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日系人コミュニティに嫁入り!

 

日系人コミュニティーに嫁入り

アメリカの日系人家族に嫁いだ花子の目から見た、彼らの日常、不思議、感動を紹介するほのぼのエッセイ。
文/松乃井花子

第1回    日系人英語に生きる日本語

私の夫は日系4世。正確には、祖母が2世、でも祖父は1世ということで、父親自体、すでに何世かわからない状態です。映画「キル・ビル」で主人公が結婚した場所、テキサス州エルパソの生まれです。これも昨年、出生証明書を取り寄せて判明しました。本人はそれまでエルパソの隣町で生まれたと思い込んでいたようです。
夫は日本語が話せませんが、食べ物の単語だけは増えていく毎日です。ご飯、豆腐、卵、牛乳、納豆、梅干しなど、発音は完璧(最初の言葉に気合を入れる、時代劇風発音ですが……)。
何と言っても、大好物はトビコです。歯でかむと、プチプチっとするところが好きらしいのです。そんなわけで、ご飯とトビコを与えておけば、幸せいっぱいの夫です。しかし、イクラは魚臭くて嫌いで(まあ、イクラはかみ応えがないですが)、トビコへのこだわりがあるため、マサゴも食べません(かみ応えはありますけどね)。
これから、日系文化になじみの薄い日本人の皆さまのために、夫とその家族との交流を通して私が感じた日系文化について書いていきたいと思います。今回は、言葉について。
夫の家族は2世の伯母さん達を含め、ほとんど日本語が話せません。しかし、普段の会話の中に日本語が生きているのです。

ボチャとタイタイ
夫の伯父さんが、孫の女の子に対して、「ボチャしようか、ボチャ」と話し掛けていました。どうやら、擬音語「ボチャボチャ」が「風呂に入る」という意味になっています。
同じように、夫の伯母さんが「あらー、このタイタイ、どうしたの?」と孫の手をさすっていました。「痛い痛い」がタイタイに発展したようです。

ブンカ
別の伯母さんが「ブンカのクラスに行ったら、偶然、姉さんに会ったの」と言うので、文化教室かと思っていたら、「ブンカを習っていてさ」と続き、話がわからなくなってきました。伯母さんが「これよ、これ」と見せてくれたのは、額に入った猫の刺繍。ブンカとは「文化刺繍」の意味のようです。
ちなみにこの伯母さんは水引のクラスも取っていて、ブローチを作っていました。

スズコ
伯母さんが「あなた、スズコ好き? スズコ? 手作りなのよ」と出してくれたのはイクラ。伯母さんの父親は東北出身なので、筋子を訛って覚えてしまった様子。伯母さん手作りの「スズコ」の味付けは、ショウガ塩味、レモンしょう油味、塩味の3種類あります。私は母の作ってくれる、フツーのイクラのしょう油漬けが食べたいのですが……。

ウ○コタデ
夫がメールで、「このー、ウ○コタデ(tade)!」と書いてきました。「たれ」と言いたかったようですが、日本語のラ行の言葉がうまく聞き取れず、「たで」になってしまいました。どうやら、夫の父親が使っていたため、覚えたようです。世代を超えて残る「う○こたれ」、偉大な言葉です。

第2回    ビミョーに違う日系人の習慣

もうすぐ、日本の私の実家に夫と遊びに行くので、みんなで温泉旅行をしようと母。夫にとっては初めての温泉なので、広いお風呂を喜んでくれるかなーなんて思ったのが間違いでしたよ……。夫に話をしたら、「ほかの人と一緒に裸になんかなれるかー! 熱い風呂が嫌いなの知ってるだろ? お前達だけで行っていいから」と夫(実は照れ屋さん?)。温泉旅館に行って温泉に入らないなんて、ほかに何をするんですか! そんなわけで、温泉旅行はなくなり、東京旅行になりました(宿泊先はホテル)。ちょっと悲しいですが、仕方がないです。

アメリカの習慣では、ほかの人と一緒に裸でお風呂に入るなんてことはしないから、夫の反応は無理もないのかもしれません。というわけで、今回は習慣についての話です。

千羽鶴
私にとって千羽鶴と言えば、入院した人にプレゼントするような吊るされたタイプを想像します。しかし、夫の家族で千羽鶴と言えば、折り鶴の羽を開かずに紙に貼っていき、何かの絵に仕上げるというものです。例えば、夫のいとこの家には、メタリックな緑色の千羽鶴が三つ葉の形に並べて貼られた絵が飾ってあります(いとこの奥さんはアイルランド人なのです)。というわけで、絵を作る時点で綿密な計算はされないので、必ずしも千羽ではありません。

あだ名
日系人はあだ名の付け方もちょっと変わっています。夫のはとこ(夫の祖母の妹の子供の子供)のあだ名は“ムシ”。発音的には「無視」に近いです。理由は、彼女が小さい時に「ちょこまかちょこまか」していたから。そう、「ムシ(虫)」の意味です。2児の母になった今もそう呼ばれています。ちなみに私は、彼女の本名をいまだに知りません……。

土足厳禁……でもない
伯母さんの家には、基本的に靴を脱いで入ります。入り口には靴を置く場所もあります。けれど、伯父さんや夫のいとこは気まぐれに、室内でスニーカーやサンダルを履いているので、徹底はされていません。その割には、カーペットに寝っ転がってる人もいるので、気にしてもなさそう……。どこかのおうちに集まった時、伯母さんが、「靴履いていると疲れちゃうからね~」と靴を脱いでいたので、土足厳禁だからという理由で脱ぐわけでもありません。夫も、土足厳禁であるはずの我が家で靴を履いている時があります(「だって、いすに座って靴を履きたいんだもん」って、おいっ!)。

ジャンケンポー
ある日、夫が「『ジャンケンポー』して決めよう、『ジャンケンポー』」と言い出しました。どうやら、「じゃんけん」をしたかったらしいのですが、やり方が独特。左の手のひらを、グーにした右手でポンポンとたたきながら、「ジャン(右手で左の手のひらをポンとたたく)、ケン(またポンとたたく)、ポー(チョキとかパーとかを出す)」という感じに、力強く勝負します。ポンポンしている間は相手の手を見ちゃいけないというルールらしいです(っていうか、視界に入るんですけどね)。ちなみに、「あいこーで、しょ」というのは存在しないので、終わるまで「ジャンケンポー」を繰り返すのです。

第3回    日系アメリカ人と日本食

ある週末、夫の伯母さんの家で手作り餃子ディナーをごちそうしてもらいました。食事の後、いつものように家族の話になり、夫の曾祖母の巻き寿司(たぶん、太巻きのこと)は、おいしくて有名だったらしいという話になりました。教会でバザーがある時には、売りに出すほどの腕前だったそうです。それを受け継ぎ、夫の祖母の寿司も曾祖母のものに限りなく近い味だったとのこと。そして現在、その味に限りなく近い巻き寿司を作るのが、夫の祖母の弟と結婚したドイツ人(!)の伯母さんだというのです。というわけで、今度、そのドイツ人の伯母さんがリユニオン(州外からも縁者がやって来る規模の大きい懇親会のようなもの)でシアトルに来る時、私もその作り方を習うことになりました。はてさて、どんなレシピなのか、それはまた改めて紹介しますね。
今回は食べ物について。日系文化に残る日本食の話です。シアトルに遊びに来た時に伯母さんちで食事をしたことのあるうちの母は、「伯母さん達の料理は、見た目は完璧な日本食なんだけど、味がちょっと違うんだよね」と言っていましたが、まさにその通りなんですよ。私も具体的に何が違うのかイマイチわからないのですが、確かに何かが違うのです。 

のり
 夫の伯母さんは、のりは絶対あぶってから食べます(一部燃えてしまうため穴が開いています)。そこで、「のりってあぶるものなの?」と母に聞いたら、「昔はそうやって食べたのよね。今売っているのりは必要ないけど」とのこと。昔は焼きのりが売ってなかったそうです。

