2010年03月号掲載 | 文・写真/小杉礼一郎
シアトルの旧市街パイオニア・スクエアの一角にナショナル・
パークがあるのをご存知だろうか?そこは、1世紀余り前の
シアトルとアラスカへ、私達をいざなう玄関口である
3カ所でひとつの史跡
正式名称をクロンダイク・ゴールド・ラッシュ国立歴史公園(Klondike Gold Rush National HistoricalPark)と言う。1896年にカナダ(アラスカではない!!)ユーコン準州のクロンダイク川で大きな金鉱が発見された。その金鉱から、2トン以上のゴールドを積んだ汽船ポートランド号が1897年7月17日にシアトル港のピア59(現在シアトル水族館のある埠頭)に接岸した。これがその後2年間、極北の大地を吹き荒れた世界最大級のゴールド・ラッシュの号砲だった。
その主な舞台となった場所は3カ所ある。まず、当の金鉱探しの主戦場となったクロンダイク河畔、現在のドーソン・シティー。次はその地を目指した人々の前進基地、東南アラスカのスキャグウェイ。3カ所目はその出発地にして後方兵站地となったシアトルである。このうちアメリカ領にあるスキャグウェイとシアトルに、往時のゴールド・ラッシュの様子を保存再現する歴史公園ーミュージアムーが造られた。クロンダイク・ゴールド・ラッシュ国立歴史公園である。
後方でありながら、もっともこのゴールド・ラッシュの恩恵を被ったのは、実はシアトル。2年間で、当時のお金で$650万のゴールドがシアトルへ持ち帰られたが、この世紀の一大事業を支えた兵站地として、ひとつ、ベネット湖に下る。さらに船を仕立ててユーコン川をドーソン・シティーまで下るルートだ。
後にスキャグウェイからホワイトパスを抜けるサブルートもできた。人々はチルクート峠の急登を20~40回も往復して、各自の物資を運んだ。カナダ政府は金鉱探し達に各自の食糧を持参する規則を定めていたからである。峠を越すのに平均3カ月を要する大変な難行であった。
このゴールド・ラッシュの間に、スキャグウェイから内陸のホワイトホースまでの鉄道の敷設工事が進められたが、開通したのはブームが去ろうとしている1900年の夏だった。現在は絶景を行く人気の観光鉄道となっている。
ふたつの見もの
皆さんに、ぜひ見ることを勧めたいものがふたつある。ひとつはクロンダイク・ゴールド・ラッシュを象徴するもので、何百人もの金鉱探しの男達が、アリの列のように雪のチルクート峠を登っていく写真である。これ装備、食料、輸送、宿泊などに、それを大きく上回る$1,000万が落とされた。当時、金鉱探し達の準備に活況を呈したアウトフィッター、雑貨屋、靴屋、洋服屋、食料品店、薬局、ホテル、レストラン、銀行、酒場、駅などは、パイオニア・スクエア周辺に集中していた。
3つのルート
全米とカナダから、人々はクロンダイクを目指した。彼らがとったルートは3つあり、そのうちのふたつはシアトルが出発地点。カナダからの人々は、エドモントンから陸路ドーソン・シティーを目指した。道のない時代であり、苦行の極とも言える旅であった。2,000人あまりが彼の地を目指したが、大方の人々がたどり着いた頃には、ゴールドは採り尽くされてしまっていた。シアトルからのルートはオールウォーター・ルートと、スキャグウェイ・ダイヤ・ルートである。別名、前者はリッチマン・ルート、後者はプアーマン・ルートと呼ばれた。そのリッチマン・ルートは、シアトルから海路ユーコン川に入り、そのまま現地まで遡上する4,000マイルもの船旅だが、1トン近い荷物を全部船が運んでくれた。プアーマン・ルートは、シアトルを出てインサイド・パッセージ※1を通り、スキャグウェイのあるフィヨルドを北上する。スキャグウェイの数マイル北にあるフィヨルドの最奥地ダイアで上陸し、陸路チルクート峠を越え、ユーコン川の水源のひとつ、ベネット湖に下る。さらに船を仕立ててユーコン川をドーソン・シティーまで下るルートだ。
後にスキャグウェイからホワイトパスを抜けるサブルートもできた。人々はチルクート峠の急登を20~40回も往復して、各自の物資を運んだ。カナダ政府は金鉱探し達に各自の食糧を持参する規則を定めていたからである。峠を越すのに平均3カ月を要する大変な難行であった。
このゴールド・ラッシュの間に、スキャグウェイから内陸のホワイトホースまでの鉄道の敷設工事が進められたが、開通したのはブームが去ろうとしている1900年の夏だった。現在は絶景を行く人気の観光鉄道となっている。
ふたつの見もの
皆さんに、ぜひ見ることを勧めたいものがふたつある。ひとつはクロンダイク・ゴールド・ラッシュを象徴するもので、何百人もの金鉱探しの男達が、アリの列のように雪のチルクート峠を登っていく写真である。これはアラスカ州のナンバー・プレートのデザインのひとつになっている構図だが、シアトルのミュージアムには、壁全面に引き伸ばしたものが掲げてある。これほど大きくこの写真を目にする機会は、この館内のほかにはおそらくない。この写真をじっと見ると、百余年前のゴールド・ラッシュ時代の空気がじわり伝わってくる。
もうひとつは、スキャグウェイから北に向かう際の渓谷美である。ホワイトパス・ユーコン鉄道の車窓から、その絶景を楽しむこともできるし、平行して走るクロンダイク・ハイウェイも、氷河地形と点在する針葉樹のコントラストが織り成す、広大無辺な岩のルートを縫って走っている。壮絶とも言える、アラスカならではの大きな景色だ。
金鉱探し達の思い
