2010年08月号掲載 | 文・写真/小杉礼一郎
荷車(にぐるま)を上から見た象形文字が「車」
古来、それは木で作られてきた。現代ではどうだろうか?
もっとも身近な乗り物から木と人間とのかかわりを垣間見る
荷車と馬車の歴史
ていけない。それは車社会の本家アメリカだけではない。昨今、脱車社会を目指しているヨーロッパでも日本でも、表舞台の日常生活を支える裏方の産業活動は、車なくしてはとても立ち行かない。それは、人間にとって大昔から全く同じである。
狩りをして獲物を仕留める。漁をして岸に戻る。穀物や野菜を採り入れる。その時点から人間は収穫物を運ぶ手だてを必要とした。「車」の前史として橇(そり)が、そののち木の車輪を着けた荷車が使われるようになった。北方の寒冷地やアメリカ大陸ではずっと後までもそりが使われた(あるいはまだ使われている)。
当初人間が押し、あるいは引いていた荷車は、やがて牛や馬に引かせるようになる。その後数千年、世界各地、各文明の「車」とは馬(牛)車であった。そして、洋の東西を問わず、車を造る主な材料は木。使われる木はいわゆる硬木=ハード・ウッド、つまり広葉樹の独壇場だった。
車輪の中心部にはエルム(ニレ)、スポークにはオーク(ナラ)、車輪の外枠にはアッシュ(トネリコ)が使われた。組み上がった木の車輪に、熱して膨張させた鉄の輪をはめ、冷めるときつくかしめられる。シャーシー(車体組)には、ねじれに強いアッシュやヒッコリーが用いられた。ドアや側板には、曲げ加工しやすいブナや、美しいマホガニーが使われた。
中世以降、鉄の利用によって、実用としての馬車の堅牢さは向上する。他方、上流階級のステイタス・シンボルとして、馬車の優雅さが求められ装飾性が高まった。現代人の「車格」や「高級車」へのこだわりと同じである。使用される木材も板から合板が用いられるようになった。
こうした馬車作りの技術の蓄積が、やがて19世紀末からの馬なし馬車、つまり自動車の生産に貢献することになる。自動車の登場とはつまり、馬車から馬が退場したことである。馬の置き土産ではないが、現代の車=自動車にかかわる言葉には、19世紀までの馬車に用いられた言葉がたくさんある。※1
20世紀
数千年の馬車の歴史に比べ、自動車の歴史はたかだか100年余りに過ぎない。しかしその100年で、木と車の関係は急激に変わった。馬なし馬車の当初は馬車造りの延長で、車のシャーシーもボディーも木で造られた。しかし乗用車の場合は、すぐにスチールに主役の座を奪われる。それにはガソリン・エンジンの開発と、スチール板のプレス加工の普及が大きく影響している。
20世紀初頭には、自動車の大部分のシャーシーは鉄(スチール)製になった。現代の車は鉄、アルミ、プラスチック、ゴム、ビニール、ガラスでできている。木材は車造りの材料の主役から脇役を飛び越し、一気に端役のレベルまでに落ちたのである。しかし商用車(=トラック)の分野では、木材には根強い需要があった。シャーシー、荷台に関しては現代でも一部に木材が使用されている。ねじれに対する粘り、緩衝性、軽さ、疲労強度、適当な摩擦など、鉄やアルミに勝る特性を一身に備えているからである。※2
ヘンリー・フォードによる、プレス鋼を用いたT型自動車の大量生産は、20世紀前半のモータリゼーションを引き起こす。そのうねりは、自動車の材料としての木との関係ばかりか、至る所で木と自動車の新しい関係を表し始める。
山からの木材の搬出は、それまでの森林鉄道からトラックに代わり、各地に作られた橋、トンネルには木が大量に用いられた。山奥深くにも道は通り、レッド・ウッドの巨木林では、なんと巨木そのものにトンネルを空けてしまった。現代から見ると、人間の恥ずかしいおごりと言うほかはあるまい。