寿司とおにぎり
夫の家族は、どうやら寿司とおにぎりを区別しないご様子。酢飯じゃなくても、ご飯にのりが巻いてあれば寿司のようです。「この伯母さんのお寿司はおいしいんだよね」と出されたものは、塩鮭をほぐしたものや、刻んだたくわんを混ぜたご飯(酢飯ではない)を俵型にしてのりを巻いたもの。お弁当に入っていそうな俵おにぎりです。その横には、まぐろをのせた寿司や、手作りイクラ(通称スズコ)をのせた軍艦巻きもあったりします。大人気のスパムをのりで巻いたものも、スパム寿司やスパムむすびと呼んでいます。夫の家族のスパムむすびは、ヨシダ・ソースで照り焼き風にしたものから、焼いたスパムにフリカケをかけただけのあっさり風までいろいろあります。通常、卵焼きは挟んでありません。

フリカケ
日系スーパーでお買い物をしていると、夫の妹が「この“フリカケ”おいしいのよね」と、おなじみ永○園のお茶漬けの素を手に取りました。確かに見てくれは似ていますよ。どうやら昔からご飯にかけてお湯なしで食べていたらしい。実際に私も試してみると、かなり塩気が強いので(本来お湯を入れて食べるものですからね)、少量でかなりご飯が食べられます。
さらに伯父さんは、ポップコーンにお茶漬けの素をオリーブ・オイルと一緒にかけて食べます。普通、ポップコーンにはバターですが、バターと“フリカケ”は合わないらしいです。ところ変われば、お茶漬けの素ひとつ取っても使い方が変わってしまうようです(というか、最初に食べた誰かが間違っただけのような気もしますがね……)。  

第4回    日系アメリカ人と日本食(その2)

夫の家族のファミリー・リユニオンがもうすぐあります。ワシントン州だけではなく、アラスカ州、カリフォルニア州から親戚一同が集まってきます。そのため、夫の伯母さんA※は、家族についての話をまとめているところです。使っている家系図は、何年も前に作られたものですが、もうすでにかなり大きい! まだ夫のいとこの奥さんや子供、私の名前なんかは入っていない状態なのに……。それもそのはず、夫の曾祖母は11人も子供を産んだらしいですよ(昔の日本人なら普通ですかね?)。リユニオンでは、どんな食事が出るのかなぁと楽しみな花子です。というわけで、今回も前回に続き食べ物の話なのですよ。

雑煮
夫の伯母さん達は、新年明けていちばん最初に食べるものはお雑煮だと信じています。なので、「雑煮を食べてからじゃないと、ほかのもの食べちゃだめよ」なんて言われます。うちの母に聞いたらそんな風習は知らないらしいので、地域によって違うのでしょうかね? 伯母さんB※のお雑煮は、とり肉やら魚やらが入っているかなり濃い味のスープに、焼いたお餅を後から入れるというスタイルです。かなり凝っていますよね。

ダーティー・ヌードル
レストランに夫と行った時のこと。私は久しぶりにそばをオーダーしましたよ。出て来たそばを見て夫が、「うちのじーちゃんは、そのダーティー・ヌードルが好きだったらしいよ」と教えてくれました。いやいや、ダーティーな色じゃない、白っぽいそばだってあるんですけどね。夫に食べさせてあげたいです。

松茸ご飯
松茸がたくさん採れた年がありました。その時、伯母さんAが松茸ご飯を作ってくれました。伯母さんの松茸ご飯のレシピは、酒もだしも入れずに、しょう油と松茸だけのシンプルなもの。素材の味が生きていますよ。

漬け物
豆腐も手作りしちゃう器用な伯母さんC※が漬け物を出してくれたのですが、キャベツだけではなく、カリフラワーやラディッシュなんかも漬かっていました。

餅カスタード
カスタード味のお餅? プリンっぽいお餅?餅粉と卵を使って伯母さんCが作ってくれるんですけど、不思議な食感です。ほかにも、コーヒーと小豆の寒天を合わせたものや、マシュマロが入ったお餅(きなこもかかっております)などもあります。

余談:アーミッシュ・フレンドシップ・ブレッド
夫のいとこがアーミッシュ・フレンドシップ・ブレッドというものをくれました。チェーン・メールのパン・バージョンという感じで、プラスチックの袋に入ったパンの種をもらうんですが、そこからモミモミしながら数日待って(発酵させるそう)、でき上がったものに牛乳とかを足して、1カップずつに分けて、自分にひとつ、ほかの3つを友人にレシピと一緒に配るという仕組みらしいです。で、我が家でどうなったかと言うと、10日目で牛乳とか足さなきゃいけなかったのですが、すっかり忘れていて、はて、どうしましょ? という感じです……。

※伯母さんA、B、Cは姉妹(ちなみに姉妹はもうひとりいます)。とにかく皆さんおしゃべりが大好きです。
伯母さんA:いちばん日本語が上手な伯母さん。でも、日本に行ったことがありません。
伯母さんB:戦時中の日系人強制収容所に関する講演などを熱心に行っています。
伯母さんC:マリナーズ大好き伯母さん。若かりしころ、日本で英語を教えたことがあります。

第5回    ファミリー・リユニオン

とうとう2週間(!)に渡って行われるファミリー・リユニオンがやって来ました! 病気で入院している大伯父さんと大伯母さん(第3回で紹介した、巻き寿司を作ることができるドイツ人の方ですよ)とその家族が欠席してしまい、今回は前回より少なかったけれど、それでも50人くらいは集まっていました。今年は2組の夫婦が結婚50周年を迎えていました。来年は大伯母さんの100歳の誕生日を祝うため集まる予定のようです。巻き寿司レシピはそれまでおあずけですね。

スライド・ショー
初日、いつもの伯母さんの家でバーベキュー・パーティーが行われました。久しぶりに会う親戚の皆さん、伯母さん伯父さん達はあまり変わっていないようです(夫曰く、とある伯母さんは20年前も同じ体型で同じ服を着ていたそう)。カリフォルニアに住む親戚(夫の祖母の弟の娘)が家族の写真を集めて作ってくれたスライド・ショーをみんなで鑑賞。ただ、ナレーションなどは入っていないため、それが誰の写真なのかイマイチわからない状態。立派なヒゲを生やした夫の曾祖父と、髪は日本髪に結ってあるのに服はウェスタンという曾祖母の、何とも不思議ないでたちカップルの写真がとても印象的だったのと、大きいメガネを掛けて、ぽかーんと口を開けている夫の子供のころの写真がかなり笑えました(義父はなぜその写真を選んだんだ?)。一応年代順になっているようなので、最後のほうに私達の写真も出ましたよ。

中華レストラン
2日目は中華レストランにて。持ち帰り用のパーティー・フェーバーと呼ばれるものとして、それぞれの席に爪楊枝でできた爪楊枝入れが並んでいました。カメラのフィルム・ケースの周りに爪楊枝を付けてそれを和紙でぐるっと巻いてあるものなのですが、なかなかかわいいのですよ。大皿の中華料理を楽しんだ後は、大きなケーキを囲んで大伯母さんの99歳の誕生日、2組の夫婦の結婚50周年を祝いました。

墓がない
花子は仕事で行けなかったのですが、夫は伯父さん達を連れ、タコマにある夫の祖父母のお墓参りに行きました。ついでに祖母の妹の夫の墓にも行くことになり、「木の近くだ」という伯父さんの説明通り、みんなで木を探してうろうろしたそうです。しかし、いくら探しても見つからないため、管理者に聞いてみると、地図(こちらの墓地は車で移動するくらい大きいですからね!)を取り出してきて、この辺りだと連れて行ってくれたそうです。でもそこには芝生しかない。すると、管理者はスコップで芝生を掘り始め、みんなびっくり。祖母の妹の夫の墓石は地中に埋まってしまっていたのですね。そして管理者は「親族の許可を得て、今の芝生の高さに合わせて、墓石を動かしたい」と言ったそうです。なので伯父さんがサインして一件落着となったそうなのですが、「親族って言っても、曾祖母の妹ならともかく夫っていうのは大丈夫なの?」と夫に聞いたところ、「その夫というのは、祖母の兄弟の子供、つまりは祖母の妹にとっては従兄弟。だから、おいっ子にあたる伯父さんがサインできたのさ」とのこと。従兄弟同士で結婚していたのですね。

