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パーティー料理

  
  
 最終話 パーティー料理 
  
 

合衆国では、相手によってタブーとされる料理が多くある。
最終話の今回は、なかまちジョージが“国際人”のパーティー・マナーの裏話を伝授。
それではお話のはじまり、はじまり。

誰のためのクリスマス?

今年もキリスト信者の年末大イベント、クリスマスがやってくる。どこの家でもクリスマス・ツリーに飾り付けをし、皆それぞれにプレゼントを買い揃え、ターキーやハムの丸焼きにプライム・リブなどのごちそうを用意する。近頃はその中に寿司も登場するようになり、大型のオーブン料理が主流だったクリスマス料理にも華が添えられるようになった。
そしてその昔、セント・ニコラス牧師によって始められたと言われるクリスマスの定番アイテム、プレゼント。もともとは「パーティーにも来られないような恵まれない家族、親のない子供達にほんのささやかな幸せを」という趣旨で、とても質素なものだったらしい。しかしなぜ今は、トナカイに引かれたソリに乗ったサンタクロースが、山ほどのプレゼントを抱えて世界中の空を駆け巡るようになったのか?
サンタクロースと言えば、まず頭に浮かぶのが、赤い服を着て白いあごひげをたくわえた、デブっちょの白人のじいさん。中世に描かれた、もの悲しい目をしてやせこけたニコラス牧師の肖像画とは似ても似つかないが、いったいこのじいさんは何者ぞ? 1950年代の始め、たぶん’54年だったと思うが、かの有名なコカ・コーラ社が年末のセールス・キャンペーンのために作り上げたキャラクターがこのじいさんだった。これが大当たりし、年が変わっても存在し続け、メディアの急成長と共にあっと言う間に世界中に広まった、というのが本当の話。
しかし世の中は広く、宗教は決してキリスト教だけではない。仏教を始め、ビンドゥー、イスラム、ユダヤ教など、さまざまな宗教があり、これらの人種がすべてクリスマス・ツリーを飾り、肉やハム、ターキーをほおばっているかと言えば答えは「ノー」である。人種のるつぼであるアメリカ合衆国において、クリスマス・パーティーを開くのは本当に難しい。そこで、ここから最終話の本題に入る。

食べず嫌いの宗教家達

社会的にも宗教的にも、今の日本ほど食に関して自由な国は世界的にもまれである。その自由な国で育ってきた日本人がアメリカで経験する、食生活における信じられない出来事。
「宗教上の理由で私、○○が食べられません」
「宗教上の理由で私、○○が飲めません」
どちらにしても「口に入れたくない」「入れてはいけない」と決められている人達や、一時期大発生し、いまだに根強く生き残っている『ベジタリアン』という“怪獣”を含めれば、この国には相当数の人々が何らかの理由で何かを口にしないということである。食べ物を残すと親父のビンタが飛んできた日本で育った我々とは、まったく違うカルチャーでこっちは翻弄させられるが、国際人として外国に住んでいる以上、皆さんも一度、広く浅くでいいから、この背景を勉強してみる価値はあるかも。
ヒンドゥーの神は牛であるから、インド人は牛を絶対口にしない。殺生を嫌う仏教徒もアジアでは牛肉を口にしない。これは理解できる。また、ユダヤ教の人々は彼らの神でもないのに豚を口にしない。このことは皆も知っていると思うが、なぜなんだろう? そこで調べたところ、話はなんと紀元前のエジプト神話を作り上げた農耕民族と、この民族に嫌われて追放された遊牧の民にまでさかのぼることになった。
まず、豚がほかの家畜と大きく違うところは、育てる目的が「肉を取るため」に限られていること。豚は牛や羊のように遊牧には適さないため、定住農耕民族特有の家畜だった。エジプト神話の中では、オシリスなど豊穣の神の聖獣とされ、成長がとても早く多産のため、食肉の生産にはうってつけであった。ところがユダヤ教やイスラム教のように、豚を汚い生き物として口にしない文化もある。これはただ単に豚が、当時、敵対していた農耕民の家畜とみなされ、その早熟な性欲と旺盛な食欲が合わせて嫌われたためだろう。その後のヨーロッパの中世都市で、道に捨てられた排泄物や生ゴミの残りを餌にして豚を飼っていたことも、豚が可哀想にも不潔な動物の代名詞とされてしまったことに通じるだろう。
余談になるが、豚さんの名誉のためにひとこと。これはあくまでヨーロッパの話であり、東南アジア、中国、オセアニア地方では、豚は価値ある家畜としてとても大切に育てられている。特にニューギニアでは今でも日常的に豚を食べることはない。豚は結婚や収穫のお祝い、争いの解決などの儀式に欠かせない家畜であり、大切な財産でもあるからだ。

ラスベガスを成したモルモン教徒

豚さんの名誉回復はできたが、ユダヤ教にはもっと口にしてはならない物があるという。日本人が聞いたらびっくりするほど、それほど日本人と関わりの深いもの ── 水産物 ── だ。
厳密に言うと“エラぶたを持って泳ぐ魚”以外は宗教上、食べてはならないと決められている。したがってエビ、カニ、貝、タコ、イカ、ナマコやウニまで口にしてはいけないらしい。神話の中でユダヤの神様がタコかイカの化身にダマされた、かどうかは知らないが、今、現代の世で、そこまでこだわる必要があるのかな? しかしまあ、この辺までは千歩譲ってするとしよう。
私や親友のそーちゃんみたいに、夜な夜な盛り場を練り歩く“カウンター・フライ”には理解しようにも理解しようがない人達が世の中にはいる。酒は飲まんはタバコも吸わん、コーヒーもだめならギャンブルなんてもってのほか。1997年のオーパス・ワンを抜こうが、コニャックのVSOPを開けようが、所詮彼らには水以下。飲んではいけない毒と同じ。ギャンブル好きのそーちゃんに言わせれば
「この人達、ラスベガスとはまったく縁がない人だろうね」
ところがどっこい、この人達によって今のラスベガスは作り上げられたといっても、過言ではない。
今から50年も前は皆知っての通り、ラスベガスは荒くれ者とマフィアの独壇場。セキュリティーを雇うにも、彼らは裏金、女、酒にまみれていたし、マフィアに脅されて逃げ出すこともあったりとセキュリティーの意味をなさなかった。この時、ハワード・ヒューズに依頼されたのがモルモン教の人達。実直な宗教家である彼らはどんな誘惑や暴力にも負けることなく、今の楽しいラスベガスを誕生させることに一役かった。ちなみに現在でも、ラスベガスのセキュリティー会社の大手はモルモン教の人達による経営だという。

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ともあれ、自宅でパーティーをする際、友人同士は別として、職場の上司など、仕事関係で複数の家族を招待しなければならない時には、情報網を駆使して相手を勉強する(それも浅くね!)のもホスト、ホステスの必要条件かも。
今年の冬、奥様はユダヤ教、旦那様はベジタリアンのモルモン教という人達が、皆様の新しいアメリカの友人となることを祈っています。



文・なかまちジョージ