アメリカで自動車が大衆化する一方、特にヨーロッパでは、ぜいたく品としての自動車の内外装に木材が使われた。快適さ、優雅さ、職人芸で美しく仕上げられた自動車は、ステイタス・シンボルとなった。ロールス・ロイスのダッシュボードは、20世紀初頭からずっとウォールナット仕立てである。ここにも数世紀にわたる馬車の伝統が引き継がれている。
日本人として
車造りの材料としては、主役の座から追われた木だが、乗用車でも実はしぶとく生き続けている。目につかない部材だが、車体内部の基材として使われているのが、木の繊維で作ったファイバー・ボードだ。これは吸湿性、吸振性、消音効果、コスト、形成のしやすさ、軽さなど、木材繊維を上回るほかの素材がないからである。
そしてもちろん、高級車には多用されている内装用材としての木材は、根強い人気がある。いちいち例を挙げるまでもないだろう。木材を長期に安定化させる加工技術もすでに確立されている。その一方でイミテーションも増え、特に高級木材のプリント合板は、本物の木そっくりで見分けがつかないくらいに製造技術が進歩した。「見分けもつかなければそれでいいじゃないか。安いほうが良い」という向きもあることは重々承知している。だが、ひとつだけ隊長の体験を述べたい。それは数年前の厳冬期に中西部北部ミシガン、ミネソタ州辺りをレンタカーで回った時のことだ。
連日、雪道のハイウェイと田舎道を長時間、何百マイル運転するハードな旅だった。たまたまその時の車(名前は忘れたがアメリカのSUV)のステアリング・ホイール(=ハンドル)が、レンタカーに相応しからぬオール天然木(ウォールナットだと思う)製だった。「木のハンドルは格好良いが、しょせんは装飾品」と、隊長は最初は思っていた。が間違いだった。数日の厳しい旅程をこなしているうちに、手の疲れ方がまるで少ないことが明らかになってきた。何と表現したらいいか……ハンドルに軽く手を添えるだけでハンドルが吸い付いてくる、というか握り返してくれる。どんな状況でもグリップ感に安心がある。朝の寒さでも冷たくない。どんなに長い時間ハンドルを持っていても、それがいやになることはない。旅を終えて車を返す時、そのハンドルだけ買い求めたいほどだった。本物の木のパフォーマンスには、すっかり驚いてしまった。それ以来、ロング・ドライブの度にそのことを思い出す。
イミテーション木の質は年々向上して、人間の視覚はほぼ完璧にだませる(?)レベルに至った。が質感や触覚は、まだまだだと思う。21世紀になっても自然素材を凌駕する物を作り出すことは容易ではないようだ。大体そこまでの必要があるのか?と隊長は思う。シフトノブや内装に比べ、ハンドルは運転している間中触れているわけだから、天然木を使う意味はあるし、シートも本革である価値は多いにある。
未来
21世紀ももう、10年が過ぎてしまった。技術革新で世の中は想像もつかない変わり方をするかと思いきや、人間の頭は情報化されても、体は5,000年前からそうは変わっていない。肌着やシーツはいまだにコットンが用いられている。ステイタス云々は横へ置いておいても、スチール、プラスチック、ビニールの車より、天然木、本皮革の内装の車が心地良いと感じる。人間は、自然の素材を離れては、やはり居心地が悪いようだ。
旅客機のファースト・クラスに木の肘掛けが採用されるらしい。宇宙ステーションの内装にも木を使ったら、宇宙に滞在するアストロノーツ達は心和むだろう。そんなことがあっても良いと思う。
いつか私達がほんとうに豊かになった時、その時代の車はどうなっているだろう? 電気自動車(EV)が主体になり、いろんなパーツがユニット化されて、もっと人間の道具に近い物になっているかもしれない。「私の車のダッシュボードはいつもメープルよ」とか「これはひいおじいちゃんの代からのヒッコリーのハンドルでして……」「漆のトリムはしっとりしていて良いね」などの車の楽しみ方をする時代が来るかもしれない。
※1 馬車から流用?された言葉の例
スタイル:バギー、クーペ、カブリオレ、セダン、リムジン、バン、ワゴン、ステーション・ワゴン、コーチ。