大伯父亡くなる
リユニオンも後半に差し掛かったところで、入院していた大伯父が突然亡くなってしまったという連絡が……。というわけで、次回はお喪式のお話です。

第6回    お喪式に行く

急逝した夫の大伯父の喪式のため、花子と夫は大伯父の家がある、シアトルに次ぐ第2の都市、ワシントン州の東の外れのスポケンへ行くことになりました。辺りがまだ真っ暗な朝4時に家を出て、I-90をひたすら東へ。畑ばかりだった風景が、スポケンに入ると突然、高層ビルも建っている都会の風景になるのでびっくりしましたよ。

日系人教会で
お喪式当日は本当に良い天気で、外はもうすでに華氏90度(摂氏32度)を超えていました。会場となった教会は設立105年という日系人教会(もちろんエアコンなし)。式が始まるのを教会外のベンチで待っていると、霊きゅう車が到着。教会の目の前で右折した時、ドア(閉まってる)の片側から水がバシャッ(!)と流れ出し、大伯父の孫(7歳くらい?)は「あれ、オシッコじゃないといいけど……」と心配していました。教会の入口では香典レセプショニスト(本当にプログラムにそう書いてあるんですよ!)がお出迎え。会場内ではアッシャーと言われるお手伝い係の男性ふたり(日系人のおじいさん)が、せわしなく参列者のお世話をしています。棺が中央に置かれ、祭壇にはたくさんの花が飾られています。退役軍人である大伯父の棺には、大きなアメリカ国旗が掛かっておりました。礼拝が行われ、途中、息子さんは参列者にお礼を述べ、冗談をたくさん交えながら大伯父のエピソードを披露していました。やはりこの辺はいつも笑いを忘れないアメリカならではですね。

お墓へ
お喪式の後、気温はすでに華氏104度(摂氏40度)になっていました。「墓地にはエアコンもないので、来たい人だけ来てください」とのことだったので、親族だけでお墓に向かいました。お年寄りの参列者も多かったので仕方がないですね。大伯父の埋葬される墓地は、青い芝生が美しく、しかも車で山を登って行く素敵なところでしたが、大伯父の娘が「昔、白人と日本人は一緒に埋められないってことで、この墓地の一部分が日本人用とされて、日本人達が買ったのよ」と教えてくれました。何だか時代を感じますね。大伯父を含め、私の知り合いの日系人達は大抵キリスト教(もしくは無宗教)なのですが、ほかの人達のお墓を見ると、戒名が墓石に彫られている人もいるので、仏教の人もいたようです。テントといすが設置された墓地の一角に棺桶が運び込まれ、お祈りをし、賛美歌を歌って大伯父とお別れしました。

レセプション&パーティー
お墓での式が終わり、レセプション会場のホテルに向かいました。エアコンが効いた会場で、寿司、春巻、チーズ&クラッカーという和洋折衷の軽食をみんなで楽しみました。その後、花子はホテルで昼寝をして(睡眠4時間でしたからね)、アイダホ州から来た別の大伯父さんを空港へ送り(晴天だったのに、空港に着いた途端どしゃぶり。でもまた晴れるという、変な天気)、亡くなった大伯父宅でパーティーに参加。プールで遊んだり、バーベキューを楽しんで帰宅の途に着きました。

大伯父の言葉
日本語のわからない兄弟が多い中、日本語を独学した大伯父は、日本語を話せただけでなく、読み書きもできました。家の中には、大伯父の名前と共に「人に勝とうとするな、自分に勝て」と書かれた立派な木彫りの置き物が生前からあったようで、素晴らしい言葉だなぁと思いました。日本語のわからない、娘、息子、孫達に伝えていけたらなと、花子は思いましたよ。

第7回    イベント続きの年末年始

この時期は、クリスマス、大晦日とイベントが続きますね(まぁ、11月のサンクスギビングも含めても良いのですが)。初めてアメリカに来た6年前は、クリスマス当日はほとんどの店(スーパーなど)が閉まってしまうのに、花子はびっくりしましたよ。唯一開いてる映画館に行ってみると、普段ではありえない混みよう。チケットが売り切れていたため(公開初日だったりするんですね)、時間をつぶそうにもなんとファスト・フードまで閉まっていて、コンビニでホットドッグとかを買いましたよ。最近では、クリスマスでも開いてるお店が増えたような気がしますがね。
さて、今回はクリスマスとお正月についてです。それでは、みなさま、良いお年を(早過ぎるって?)!

手ぶらじゃ行けない
「プレゼントはいらないよ」という約束のはずなのに、手ぶらで行ったら大変な目に遭ってしまうのが、夫の親族のクリスマス・パーティー。手ぶらで行った日には「はい花子、メリー・クリスマス」とプレゼントを手渡され、お返しがないとタジタジするハメになります。というわけで、親戚の中でもいつも会っているような親しい人達(いつものおしゃべり伯母さん夫婦、マリナーズ好き伯母さん、いとこ夫婦など)には特定のプレゼントを用意し、その他大勢のためには何か小さいものを用意します。その他大勢というのは、リギフト(プレゼントとしてもらったものを別の人にあげて再利用する、合理的なアメリカ人ならではの習慣)した物をくれる人達や、来るかどうかわからなかったり、プレゼントをもらえるかどうかわからない人達のことなのですが、このプレゼントを考えるのが本当に難しい。あまり安い物を用意してしまうと、mooch(たかっておいて、ケチな人)と言われ、高いものを用意してしまうと、気を遣わせてしまう……このバランスが微妙なのですな。

パーティー会場は持ち回り
食べ物の回(2007年9月号参照)でお話ししましたが、伯母さんは4人姉妹です。サンクスギビング・デー当日は伯母さんAの家、アフター・サンクスギビング・デーは伯母さんBの家、クリスマスは伯母さんCの家、正月は伯母さんDの家、という風に、大イベントについてはどこの家でやるのかが毎年決まっております。サンクスギビングからお正月に掛けて親族に会う機会が多いので、おいしいものが食べられてウハウハなのですが、ちょっと気疲れしちゃいます。料理はいつものように和洋折衷。ターキーや巻き寿司、“スズコ”(2007年6月号参照)の軍艦巻きなどが並びます。

そばなしの大晦日
年越しそばというのは、あまり浸透しておりません。花子は毎年、年越しそばを食べようとするのですが、夫は年が明けるのを待つことができず、コテンっと寝てしまう(本当にの○太くんのような人なのです)ので、昨年は犬とふたりっきり(?)で年越し。そんなわけで、そばなんかゆでる気になれませんでしたがね……。
伯母さん達は、新年で初めて口にするものは雑煮でなければならないと信じています(と言っても、「あら、今年は雑煮食べ忘れちゃったわ」なんて伯母さんもいるんですけど……)。 ちなみに伯母さん姉妹は、神道ではなく割と仏教寄り。正月に神社に行くという習慣はありません。と言っても日系人全体では仏教徒が少なく、1世や2世の大半はクリスチャン。若い世代には無宗教も多いです。

第8回    ドイツ人の大伯母さん

ファミリー・リユニオンで伝説の巻き寿司を教えてくれるはずだった(2007年8月号参照)、アイダホに住むドイツ人の大伯母(夫の祖母の弟の妻)が突然亡くなりました。彼女は何年も前に乳がんを克服していたはずなのですが、ちょうどファミリー・リユニオンがあったころ、詳しいことはわかりませんが、再入院していました。皮膚の移植が必要で、痛みがひどくて大変だったそうです。ちょうど大伯母が退院して家に戻ったころにスポケンの大伯父のお葬式(2007年11月号参照)があったのですが、兄の訃報を聞いた大伯母の夫は、大変な中アイダホから飛行機でスポケンに駆け付けました。その時、毎日何を食べてるの?という親戚の質問に、その大伯父は「ジャック・○ン・ザ・ボックス(どこにでもあるバーガー・チェーン店)さ」と、笑って答えていました。花子は、大変な時でも明るくいられるなんて大伯父らしいなー(とっても明るい人なのです)、元気そうで良かったなと思っていたんですよ。その後、大伯母は苦しむことなく、安らかに亡くなったそうです。きっと、最後は家族に囲まれて幸せだったろうなと思います。大伯父にとっては、1年のうちに兄と妻が亡くなるという、とても悲しい年になってしまいましたがね……。というわけで、今回は大伯母との思い出の話です。

