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ホームレスまでカウントダウン

ホームレスまでカウントダウン

極貧生活に耐えながら、今日も軽く現実逃避。夢見がちな国際結婚カップルのちょっとおバカな日常を明るくつづる、突っ込みどころ満載のエッセイ!
 

第1回「日本からオーストラリア、そしてオレゴンへ」

 

「アメリカ人と結婚したい!」
ってのが私の夢だったらしい。年に1、2回会うだけの従姉にそう言われ、真っ赤になったのを覚えている。小さいころ、父が大枚はたいて連れて行ってくれたハワイに感動し、アメリカかぶれにはなったが……。こんな「夢」を誰彼構わずぶちまけていたとは、恥ずかしい限りである。結果から申し上げると、夢叶ったり。喜ぶべき人生であるはずだが、今はそんなおバカな夢を見たことを後悔している。
シドニー滞在を経て、ポートランドに住み始めたのは昨年9月の終わり。不景気の煽りをまともに受けた私ら夫婦は、1月現在、未だに仕事に就けずにいる。すぐに職が見つかったことを想定して、貯金の一部は家具に、残りは家の頭金に……なんて、今思えば夢のようなことをふたりで語り合っていたのが懐かしい。コアラの国を出た時は、 AUドルの$1がUSドルで90¢近くあったのに、今や60¢まで落ち込み、向こうの銀行に預けている貯金を換金するたびにぶっ倒れそうになる。
ダンナと知り合ったのは、地元の福岡。地方に住む外国人のほとんどがそうであるように、彼も「英会話のセンセイ」だった。その英会話学校は、アメリカ遊学を終えたばかりの私が、「中途半端な英語をだましだまし使えるところは」と探し当てた就職先でもあった。そこら辺にごろごろある、職場結婚である。バブルの甘い汁を吸い続けた彼は、気付けば10年間も「センセイ」をやっていた。しかし、時代と共に生徒の質は変わる。ほとんどが子供相手となったクラスで、りんごの絵を指し「ディス イズ アンナッポー」と、脳味噌が溶ける思いで繰り返す毎日。生徒のひとりがパンツを下げて、「ジスイズ チン○ン」と言いながら飛び回るのを押さえつけた瞬間、「オレは日本を出る」と決意を固めた。
日本に10年いたにもかかわらず、彼の日本語力は2歳児程度。職場では英語のみ。サーフィンや飲みに行く以外では全く機能しない日本語だった。そんな彼のお守りに疲れ果てていた私は、日本に未練はあったが日本脱出に賛成。「一生放浪していたい」という彼の言葉にぞっとしながらも、平静を装い、第2外国語習得なんて無理と思った私は「英語圏のみっ!」と主張した。そこで決まったのが、オーストラリア行きであった。
勉強好きのダンナは大学院へ、私は某クレジット会社に就職し、学生の彼を養う健気な妻へと変貌した。「MBAさえあれば、ホットな仕事に就けて永住権が取れるはず」と、ここでも夢を追い続けたおバカ夫婦。しかし、ダンナはオールAで卒業したものの就職できず、数年間バーテンのバイトで生活費を稼ぐありさま。このころになってようやく、「人生ってつらい」と気付き始める。ダンナも友人に拾われて就職でき、10年近く経ってやっと落ち着いたころ、私の職場が出してくれたビジネス・ビザが切れるという、泣いても笑ってもどうにもならない事態に直面。ビーチ天国のシドニーを後にしてやって来たのがダンナの故郷、ポートランドである。
毎朝4時に目が覚める。そこから、今日は仕事が見つかる→たぶん無理→今週中は→たぶん無理→今月中は→たぶん無理→換金しなくちゃ→貯金がなくなる→日本にも帰れない→家賃払えない→ホームレス、の堂々巡りが始まり、眠れなくなる。することもないので、昼過ぎまでベットでぐずぐず。トイレに立つ振りしてダンナをチェック。
「おい、このレストランおいしそう」と『オレゴニアン』の記事を見せるところを見ると、こっちも変化なさそう。「そんなことより仕事は、よう、よう、よう???」の言葉をぐっと飲み込み、ベッドへ舞い戻る(夫婦バトルの引き金になって、エネルギーを浪費することは避けたい)。そして、パソコン画面の前でひたすら夜が来るのを待つという日々を送っている。

 
Do and Do not

ロトを買う
$1で数十億円の夢が見られるという、とってもお安い精神安定剤。確実に減っていく貯金の数字に恐怖する中、心にふわっとアドレナリンを分泌させてくれる。「もし当たったら」と無限に夢は広がるが、なぜか、返済、老後、貯金、という渋~い現実に行き着いて妄想劇は終わる。

チラシを見る
ここで言うチラシとは、食料品以外を指す。「新生活は真っさらでスタートしたい」と、シドニーで9割方の服を処分。四季のあるオレゴンでの私の衣装は、タンスの引き出し2個分に納まる程度。「仕事に就いたら即購入」リストがどんどん膨れ上がり、ため息が出るチラシは目の毒。

 

第2回「アメリカで職探し」

 

