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ノースウエストの海と魚(6)カニの話

アメリカ・ノースウエスト自然探訪
2010年02月号掲載 | 文・写真/小杉礼一郎

サケ、カキと並ぶノースウエストの海の幸
食卓に上がる冬の味覚と言えば、なんと言ってもカニだ
隊長を乗せ、カメボートは北太平洋の探訪に出た

再びカメボートに

また隊長はカメボートの中にいた。今回は海と魚シリーズの水先案内人、Aさんが乗り込んでいる。「何たって俺はカニ屋だからね、まかせとけ」。ボートはピュージェット湾の底深く潜り、人呼んで竜宮城、ムーンバックスカフェの門に入っていった。

ボートから出ようとする隊長をAさんが止める。しばらくしてノウ姫が誰かを従えてボートに乗ってきた。「隊長、お久しぶり。原稿は進んでいますか?」「いや、それが……」。頭をかく隊長を姫がちらと睨み「こちらはカニの種霊さんです。きっと今日の旅でお力になれるでしょう」と短躯角刈りゲジ眉のアンチャンを紹介する。いろんな種霊がいるが、こりゃ“こち亀”の両津巡査だよ、と思いながら「初めまして、よろしくお願いします」とあいさつすると、「ようッ、うまいこと書いてよ」と軽い。「さあ、今からこのメンバーで北太平洋を回るんだよ」とAさん。「アラスカ沖までちょっと時間があるから、隊長がカニについてどれくらい知っているか話してくれや」「いや、ほとんど何も知りま……」。言い切らぬうちに両さん、いやカニの種霊が「アンタの思い出で良いんだよ、カニの。何かあるだろう」とせっつく。

世界に広まった「マガキ」

「世界を席巻する日本のマガキの続きを聞かせてください」と隊長がYさんに促した。「うん。知っての通りカキを食べる文化の歴史と伝統をリードしてきたのはフランスだ。あっちは主にヨーロッパヒラガキ(ブロンカキ)だね。ところが60年代から70年代に、フランスのカキ産地はカキの病害で壊滅的な打撃を受けたんだ。その折、急きょ導入されたのが日本のマガキだった。これがしっかりと繁殖してフランスの養殖業者達は救われたんだ。マガキは病気に強く環境にもよく適応するんだな※5。

その後ヨーロッパ全体とオセアニアでも、マガキの養殖が広まった。いろんな見方はあるが、今では世界のカキ養殖と消費を支えているのがマガキなんだ」「それとね、現代の世界のカキ食文化を支えているもので」とMさんが続ける。「マガキが日本発のハードウェアだとしたら、日本発のソフトウェアもあるんだよ。この半世紀でカキの市場を大きくした、ふたつの大きな開発だ。それが……」と言い掛けると、硬い殻の姿になったカキの種霊が話し出した。「ひとつは50年代に開発されたカキ殺菌技術※6ですね。

これで人類史上ずっと世界中の人を悩ませてきた生カキの食中毒を抑えることができました。もっともその処理の間に私達はかなり身やせしてしまいますが」。続いて中性の妖精の姿になり「もうひとつは90年代に実用化された3倍体カキです※7。種なしの果物と同じ原理で1代限りですけれど。このふたつの技術開発は、カキとヒトの関係をそれ以前の時代と以後の時代にはっきり分けました。ヒトはカキを自然の枷(かせ)から解き放ち、より多くの人達がカキを食べられるようになったのです」

隊長の「カニの思い出」

……そう言えば小さいころ、秋から冬には家で夕食によく富山湾で揚がるベニズワイガニを食べていたね※1。その日揚がったやつを茹でてたからおいしかったな。青函連絡船がなくなる直前には、函館港で乗船前に屋台の毛ガニの塩茹でを買い、船の上で食べたな。カニ味噌がめっぽううまかった。いつだったか一緒にK2に登ったパキスタン隊員のナジールを、皆で日本に呼んで冬の大山へ登ったことがあってね。彼は内陸のフンザ出身でアレキサンダー大王の遠征隊の末裔だから、ひげだらけの立派ないかつい顔をしてるんだよ。ところが夕方、鳥取の宿でカニが山盛りで出てきたら、彼は青くなって逃げ出した。「ワタシ、ク、ク、クモハタベラレナイ!」って真剣に怖がっていたよ。あれは傑作だった。

Aさん:「山陰のほうならその時出てきたのは松葉ガニだね。つまりズワイガニのことだけれど、これが北陸だと越前ガニと呼ばれている。英語ではスノー・クラブ(Snow Crab)だ」。隊長:「今、私達が向かっているベーリング海、オホーツク海に生息してるね。同じ海域にいるタラバガニは、脚が6本とハサミ2本だから、こっちのほうがよりクモのお化けに見えただろうな※2。……こっちに来てからダンジネス・クラブというものを知った※3。そしてこれがノースウエストの庶民のカニで、簡単に岸から獲れることもある」