元気いっぱい

 大伯母は眼鏡を掛けてキリッとしているので、一見きつそうな人に見えるのですが、明るくて面白い人でした。数年前のクリスマス、アイダホから夫婦でシアトルに遊びに来た時に花子は初めて会ったのですが、大伯母は「ほーら私、(体が)柔らかいでしょ」といきなり前屈して、ぺたーと両手を床に付けて見せてくれました。みんなで前屈してみたのですが、大伯母は花子に「アンタ、足が曲がってるわよ!私のは真っすぐでしょ!」となかなか厳しい指摘をしました。とても耳が良い大伯母は「私まで耳が遠くなりそうだわ」なんて言いながら、大伯父に大声で話し掛けていました。「いいのに、いいのに」ってホストの伯母さんに言われても、「座ってるのもナンだから」とせかせかお手伝いしていたのも印象的です。

大伯父との出会い

 大伯父と大伯母の出会いは第2次世界大戦中のドイツでした。何だか劇的な出会いですよね。大伯父はアメリカ軍の兵隊としてドイツにいたのですよ。大伯母は当時をふり返り、「あの当時のドイツには物がなかったのよ。アメリカ軍にいた彼がせっけんやら何やら、いろいろ持って来てくれて、本当に助かったわ」と大伯父が物(特にせっけん)で釣ったことを暴露しつつ、「私、昔から黒髪の男性が好きだったの」なんてのろけていてかわいかったです。

乳牛を育てていました

 大伯父と大伯母は、終戦後はアイダホの農場で乳牛を育てて生計を立てていました。朝は早起きしないといけないので、大変だったようです。ドイツ人と日本人のハーフの子供をふたり引き取り育てたのですが、その子供達も結婚して、今ではたくさんの孫がいます。孫の写真を自慢気にいっぱい見せてくれました。

最後のハグ

 大伯父と大伯母がアイダホに帰る前の晩には夕食会が開かれました。いざお別れの時が近付くと、大伯母はみんなを順番にハグしていきました。当時、私はまだ夫と結婚していなかったのですが、大伯母は「I like this one, too.(この子も気に入ってるのよ)」と、にっこり笑って花子のことをぎゅーっとハグしてくれたました。また会えると思っていたのに、伝説の巻き寿司も習えると思っていたのに、とても残念です。でも、会える機会があって本当に良かったなと思います。

第9回   日系人の美容とファッション

冬は空気が乾燥しますね。花子の肌(とくに唇、手足、背中)が大変なことになっています。テレビ番組(夫が好きなトーク・ショー)を見ていたら、若さを保つ秘訣はボディー・ローションを毎日塗ることと言ってた人がいたので、花子は毎日気を付けて塗っています(基本的にとても単純です)が、美容って呼ぶほど、気合が入っていないのが日系人のような気もします(若い世代は違うのかな……)。
 花子はもともとオシャレさんじゃなかったのですが、アメリカに来てさらにオシャレさん度が減っているので、ばっちりメイクに素敵ファッションな日本人のお姉さん(といっても年下なんだろうなぁ……複雑)を見ると、尊敬しちゃいますよ。というわけで、今回は日系人の美容とファッションのお話です。

日焼け

 花子は化粧はあまりしませんが(しなければならない年齢なのですがね)、日焼け止めだけは欠かしません。しかし、日系人の多くは日焼け止めを塗りません。日焼けするためのオイルを塗っているのを見たことはありますが。日系人を含め、アメリカ人というのは、褐色の肌を好むからだと思われます。というわけで、夫の家族の皆さんはほとんどがこんがり日に焼けています。けれど、夫は美しい肌の持ち主(なぜ?)。そんな夫は、白い肌が恥ずかしくて、こっそり日焼けサロン通いをしていた時期があります……(今は通ってませんよ。「肌に良くないと思う」と花子が言ったらやめました。)

くせ毛の規準

 花子の髪はくせ毛があるので(後ろの一部分だけチリチリです)、パンテー○のシャンプーのコマーシャルに出てくる女性の持つような真っすぐな髪に憧れて、初めて縮毛矯正しました。いつもの伯母さんの家での集まりで、「そういえば花子の髪、真っすぐにしたんだよ。ほら真っすぐでしょ?」と伯母さんに髪を見せたところ、「あなたの髪はいつも真っすぐじゃない。違いがわからないわ」と言われました。「えーーー、結構高かったのに!」とショックを受けたのは置いておいて、どうやらこちらの真っすぐの定義は日本ほど厳しくないようです。

伯母さんと厚底サンダル

 1年中、素足に厚底サンダルで通す伯母さん(すでに70代)がいます。最初会った時は衝撃を受けましたが、今は慣れちゃいました。さすがのアメリカでも、伯母さんの年齢で厚底サンダルを冬に履いている人は、伯母さんしか知りません。セイフコ・フィールドの階段を上がっている伯母さんを見るとちょっとハラハラしますがね。

ジーンズの丈

 日本では標準の身長だった花子なのですが、アメリカでは小さいので、なかなかぴったりのジーンズがありません(日本ではLサイズなのですが、この前、夫の友人に「tiny(小さい)」と言われました。人生初めてですよ、びっくりしました)。夫の家族は皆さん私より背が低いので、ある時、夫のいとこにジーンズをどこで買っているのか聞いてみました。答えは普通にデパートとかで買ってすそを自分でまつっている、とのこと。花子は、ミシンも持っていないし、裁縫の才能もないので無理ですよ(この前もほつれたバッグを夫が直してくれました)。
 最近は、いろんなお店でShortとかPetiteサイズ(身長160センチ以下の人用)が置かれるようになりましたが、以前はそんなになかったから、きっと自分でまつるより仕方がなかったんだろうと思います。

第10回   日系人のお年寄り

今年100歳になる大伯母さんが入院してしまいました。冷え込みが厳しい季節だからでしょうか? とっても心配です。大伯母は1回倒れてから認知障害が始まったのですが、兆候が出始めたころは私達のことを覚えていてくれて、「このクロスワード・パズルは、花子達からもらったのよ」とほかの人に話していたらしいです。でも、次に会った時には、すっかり忘れられていましたが……。ドイツ人の大伯母さんが亡くなった時に「会いたい人には会っておいたほうが良い」と強く思ったので、絶対またお見舞いに行こうと思います。今回は日系人のお年寄りについてです。日本のお年寄りも元気ですが、日系人もパワフルですよ。

ステーキもりもり

家族の集まりで、伯父さん(70歳代)がジューシーな分厚いステーキをもりもり食べていたのにびっくりしました。花子の父母(ふたり共56歳)は、ゆでジンギスカン(ゆでることで脂がほとんどなくなったジンギスカン。ラムのしゃぶしゃぶですかね)を食べているので、えらい違いです。ちなみに義父(65歳)の朝ご飯はステーキと卵だそうです。花子は朝からステーキなんて食べることができませんよ。

冬でもTシャツに短パン

短パンは裾をまつる必要がないので、伯母さん達は年中愛用しています。というわけで、寒い日でも短パンだったりします。ついでに、Tシャツも袖の長さを気にしなくていいので人気です。体感温度も違うようで、伯母さん宅に行くと花子はいつも寒いです。短パンTシャツの皆さんがいる中、花子はいつも厚着です。

高速道路をかっ飛ばす

マリナーズが大好きな伯母さんは、自分で車を運転してほとんどの試合を見に行きます(シーズン・チケットを持っているのです)。シアトル郊外に住んでいる花子の家にも高速道路をかっ飛ばして来てくれたことがあるくらい元気です(怖いので、花子達が伯母さん宅に行くことがほとんどですが……)。さすがに最近は「夜の運転は怖いのよね」と言っていますが、そんな彼女は、72歳(推定)で人生初めての眼鏡を作りました。花子なんて10歳の時から眼鏡ですよ。