クリスマスも、お正月も、オバマの就任式も結局、無職で過ごしてしまった貧乏夫婦。
登録している人材派遣会社は7件。日が替わっても、月が替わっても、年が替わっても、大統領が替わっても、ポートランド周辺の求人は、相変わらず呪いの数字「0」である。3カ月ぶりに「1」の数字を見た時は、うりゃぁ~!っと鼻息荒くウェブサイトのリンクをクリックするも、「IT Technician」の文字。事務職希望の私には、天と地ほどの分野違いで、がっくりと肩を落とす。
海外で「就活」する度に後悔する、自分のへらへら人生。なぜ、世間で言われる「手に職」論に耳を傾けなかったのか。TVドラマ「3年B組 金八先生」で、高校に行かず、美容師になった三原じゅん子に「それでいいのぉ~?」と思ったおバカな私。今では、電線を修理している人、マンホールに入っていく人、何かしら腰に道具ベルトを着けている人を、羨望の眼差しで見てしまう。
なぜ、結婚相手に「安定」を求めなかったのか? 大学卒業を機に「医者と結婚」を目指して見合いに精を出す友達に、「もっと遊べばぁ~」なんてチャラ発言をしたり、区役所勤めの彼を持つ友達に「ふ~ん」と無関心だった愚かな私。若気の至りだらけの人生である。
と、後悔ばかりしていても時間の無駄なので、某大手求人検索サイトにもアクセスしてみる。しかし、こっちも「手に職」が幅を利かせている。リストを見ては「無理、むり、ムリッ!」とつぶやき、やっと見つけた事務系でも、細っかい条件が突き付けられる。その条件のひとつでも欠けていれば、まず面接までこぎ着けられない。つまり、今まで経験した会社、仕事に酷似した職種にしか就けないということ。「次は、元彼と違うタイプと付き合いたい」ってのは、あり得ないってこと。容姿、性格もそっくりの男性としか、一生付き合えないってこと。
もう必死である。こうなれば、私の苦手とするセールスしかない。モールで見掛ける大手ディスカウント・デパートの文字。経験不問。オンラインで応募できる。個人データを入力し、進んでいくと、勤務態度のQ&Aにたどり着く。
「お客様の質問に答えられませんでした。どうしますか?」
①ほかのスタッフを呼ぶ ②ごまかす ③無視する
「病気以外で仕事を休んだことがありますか」
①ない ②たまに ③かなり頻繁
ひえ~。③を選んじゃうかもしれない人達と仕事するの?
こんな基本中の基本で振り落とさないといけない職場って……。途中で不安になりながら、結局は質問ばかりされて、ベネフィットも時給もわからないまま、面接の日程が自動的に提示される。ダンナいわく、たぶん最低賃金。1日8時間、週5日働いても、1カ月手取りで$1,000に届かない。これでいいのか、私の人生? 
落ち込んでいると、そこから電話が掛かってきた。もうフル・タイムのポジションは埋まったので、パート・タイムしかない。それも、週に10時間程度だという。何だか、好きでもない異性から振られた気分である。そんなこんなで、むなしい職探しの日々は過ぎていく。
そして、また朝が来たかと、むっくり起き上がってパソコンを立ち上げたダンナが叫んだ。
「マイ・ガッド! インタビューしてくれるって!!!」
うおおおー。声にならない歓喜の叫びで抱き合う無職夫婦。求職を始めて半年の彼。面接までこぎ着けたのは、今までたったの2回。しかし、それゆえに、ここまで来るということは、ゲット近しということではないだろうか!? あ~、これでホームレスは免れる。と、限りなく楽観的になるおバカ夫婦。
結果は次号にてご報告。Wish us luck!!

 
Do and Do not

新聞のクーポンに目を通す
朝起きて、最初に目にするのは、ダンナが背中を丸めてクーポンをちょきちょき切り離している図。ほとんど趣味。クーポン・ファイルは買い物に必ず持参する。実は、今いらないものまで「安いから買っとけ」感で購入するやり方に、私はちょっと不満。この電池、本当に必要なの?

夫婦喧嘩をしない
一触即発のこの状況ではとても難しいが、無駄なエネルギーを使うので避けるように努力する。実際、「喧嘩する→出て行く→ホテル代が掛かる」または「喧嘩する→出て行く→やけ酒代が掛かる」と、財布にも負担が。「甲斐性なしっ!」なんて、絶対に言わないでおくに限る。

 

第3回「就職決定!?」

 

レジュメを手裏剣のようにばらまくが、刺さるどころか、かすりもせずに、むなしく毎日が過ぎていく。貯金が底をつく前に日本に戻る話も出た矢先、そのEメールはやって来た。「マイ・ガッド! 面接してくれるって!!」とダンナの雄叫び。「なになに?ナンの会社??」と食い付く私に、まぁ落ち着けと、にやけるダンナ。
実は彼、全くの畑違いである「Renewable Energy(再生可能エネルギー)」に興味を持ち、レジュメを送ってはこっぴどく振られて来た。しかし、片思いに火がつき、せっせと図書館に通って勉強し、その手のイベントに顔を出して人脈作りに精を出した結果、できたコネを通して面接にこぎ着けたのである。これに成功しなければ、また日本で「エイカイワの先生」になり、子供相手に「ディスイズアンナッポー」を繰り返す毎日が待っているかと思うと、否が応でも気合が入る。 
総勢10人ほどの若い会社。面接と言っても、ひと回り年の若い、リサーチャー兼セールス兼マネジャーという“兼”だらけの男性と、カフェで顔合わせというカジュアルなものだ。それでも、何を着ていくべきか、恰好がつくようノート・パソコンを持って行くべきか、口は臭くないかなど、入念にチェック。「しゃべり過ぎるな」という私のアドバイスも効いたのか、彼との会合はクリアした。シアトルにある本社の面接に呼ばれ、研究所を見学し、ただ食い、ただ酒も堪能して意気揚揚と帰って来た。あ~、これで安泰。「ホームレス」になる可能性は限りなく「ゼロ」に近付いた。この日から、私の不眠症もピタっと治る。
さてと、残すは私の仕事探し。とはいえ、彼の就職が決まってから気がゆるみっ放しで、求人検索からもちょっと休憩。毎日のように目にする「Experienced(経験豊か)」とか、「Qualified(資格を持つ)」とか、「Enthusiastic(やる気のある)」とかの文字から逃れたい。「いかにして私は職を得たか」のコラム欄も読みたくない。「年収100万ドルからスター○ックス店員への転落」とか、Tシャツにレジュメをプリントして歩き回るとか、サンドイッチマンになってレジュメをばらまくとか、夫と別居して職を得たとか……もう、そこまでしないとダメなんだって暗くなるから。「求職者へのアドバイス」からも目をそむけたい。常にポジティブ・シンキング、パソコンの前に座っているだけじゃダメ、陽のあるうちは外に出て!……って言われてもさ~。外って? 寒いし、どんよりしているし、見渡す限り住宅街とハイウェイで、どこに行けっつーの? お金ないし!
というわけで、新しい仕事の準備に忙しそうにするダンナをほほえましく見守り、某メーカーの専用機器でインターネットを通して受信した日本のTV映像に癒される日々が続いた。ここに来てから初めて、と言って良いほどの穏やかな時間の中で、その電話はやって来た。
電話に出たダンナは、「オゥ、ハイ、ジェイク!」と、カフェで顔を合わせたマネジャーに元気良く挨拶。新しい仕事の打ち合わせか、と思いきや、みるみるダンナの顔が曇っていく。それじゃぁと、電話を終えたダンナからは信じられない言葉が……。
「内定取り消しだってさ」
「へっ?」
そう、理由はなんであれ、ここに来て私達はまた振り出しに戻ってしまった。再び「ホームレス」の文字がちらつき始め、私の不眠症もぶり返す。近い将来に買えるかもと見ていた家具のチラシを無言で捨て、レジュメ手裏剣の日々が再開する。もはや残る手段はサンドイッチマンしかないのか?
ポートランドのダウンタウンでレジュメを配る私達を見掛けたら、どうぞ皆さん、優しくしてください。

 
Do and Do not

パーティーには必ず出席
就活して半年、この不況では「就職にはコネ必須」と痛感。パーティーは人脈作りの場所だ。その場限りの話も多いが、時間だけはあるので断る理由もない。たまにはダンナ以外の人間としゃべりたい。日本人とは数カ月も会っていないので、もしいたら誰も私の話を止められない。