19世紀後半、アメリカでは東部と西部から大陸横断鉄道の建設が盛んに進められていた。しかし動力も機械もない時代、工事はシャベルやツルハシ、一輪車といった道具だけで行われる重労働だったため、労働者はどんどん辞めていった。この開拓時代のアメリカの男達を引き付けたのは、むしろ西部の各地で次々と掘り当てられていた金銀の鉱脈の話だった。彼らは鉄道会社のシャベルやツルハシを担いで金鉱探しに出奔したといわれている。※2
1893年からは、恐慌に近い世界的な不景気で、北米各地は失業者があふれていた。そんな中クロンダイク・ゴールド・ラッシュは、19世紀最後に北の大地に打ち上がった大玉の花火のようなものだった。わずか2年のうちに、述べ10万人もの人々がクロンダイク川を目指した。シャベルとツルハシとパン(=大皿)を手に、現地にたどり着けたのは、半数足らず。“アメリカン・ドリーム”と言うと、少しは聞こえが良いが、つまりは“一攫千金”。なんとゴールド・ラッシュの精神をストレートに表わす言葉だろうか。現代のマネー・ゲームなどを見ていると、良きにつけ悪しきにつけ、1世紀あまりを経た現代にも、その片鱗はまだあるように思える。
幾万もの男達を駆り立てたゴールド、すなわち金(かね)ではあるが、しかし彼らをただ「金の亡者達」とひと括りにしてしまうのは、いささか素っ気ない気がする。当時の彼らはどんな思いで極寒の北の果てまで来たのだろう? 元アラスカ大学国際北極圏研究センター所長にして、オーロラ研究の第一人者、赤祖父俊一博士※3は、人文方面にもとても見識の深い科学者である。数年前にフェアバンクスで同氏の話を聞き、隊長は尊敬の念を深めた。その著書『オーロラ その謎と魅力』(岩波新書)に金鉱探し達の心理の一端を紹介した、ロバート・サービス※4の有名な詩、『ダン・マグルーの射殺』の引用がある。当時の金鉱探し達の生活がすさまじく表現されたこの詩はあまりに素晴しく、これ以上の表現はできそうにない。申し訳ないが以下の長い孫引きを許されたい。
『ダン・マグルーの射殺』 (赤祖父茂徳訳)「(中略)君はあの広漠たる孤独の大地、ユーコンに出掛けたことがあるのか。(中略)黄金という名前のがらくたが欲しくてのぼせ上がり、荒涼たる詩の世界で半死の体、はるか頭上に、緑、黄、またはくれないにオーロラがしま模様を描いて流れてゆく。こんな経験が君にあったら、この男がひくピアノ曲の意味がわかるはずだ。……飢え、夜、星だ。飢えといっても腹にくるやつじゃない。ベーコンと豆があれば追っ払えるのとわけがちがう。それは孤独の男心を絶えず苛む家庭。家庭という言葉があらわす一切のものへの飢えなのだ。現在の苦労は、別世界の炉端と四方の壁と、屋根のついたわが家への熱い想いなのだ。あーあー、ほかほかする心地よさがぎっしり詰まって、その上にひとりの女性の愛という最高のものをいただく家への熱い想いだーー。この世のすべてより、もっと大事で、神様のように信じられる妻というひとりの女性ーー(以下略)」
赤祖父俊一著『オーロラ その謎と魅力』(岩波新書)より
※1 カナダ西岸と東南アラスカの沿岸の島嶼部を抜ける水路。
※2 一攫千金男達の抜けた建設現場へ、補充として入ってきたのが大量の中国人労働者達である。彼らは実によく働いた。アメリカ大陸横断鉄道の開通は、中国人労働者の存在抜きに語ることはできない。
※3 地球物理学者、長野県生まれ。
※4 イギリスの詩人、歴史家。
▲現在のクロンダイク・ゴールドラッシュ国立歴史公園の建物。20 世紀初頭の「キャディラック・ホテル」のビルでサインは当時のまま
▲ユーコン川とその支流クロンダイク川の合流地点にできたゴールドラッシュの町、ドーソン・シティー。1世紀前の町並みの面影がそのまま残っている
▲アラスカの大地を流れる全長3,700キロのユーコン川。この川のあちこちで金が発見された
▲正午でも真横から差す冬のアラスカの太陽。当然、金鉱探しも朝夕は暗闇の中でランプをたよりの作業となる
▲川の水位が減る厳冬期に金鉱探しは積極的に行われた。凍てつく寒さ、人々が凍傷で落とした手足の指は数知れない
▲北に延びるインサイド・パッセージのフィヨルドのドン詰まりにあるスキャグウェイ。町の背後に険しい山並みが迫る。写真提供:Puget Sound
Coach Line/ 安田一矢氏
■クロンダイク・ゴールドラッシュ国立歴史公園(シアトル・ユニット)
クロンダイク・ゴールドラッシュとアラスカのことのみならず、シアトルの歴史の一端を知ることができる資料館。
Klondike Gold Rush National Historical ParkWashington
www.nps.gov/klse
■クロンダイク・ゴールドラッシュ国立歴史公園(アラスカ)
街並みそのものが往時を彷彿させる。ビジター・センターはホワイトパス・ユーコン鉄道の駅に併設されているので観光にも便利。
Klondike Gold Rush National Historical ParkAlaska
www.nps.gov/klgo
(2010年3月)
Reiichiro Kosugi 1954年、富山県生まれ。学生時代から世界中の山に登り、1977年には日本山岳協会K2登山隊に参加。商社勤務を経て1988年よりオレゴン州在住。アメリカ北西部の自然を紹介する「エコ・キャラバン」を主宰。北米の国立公園や自然公園を中心とするエコ・ツアーや、トレイル・ウォーク、キャンプを基本とするネイチャー・ツアーを提唱している。 |
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