夜遅くても大丈夫

いつものおしゃべり伯母さんの家に行くと、伯母さんが話に熱中してしまい、深夜12時を過ぎることがあります。伯母さんは目をしばしばさせながらも、ぺらぺらお話ししているわけです(たいがい、花子の夫はいびきをかいて眠ってしまっているので、家に帰る時に叩き起こすのですが……)。私達が「そろそろ帰ります」と言うと、「これから姉にEメールを書こうかしら」とか言ってるので、夜遅くてもかなり元気です。

83歳でジム通い

大伯母さん(83歳)は、シアトルのコンドミニアムに住んでいて、どこへでもバスで出掛けちゃいます。歩くのも好きで、シアトル・センターで行われたイベントに一緒に行った時なんか、花子達はヘトヘトなのに、大伯母さんは疲れを見せずにスタスタ歩いていました。それもそのはず、ほぼ毎日ジムで汗を流しているそうです。ちなみに初めて大伯母さん宅でランチをごちそうになった時は、お味噌汁にネギと豆腐とマッシュルームが入っていました。昔は日本の食材なんて簡単に手に入らなかったからでしょうね。びっくりしましたが、今では花子もお味噌汁にマッシュルームを入れています。マッシュルームのお味噌汁を作る時、いつもこの大伯母さんのお味噌汁を思い出す花子です。

第11回   花子家アップデート

このエッセイも今回で11回目です。書いている間にもいろいろありましたよ。その中でも大ごとだったのは、とうとう夫の家族にこのエッセイの存在がバレたことでしょうか……。マリナーズ好きの伯母さん(初登場は第1回)についての記述(第4回の注釈と思われる)を読んだ伯母さんの友人Kさんが、「これは、○○に違いない!」と、その伯母さんに知らせたそうです(特定されてしまうそんな伯母さんはスゴイです!)。そんな訳で、花子の知らぬ間に花子がゆうマガで連載をしているという事実が一気に家族全員に知れわたってしまいました。

クリスマスの集まりでいつもの伯母さん(夫の父親の兄嫁)に「どんなエッセイを書いているの?」と聞かれて、「スズコ(イクラのこと。第1回参照)」を例に言葉の使い方の違いを話したら、「うちでは、鮭を“サモン”(サーモンがなまった?イントネーションはサに強調)って呼んでいたのよ。シャケって誰かが言ってて何のことを話しているのかわからなかったわ」と言っていました。花子はシャケとは死んでいる鮭(切り身)で、生きている鮭はサケと呼ぶのだと思っていましたよ(方言による違いだという説もありますが……)。いつもこんな風にネタを提供してくれる伯母さん、ありがとう。

夫のいとこにはクリスマス・プレゼントとしてJACL(日系アメリカ人市民同盟)のレシピ本をもらいました。それについてはいずれご紹介したいと思っております。

ファミリー・リユニオン後日談
たくさんの縁者が集まるファミリー・リユニオン(第5回参照)の時に上映された、一家の歴史がわかる(!?)スライド・ショーのDVDコピーがうちにもまわって来ました。リユニオンでの上映会では誰が誰だかわからなかったのですが、もらったバージョンにはちゃんと、誰が写っているのかを説明してある紙が入っていました。私の名前も正しくつづられていました。日系人のみなさんは、いくら日本名に慣れているとはいえ、よくつづりを間違えることが多いんですよ。

ドイツ人の大伯母さんのお葬式
おいしいと評判だった曾祖母の、伝説の巻き寿司(第3回参照)に限りなく近い巻き寿司のレシピを知っているドイツ人の大伯母さん(第8回参照)。彼女のお葬式にはたくさんの人が集まったそうです。盛大に行われたその式の中で、100人近い参列者が大伯母さんとの思い出を話す場面があったそうですが、「いやー、小さい子でもね、大伯母のことをよく知ってるのよ」と出席した親戚が語っていました。亡くなった大伯母さんの人柄が現れてるなぁ、と思いましたよ。

ジムに通う元気な大伯母さんと
クリスマスは別の家のパーティーに呼ばれていたため会えなかった、ジムに通うのが日課の大伯母さん(第10回参照)と、先日一緒に食事をしました。大伯母さんは会うと必ず、枝豆、豆菓子(こだわりのわさび味。夫はわさび嫌いなので、花子専用)、果物なんかを持たせてくれるんですよ。典型的な日本人の親戚のおばちゃんなのです。

おせんべい流行中
花子家では現在、おせんべいが流行中。たまたま先月、宇和島屋さんでセールしていたので大量購入してみたら夫が気に入りまして。花子も久しぶりに食べたらおいしくて常備おやつとなったのですが、そこで花子はサラダ味というのがなんとタダの塩味だったのだと学びましたよ。また、永○園の麻婆春雨にも夫は感激してくれたので、これから常備しておかなくちゃと思っています。

第12回   名前の話

夫と会話している時、手ぶらという意味で「empty-handed」と言った時、夫が突然「empty-handedって、カラテだろ、空手!」と言い始めました。文字の意味は確かにそうです。日本語、ましてや漢字がわからない夫がなぜ知っていたのかは謎ですが。そういえば、アメリカに来て「君の名前、どんな意味?」と聞かれて困った経験ありませんか? 花子だとフラワー・チャイルドって答えることになるのかな。今回は名前の話です。

古風な名前
 日系人の皆さんは、アメリカの風習にならって祖父母や両親、自分の名前を子供に付けます。そのため、古い名前が残っていく傾向にあるようです(例:みよこ、まさおなど)。日本名は、通常ミドルネームに入れます(大概イニシャルとしてしか使いませんからね)。また、名前を選ぶ時、日本は漢字が先にありきだったりしますが、日系人の場合、名前を音で選んで漢字を当てるので、「花子、漢字を何か考えて」と言われることもありました(レイコという名前だったので“麗子”“玲子”などを考えましたが、結局ボツリました……)。英語名は、日本人でも発音しやすい、ジョン、ジム、ケン(実はケンジだったりするが、英語の名前「ケネス」と呼ばれたりもしている)が多いです。
ch-ch-ch-♪
 “チエおばさん”というおばさんがいます。クリスマス前に、プレゼントのラッピングをしていた時のことですが、宛名を書く際に、夫の妹がチエおばさんのプレゼントに「Chiya」とドーンと書いていました。そこで、彼女の発音をよく聞いてみると、それはまさにch-ch-ch-chia♪のチアなのですよ(ch-ch-ch-chiaとは、アメリカ人なら誰でも知っているChia Petのコマーシャルのフレーズ。チアという貝割れ大根のような草を、動物などの形をした陶器の上で育てるおもちゃです)。日本の名前の知識もないし、日本人には当たり前のあいうえおの母音がうまく聞き取れないので仕方がないですね。花子も英語の名前を聞き取って、さらにそれを覚えるのにとても苦労しております。

ミドルネーム
 結婚した時、ミドルネームに旧姓を入れようと思っていた花子ですが、「日本人にミドルネームはいらない!」と夫に言われ(何じゃそりゃ?)悩むことに。確かによく考えてみると、私の旧姓と夫の苗字を並べると、ふたりとも同じ漢字で終わっているので、花子・丸井・今井(仮名)のようになってしまいます。というわけで、ミドルネームなしになった花子です。有名な日本企業名でもある旧姓のほうがアメリカ人にも通じるので、アメリカでは便利だったんですけどね。

ストリートは人名
 ある日、夫のいとこから、「信じられる? 私達の苗字がついたストリートがユタ州にあるらしいのよ!」とメールが届きました。確かにアメリカでは、ストリートに人名が使われているのですよ。どの街にも“Martin Luther King Jr. なんとか”っていう通り名がありますね。この辺では、セイフコ・フィールド近くにある元マリナーズのエドガー・マルチネス選手にちなんだEdgar Martinez Dr.や、ヒデ・ナイトウさんの名前がついたオレゴンのNaito Pkwy.なんてのが有名どころですかね? というわけで調べてみると、確かにあるんですよ。それも道路の名前だけじゃなくて、ファームや公園まで! ユタ州の道路に名前が残った立派な日本人がいたなんて誇らしいことじゃないですか!