ぶらぶら出歩かない
目的もなく出歩くと、特に商業地区は超危険。見るもの、手に取るものが「買えない」というストレスになっていく。そして気が付けば、空腹に負け、屋台でフォーを注文し、片手にラテを持つおバカな自分がいる。気晴らしだけなら、財布は持って行かないこと。これ基本。

 

第4回「健康保険求む」

 

無職夫婦の私達は、もちろん健康保険を持っていない。大けがしたら? 一刻を争う大病に見舞われたら? 救急車で運ばれる中、隊員の胸ぐらつかんで「いくら掛かる?」と思わず聞いてしまうに違いない。
日本では意識したことのなかった健康保険。シドニー時代から数えると10年近く、不安材料として私の脳みその片隅にどてっと居座っている。けがや病気は「お金が掛かる」に直結するわけで、ダンナが体の不調を訴える度に、舌打ちしたくなるこの余裕のなさが悲しい。それにしても、なんで男はこんなにお金が掛かるの? シドニー時代には、医者いらずの私に対し、ダンナは年に数回は風邪を引く、落馬であばらを骨折する、ゴルフでぎっくり腰になる、歯痛に目の傷、足の巻き爪の手術まで……。そして、ここアメリカでも、来てすぐにラケットボールでぎっくり腰、水虫悪化で足が腫れる、というありさまで、すでに多くのドル札がひらひらと舞っていった。そのうえ、ぜんそく持ちの彼に必須のインヘラー(吸入器)が$200以上するのにはぶっ倒れそうになる。「病は気から」と、彼に催眠術でもかけたい気分だ。
しかし、こともあろうに、この私にその無保険危機は訪れた……。左上の差し歯が取れたのだ。世界一高いと言われるアメリカの歯医者にかかることだけは避けたいと、日本で入念に治療したにもかかわらず、私の愛しいピカピカの差し歯ちゃんは、手のひらの上でころころと転がっている。最低1年は帰国予定なし。このまま外しておけば、両隣の歯が動いてこの差し歯がはまらなくなるのはシドニーで経験済み。瞬間接着剤でくっ付けろというダンナのたわごとは無視して、日中はだましだまし差し込み、就寝前にカパッとはずして歯を磨き、再度装着して床に就いていた。
そんな入れ歯状態にも慣れて数日が経ったころ。ダンナが作ってくれたインド風カレーが思いのほかおいしく、山盛り2杯目も中盤に差し掛かろうとしたその時、ふと気付いたら、あるべきところにその歯がない! 「カレーは飲み物」状態でがつがつと流し込んでいた私は、気付かぬうちに差し歯まで飲み込んでしまったのだ。
「歯が! 歯が!」と焦る私に、「よく探せっ!(どこを?)」とダンナ。あんな石みたいなものを飲み込んでしまったことにパニくる私に対して、ダンナは「あんな高いものを飲み込みやがって」と悔しがる。そして、冷静になった彼が放った言葉。
「明日、うん○と一緒に出るから大丈夫」
「大丈夫って何が?」と私。「そこで見つかるって」「見つけてどーすんだ?」「洗えば大丈夫」と真剣そのもの。ほとんど恐怖で顔をゆがめる私に「そんなに嫌なら俺が見つけてやるから」って、そういう問題じゃなくて! うん○から出てきた歯なんて、リス○リンで100万回洗ったって、絶対無理っ!!
そして翌日、言い出したら聞かないダンナが怖くて、1日中こそこそとトイレに行く羽目になった。でも、なんとな~く惜しい気もして、便器を覗き込もうとする自分にハッとして「ありえん、ありえん」と、ぶるっと身震い。
それから2カ月が経ち、左奥のぽっこり穴にも慣れた3月末。ダンナがこの極貧の中、春スキーに行くと言う。リフト代が痛い。しかし彼は、すぐそこに山があるのにスキーできないのは、オレに死ねということだと駄々をこねる。しぶしぶ首を縦に振った私が、ウキウキして出ていく彼の背中に浴びせたひと言。
「けがしたら、即離婚っ!」

 
Do and Do not

図書館を利用する
ワシントン郡を始めオレゴン州内数カ所の図書館では、会員になると、ポートランド美術館、日本庭園などの観光名所のフリーパスが受け取れる。電話で予約し、図書館でピックアップするだけ。結局行かずじまいになりがちな地元の観光名所も、これなら行けそう。

タバコ、お酒はやらない
わかってます、節約の基本中の基本であることは。しかし、ホームレスの人が、食事より酒を選ぶのがよ~くわかる。それほど禁煙、禁酒は難しい。家計簿をつけてみたら、タバコとお酒代だけで、月$300以上も使っていた。禁煙は年が明けてから続行中。禁酒は……無理!

 

第5回「面接へ」

 

詰まってしまった流しのように、どろどろとゆっくり動いていた日々が激動の瞬間を迎えた。ダンナに仕事が見つかったのだ!
と言っても、内定を取り消された会社(第3回に掲載)からの再オファーである。当初の雇用条件とは異なり、マネジャー職から平社員の営業マンに格下げ。歩合制なので、基本給では家賃を払うのが精一杯という、手放しで喜べないビミョウな「就職」となった。これでは、まだまだ貯金を崩しながらの生活が続いてしまう……。
私はと言うと、面接の予定が立て続けに入った。「図書館に行く」とか「郵便局に行く」とか、そんなイベントが1日にひとつあれば「今日は忙しい」と感じるほど、暇な毎日に慣れ切っている私に、週に3度も面接という緊急事態。しかも、そのうち2社は同日の朝と昼! もうパニックである。
そして当日の朝、有名デパート販売員職の面接に、寒空の下、一張羅のサマーウール・スーツを着て、いざ出陣。3社のうち、ここだけが正社員としての面接のため、気合が入るのも無理はない。給料は安いが、正社員になれば保険やら有給休暇やら、今の私には夢のような生活が待っているはず。
Eメールによると、まずはグループ面接とのこと。数人の面接官を前に10人くらいが横一列に並ばされ、「じゃ脱いでみて」とは言われないまでも、周りを押しのけてまで自分をアピールしなければ残れない、過酷なサバイバル・ゲームが展開されると想像していた私。しかし、拍子抜けするほど面接はあっけなく終了した。
人事課のお偉いさんらしい女性が、彼女の小さなオフィスで、私のほかにふたり(計3人)を面接。経歴や志望動機を簡単に聞かれただけだった。応募者のひとりは30代女性で、「販売人生を歩んできました」とアピール。こりゃ負けたな、と白旗を上げる一方、もうひとりは大学を昨年卒業してから就職ができないという、20代前半の青年である。このデパートに勤める姉のコネで来たらしく、ぼそぼそとうつむき加減に話す彼の様子に、「私がダメでこいつが受かったら訴えてやる」と、私はひとり勝手に鼻息荒くライバル視していた。結局、あとは希望の販売部署などを聞かれ、デパート内を見学して終わり。手応えが全くわからぬまま、結果を待つばかりとなった。
昼に行われた次の面接は、1:45 p.m.開始と何とも中途半端な時間。と思いつつ5分前に到着すると、別の応募者の面接中だった。時刻きっかりにその人が出て来て、私の名前が呼ばれる。
この会社ともう1社は、共に週2日程度のアルバイトで、お金のためというより私の精神状態を正常に保つため、そして何より社会復帰のリハビリにと受けたもの。朝の面接には、インターネットで入念に調査して志望動機もしっかり暗記していた私も、この「週2日」の面接準備は怠っていた。せいぜい、経験や出勤可能な曜日を聞かれるくらいとタカをくくっていたのだ。
志望動機を聞かれ、「うっ」と詰まりながらもつじつまを合わせ、もう半分やけくそ気味に自分をアピール。くるくると空回りして疲労困ぱいの私が出て行くと、次の人がすでに控えていた。15分置きの面接が1日中……らしい。週2日で最低賃金のアルバイトに、一体何人の人が応募したのだろう。改めて不況の現実を噛みしめる。が、その日の夜はダンナとパブで「面接お疲れさま」と、つい深酒。そして翌日はしっかり二日酔い。今日もアルバイトの面接が控えているというのに、おバカなアラフォー……。激しい胸やけと頭痛に苦しむこんな状態で、無事に3つ目の面接を終えることができるのか!? そして、私は職にありつけるのか? 続きは次号で。

