアスな鳥。そんな彼らをそっと眺めながらの素敵なランチ・タイムとなりました。
私はカナダツルを初めて見ることができ、ルンルン気分でしたが、黒いトキを探している夫は、朝から気分がいまいちのようです。それならばと、パーク・レンジャーがいるビジター・センターへ情報収集に行きました。
小さなビジター・センターは、多くの人でにぎわっており、熱心なバードウォッチャー同士が、どの場所でどんな鳥が見られるのかなど、情報交換していました。パーク・レンジャーによると、この年の春は寒く、近くにあるスティーンズ山の雪が解けるのも遅いため、ふもとのこの湿地にも、まだ十分な水が入ってきていないそうです。それによって、渡りをする鳥達の移動も遅れているようでした。
そういえば、ここに来る前に通ってきたハーニー湖にも、あまり水がなかったような気がしました。渡りの鳥を見るには、まだ少し早過ぎたのかもしれません。野生の生物は、天候や気温を敏感に察知し予定を変えていくので、鈍感な人間達には到底予測できないことになります。
結局、夫が探していた黒いトキには出合えなかったのですが、シアトル周辺では見られない野鳥や水辺の鳥を楽しんで3泊のキャンプを終え、次の目的地へと移動することにしました。
▲ビジター・センター前のフィーダーにいたキガシラムクドリモドキ(Yellow-headed Blackbird)
野生保護地区へ
次に向かう場所は、南東オレゴンと北カリフォルニアの境にある、クラマス盆地野生保護地区です。ここは、オレゴン州とカリフォルニア州の州境に位置し、湖、湿地、乾燥地帯、火山溶岩地帯とバラエティーに富んだ環境です。私達は、カリフォルニア州側にあるラバ・べッズ国定公園内(Lava Beds National Monument)にあるキャンプ場を拠点にして、近辺の湖や沼地で黒いトキ探しに徹することにしました。州境に4つの野生保護地区が固まっているので、「ガソリンはオレゴンが安い」とか「食品はカリフォルニアが安い」など、オレゴンとカリフォルニアを行ったり来たり、忙しい移動となりました。車を走らせているころから、すでにたくさんのペリカンやシラサギなどが湖面に見られたので、もしかしたらマヒュアー湖よりも多くの鳥を見られるかもしれないという期待も高まります。
さて、マヒュアー湖で見られなかった幻の黒いトキ(もう、この時、勝手に幻になっていた)をやっきになって探している夫。しかし、湖面を見れども見れども、延々と白いペリカンがフワフワ浮いているだけ。今回は、もしかしたらついていない旅になるのかな……と少々あきらめモードに変わってきていました。それでも、フクロウ(Great Horned Owl)の子供を木に見つけたり、エレガントなモデルを思わせるスタイルのソリハシセイタカシギ(American Avocet)に出合ったりと、シアトル近辺ではなかなか見られない鳥を見ることができました。
▲湖面を悠然と
ただよう白ペリカン
▲まだホワホワの毛が残っているフクロウの赤ちゃん
▲湿地の貴婦人、ソリハシセイタカシギは優雅に歩く
▲よく見ると赤茶、黒、緑の光沢のある羽がきれいな黒いトキ
野生のトキ、ついに発見
そしてキャンプ最終日。60マイルで飛ばせるカリフォルニア側の農道から、小さい沼地へ入りました。水はあまりなく、青々した草っぱらの向こうには、カラスの黒い群れが見えるだけです。用水路のような溝の中をのぞき込んでみると、黒く長いくちばしを持った1匹の鳥を発見しました。ゆっくりとその溝の袖に車を止めて、双眼鏡で静かにのぞきます。
「あっ、トキ!」
長い曲がった口ばしで、地面にいる虫をうまく突付いています。夫に声を出さずに感動を伝え、再び双眼鏡に目を戻すと、真っ黒いと思っていた羽が、実は光の加減によって赤茶や深緑に輝いていました。
現在の日本では、たくさんのお金と人の手を使ってトキの野生復帰活動が行われています。1度絶滅に追いやられた動植物を再び野生復帰させるということが、どれほど難しいことなのかを今、人間も学んでいる途中なのだなと思います。ここにいる黒いトキも将来そうならないことを願い、複雑な気持ちで眺めつつ、しみじみとそんな話を夫としながら写真をたくさん撮って、静かにその場所を去りました。
やっと出合えた1羽の黒いトキのこと、そして将来必ず自然からやって来る環境破壊のしっぺ返し。そんなことを頭の中で考えながら車をゆっくり走らせた瞬間、目の前をザァッと黒い鳥の群れが飛び立ちました。カラスかな……と目をやると、それは青空に騒然と羽ばたく何百羽の黒いトキでした。「私達は、まだ、たくましくここに生きています」と言うかのように、頭上を越えて、はるか向こうの湿地へと飛んでいく彼らを、ぼうぜんと見つめる私と夫。真っ青な空と青々とした湿地の草、そして大きく羽ばたく黒い群れ、その色のコントラストが素晴らしく、将来日本で、赤い顔をした真っ白いトキが何百羽と青空を舞っている空間にわたしが立ち合えることを願って、この旅を終えることにしました。
■マヒュアー野生保護地区(Malheur National Wild Refuges)
バードウォッチングをする人には、有名な野鳥の天国。しかし、ノースウエストに生まれ育ったアメリカ人でもその存在を知らない人は多い。
ウェブサイト:www.fws.gov/malheur/
■クラマス盆地野生保護地区(Klamath Basin National Wildlife Refuges Complex)
オレゴン、カリフォルニア州境にある保護地区。湿地、火山洞窟国定公園、森林の多い山、乾燥地帯とバラエティーに富んだ地域でもあり、たくさんの動植物が見られる。
ウェブサイト:www.fws.gov/klamathbasinrefuges/
■ラバ・ベッズ国定公園(Lava beds National Monument)
ラマス保護地区のすぐ側にある国定公園。真っ黒な溶岩の海原も見れ、数百もの洞窟を探検するのも面白い場所。キャンプ場はきれいに手入れされている。
ウェブサイト:www.nps.gov/labe/
■佐渡トキ保護センター(Sado Japanese Crested Ibis Conservation Center)
日本トキを野生復活させる活動を行なっており、08年、最初の10羽が佐渡の空に舞い上がった。
ウェブサイト:www4.ocn.ne.jp/~ibis/
Akiko Kosugi Phillips サウス・シアトル・コミュニティー・カレッジで園芸学(Landscape & Horticulture)の学位を取得。シアトル日本庭園でのインターンシップ、エドモンズ市の公園課での仕事経験を経て、現在は、小杉剪定サービスとして庭の手入れを行うビジネス・オーナー。年に2回ほど小杉礼一郎氏の代わりに「ノースウエスト自然探訪」の執筆を務める。 |
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