第13回   花子家の食卓事情

花子と夫が通っている歯医者さんも日系アメリカ人。夫はこの歯医者さんに「ちゃんと運動しなさいよ! 白米は食べちゃだめよ!」と、まるでお母さんのように叱られ、妻である花子の言うことやお医者さんの言うことは聞いてくれなかったのに、やっと改心してくれました(ありがとう、先生!)。
というわけで、花子家のご飯は100%玄米になりましたよ。
ちなみに虫歯の心配をしていた花子だったのですが、「あなたの年になったら、虫歯の心配よりも歯茎の病気の心配をすることが大事なのよ」と歯茎ケアをするように言われました。ホホー。

ネコマンマ
花子は基本的にみそ汁があまり好きではありません。別に嫌いってわけじゃなくて、食事にみそ汁が出てきても「わーい、みそ汁だ」とは喜ばない、という意味です。たぶん原因は、花子の母が食事に必ずといって良いほどみそ汁を出してくれたからだと思います(我ながらぜいたくだ)。そんなわけでネコマンマ(白米にみそ汁をかけたもの)も好きじゃありません。
いつもの伯母さんちで、伯母さんがご飯にみそ汁をかけて、お茶漬けのようにサラサラかき込んでいたのですが、夫も小さいころ、伯母さんちでよく食べていたそうです。すごいですな、海も世代も渡ったネコマンマ。
ちなみに夫の場合、みそ汁に限らず、大好きなチキン・ヌードル・スープ(ヌードル入ってるのに!)やクリーム・オブ・マッシュルーム・スープにご飯を入れて食べるのが好きなんですよ。そういえば、我が家ではスロッピー・ジョー(たくさんのスパイスで味付けしたアメリカの定番ひき肉料理。通常はパンに挟んで食べる)もご飯にかけて食べています。

箸渡し
夫は「はい、どうぞー」と食べ物を箸同士で渡そうとしてくるのですが、良くないと思う私は「器にいったん置いてちょうだい」と言います。しかし夫は「?(いいじゃん取りなよ、という表情)」という感じ。食器も箸でズルズル移動させます。行儀作法というのは薄れて行くものなのでしょうね。レストランでほかのアジア人を観察してみても、あまり気にしていないような感じでした。
調べてみると、箸渡しとは、お骨を拾う時に行われる行為ということで、だから普段はしないように注意されていたのですね。
らーめん
夫と日本でラーメン屋に行った時、初めて食べるしょう油ラーメンに感動した夫は、「今度からトッ○・ラーメン(注:アメリカのスーパーで普通に売っている袋入りのインスタント・ラーメン)は、麺とスープを分けて作ろう」と興奮気味に話していました。大して変わらないと思うけどな……。
しかし、アメリカのインスタント・ラーメンの味も、チキン味やビーフ味なんて不思議な味ばかりですね。ちなみに花子はビーフ味派です(不思議と言いつつ食べている私)。

炊飯器
ご飯を炊く時、炊き上がるまでふたを開けちゃいけないっていうのは、いくら料理が不得意な花子にとっても常識なのですが、うちの夫の場合、「まだかな~♪」と、普通に炊飯器を開けてしまいます(花子絶句!)。さらに、「あと3分で炊き上がりますよ」って炊飯器のディスプレーが言っているのに、「腹減った」とパカっと炊飯器を開け、おもむろにご飯をよそいます(花子ショック!)。
炊き上がりが残念な結果になってしまうのですよ。

第14回 100歳の誕生日

今年100歳になった大伯母さんの誕生日パーティーが2日間(!)にわたり行われました。その大伯母さんは入院していた時期もあったのですが、元気そうで本当に安心しました。このパーティーには、シアトルの人達だけでなく、スポケンの大伯母さん(急逝してしまった大伯父の妻)一家やアイダホの大伯父さん(ドイツ出身の大伯母さんの夫)、カリフォルニアの親戚なども来ていました。
何か見たことのある顔の人が多いなーと思っていたら、そういえば、1年前にリユニオンと大伯父のお葬式があったんですよね。もう1年経ったんですよ、信じられませんね。

テーマはハワイアン
どうしてそうなったのか経緯はわかりませんが、なぜか誕生日パーティーのテーマはハワイアン。ハワイアンのミュージシャンも呼ぶほどの凝りようでした。大伯母さんのひ孫達がフラダンスを披露してくれて、とてもかわいかったです。友人達が大伯母さんに歌って聞かせているという賛美歌もみんなで歌って(このパーティーは教会で行われたんですよ)、大伯母さんもとても楽しそうでした。
花子の隣に座っていた、大伯母の友人と思われるおばあさんがパーティーの最中にウトウトしていたのを見て、今は亡き花子のおばーちゃんも、話してる途中で寝ちゃってたなーと思い出しました(ちょっとしんみり)。

会ったことあるけれど、「Nice to meet you」
夫の家族は女系なので、とにかく親戚の数が多過ぎ。そのため、「うーん、顔は何となく覚えているけど、名前なんだったっけ?」ってなことが多いのです。だから、とりあえず「はじめまして……」とあいさつをしていると、隣から「あら、あんた達、去年会ってるでしょ」とか突っ込まれたりするんですが……(汗)。
パーティーで初めて会った人と歓談していた時に、伯父さんを紹介しようと思い、「あっちにいる○○伯父さんは、夫の父親の兄で……」と伝えても、関係性をわかってもらえないことがありました。となると、「えーと、あの伯父さんは、今日の主役の大伯母さんのお姉さんの子供で、私はその伯父さんの弟の息子の嫁にあたります」と長~い説明をしなければならなくなるのです。

「ひよ○」もどきゲット!
カリフォルニアから来ていた親戚が、和菓子を持って来てくれていて、その中には「ひよ○」もどきもありました。最初は甘いものが好きな大伯父さんが、ひとりでパクパク食べていたのですが、気が引けたのか、花子にも勧めてくれたので、花子、「ひよ○」もどきゲット(ちなみに夫は和菓子に興味はあまりない)。久しぶりの「ひよ○」の味に(もどきだけど)、カリフォルニアっていいなぁって思いました。カリフォルニアには日系スーパーのチェーンがあると聞いてびっくりした花子です。でも、花子がほぼ毎日、シアトルの日系スーパー、宇和島屋に通っている話をしたら、もっとびっくりされましたけど(笑)。ちなみに、紀伊国屋書店にもほぼ毎日通っていますよ。

太巻きとおいなりさん
夫は太巻きとおいなりさんが嫌いです。たぶん、おしんこ巻きも嫌いだと思います(漬け物が嫌いなので)。親戚にもどうやらそういう人が多いようで、誰かが持って来てくれていた太巻きとおいなりさんは、花子の食べ放題! というわけで、調子に乗って食べてたら、ちょっと太った気がします。夫はスパムむすびとトビッコのお寿司(わさびなし!)で大満足でしたよ。

第15回 花子家の週末

気持ち良く晴れわたった7月の土曜日。気温もそれほど上がらず、外での作業にはうってつけの日。そんな日に、伯母さん宅のペンキ塗りを手伝いました。と言っても花子の役目は、はしごに上っている夫に、ペンキを付けたブラシを渡すことでした。夫の親戚の男達は高所恐怖症が多く、夫は高い所が平気な唯一の男です(と言うととてもかっこいい)。ペンキぬりや屋根仕事というと、必ず借り出されます。私は年を取るにつれ、高い所が苦手じゃなくなりました(と、20歳の時、ジェットコースターに乗って思いました。そんなことってあるんですね)。なので、はしごに上ろうとちょっとワクワクしていたのですが、夫に「危ないから、お前は絶対に上るな」と言われ断念。確かに私はバランス感覚に乏しいのです。そんなわけで、今回は伯母さんの家のペンキ塗りをした時のお話です。

ハンバウとセンベイ
家の正面部分が終わったので、裏に回ろうと道具を移動させていたら、「そろそろ休憩だと思って」と、伯母さんが手作りのハンバウ(肉まん。夫の好物)とセンベイ(黒ごま入りの小麦粉ベースの揚げ煎餅。砂糖じょう油が甘辛くてうまいのです)を持ってやって来ました。というわけで、ひと休みをすることに。伯母さんの肉まんは、とても素朴な味でおいしく、花子も夫もパクパクと何個も食べてしまうので、かなり危険。