 
Do and Do not

ハッピー・アワーを利用する
外食を控えるのは節約の基本。しかしパブのハッピー・アワーなら、 お酒が安く、$4前後で食事も可。オススメは、カラマリがおいしいO’Connor’s(Multnomah Village内)、どれもボリュームたっぷりのRadio Room(NE 11th Ave. & NE Alberta St.)、おしゃれなチーズ・プレートがあるSouth Park Seafood Grill & Wine Bar(SW 9th Ave. & SW Salmon St.)。

腹を空かせて家を出ない
食料買い出しの直前に、家で腹いっぱい食べておくこと。空腹だと、レジのベルトコンベアに並ぶ品数の多さに青ざめ、会計の数字にノックアウトとなる。悲しいかな、外食でもすこーし小腹を満たしておくのが賢い節約術。ハッピー・アワーにつられて、居酒屋状態でどんどん注文し、財布にもカロリーにもイタい結果となるのを避けられる。

 

第6回「社会復帰」

 

アパートのベッドルームの窓から見える四角い空の色が、お決まりのどんよりグレーではなく、突き抜けるような青になり始めたころ、私の生活も変わりつつあった。三寒四温のごとく、数日おきにやって来る晴れの日には、あ~もったいないと心が焦り、咲き乱れる桜やハナミズキなど、色とりどりの花をカメラに収めようと積極的に外に出る。雨続きの日々に鬱々としていた数カ月前には、こんな自分を全く想像できなかった。お日さまが、こんなに人間の脳に影響するとは、今まで考えたこともなかったが、改めてその大切さを感じる毎日である。
そして私は、半年の就活の中でいちばん多忙な日々を送っていた。何十という会社にレジュメを送るも、「私のEメール、大丈夫?」と真剣に心配してしまうくらいに何の音沙汰もなかったのが、3件も面接が続いたのだ。最後の面接は、レストランのサーバー。ふたつの面接を終えた達成感で、ついつい前夜はダンナと深酒。しっかり二日酔いになってしまった私は、その苦しい吐き気に負けそうになっていた。
バイトとはいえ、経験がなければ雇ってもらえないこの厳しい状況で、ウエートレスをやったこともない私が、この二日酔いの胸やけを我慢してまで、面接のために街まで出向く価値はあるのだろうか。自問自答し始めたが、数分の葛藤の末、結局「悪玉」の私が「善玉」の私に負けて、しぶしぶ行くことに。
前の面接2件と同様、一張羅のスーツを着ようとする私に、ダンナがサーバーの面接にそれはないだろうと止めに入った。1本だけ持っているスラックス(あとはジーンズのみ)を履き、上にはブラウスを合わせ、厚化粧で顔色の悪さを隠す。寝ぐせの付いた髪は、くるくるに巻いてごまかした。志望動機を聞かれたらどうしようと言う私に、「正直に言え」とダンナ。
酒臭い息を隠すべく、20分の移動の間に3枚ほどのガムを噛みまくった。そして地図を頼りに探し当てたレストランは、思ったほど大きくなく、逆に少し安心。中に入り、簡単な挨拶を済ませると案の定、シェフとマネジャーの女性ふたりは開口いちばん、志望動機を聞いてきたので、私はダンナのアドバイス通り「ほかに仕事がないからです」と直球を投げた。
苦笑いのふたりは、私の職歴や二日酔いを隠すための厚化粧、くるくるの巻き髪を見て「でもケベラさんには、ゴミを扱ったり、洗い物したりの地味な仕事は向かないかと……」と首をかしげる。さっきの直球ですっかり調子に乗った私は、まだ少し残る酔いも手伝って、テーブルの向こうで引き気味のふたりの腕をがっつりとつかむように「いやいやいや、私はじみぃ~な仕事が大好きなんです。前の仕事も毎日同じことの繰り返しのじみぃ~な仕事でした。同僚が嫌がるようなじみぃ~な仕事を一手に引き受けていました!!」と意味不明なことを並べ、ゴミだって大好きですと口がすべりそうになりながらも食い下がった。それから雑談をして、二日酔いもどこへやらの状態でレストランをあとにした。
その面接から2日後、私はエプロンに帽子姿で洗いものやゴミ出しを担当するようになっていた。
無事に、また社会とつながった。社会復帰初日の夜、またまたダンナとパブで祝杯。とっても気持ちの良いお酒だった。

 
Do and Do not

髪を伸ばす
ロング・ヘアは美容院要らず。自慢にならないが、渡米してまだ1度も美容院に行っていない。乱れがちな毛先も、ヘア・アイロンでクルッと巻けば、カリスマ美容師ばりのナチュラル・ウェーブに。しかし悲しいかな、アラフォー。白髪にはごまかしが利かない。2カ月に1度は、泣くなく白髪染めを購入。目立つところにちびちび使用する。

ダンナも髪を切りに行かせない
てっぺんハゲ気味のダンナは、マメに切らないとアルシンドになっちゃう(死語)。よって、バリカンを購入したのだが、これが難しい! 私が担当する後頭部は、いつも皮膚病の犬のような仕上がりに……。ダンナからチェックが入るたびに大ゲンカ。今では、ダンナの「そろそろ切ろうか」のひと言で憂欝になる。

