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エドガー・マルティネス選手とシアトル・マリナーズ

※このページは、シアトル・マリナーズに在籍したエドガー・マルチネス選手の活躍ついて、在籍当時に作成・掲載された記事を基に再構成したものです。
 

■2003年9月号

突撃インタビュー、エドガー・マルチネス選手!

取材・文、村井みどり

このレポートもいよいよ今回が最後となってしまいました。マリナーズ突撃インタビューの最後を締めくくるのにふさわしいレギュラー選手は? と考えた時(実現の可能性も含めて)、真っ先に思い浮かんだのが指名打者エドガー・マルチネス選手。マリナーズ歴17年、マイナーリーグも入れたら20年の大ベテラン。ファンに一番人気があり、現役選手で最高の右打ち打者と言えば、必ず彼の名前が挙がるほどのバッティング・マシーン。今年を最後に引退と言われているので、このチャンスを逃したらもうマルチネス選手にインタビューできない! と思い、広報にインタビューを打診してみると、短かければOKとのこと。ということで、気合いを入れて8月16日のボストン・レッドソックス戦に出陣しました。

ちなみに、マルチネス選手はニューヨーク生まれのプエルトリコ育ち。1982年にマリナーズと契約し、12年のフル・シーズン中、打率3割以上を打ったのは10回。安打、打点、二塁打、四球、出場試合数などでマリナーズ史上1位の記録を保持しているマリナーズ男。指名打者としては、メジャーNo.1の通算打率を誇り、引退後は殿堂入りの可能性も。イチローのようにファンからは『エドガー(短縮版は“ガー”)』とファーストネームで親しまれているが、実際に会ってみると…。本当に人の良さがにじみ出ていました! それではマルチネス選手のインタビューをお届けします。

―“The Best Right-Handed Batter ”と言われていますが、今までにスイッチ・ヒッティング(両打ち)に転向しようと思ったことはありますか?
マルチネス選手:子供の頃、6、7試合ぐらいだったかな、試したことがあるよ。悪くはなかったけど、スウィングが弱かった。バットに球を当てることはできたけど、力を込めて打つことができなかったから、それ以来、右打ちにしぼったんだ。

―常に高い打率を保てる打者になるためには、何が一番大切ですか?
マルチネス選手:ボールを全ての方角に打てるようになることだね。打席でアジャスト(適応)して、右にも左にも打てるようになれば、コンスタントに打つことができるようになるよ。

―打席では四球を多く選ぶなど、忍耐強い打者としても知られていますが、忍耐力は努力すれば身につくものですか?
マルチネス選手:“ツー・ストライクからも打てる”という自信を持つことが一番大切だね。ストライク・ゾーン(どこに球が来ればストライクか)については多少、学ぶことができるけど、何と言っても自信を持つのが一番の秘訣だよ。

―ずいぶんと長い間、野球をしていますが、どうやってやる気を維持していますか? 野球をすることに飽きたことはありますか?
マルチネス選手:やる気を維持することに問題があったことは今までないな。野球というゲーム、競争、そしてプレーすることが楽しいから、僕にとってやる気を維持するのは簡単なこと。肉体的に疲れたな、と思うことはあるけど、野球をすることに飽きたことはないね。

―プエルトリコで育ったということですが、母国語はスペイン語ですよね? 当初は英語を話すのに苦労しましたか? また、アメリカでの生活に不自由しなくなるまで、どのくらいかかりましたか?
マルチネス選手:英語にはだいぶ苦労したよ(笑)。不自由を感じなくなるまで3、4年くらいかかったかな。まず言葉に慣れて、それから文化に適応して……いろいろ大変だったよ。

―アメリカでの生活に順応するにあたって、一番苦労したことは何ですか?
マルチネス選手:言葉も文化も苦労したけど、どちらかと言うと言葉だね。

―英語はどうやって勉強しましたか?
マルチネス選手:特にクラスを受けたりということはなかったから、チームメイトと生活している間に覚えたよ。あとは本を読んだりね。

―今でもスペイン語を使いますか?
マルチネス選手:妻はバイリンガルだから、子供に聞かれたくない話はスペイン語でするよ(笑)。でも家ではほとんどが英語だね。妻はアメリカ人だから(編集部注※ちなみに夫人はワシント州ベルビュー出身です)。