こんなことを話しているうちに次々に島影が見えてきた。「もうアリューシャン列島ですわ」とノウ姫。ボートはベーリング海に入っていく。

豊穣の海

話したくてウズウズしていたカニの種霊が語り出す。「俺らの仲間は基本的に肉食系よ。で、かつ雑食だな。ゴカイ、貝類、海底にあるたんぱく質なら、死骸だろうが片っ端から食べる。知っての通り、俺らカニの仲間は固い甲羅で覆われてて、ちょっとやそっとじゃ魚などには食われないんだが、脱皮しないと成長できないんだ。それには訳がある。成長のために体を大きくすることはもちろんだが、脚が多くて長いだろう。海の中の生存競争で、食われたり、何かに捕まったり、挟まったり、自分で切り離してなくなることもあるので、脱皮を機会に再生するのさ」。う~ん、そのたくましさ。やっぱり両さんで決まりだ。

Aさんが続ける。「氷河期、このベーリング海は陸だった。北アメリカとロシアは陸続きだったんだ。だから水深は浅い。そしてここは世界的なタラの漁場でもあるので、鱈(タラ)場と言われる。そこでタラと同じ網にかかるカニがタラバガニだね。寿命は20年以上になるものもいると言われており、大きく育ったものは1匹で10キロ以上、脚を伸ばすと1メートル以上にもなるんだ。缶詰などの加工用にも使われる。アメリカでカニの代表といえばこのタラバだ」「英語で言うとキング・クラブ(King Crab)。その名の通りですね」と隊長。

Aさん:「そしてこの海のもうひとつの代表的なカニは、スノー・クラブ。食通はこれがいちばんうまいと言っている。こいつはクモガニ科だが、昆虫のクモとは関係がない。あ、それとね、ノースウエストの人々にはなじみの深いダンジネス・クラブは、ここアラスカの海にもたくさんいるよ。アリューシャン列島の周りとパンハンドル、つまり東南アラスカの海だね。旬は5月~11月。ちょうどタラバとズワイのオフ・シーズンに獲れるんだ。うまくできてるじゃないか。え?」

ここでノウ姫が口を開く。「みなさん、正確にはこれはカニではありませんが、でも世界中の人々の胃袋を最も満たしているカニがやはりこのベーリング海から生まれています」。ん? 3人が姫を見る。「それはイミテーション・クラブです。この海で獲れるスケトウダラのすり身で作られていますよ」。カニがポンと手を打って「そうかぁ、そう言やぁ50、60年代は西海岸の名だたる港にはどこにだってカニ缶工場があった。あのころのカニの水揚げ量は史上最高を記録していたが、今は往時の10~20%にまで水揚げを落としている。獲り過ぎだったね。水揚げを減らさないと、とてもじゃないが俺ら再生産できないからな。でも一方でサラダや寿司の食材用に、俺らの身代わりになってくれているのがスケトウダラって訳だ」。カニの種霊はボートから身を乗り出し大きな声で「ありがとうよ~~スケトウ~~」と、荒れる大海原に向かって叫んだ。

カニ漁と日本とノースウエストと

海面は大しけだと隊長は思ったが、「いやあ、冬の北太平洋はいつだってこんなもんだよ」とAさん。「暗く、寒く、激しい風と吹雪。時に船の高さの何倍もの波で荒れ狂ってるんだ。ここでカニを獲る漁師の連中こそ男の中の男、漁師中の最も命知らずな漁師達さ。この夜が長い時期に、狂ったような海にカゴを投げ込み、引き揚げる、体を張ってやるしかない仕事なんだ。船は小さい船で数人乗りの50トン、船の全長が17メートルくらい。大きい船で200トン、10人乗りで全長50メートルくらい。ほとんどは36メートルくらいの船だ。この十数メートルの波の高さから見ればまるで小船さ。それぞれに強力なサーチライトとカゴを引き揚げるウインチが備えられている。船は大揺れに揺れ、波はとんでもない高さから頭の上に降り掛かる。毎年、命を落す者、ウインチやワイヤーに腕や指を引きちぎられる者が続出する。それでも一攫千金を夢見る男達が全米から集まってくるんだ。彼らが乗りこむ船はワシントン州のシアトルやウエストポートを母港としているんだよ。シアトル漁港にある漁師達の墓名碑を見たかい。おびただしい数の名前が刻んである。まるで戦没者だよな」。

