2009年08月号掲載 | 文・写真/小杉礼一郎
人々を魅了する自然が豊かで奥深い北西部の辺境、南オレゴン
この地が発するもうひとつの磁力も隊長を引きつける
▲シェイクスピア・シアターの舞台裏手にあるリシア・パークは、実はとても奥行きが深い。
往復28マイルのトレイルが通っているアッシュランド・クリークの両岸に沿った森林、渓流公園
流れる時代のふちで
軽快なベースのリードに乗って流れるベン・E・キングの歌声♪……Stand by Me. Oh, Stand by Me, Stand by Me……♪ 歌に続く、あのバイオリンの調べを聴くと、隊長の胸は甘く切ない思いで満たされる……え? そんなにセンチメンタルだったのかって?いや、どこで生まれ育ったにせよ、その人なりの子供のころの夏の思い出があり、あの映画「Stand by Me」※1を見たならば、それはきっと誰の心の琴線にも共鳴する感覚ではないのかと思う。そして南オレゴンには、それを呼び起こす空気が確かにある。
南オレゴンの近現代史は、アメリカのそれのほんの100ほどの部分を早送りで見るようだ。そしてそれは1950年代でぴたりと止まっている。
東部からこの地に移住者が入って来たのは1840年代からである。当初、人々はオレゴン・トレイルを通って東部から西部へ移住してきたが、1848年にカリフォルニアで金が見つかると、途中アイダホから南西に向かうカリフォルニア・トレイルができた。そして1851年に南オレゴンのジャクソンビルでも金が見つかると、そこに向かってさらに道が北西へ枝分かれした。アップルゲイト・トレイルである。しかしゴールド・ラッシュの時期はあっという間に終わる。この地にやって来た多くの人々は去り、ある者は南オレゴンの山あいに定住し、それぞれの営みを始めた。
山また山の南オレゴンには、約1世紀分の暮らしを林業、製材業で支えるに足る、豊富な森林資源がある。縦横に森林鉄道が敷かれ、太平洋岸のクースベイなどからは、日本に向けて大量に丸太の輸出が続いたが、原生林の枯渇と伐採規制により、1980年代にはそれも下降線を辿る。人々が歩いて渡ってきたこの地には鉄道が通り、車の時代になれば道路が通る。やがてハイウェイが開通し、さらに人々の移動は空路が主体となる。南オレゴンは多くの人にとって、単に「I-5の通るところ」になってしまった。先住民の聖地もあり、ゴールド・ラッシュの跡地や往時の林産業の栄華の跡も残す南オレゴンは、時代のふちにしばし淀んでいる。
▲80年代のTVドラマ「オレゴンから愛」のロケに使用された家に住む夫婦。突然訪れた私達に「いつでもいらっしゃい」と大歓待してくれた。ところはセントラル・オレゴンだが、同じ素朴なオレゴンの人達
▲強い地磁気の渦(Vortex)により超常現象が見られるオレゴン・ボルテックス。支えもなくほうきが簡単に立ち、倒れない。何のトリックもない
人々の営み
19世紀の西部開拓時代、人々はそれぞれのなりわいと夢を持って西部を目指してきた。金を求める人は、それを手に入れるまで各地を渡り歩く。牧畜をする人は、内陸の平野で広大な牧場を拓いた。自分の農地を手に入れたい人は、オレゴンのウィラメットの沃野か、カリフォルニアの平野部に入っていった。
南オレゴンは山地で占められ人口も希薄、この地の主な産業は林産業である。目ぼしい町は数えるほどだが、町ごとに見てみよう。
クラマスフォール、ローズバーグは、それぞれに南オレゴンの南と北の林産業の核としての役割がある。太平洋岸のクースベイはアジア(特に日本)向けの木材積出港として栄えた。北カリフォルニアのユーレカには世界最大級の製材工場が現在も稼動し、レッドウッドの製材を行っている。これらの町のそこかしこで、一世を風靡した往時の面影を見ることができる。I-5沿いの町、メドフォード、グランツパスも木材産業に拠っていたが、空港もあり、今では交通と社会の拠点として機能している。
I-5から少し西に外れたジャクソンビルは、ゴールド・ラッシュでできた町だ。町並みと採掘場で往時を偲ぶことができ、1966年に残存する100以上の建物と共に国の歴史地区(National Historic District)に指定された。同じく、I-5沿いのカリフォルニアとの州境近くのアッシュランドは、異彩を放つ町。アメリカの広大で乾いた景色の中で、突然ヨーロッパの町並みに足を踏み入れたような錯覚がある。花と樹木の緑があふれる町には、75年の伝統がある常設シェイクスピア劇場、「シェイクスピア・フェスティバル」があり、毎年全米からの訪問者が絶えない。アッシュランドにある南オレゴン大学にはシェイクスピア学 、舞台芸術学のコースがある。
▲1935年設立当初のシェイクスピア・フェスティバルのメイン劇場。最初の上演作品は「Twelfth Night」と「The Merchant of Venice」だった
▲現在のメイン劇場は1959年に建てられたもの
©T.Charles Erickson
空気
ソウル、マニラ、バンコク、カラチ、そしてシアトル、これらの都市はかつて隊長が訪れた際、戒厳令(Curfew)に遭遇した都市である。しかし正直言ってシアトルで戒厳令に遭うとは夢にも思っていなかった。折悪しく、まさに暴動に発展するその時刻にシアトル・ダウンタウンの2nd Ave.を車で通り掛かった隊長は、目の前の交差点からあふれ出てきたデモ隊が暴徒と化す寸前の異様な雰囲気に恐れをなし、一方通行をかまわず2、3ブロック車をバックで走らせて難を逃れた。1999年12月のWTO国際会議の時である。※2