―食生活には気を遣っていますか? それとも何でも食べるタイプですか?
マルチネス選手:何を食べるかには気を遣っているね。1日の食事を5、6回に分けて食べる療法を取り入れているし。脂肪や炭水化物の少ない食べ物や、砂糖なしのものをなるべく選ぶようにしているよ。

―子供の頃嫌いだった食べ物は?
マルチネス選手:豆類が嫌いだったな。あと野菜も(笑)。でも今は何でも食べるよ。

―最後に、マリナーズの日本人選手を見て、変わってるな、と思うことはありますか?
マルチネス選手:う~ん、そうだね。イチ(イチローのニックネーム)はよく棒を使って足をマッサージしてるね(笑)。僕らはそういうことをやらないから、不思議に思うよ。

マルチネス選手、お忙しい中お時間をとっていただいて、ありがとうございました。また、インターナショナル・メディア広報担当のメーガンさんにも、いろいろお世話になりました。

当初このレポートを担当するようになって、どうなることやらと思ったけど、どうにか選手のインタビューができるようになりました。裸の男達が行き交うクラブハウスでポーカー・フェイスをキープするのにも慣れてきたし(まだ完璧じゃないけど)、ここ数ヵ月で2年分ぐらいの冷や汗をかいたような気がします。惜しみなくアドバイスをくださったベテラン記者の方々、ありがとうございました。見慣れないヤツがうろついてるなー、と思ったかもしれませんが、また来年も懲りずに挑戦したいと思っているので、よろしくお願いします。

来シーズンはもっといろいろな選手に話を聞いて、もっともっと読み応えのある記事を目指します! それでもって来シーズンこそは、ブーン選手とイチロー選手のインタビューを狙うぞ! では、また来シーズンお会いしましょう。また、「あの選手にコレが聞きたい」など質問がありましたら、ご意見をお寄せください。

むらい・みどり

シアトル在住7年。アメリカ人のご主人&息子達の影響で、ホームゲーム中は毎日のように球場に通う熱狂的マリナーズ・ファンだが、本業はサイエンティストという異色の新人記者。

 

背番号11の決断

  
 予期されていたこととはいえ、やはりショックだったエドガー・マルチネスの決断。
’90年代のマリナーズを支えたフランチャイズ・プレイヤーが、ついにユニホームを脱ぐ。
ホームでの試合はあと16試合。背番号「11」の背中を、しっかりと目に焼き付けておきたい……。
(取材・文/丹羽政善)
※本文中のデータは、2004年8月18日現在のものです
 
  
 
▲このユニホーム姿も見納め

エドガー・マルチネス、ついに引退を表明

第一報はシアトル・マリナーズのPR、ミーガン・バレットから。ヤンキー・スタジアムでヤンキース戦を取材中に、携帯電話が鳴った。

「今日(8月9日)、午後2時半からエドガー・マルチネスがプレス・カンファレスを開きます。来られますか?」

その時、ニューヨークの時間が午後2時半。物理的に出席は不可能で、もちろん「間に合わない」と答えたものの「シアトル・マリナーズ」ではなく「エドガー・マルチネスが会見を開く」という時点で内容は察せられた。

「引退か?」の問いには「始まるまで答えられない」との返事だったが、それ以外にこの時期の会見などあり得ず、「今日で引退をする」という例外的な発表の可能性がないわけでもない。気にはなったが、シアトル在住ESPN.COMのジム・ケイプル氏に連絡を取ると、未確認ながら「今季終了後に引退するということを発表するつもりのようだ」という情報を得た。

おそらくこのままプレーを続ければ、今後もメディアからは去就に関する質問が相次ぐ。この会見には、そうした状況を抑える狙いもあったようだ。

戦友、ジョン・オルルドも絶句

シアトルと連絡を取り合っているうちに、ヤンキースの試合が終わった。試合後、その約10日前にヤンキースと契約した元マリナーズのジョン・オルルドのところへ向かい、「エドガーについて何か聞いているか?」と問えば、目を丸くして「何も……」と言っただけだった。しかし、間もなくエドガーが会見を開く予定だと伝えれば、それだけでやはり事を察したようで「寂しいね」と言った。