伯母さんの本
ここ数年、伯母さんは第2次世界大戦時にアメリカにいる日本人と日系人が送られた、強制収容所での出来事を子供向けの本にしようとエッセイを書き続けていたのですが、それが最近完成したそうです。ひと休みをしている時に、伯母さんが私達にクリア・フォルダーに入れた原稿を見せてくれました。強制収容所での体験が、どれも興味深いエピソードです。伯母さんのお姉さんのだんなさんが描いたという挿し絵も添えられていました。伯母さんは今、この本の出版に向けて、出版社を探しているところだそうです。ちなみに伯母さんの息子さんもマーシャル・アーツ(格闘技術)の本を書こうと考えているらしいです。すごいですね。

伯母さんの母親に関する文書
「とても興味深かったわ」と、伯母さんは、私達がペンキ塗りをしている間に読んでいた紙の束(100枚あるのかな?)をドサっと置きました。その紙の束は、伯母さんがアメリカ政府から取り寄せた、伯母さんの母親に関するもので、政府に残っていた文書らしいです。渡航記録や強制収容所関係の書類も含まれていました。そこで夫も「祖父母の書類を取り寄せる!」と張り切っていましたが(伯母さんの母親とは別の人物です)、さて、いったいどれくらいの情報が残っているのでしょうか。とっても楽しみです。

翌週は伯父さんの家へ
ペンキ塗りが終わりほっとしていたら、次の週は伯父さん宅の雨どい掃除のご予約が入りました。
ここでの花子の担当は、バケツの中のごみを片付ける役目。夫が屋根に上ってごみをバケツに入れ、それが満杯になったらするするとロープで屋根下に降ろし、待機している花子に手渡すという連携プレーです。「前はひとりでやったから、バケツが満杯になる度に下に降りて大変だったんだよ。今回は楽だった」と感激する夫(とってもお人好し)。落ち着いたところで、我が家の芝も刈って欲しかったのですが(「危ないから」と芝刈り機の使用も禁じられている花子です)、夫はぶおーんとエンジンをふかして、バイクで出掛けてしまいました。休日なのに、とてもよく働いてくれたので……。というわけで、花子家の芝生はタンポポやシロツメクサが咲いてにぎやかです。

第16回 夫、日本に行く

食べ物の名前くらいの日本語しか知らない夫が、生まれて初めて日本に行った時のこと。外見は日本人なのに、日本語が話せず英語を話す日系人という存在は、日本では珍しかったようです。夫の不思議体験をご紹介。

それが日系アメリカ人
両親に連れられて、伯母(母の姉)の家に行った時、玄関で私の母と荷物持ちをしていた夫を見た伯母は、「見た目は日本人じゃない(それが日系人ですから)! びっくりしたー」とひとこと。その後もフツーに日本語で話し掛けていました。母もほぼ100%日本語(基本的にゆっくり話すだけ)で夫と会話していました。ちなみに父は律儀に和英辞典を買って使っていました(エライ!)。

話し掛けられる夫
「何だか知らないけど、(夫は)日本人っぽいのよね」とうちの母。両親と夫と私、4人で歩いていた時、サラリーマン風のおじさんに「駅はどっちでしょう?」と真っ先に聞かれたのは夫。実家近くのスーパーに行ってお買い物をしていたら、突然夫が視界から消えたのでキョロキョロ見渡してみたところ、遠くでクレジット・カードの勧誘を受けていた夫(差し出されたティッシュを受け取ったらそんなことに……)。話し掛けやすそうなオーラが漂っているのですかね? アメリカの我が家のそばで、2回も迷い犬を拾っているのも何となく納得します。

泉岳寺
東京では、とりあえず品川の名所ということで、赤穂浪士の墓のある泉岳寺に行きました。お墓だけでなく、血染めの梅、首洗いの井戸など、雨の降る中、雰囲気満点で観賞。しかし、恥ずかしながら私も夫も忠臣蔵のことを知らなかった(母は私にちょっと呆れていた)! というわけで、アメリカに帰って来てから、夫の友人(アメリカ人)に借りた映画版「忠臣蔵」をDVDで見ました。

浅草寺に興奮
日本旅行で夫がいちばん気に入ったのは、浅草寺。五重塔を見て、「こんな美しい場所は見たことがないです……」と感激した夫。京都に連れて行ってあげたいと思いましたよ。さらに夫は仲見世で売られている「侍」とか書かれたTシャツや木刀など、日本人は買わなさそうな日本っぽいものに興奮。ある店に入ったところ、サイズが合ってない甚兵衛羽織を試着していたアメリカ人男性がいました。接客していた店員のお姉さんに対し、店主らしき人が「前がはだけちゃってるよ。明らかにサイズが合ってないでしょう!」と注意していましたが、お姉さんは「だって本人が良いって言うから」と答えていました。そんな日本語の会話なんてわからないうちの夫は、「とても似合ってるよ」と男性に声を掛け、男性も「ありがとう(まんざらじゃないぜって感じ)」と答えてました。

作務衣
そういう夫も、母に甚兵衛羽織をプレゼントしたいと言われ、3人でデパートに行きました。夫は、アメリカではLかXLサイズを着ているので、日本のLLサイズでもパツパツな場合が多いのです。探してもLサイズしかなく、どう考えても着られません。すると店員さんに伸縮性のあるストレッチ素材の作務衣を勧められ、着てみたらぴったり。夏で暑くて坊主にしていた夫なので、作務衣が異様に似合っていました。アメリカではジーンズに合わせて、作務衣の上着を着ています。

テレビを見る
アメリカでは、何をしていてもテレビはつけっぱなしというくらい、テレビが大好きな夫。日本でも、日本語の番組しか見られないけれど、とりあえずテレビをつけて黙ってふむふむと見ていました(わかっているように端からは見える)。夫の日本のテレビ番組の感想は「何だか食べ物ばっかりだね。ビールのCMも多いし」とのことでした。

第17回 帰省後

日本への里帰りを終え、アメリカに戻って来ました。入国審査時に「フルーツ持ってる?」と聞かれて「フード」だと思った夫は、「はい!」と答えてしまったため、荷物受け取りの所で税関の人に話し掛けられることに。「お菓子です、お菓子」で乗り切ったものの、私も自信満々に「ノーポーク、ノーチキンでしょ。知ってるよ!」と答えてしまいました(正解はノービーフ、ノーチキン。ポークは良いのです)。結局、私達のスーツケースは開けられることなく、税関の人は次のターゲットを探しに行ってしまいました。苦労して詰めたから、詰め直しはつらいなーと思っていたので、良かったですよ。最近は、買って来た日本のシャンプーを夫と共有するか悩んでいるところです。今回は帰省後のたわいない話です。

犬の名はゴハン
夫の友達(アメリカ人)が、犬を飼い始めました。色が白いので、ゴハン(ご飯)と名付けたそうですが、日本人の私が聞くと、人気漫画「ドラゴンボール」のキャラクターから取った名前だと思っちゃいます。そんな夫の友達は、昔、ご飯を炊いてうちに持って来てくれたことがあったのですが、炊飯器を開けてみるとご飯がふたにまでびっしり付いていました(規定量超えてるよ!)。そんな素敵なご主人様を持つゴハン君は、元気いっぱいの、いたずらっこだそうです。

帰米
「会社に日本の苗字と名前の人がいるんだよー。日本人かなー?」と言っていた夫。ある日、勇気を出して話し掛けてみたら、お父さんが“帰米”で、お母さんが日本人という、日系アメリカ人であることがわかりました。帰米?なじみのない言葉ですが、これは勉強などのため一時期日本で過ごしたことのある日系アメリカ人のことを指すらしいです。

徴兵制
帰省中、うちの母が「あんた、子供が生まれたら日本国籍にするのよ!」といきなり言い出しました。そして「だって、アメリカ人で男だったら徴兵されちゃうじゃない!」とも。さらに母は「アメリカって徴兵制があるんでしょ?」と聞いてきます。「いやいや、アメリカ軍は今、志願兵でまかなっているんだよ。夫は戦場に行ったことはないですよ」と教えました。しかし、調べてみると、1980年に選抜徴兵法というのが成立しているので、イザという時のために、18~25歳のアメリカ市民権、もしくは永住権を持つ男性は、登録しておく必要があるそうです。ちなみに、夫の父親も妹も伯父さんも退役軍人です。