 

第7回「釣りで自給自足!?」

 

「魚釣りを趣味にしたい」と思い始めたのは、シドニーに住んでいたころだった。海がすぐそこにあるにもかかわらず、魚の食文化に乏しく、魚料理と言えばフィッシュ&チップスが主流で、スーパーで買えるものは、もう原型がどんなものかわからない冷凍の切り身ばかり。そんな中、ダンナが“釣りキチ”だという日本人の同僚のお弁当にはいつも、赤魚の竜田揚げとかしめサバとか、よだれもんのおかずがずらりと並んでいる。「釣りを趣味にするしかない!」と意気込むが、何から始めて良いかわからず、そのうえ大の船嫌いとなれば手の出しようもない。
「釣りがしたい」。シドニーからここポートランドに移る途中で日本に3カ月ほど滞在した際、70を過ぎた父に言ってみる。すると、「おー、そうか、そうか」と休みの日に早速、釣り竿を物置から引っ張り出し、釣り場は山ほどある地元、北九州であちこち連れて行ってくれた。釣り場に着けば、仕掛けから餌付けまで父がやってくれて、あとは糸を垂らすだけの“殿さまフィッシング”。「釣りって楽しい」。その気持ちを胸にポートランドに来た私は、暇さえあれば「釣りに行かない?」と、釣り嫌いを承知でダンナを誘う。この地に来てから落ち込みがちの私に気をつかってか、「ニシンが釣れるらしい」という情報をダンナが入手。ニシンは骨が多くて、白人には「ほかの魚への餌」でしかない。この時期、釣り場にはアジア人がうようよいるらしい、とのこと。私の頭はニシンそばでいっぱいになった。
釣り場であるコロンビア河のボナビル・ダムへいざ出発! 釣り具は途中のスポーツ店で、「仕掛けセット付きで$20!」を購入した。釣り場に着くと「アジア人がうようよ」の図はなく、閑散としたダムにちょっと不安になる。ダンナと言えば、連れて来たら役目は終わりとばかりに、持参のイスにドカッと座り、新聞を読み出した。仕方なく、父の手元を思い出しながら仕掛けを付けたものの、一投目でリールに糸が絡みまくる。「も~、何やってんの!」と、手際良くちゃっちゃと直すダンナに、「あんた、釣りが嫌いじゃなかったの?」と思っていたら、小さいころはよくやっていたらしい。さすが、オレゴンのカントリー男子である。
しかし、それからが大変。ダンナの「スパルタ魂」に火がついてしまったのだ。私が投げれば、「違うっ!」。仕掛けが取れると、「こう結ぶっ、こうっ!」と、ピリピリしたムードが漂い始める。気が付けば釣り竿は彼に取られ、私はそばで見ているだけ。ダンナは「巨人の星」の星 一徹ばりの厳しさで、父とののんびり殿様フィッシングとは程遠いものになり、そのうえ、釣果はゼロ。
釣りが嫌いになり掛けたが、帰って調べると時期が早過ぎたようだ。改めて、2週間後に同じ場所へ行ってみると、うわさ通り「アジア人がうようよ」だった。うようよ過ぎて、隣の人と2メートルも離れていない。誰かが投げるたびに、誰かの糸に絡み、罵声が飛び交う大混乱状態。結局、2時間で他人に絡んだのが4回、岩に引っ掛かったのが3回で、手元の仕掛けは底をつく。すっかり気疲れして、またもや手ぶらで帰途に就いた。
いつになったら、自分で釣った魚が食べられるんだ?

 
Do and Do not

痩せる
ジムに通っていたとはいえ、家ではブラブラの無職生活でエネルギーがほとんど消費されず、マイナスどころか5キロ近く太ってしまった。社会復帰(バイト決定)を機にダイエットを敢行し、米、麺、スナック類の購入を全面ストップ。おかげで「いつかまた着られるはず」と箱の中に取っておいた服が復活! これって究極の節約術では!?

おしゃれなダンナは不要
外出着と言えば、チノパンにポロシャツをしっかりタックインし、足元はデッキ・シューズと100万年前から変化なし。シドニーの街で浮いていたダンナを数年掛かってやんわりたしなめ、時には褒めそやし、シャツを外に出すことに抵抗がなくなり始めたとたん、おしゃれに目覚めた。ちょっと! 私より服持ってない?

 

第8回「お金の質」

 

ダンナ宛てに、子供のバスケの試合でポートランドに来るという幼なじみから久しぶりの電話があった。話が盛り上がり、「良かったら見に来てよ」の誘いに軽~く「おう、行くよ!」と承諾したものの、当日会場に行ったら、なんと入場料がひとり$8(!)。当然ながらふたりで$16である。「めんどくさっ」と思いながら来た、顔も見たことないお子ちゃまのバスケを見るのに$16は高過ぎる。くぅぅぅっ、このお金でハッピー・アワーのビールが4杯飲める。店の前を通るたびに指をくわえて我慢する、大好きなフォーが2杯は食べられる。さんざん迷った挙げ句に棚に戻したあのサンダルだって、$16もしなかった! 同じ$16でもこんなに質が違うものかと、断腸の思いで手放した紙幣の束……。
そして先日、銀行のカードを使って$6の買い物をしたら、引き出し額オーバーで私の口座がマイナスになった。$6程度が口座になかった事実も悲しいが、そのペナルティー額がなんと$24! 期日までに支払わなければ、毎日$9のペナルティーが掛かるという通知を、わなわなと手を震わせながら持って来たダンナから大目玉。以前の私なら「うるさいな~、$24を口座に入れときゃいーんでしょ!」で終わるのだが、$24と言えば、手は荒れ放題、足を棒にしてカフェで働く私の時給3時間分に相当する。これは絶対払えない$24である。翌日、その通知をしっかり握り締め、「必勝」のハチマキをした(気分の)私は、いざダウンタウンの銀行へ出陣。とびっきりの営業スマイルで迎えてくれた係の女性に、ダンナの戦略通りのシナリオを並べ立てた。ダメだと言われた時の次のセリフを頭の中で用意し始めたとたん、「じゃ、今回のみ取り消すわね」とあっさり。あ、そう、ありがとね、と拍子抜けしたけれど、この$24は救われた。
そしてその帰り、バーゲンをひょいと覗いてみる。カフェの仕事には2足のスニーカーを代わるがわる履いて行くのだが、すっかり薄汚れてしまい、汚れが目立たないダークな色の靴が欲しくて探していたら、ぴったりのナ○キのスニーカーが目の前に。半額で$40。そのうえ、最後の1足がまさに私のサイズ。興奮気味に何度も履いたり脱いだりを繰り返すが、履く靴がないわけではなし、ましていつまで続けるかわからない仕事のために$40はいかがなものか。結局、ダンナに電話で相談した。「仕事用の靴に$40は高い?」と私。どんな靴?とか、好きなら買えばとか、そんな言葉を期待していたのに「高い!」のひと言で一蹴された。そうよね、そうよねとトボトボと家に帰ったその夜、ダンナと近所のパブで1杯(で終わらないが)の会計が約$40。あ~、この「パブで1杯」を我慢すればナ○キが買えたのに。と、飲み代には財布のひもがゆるゆるになるふたりであった。
そんな中、私らはダンナが家で仕事をするのに1ベッドルームのアパートは狭過ぎると、引っ越しを計画していた。この不景気のため、うちの周りには空き部屋がいっぱいで、家賃は下がる一方。2ベッドルームで今の家賃より安いアパートがごろごろある。4世帯入れる今のアパートも、2世帯しか入っていないうえ、そのもう1世帯も来月引っ越すらしい。チャンスとばかりにオーナーに強気の値引き交渉をしたら、なんと$100オフになった。ケベラ家にこれはでかいっ!と、ダンナも私も大喜び。「$100あれば……」。いろいろな妄想が頭を巡るが、結局は飲み代に消えるだけだよね。