「人間としてあんなにいい選手はいない。彼の決断には何も言えないけど、またシアトルから素晴らしい選手がいなくなってしまうんだね」

それに対して「あなたも」という言葉が喉元まで出掛かったが、それは飲み込んだ。新しいスタートをニューヨークで切った選手にそれを言うのは、酷にも思えたからだ。だがエドガーに限らず、オルルド、リッチ・オリリア、デーブ・ハンセン……。事情はさまざまなれど、チームを去る、あるいは去った選手の中には人間的に素晴らしい人が多く、やりきれなさが残る。

ミラクル・マリナーズ、最後の世代

エドガーは、マリナーズの象徴的な選手だった。思い出すのは、やはり’95年にヤンキースとの間で行われたプレーオフでのサヨナラ・ヒットだが、考えればあの年の“ミラクル・チーム”の中で、マリナーズでいまだプレーしているのは、エドガーとダン・ウィルソンぐらいだ。エドガーが去り、ウィルソンも今季終了後にフリー・エージェント。マリナーズは、ミゲル・オリーボ捕手をすでにフレディ・ガルシア投手とのトレードで獲得しているので、ウィルソンとの再契約は微妙。仮にサインをしても、オリーボのバックアップとしてだろう。

あれから9年。「新しい時代」と言えばそれまでだが、今のマリナーズ人気はあの’95年を起源とするだけに、ファンも世代交代の必要性を感じているものの、今のマリナーズ・フロントほどドラスティックにはなれない。

▲昨年のシーズンオフに1年の現役続行宣言をした際のマルチネス選手。この時「(2004年が現役)最後のチャンスだと思っている」と語っていた

メディアにも愛されたエドガー

エドガーは、いつもメディアに紳士的だった。初めての記者にもきちんと答える。ランディ・ジョンソンやケン・グリフィーJr.がチームを去ってからは、チームの声としての役割もわきまえ、大きな話題があると、建前ではなく自分なりの意見をきちんと言った。一昨年のストライキ騒動の時も、「選手会の決定に従う」としながらも「個人的にはストなど行いたくない。早く交渉が成立して、ファンの前でプレーを続けたい」と神妙に語ったものだ。

彼と最後に1対1で話をしたのは、4月中旬のこと。イチローが日米通算2,000本安打に迫ったころ、「彼なら3,000本、4,000本を狙えるだろう」と話してくれた。自身は8月18日現在、ヒット数2,213本。引退後の殿堂入りを確実とするなら3,000本安打達成まで現役を続けたいところだったが「それは無理。その前に引退せざるを得ないだろう」と目元を緩めた。

確かに、3,000本まではあと787本のヒットが必要。イチローが打っても4年は掛かる。

「もし、あと1年で3,000本に届くなら? もちろん意地でも現役を続けるよ」

その時の茶目っ気たっぷりな笑顔は、今でも忘れられない。

フィナーレは10月3日。

背番号11が最後の打席に立つ……

「生涯一マリナーズ」を通したエドガーは、ジェイ・ビューナーのようにマリナーズの組織の一員として、これからもチームに関わることになるのだろうか? そうした引退後のシナリオは白紙だが、彼の経験とバッティング技術を必要とする若手は多い。今ベンチにいる若手の中でも、バッキー・ジェイコブソン、ジャスティン・レオーネ、ホセ・ロペスらなどは、特にエドガーの力を必要としているかもしれない。ポール・モリター打撃コーチよりも、エドガーとならもう少し近い距離で話ができる。

いずれにしても10月3日に行われるシーズン最終戦には、是が非でも駆け付けたい。エドガー最後の雄姿。多くのファンにとっては、涙なくして見られないものとなるだろう。

 

■2004年10月号

「また会う日まで」~エドガー・マルチネス引退~

取材・文、阿部太郎

2004年10月3日のセイフコ・フィールド。エドガー・マルチネスの最後の勇姿を見ようと、消化試合としては異例の大観衆がスタンドを埋めた。エドガーが打席に立つたびに割れんばかりのエドガー・コールが起こる。「エードガー、エードガー、エードガー」鳴り止まないエドガー・コールに、ミスター・マリナーズはヘルメットを取って大観衆に答えた。そうでもしなければ試合が進まなかった。マリナーズのファンにとってはエドガーへの感謝、そしてエドガーへの愛を示すのに、打席の間だけでは収まらなかったのである。それはそうであろう。1976年創設と歴史の浅いマリナーズにあって、エドガーはマリナーズの歴史そのものだった。1982年にマリナーズの下部組織に入団以来、弱小マリナーズの屋台骨を支え、常勝マリナーズへと変貌させた最大の功労者なのである。その間、ランディ・ジョンソンが去り、ケン・グリフィJr.が去り、アレックス・ロドリゲスが去っていった。それでも、エドガー・マルチネスはシアトルに残った。「シアトルで野球人生をまっとうできて本当に幸せだ」引退会見での彼の言葉には、シアトルに愛され続けた男の安堵感が漂っていた。