隊長:「テレビで冬のカニ漁のドキュメンタリーを見たことがあります(Information参照)」。

Aさん:「ああ、あの番組に登場するSea Star号もシアトル漁港に停泊しているね※4」さらにAさんは続ける。「カニ漁について話そう。船では引き揚げられたカゴからカニが船のいけすに落とされる。目標の量までカニを獲ったら、船はアラスカのダッチ・ハーバーやコディアク、アクタンなどの港に向かい、獲物を揚げるんだ。それぞれの港ではカニをサイズごとに選別し、ケージに入れて熱湯でボイルする。そのあと冷凍して20~50ポンドの箱詰めにして、アメリカ、日本、中国へ船積みされる。アラスカ沖で漁獲されたカニは、90年代まで大半が日本に輸出されていた。ところが食生活の変化で、近年アメリカでもカニの消費が増え、2000年を境に国内向けが輸出向けを上回るようになった」

「日本では冬、特に年末年始に大々的にタラバガニとズワイガニが売り買いされますね。その中の一部は、きっとこのアラスカ沖で水揚げされたカニでしょう。家族でコタツに入ってカニ鍋を囲む食事の団らんに、この米北西部の海と人々のドラマがつながっているんですね」と感慨深げに隊長がつぶやいた。

カニの種霊が言う。「ヒトの世界ではこれはこの国の海だ※5、何々産のカニだ魚だと言ってやがるが、海は全部つながっているし、俺らカニはタラバとズワイだけじゃないぞ。毛ガニや上海ガニやワタリガニなど、あちこちにいろんなカニがいるぜい。どれがいちばんってことないよ、それぞれにおいしいのさ」

「隊長、これまでいろんな海の種霊とお話しされましたね。カニさんも含め、みんな思っていることは同じですよ。それは、せっかくの命をヒトに差し上げるのだから、お金や評判などでなく、おいしいということを大切に思って魚を扱ってもらい、本当に“おいしい”“うれしい”と言ってもらえることが、何よりも魚の望んでいることなのです」とノウ姫。

「さてと、帰ろうか。今夜はカニ鍋で一杯だな」。Aさんがそう言うとカメボートは舳先を変え、ノースウエストの豊穣の海からノースウエストの豊穣の陸へ向かった。

※1 日本海側と東北の太平洋岸に棲む。ズワイガニと同じ科だが文字通り赤く別種であり、生息する水深は深い(400~2,700メートル)。ズワイガニと比べると味は淡白で水っぽいが、獲れたてを食べるととてもおいしい。
※2 実際は、タラバガニの体内には退化したもう1対の脚が隠れている。ほかのカニの種類は脚が4対とハサミ1対。生物分類上はタラバガニはヤドカリの仲間である(ハサミの形に注目)。
※3 ワシントン州オリンピック半島のダンジネス湾が名前のいわれ。日本では「イチョウガニ」と呼ばれ、本州の太平洋岸に生息するようだが、ほとんど市場に出回っていない。
※4 キャラバン#80ノースウエストの海と魚(1)漁港シアトル参照(www.youmaga.com/odekake/eco/2009_03.php)
※5 1977年に陸から200海里(約370キロ)までの海を、排他的経済水域としてその国が漁業できるということに取り決められた。

リシア・パーク
▲パイク・プレイス・マーケットにて、アラスカ産のタラバ、ズワイ、ダンジネス・クラブが並ぶ
リシア・パーク
▲カニ漁の原理はご覧の通り。ブイから吊ったポッドを海中に沈め、一定時間ののちに引き揚げる
リシア・パーク
▲ノースウエストの海ならどこにでもいる庶民の味方ダンジネス・クラブ
リシア・パーク
▲冬のベーリング海アラスカ沖でのカニ漁に出港する船はシアトルやウエストポートを母港にしている
1935年設立当初のシェイクスピア・フェスティバルのメイン劇場
▲寒い季節のカニ料理といえばこれ!


Information

■「ベーリング海の一攫千金」
厳冬のベーリング海アラスカ沖でカニ漁に従事する男達の記録。文字通り命掛けの仕事の一部始終をカメラが捉えている。ドキュメンタリーで定評あるディスカバリー・チャンネルが作成。日本でも放映されている。
Deadliest Catch
http://dsc.discovery.com/fansites/deadliestcatch/deadliestcatch.html

■クラビングについて 
カニ獲り(=クラビング)についての基礎的な情報を提供する州政府魚類野生生物局のサイト。生態、漁場、時期、規則、ライセンス、FAQなどについて表記あり。
Washington Department of Fish and Wildlife
http://wdfw.wa.gov/fish/shelfish/crab/index.htm
Oregon Department of Fish and Wildlife
www.dfw.state.or.us/MRP/shellfish/crab/index.asp

(2010年2月)

Reiichiro Kosugi
1954年、富山県生まれ。学生時代から世界中の山に登り、1977年には日本山岳協会K2登山隊に参加。商社勤務を経て1988年よりオレゴン州在住。アメリカ北西部の自然を紹介する「エコ・キャラバン」を主宰。北米の国立公園や自然公園を中心とするエコ・ツアーや、トレイル・ウォーク、キャンプを基本とするネイチャー・ツアーを提唱している。