 
Do and Do not

洗濯回数は少なくする
アパート暮らしの私らはコイン・ランドリーを利用。私の洗濯の仕方が雑らしく、いつからかダンナが洗濯担当に。そのため、洗うタイミングはすべて、ダンナのひと声で決まる。申請し忘れたジーンズをベッドの下で見つけても、さらにあと2週間、かごの中で眠ることとなる。それだけ洗うなんてぜいたくは絶対に許されない。

「きれい好き」にならない
きれい好きだとアピールする人がいるが、私はそんな人を気の毒に思ってしまう。「洗う」「片付ける」「磨く」などの行為に人一倍の時間とお金を掛けるわけで、なんとも不幸だなと思わずにいられない。私はきっとその半分も「きれい」にお金も労力も使っていない。「汚い」と思われないようにうわべを繕う努力はする。

 

第9回「タダ券で楽しむ祭典」

 

「のりピー、捕まったね」が日本人同士の挨拶になっていたころ、ポートランドでは毎年恒例の食の祭典が行われていた。“祭り”や“フェスティバル”の文字に弱いケベラ夫婦は行く気満々だったが、入場料がひとり$8! 今年はパス、とあきらめた開催日前日に、バイト先のお客さんからタダ券、しかも3日間パスをもらった。
早速、ふたりでうきうきと行ってみるも、「やっぱり」のため息。どこも同じだが、こういう会場での食事やビールの値段は高い。道を渡ったパブのほうが、並ぶことなく冷たくて安いビールが飲めると、ふたりでぶつぶつ言いながらも1杯ずつ購入し、ちびちび飲みながら、他人が買うつまみをよだれをたらさんばかりにガン見。このフェスティバルで「食べること」を除いたらすることがない。そろそろ出ようか、という時に「料理の鉄人、オレゴン」なるステージが始まった。
シェフが制限時間内に指定された食材で料理を作り、対決するという日本のTV番組をまねたもので、初日のこの日は2組の試合が行われ、翌日のセミファイナル、昨年の“鉄人”と対決するファイナルへと続く。シェフの手元がよく見えず、頼りはMCの解説のみという、ちょっと退屈しがちなイベントではある。が、シェフのひとりがかなりのイケメンで私の目は釘付けに。ダンナはダンナで、調理後のジャッジ中、MCが「味見したい人!」と言ったと同時に、「ハイッ!」と真っ直ぐに手を挙げる。今まさにMCの差し出した肉の刺さったフォークに手を伸ばそうとしたその時、横からやって来たアジア人の女性がガシッ!とそのフォークを横取りしてしまった! 200人ほどの観衆の面前で、なんだかとっても恥ずかしい図に……。「ほんっと、アジア人ってマナーがなってない!」だって。ごもっとも。でも、あんたの妻もアジア人だよとは言い返せないほど、肉を横取りされた腹ぺこの猛獣は怒っていた。
試合の結果は、私のイケメン・シェフがセミファイナルへ。楽しみが増えた。翌日は仕事のため、夜のファイナルにしか間に合わず、ドキドキして出向いたものの、願いもむなしく、イケメン・シェフは昼のセミファイナルで敗れていた。とたんに興味を失う私。ファイナルの料理が終わり、今回は「味見」もなくジャッジの結果が出たのだが、なんと「引き分け」。それならと、1票入れることになったMCが「僕ひとりで決めるのはプレッシャーだから誰か助けて!」と会場に呼び掛けると、またまたダンナが「ハイッ!」と手を天に向けて真っ直ぐ伸ばす。「あちゃ~」と心の中で叫ぶ私の気持ちも知らずに、いそいそと今度はステージに上がり、自己紹介までしてうれしそうに味見をしていく。
チャンピオンに輝いたのは、昨年の“鉄人”。席に戻って来たダンナに「どんな味だった?」と周りに座る人達がやけに食い付き気味に聞いてくる。MCが「マイク(ダンナ)は挑戦者に1票入れたんだ。結局、僕がひとりで決めたことになるけど」と言ったとたん、その周りの人達から「マイク、ありがとう!」の嵐。私らの周りに座る十数名は、敗れた挑戦者の家族や友達だった。「あっぶね~」と思いながらも、ダンナは得意げになってその味を延々と解説。
私はイケメン・シェフが見られたし、ダンナは鉄人の料理の味見もできたしで、タダ券をフル活用した祭典となった。

 
Do and Do not

映画鑑賞券はコストコで
「これ見たい!」と思っても映画館へ行くのはちょっと高い。DVDになってから……なんて思っているうちに忘れてしまった映画がいっぱいあるのでは? コストコのムービー・パックを利用すれば映画券が1枚当たり$7.50の出費で済む。ま、忘れてしまうくらいなら無理して見る必要もないので、映画鑑賞はよ~く吟味してからにしよう。

第1木曜はタダ酒に突進するな
第1木曜開催のギャラリー・ウォークは、普段は気取っているギャラリーも無料のドリンクやつまみを用意して「寄ってってよ」的ムードを醸すイベント。すぐタダ酒に向かうのは品がないので、アート目的である風を最低5分は装う。しかし、持参したペットボトルに堂々とワインを注ぐホームレス男性を見た時は「あっぱれ!」と称賛。

 

第10回「友達作りの落とし穴」

 