なんで唐突にこんな話を持ち出したかというと、この時の暴動は汎世界農業運動の立場から自由貿易に反対を唱える活動家グループが、組織的かつ意図的にデモ隊を暴動へと誘導し、WTO会議そのものを粉砕しようとした(そして成功した)ものであった。そしてそのグループの活動拠点がユージンの郊外にあったからだ。
南オレゴンは大きな田舎だが、リベラルな空気が漂っている。ワシントン州もオレゴン州も民主党支持層が過半を占めるが、オレゴン州はそれに加えて心底からのリベラル派が多いと思われる。南北500キロのオレゴン州の海岸は、「浜辺は万人のもの」の原則を貫いている。プライベート・ビーチを一切許さず、誰でもアクセスして良いのは、そのひとつの例だろう。
また、ロシア革命の名ルポルタージュ『世界をゆるがした10日間』の著者、ジョン・リードはポートランド出身で、彼自身アメリカ共産党の結成に加わった。それに比べると、ワシントン州は富裕層が多いせいか、同じ民主党支持と言っても「知識人」が多いイメージである。実際アメリカに来る時、会社の先輩から「オレゴン州とワシントン州はちょっと違うからな、お互い仲は悪いんだ」という意味のことを言われたが、それを隊長はその後自分なりに納得するに至った。ステレオ・タイプなオレゴニアンなら「ワシントン州の連中は上品に気取りやがって好かん」。逆にワシントン州の住人は「オレゴンの連中は田舎者だ」と感じている傾向が少しはあるように思う。都市から遠く、山また山という地勢である南オレゴンの集落の佇まいなどから察するに、リベラルというか「政治も貧富もあるもんか、私は私。自由に生きる」という考え方の人達は多いように思う。そして田舎へ行けば行くほど、厚い人情に触れることも多い。それは道で行き交う人が皆、会釈やあいさつをするということだけにとどまらない。
どちらかというと素朴なオレゴン。とりわけ南オレゴンではそれを感じる。都会では誰もが商品経済の歯車のひとつとして、Claimだ、Sueだと必死に暮らしているが、南オレゴンの山中で出会う人達と話していると、忘れ掛けていた「人間らしい人間関係」に触れてほっとする。
南オレゴンの夏の昼下がり、明るい陽光の下で時が止まったようなけなるい雰囲気の中、隊長が感じるのは、素朴な郷愁ー少年時代の夏の原風景ーである。もちろん国も景色も違うのだが、なにかあのころに通じる空気がこの地には満ちている。この地の自然と人々の双方が醸しているのだろう。そして、実はそれは南オレゴンだからあるのではないと思う。日頃の私達は、都市のペースで気が急いて気付かぬだけで、ちょっと通勤ルートを外れたところや、町から郊外へ5分も車を走らせれば触れることのできる自然の場所など、すぐ身の回りにある。陳腐な物言いではあるが「古き良き時代」とは、決して消え去ったりせず、悠久の時の流れの中で、自然と人々がシンクロナイズして生きている限り、それを求める人の前にいつでも立ち現れるような気がする。南オレゴンの空気は、そのことを気付かせてくれるのだ。
▲コテージ・グローブの近郊にある、いくつものカバード・ブリッジのひとつ。この町の周囲だけで、6つもの美しいカバード・ブリッジが残っている
▲映画「Stand by Me」のロケ地、オレゴン州のブラウンズビル。主人公の少年達が住む架空の町、キャッスルロックに擬された
※1「Stand by Me」は、1986年のアメリカ映画。原作はあのスティーブン・キングで、彼の少年時代の回顧談とされている。彼が生まれ育った地はメイン州なのだが、この映画の撮影はほとんどオレゴン州で行われた。ベン・E・キングが歌いヒットした同名の歌は名曲といえる。
※2 この暴動を元に「Battle in Seattle」という映画が2007年に作られた。
■オレゴン・シェイクスピア・フェスティバル
1935年からの伝統ある常設シェイクスピア劇場。古典劇から現代劇まで大中小4つの劇場を使い2月から11月までの期間上演。全米から観客が集まる。
ウェブサイト:www.osfashland.org
■ジャクソンビル
1850年代のゴールドラッシュ時代の街並みと鉱区がそのまま保存されている。
ウェブサイト:www.jacksonvilleoregon.org
■アップルゲート・トレイル(The Applegate Trail Interpretive Center)
オレゴン・トレイルの支道にあたる西部移住のルート、アップルゲート・トレイル・インタープリティブ・センター(グランツパス)で、移住開拓時代の風景に触れることができる。
ウェブサイト:www.rogueweb.com/interpretive/
■コテージ・グローブのカバード・ブリッジ(Cottage Grove.net)
この町の周囲にある6つの美しいカバード・ブリッジを紹介するウェブサイト。ドライブ・コースにもぴったり。
ウェブサイト:cottagegrove.net/history/covered_bridges/index.html
Reiichiro Kosugi 1954年、富山県生まれ。学生時代から世界中の山に登り、1977年には日本山岳協会K2登山隊に参加。商社勤務を経て1988年よりオレゴン州在住。アメリカ北西部の自然を紹介する「エコ・キャラバン」を主宰。北米の国立公園や自然公園を中心とするエコ・ツアーや、トレイル・ウォーク、キャンプを基本とするネイチャー・ツアーを提唱している。 |
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