部位:フェンダー、サスペンション、シャーシー・トランク(トランクはつまりスーツケースのことで、初期の自動車では馬車の時と同じように、トランクそのものをストラップで車体の後ろに留めていた。だからもともとは車の部位ではない)、ダッシュボード(馬車で、馬がダッシュした時に蹴り上げる石や泥や糞などが当たらないように御者の前に置かれた板)、ショットガン(俗語。馬車の御者台の横にショットガンを置いたことから転じて助手席のこと。今でも警察車には運転席の右横に銃架がある)。
※2 トラックの床材、根太材に使われる南洋材のアピトンという木は、耐久性と強度があり、荷扱いと運搬時に最適な絶妙の摩擦がある。重さ、コストの面からもアピトンを上回る素材はいまだ開発されていない。
▲ルメイ自動車博物館。木のスポークが装飾ではなく、実用だった最後の時代の車。じっと見ていると、頭の中で映画のストーリーか何かが始まりそう
▲ルメイ自動車博物館は、ざっと見て回るだけで、ゆうに2時間は掛かる
▲年式車種不詳。ホワイトオーク材を使った内装
▲木のステアリングホイール(ハンドル)とトリミング。年式、車名不詳。30年代の車だろうか?
▲ダッシュボードの一部に木のパネルを使っている。運転していて目の前にこんな木目があると「まあ、ゆったり行こうかな」という気分になりそうだ
▲1948年製のクライスラー タウン&カントリー。キャンバス張りのコンバーチブル。使用されている木材はホワイト・オークで、フィンガージョイント(サネ接ぎ)集成材
▲1909年製インターナショナル。20世紀初頭は自動車というより馬なし馬車の観がある。ようやくフェンダー(泥よけ)がいる速さで走るようになった
▲コンテナに積み込まれるオーク材。中西部から日本に輸出されるところ。この丸太は突き板(内装用化粧合板)やフローリング材に加工される
■ルメイ自動車博物館
タコマ郊外にある自動車博物館。所蔵する自動車台数は、20世紀に作られたアメリカ車を主体に3,000台余りで、コレクションの規模では世界一としてギネスブックに載った。現在、そのうちの300台余りを一般に公開している。現在タコマ市内に新しい大きな博物館を建設するプロジェクトを進めている。今回掲載した車の写真等は同博物館の展示品。
LeMay America’s Car Museum
www.lemaymuseum.org
■キャンプ6ロギング博物館
タコマの北にある市民公園、ポイント・デフィナンス・パークにある博物館。19世紀後半から20世紀前半にかけてこの地で行われた木材伐出の様子を、森林鉄道の機材を中心に展示。鉄道は現在も見学、観光用に運行されている。
Camp 6 Logging Museum
www.angelady.com
■コリアー・メモリアル州立公園ロギング博物館
南オレゴン、クラマスフォールの北にある州立公園内にある野外博物館。牛と斧から始まった19世紀から20世紀までの、南オレゴンでの木材伐出の様子を窺い知ることができる。100余りの当時の伐採機械などが、150エーカーの野外博物館に展示してある。
Collier Memorial State Park logging Museum
www.oregonstateparks.org/park_228.php
(2010年09月)
Reiichiro Kosugi 1954年、富山県生まれ。学生時代から世界中の山に登り、1977年には日本山岳協会K2登山隊に参加。商社勤務を経て1988年よりオレゴン州在住。アメリカ北西部の自然を紹介する「エコ・キャラバン」を主宰。北米の国立公園や自然公園を中心とするエコ・ツアーや、トレイル・ウォーク、キャンプを基本とするネイチャー・ツアーを提唱している。 |
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