父と母、アメリカへ!?
私の両親をアメリカに招待しよう!と突然、夫がやる気を出しました。「あのー、私、帰省で有給休暇を使い果たしてしまいましたよ」と伝えると、「ダイジョーブ!僕が休みを取ってふたりを案内するよ!日本語はちゃんと○○○○ストーン(最近よくテレビでCMが流れている語学学習教材)で勉強するからー!」と単純な夫。しかし、私は知っています。過去に日本語学習用のCD-ROMを持っていたにもかかわらず、結局覚えた言葉は「牛乳」だけだということを……。でも、やる気をそぐのもなんなので、優しく見守ろうと思います。

空港ネタで余談:スーツケースを死守する母
シアトルのシータック空港では、入国審査の後、一度荷物を受け取り、地下鉄らしきものに乗る前に再度荷物を預けることもあります。それを知らなかったうちの母は、数年前にシアトルに来た時、そこでスーツケースを盗られてしまうと思い、係の人とスーツケースの奪い合いをしたそうです。現在は、「ベルトコンベアーに載せますかー」という感じで、係の人も声を掛けてくれるようになっているようですが。

 

第18回 夫とバイク

夫はバイクが大好きです。
車で外出して、帰って来て車庫入れする時に、車庫にある自分のバイク(いつも丁寧に磨かれていてピカピカ)に数秒見とれるくらいです。そのため休日の大半はバイクのメンテナンスに費やされます。タイヤ交換だのオイル交換だの、いろいろやることがあるそうです。バイク仲間も多いので、休日、花子家の車庫はとてもにぎやか。
ある夜、バイクの給油に行ったガソリン・スタンドで、バイクがパンクして困っていた男の子を家に連れて来てパンクを直し、仲良さそうに車庫で話していたのにはびっくりしました。また別の日には、モンタナからやって来ていた若い男の子達にガソリンを買ってあげたりもしていました。いつか誰かにだまされやしないかと、とても心配な花子です。
そんな訳で今回は夫とバイクの話です。

日本の白バイ
日本の、全国白バイ安全運転競技会のDVDを借りる機会がありました。
白バイ警察官が、男女問わず800ccのバイクを自由自在に操っている様子に夫は感動。言葉もわからないのに何度も黙々と見ていました。
夫のバイク仲間にも見せたのですが、
「女性警察官さん達、とてもかわいいなぁ」
と、全く関係のないところを見ている人もいました。

1,800マイルのバイクの旅
夫の祖父は自動車修理工でした。
戦前、祖父は修理工になるために、オレゴン州のポートランドから、ミズーリ州のカンザス・シティーまでバイクで行きました。
地図で調べると、その距離は1,800マイル。休まず車で走ると、約1日と2時間掛かるようです。その頃は、今ほど道もできていないはずだし、ガソリン・スタンドやホテルもなかったはず。それなのに、バイクで旅立った祖父はすごい!
 無事に修理工になり、ポートランドで修理工場を始めた祖父ですが、第2次世界大戦の時に強制収容所に連れて行かれてしまい、その時に修理工場も政府に取り上げられてしまいました。
夫は、その修理工場のマッチと、工場の前で撮影された祖父の写真を、今も大事に持っています。

心機一転、カリフォルニアで
強制収容所を出た後、祖父はカリフォルニア州に移り、祖母の弟と一緒にまた修理工場を始めました。
祖父が退職した後は、祖母の弟が修理工場を続けていました。祖母の弟も、今は修理工場を譲って引退したそうですが、現在もその修理工場は操業しています。
この、祖母の弟には、ファミリー・リユニオンで会ったことがあるのですが、その時は祖父と修理工場をやっていたなんて知らなかったので、今度会った時はその頃の話を聞けたらなと思います。

バイカーの血筋
私は、1度だけ夫のバイクの後ろに乗せてもらったことがあります。たった時速35マイルなのに、車で走るのに比べると数倍の体感速度! かなり恐かったため、もう2度と乗ることはないと思います。明らかに、私にはバイカーの血は流れていないようです。
祖父のバイカー魂を引き継ぐ夫には、安全運転を心掛け、末長くバイクを楽しんでもらいたいです。

 

最終回 出会いと別れ

この連載を開始してから約2年、いろんな出会いや別れがありました。治療のため休養していた大好きなジムの先生が、ガンを克服して復帰してくれたり、かと思えば、夫の親友ふたりは新しくできた家族を連れて、親戚のいるアイダホ州に帰ってしまったり……。今回は、この約2年の間で特に心に残った出会いと別れの話です。

日系人のおばあさん
夫の友人に、彼のお母さんである、日系1世のおばあさんを紹介されました。
おばあさんは花子家から車で20分のところに住んでいます。日本で知り合ったアメリカ人のだんなさんと戦後すぐに渡米し、アメリカ各地を点々としているので、とてもたくましいです。ゆうに80歳は超えているのですが、車を運転したり、愛犬の散歩に毎日行ったり、とても元気です。1世で、英語名を使っているところも、珍しいなと思いました。
そのおばあさんは、自宅の裏がゴルフ場という、閑静な住宅街に住んでいるのですが、隣の家の車庫のドアが開くと、自宅の居間の照明が勝手についてしまうという、素敵な(?)お家に住んでいます(「夜中につくとびっくりするわよ。わはは」と、おばあさん談)。これからも元気に長生きして欲しいです。

伯父、亡くなる
去年は、私の母方の伯父がふたり亡くなりました。秋にひとり、冬にひとりです。冬に亡くなった伯父は、小さいころから私のことを娘のようにかわいがってくれました。去年帰省した時にも会いに行ったのですが、末期がんにもかかわらず元気そうでした。
「来年また会いに来るね」
って話したのに、そのたった数カ月後に亡くなってしまいました。この伯父と夫は
「いやー、あんた達そっくりだね」
と伯母が言うくらいそっくりです。体型(ふたりとも大柄)? 顔の形(四角)? はたまた雰囲気? 血のつながりなんてないのに……。初めて会ったのに、伯父のおかげで夫はすんなりその輪に溶け込むことができました。ありがとう、おじさん。伯父家族と撮った写真では、すっかり夫は家族の一員です。

弔電の文章
お葬式に出席できないので、弔電を打つことにしたのですが、何て書けば良いのかわからなくて、夫に相談。
「とても優しい人だったね。いつも冗談言っていてさ、と書いたら?」
と言われ、伯父が冗談ばかり言っていたのがわかっていたのにびっくりしました。夫は日本語で会話することは到底不可能なのですが、身振り手振りと雰囲気で理解できていたんですね。

しめ縄に気付かず
昨年末、うちの母が小包を送ってくれました。その中に縄を編んで飾り付けたものが入っていたので、「ありがとう、部屋に飾るお守り。夫も喜んでいたよ」と伝えると、
「あんた、あれはしめ縄よ! どんど焼き(小正月の1月15日に門松やしめ飾りなどを神社に持ち寄り燃やす行事)で焼いちゃうものなんだよ。リースのようにドアに飾ればいいよ」
と母。……私、知りませんでした。
アメリカ文化のことをちょっとずつ理解できるようになっていくのはうれしいけれど、日本文化と離れてしまうことで、私はどんどん日本のことを忘れていってしまうのかな、とちょっと寂しいです。私の子供や孫の世代にも日本の良さを残せるよう、私は努力をしていかなくちゃと思いました。
今回で、「日系人コミュニティーに嫁入り!」は終わりです。全19回、読んでいただきありがとうございました。

 

松乃井花子:日系4世の夫との結婚生活3年目に突入。そうじもアイロンがけも裁縫も、ひとり暮らしが長かった夫のほうが上手。趣味は、筋トレ命の夫と一緒にジムに行くこと。最近は二の腕を鍛えるのにハマっている。好きな食べ物はオムライスとナポリタン(ケチャップが好きなんですよ!)。ちなみに夫は、ご飯やパスタにケチャップで味を付けるのが理解できないらしい。