シドニーからポートランドに移住して、早いもので1年が経った。来米当時との変化を振り返ってみると、
1 曇り空を見ても「普通」と思えるようになった
2 超方向音痴の私が地図なしで行けるところが数カ所できた
3 バイトではあるが就職できた
とはいえ、まだまだ貯金を崩す生活は続いているが、ホームレスへのカウントダウンはかなりスローに。しかし、亀の歩みのように「生活向上」している中、ひとつだけ当時と全く変わらないことがあり、愕然としてしまった。それは「友達」がいないこと。私にとって友達の第1条件とは、飲みたい時に「ちょっと1杯」と気軽に誘えることだが、ポートランドで私の周りにいる人達は、何だかとっても忙しそう。みんな「家庭=子供」を持っていて、ジムでもバイト先でもことが終われば、蜘蛛の子を散らすように帰っていく。アラフォーで子供のいない暇な主婦に付き合ってくれる人など、なかなかいない。勇気を振り絞って誘ってみても「今月は子供が夏休みで大変だから、1カ月後のこの水曜なら大丈夫」なんて言われる始末。
シドニーでは、30歳まで利用可能なワーキング・ホリデー制度で来豪し、そのまま彼氏を見つけて2年間同棲すれば永住権が取れちゃう(もちろんその後別れてもOK)せいか、「遊びたい」独身女子がうようよ。ダウンタウンにはパブが乱立し、バスや電車通勤が当たり前で、「会社帰りの1杯」は毎日のように行われていた。しかし、クルマ社会のここでは「飲酒運転」を強制させてまで誘えない。と、全く同じ理由でうちのダンナも友達作りに苦労している。よって、ふたりが知り合ってから今がいちばん一緒にいる時間が長く、「仲いいね」なんて言われるが、じゃなくてお互い友達いないから、と言いたくなるのをぐっとこらえて微笑み返し……。そんな中で先日、来米1年にして初めて「仕事帰りの1杯」が実現できた。バイト先の子で、彼女のほうから「今度うちのダンナと一緒に食事でも」と言ってくれたのだが、半分社交辞令らしく、なかなか具体的な話にならないうえに、お互いのダンナを含めての食事会なんて面白くない。しびれを切らした私が「今日、帰りに1杯行かない?」と誘ったら、ふたつ返事で乗ってきた。それもそのはず、昨晩ダンナと大げんかをしたという。面白くなってきたと思ったら彼女、1杯どころか1滴も飲めないらしい。コーヒーなら付き合いますという言葉に「な~にぃ~っ!」と思いながら、コーヒーが飲めるパブに落ち着いた。
思えばダンナ以外の人とこうやってパブで飲むなんて初めてだな~と感動しながら、ダンナの愚痴や仕事先のことなんかをうだうだ話す。酔いもちょうどいい感じになり始め、3杯目に突入かというところで彼女を見ると、つまみやアイスコーヒーはとっくになくなり、何かのアピールのように底に残った氷をストローでガシャガシャと突き回している。あ、もう帰りたいのね、と一気に酔いは冷め、「付き合ってもらった」コーヒー代は私が奢りましょうと勘定をもらうと、昨日バイト先でもらって大切に財布にしまっていたチップと同じ金額だった。ここ1年すっかり忘れていたけれど、「交際費」って結構掛かるのね。これをシドニー時代のように3日と空けずにやっていたら、ホームレスへのカウントダウンにターボが掛かる。友達は欲しいけれど、そのためにはバイト増やさなきゃ。

 
Do and Do not

とにかく働く
ふたつのバイトをかけ持ちしている私は、週5日の昼間はカフェで、そのうち週2日は夜も別のレストランで働く。もちろん働けばその分収入が増えるわけだが、「余暇」が減ることにより出費も減るため、一石二鳥である。もらった給料はそのまま口座に振り込み、増えていく数字を見るのは楽しいが、人生は面白くなくなるので要注意。

友達は作らない!?
私の場合「作らない」じゃなくて「作れない」のだが、「交際は選んで」ということ。先日、高級レストランで行われた「知り合い」の誕生会に呼ばれたが、勘定がふたり分で$150! だからと言って「知り合い」が「友達」にランクアップすることはない。価値観が同じというのは大切。「安いところにして!」と言える人と遊ぶこと。

 

第11回「お金持ちの共通点!?」

 

「家族大集合」のホリデーで盛り上がるこの時期、親戚付き合いは世界共通のようで、いつもニコニコしているアメリカ人同士でもいろいろと確執があるらしい。新聞では「安くターキーを手に入れる術」「$5以下で作るパイ」といった不景気対策に並んで、「どうやって嫌な親戚と付き合うか」との見出しも紙面に踊る。
以前住んでいたシドニー時代と違って、ダンナの故郷であるポートランドでは、私達夫婦にも幸か不幸か行き場所がある。サンクスギビングはダンナのいとこであるボブの家へ。嫁のシャロンは、いつも上から目線の舅が大の苦手。ディナーに呼んだものの、前日から泊まりがけでやって来た舅を持て余していた。その彼女から電話でSOS。「舅と食事に行くけど、重い空気に耐えられないから一緒に来て!」と言う。甥に当たるダンナもあまりこの人を好いていない。が、タダ飯となれば行かないわけにはいくまい。結局、郊外にある中華料理店に、いとこの家族と舅、私達とで落ち着いた。さて、みんなが身構えていた舅だが、もう80歳手前の耳の遠いおじいさんになっていて、全員拍子抜けした様子。それでも、何を注文するかでみんなが話し合いを始めると、その舅が「オレはこのハッピー・ファミリー・セットにする!」とひと言。それじゃあと、何品頼むかでワイワイやっていると舅は「オレはこれしか食べたくないっ」。慌てて息子であるボブが、ここは自分のおごりだからと告げると、あ、そ、とばかりに静かになった。つまり、自分の食べるもの以外にお金を払いたくないということ。ダンナがメニューで顔を隠しながら、隣に座る私にひそひそと教えてくれた。年金暮らしで、というならわかるのだが、この舅は町で指折りの外科医で、銀行には数百万ドルの貯蓄があり、不動産も山のように持っているらしい。
これってデジャブ?と思ってしまうようなことが前に日本でもあった。地元で知り合ったアメリカ人女性の両親が、日本へ遊びに来た時のこと。彼らを歓迎する意味で、近くの居酒屋に数人で食事に行った。日本は初めてという彼女の両親に会話を合わせて精一杯歓待。楽しい宴もお会計で締めくくり、という時に「ここはダディーが払うから」と彼女が、今まさに立とうとしていたダディーに歩み寄った。私ら夫婦がラッキーと顔を見合わせたその瞬間に聞こえてきたのは、「私は彼らの分まで払うつもりはない!」。ひえ~、聞こえない振りをするにはあまりにも近過ぎる。みんな、どこを見て良いやら、お互い宙に視線を泳がせていた。近所の安い居酒屋で、数人分と言っても、せいぜい2万円くらいである。それよりも何よりも、この人、プライベート・ジェットを持つ正真正銘の大金持ちなのだ。そのケチさを全く隠そうとしない神経を疑ってしまう。かわいそうなのは勘定書きを突き返された彼女。その恥ずかしさと言ったら、テーブルにある食べ残しの鍋に入って蓋まで閉めてしまいたいほどだったはず。もちろん、アメリカ人だからというわけではないかもしれないが、日本人だけの集まりでこういう場面に出くわした経験はない。ローンに苦しむ上司が、きっちり最後の端数まで割り勘するのは何度も見たことがあるが、やっぱり何となく日本では、すっごい年上か金持ち、ましてやそれが両親や親戚ともなれば、まずおごってもらえるという思考回路が働く。しかし、ここアメリカでは、ビル・○イツくらいの金持ちであろうと、私らが無職であっても、最後まで割り勘される可能性を考えて、注文するものを決めたほうが良さそうだ。