マリナーズ一筋18年。言葉では簡単に言えても、これを達成するのは至難の業だ。特に大リーグでは移籍が頻繁に行われ、FA取得年数も短い。成績が出ない年が何年か続くとすぐに首になる。こうした状況下で、18年間マリナーズの主力として結果を残してきたエドガーは、大リーグの中でも稀有な存在である。「私がこうした結果を残したのはみんなのおかげだ」エドガーはこう言って謙遜するが、ファンの後押しがあっても、裏方のサポートがあっても、活躍できない選手はゴマンといる。

生涯打率312、本塁打309本、2247安打、514二塁打。エドガー・マルチネス選手はこのキャリアをいかに築きあげたのか。彼の卓越した技術や、たゆまぬ努力はもちろんのことだが、彼が一流選手であり続けた真の理由はその強靭な精神力であろう。どんなスポーツでもそうだが、特に野球は精神力が重要な要素を含むスポーツである。年間162試合を戦うには、タフな精神力がないとやっていけない。まして18年、マイナーリーグも含めれば22年もプレイしたエドガー選手は、よほどタフな精神力の持ち主である。以前、エドガーはこう語ったことがある。「常に強いモチベーションで試合に臨む。1度たりとも野球をやりたくないと思ったことはない」この精神力が彼の輝かしいキャリアの一旦を担ったことは間違いない。そんなエドガーも今年は凋落が激しかった。以前は見逃すことができた変化球に手を出す。スイング・スピードも鈍った。「心は野球を続けたがっていても、体が言うことをきかない」と言ったように、精神的な強さも肉体の衰えにはかなわなかった。

それでも今シーズン、その強い精神力を垣間見た瞬間があった。忘れもしない8月10日、引退会見の翌日のことである。引退発表後、初の試合ということもあって、平日にも関わらず多くのファンがセイフコ・フィールドに駆けつけた。スタンドには、エドガーのプラカードが数多く踊った。その初打席。大観衆がスタンディング・オーベーションで迎える中、エドガーはファンの誰もが期待することをやってのけた。レフト・スタンドへきれいな放物線を描いて飛び込んだホームラン。このホームランを目の当たりにしたイチローも「格好良すぎますよね。さすがだと思います」と舌を巻いた。思えばこれが、彼なりの引退の挨拶だったのかもしれない。「シアトルのファンは、野球ファンの中でも1番だ」引退セレモニーのスピーチで語った彼の言葉に嘘はない。それでも、エドガーはグラウンドで、野球で、体現するのがよく似合う。引退を発表したエドガーに対するイチローのコメントがエドガーのすべてを表している気がする。「何かを示すための手段は行動。そういうスタイルが好きで、尊敬していた」

引退後、何をするのかという問いに「しばらくは家族とゆっくりしたい」と語ったエドガー。18年間、マリナーズの期待を一心に背負ってきた男には、しばしの休息が必要であろう。しかし、エドガーは引退会見でこうも言っていた。「引退の決断は難しかったけど、人生の新しいステップを迎えることに興奮もしている」エドガーが興奮できる場所—-エドガーは引退のセレモニーでも会見でも「Good-bye」は言わなかった。「また会う日まで」最終戦を終えた彼の表情には、そんな意思が込められていた気がした。ファンは背番号11がもう一度セイフコの芝生に降り立つことを心から待ち望んでいる。その時はまた地鳴りのような歓声がセイフコを包み込むであろう。「エーードガーー、エーードガーー」

阿部太郎

スポーツ・ライターになりたい、大リーグを取材したいとの一心で渡米を決意。「スポーツは世界を救う」をモットーに、いつの日か自分の書いた文章が多くの人に勇気を与えることを夢みている。シアトル在住4ヵ月。本業はスポーツ・ライターと言いたいところだが、半人前の学生。上智大卒。