 
Do and Do not

ホーム・パーティーを開く
主催するとお金は掛かるが利点もある。必死で掃除するので家がきれいになる、手土産のお酒の残りをキープできる、ポットラックにすればその残りで数日過ごせる、などなど。しかし今は狭いアパート暮らしのため、パーティー好きのダンナも「家を買ったらね」が口癖。当分無理でしょ!

パーティーでケチケチしない
シドニーでは「Bring your own meat BBQ(自分の肉は自分で持って来い)」なるBBQパーティーが主流だった。自分の飲み物と生肉を持って行くという、経済的だが味気ないもの。持参した肉もお酒もすべて消費され、主催する側は準備にお金は掛からないが、残り物も出ず、何のお得感もない。

 

最終回 新年の抱負

 

アメリカで迎える2回目の新年。昨年の今頃は、年始にオバマ大統領の就任が重なり、世間では明るい未来にウキウキ感があふれ出ていたが、それと反比例して無職のケベラ家では、アメリカでの将来に絶望的な気持ちになっていた。
その後、歩合制の職を得たダンナからの収入は、半年間ほとんどナシ。私のふたつのバイトでなんとかホームレスにはならずに済んでいるが、この1年の思い出はお金の心配ばかりで、ここポートランドの美しい春の草花、長い冬を我慢したご褒美のような夏の青空、色鮮やかな秋の紅葉……などは堪能することもないまま私の目の前を素通りしていった。物事がうまくいかないことをこの土地のせいにしているが、すべては私の気の持ち方が問題であることは十分わかっている。しかし、1度しぼんでしまった気持ちは、なかなか元に戻らず、毎日を淡々と過ごしてしまう。唯一の“飲み友達”であるダンナとは、お酒が入れば「次はどこで暮らすか」「いつ行くか」の話題ばかり。この土地に愛着とか執着とかが全くないことに悲しくなってくる。
そんな中、この生活から逃げるように、私は年末に日本へ帰った。10年間を過ごしたシドニー時代には1度しか帰省ぜず、両親や友達、街のあまりの激しい変わりようににあ然とし、自分がどんどん日本から離れていくのがなんだがさびしくて、アメリカに来たら何があっても年に1度は必ず帰省しようと決めていた。
空港で迎えてくれた変わらぬ両親の笑顔、80を過ぎた叔母と訪れた京都の紅葉、目移りしてしょうがないコンビニ・スイーツ、同窓生とバカ話で笑い転げた温泉宿のふかふかの布団、鳥皮がうまい焼鳥屋の赤ちょうちん、飲んでも飲んでも酒のなる木のようにビールがある実家の冷蔵庫、帰ってからの貧乏暮らしがふと頭をよぎるたびに出る「帰りたくねぇー!」の私の叫びに「帰んなさんなぁーっ!」と必ず返してくれる友達の酒焼けの声。1年間、無言で過ごしてきたかのように声がかれるまでしゃべりまくった。しゃべり疲れて店を出れば、真夜中だというのに、まだまだ元気な夜の街に安心する。大好きなものや人で凝縮されたこの時間を、帰ってからの活力剤にするかのように、ひとつひとつの思い出を頭に焼き付けていく。
もちろん、こんな楽しい時間は倍速で過ぎ去っていき、気が付けばポートランドの曇り空に向かう飛行機の中。楽しみと言えば、トランクいっぱいに買ったユニクロの服くらいで、土産話をする友達もおらず、労働力でしかない職場。私がそこに帰る意味はあるのだろうか? 自問自答しながら、格安チケットのため乗り継ぎを繰り返し、へとへとになった体を引きずってゲートを出た。そこで見たのは、あふれんばかりのダンナの笑顔。数週間の空白を埋めるように車中でしゃべり続ける彼の横顔、見慣れたハイウェイの景色、しゃべり足りずに行った近所のパブ、リビングルームの私の定位置、思わずホッとしている自分がいる。やっぱり、ここが私のホームなのだと思うと、この生活をもっと大切にしなければと自分に言い聞かせる。
新年の抱負は、今度日本に帰ったら「ポートランドは楽しいよ」と言える生活を送ること。まずは、土産に持ち帰った3キロの体重をジムで落として、どんどん外に出て飲み友達を作ろう。ま、そのためにはやっぱりお金が必要なわけで、今年も結局また働きづめでお金に振り回される1年になることには変わりないだろう。

 
Do and Do not

週末はETCを使ってどこまでも
東京・大阪の大都市圏を除いたエリア内で、ETCを使えば高速道路が上限1,000円で利用できる。実家の福岡から道後温泉のある松山まで、平日は片道約1万4,000円なので、相当割安に! 5人のぎゅうぎゅう詰めで行けばガソリン代も割り勘でかなりお得。ただし、欲張って遠くに行くと、運転でへとへとの週末になってしまうので要注意。

100円ショップに近づくな
すごいっす、日本の100円ショップ。購買意欲をかき立てる、あのごちゃごちゃ感。目に付けば、つい店に入ってしまい、気が付けばカゴいっぱい。さすがにもう買うものはないだろうと試しにまた入ってみたら、やっぱり何かを手にして店を出る。あとで「な、なんでこんなものを?」ということもあるので、目的なく入らないこと。

■ケベラ
出身地の福岡でアメリカ人の夫と出会う。結婚15年目のぎりぎりアラフォー。約10年間のビーチ天国シドニー暮らしを経て、ポートランドへ08年9月に移住し、この雨の街に体と心を順応すべく調整中。現在夫婦ともども無職。「お金はなくとも酒は飲む」のポリシーを貫き、近所のパブのハッピー・アワーには必ず顔を出す律儀な酒好き夫婦。