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シアトルの音楽事情・シアトルで活躍する音楽家

※このページは、シアトルの音楽事情や、シアトルで活躍する音楽家の活動を紹介する過去のYOUMAGA連載コラム「シアトルの音が聞こえる」の内容を基に、再構成してします。

 シアトルの音が聞こえる文・島田亜衣子

第1回「ギターリスト/シンガーソングライター 島田亜衣子」

1993年にオレゴン州からシアトルへ移って以来11年間、この街を拠点にギターリスト、シンガーソング・ライターとしてさまざまな音楽活動を続けてきた。日本にいた時はほとんど歌謡曲ばかり聴いていたが、オレゴンで初めてジャズ・ミュージシャンや一風変わった即興前衛的な音楽をやっている人達に出会い、今まで触れたことのない音楽の世界へ引き込まれていった。ここシアトルでも、いろいろなミュージシャンに出会うたびに、音楽の幅の広さ、そして彼らのクリエイティビティーに今でも驚かされ続けている。このエッセイでは、そんなローカル・ミュージシャン達を中心にシアトルの音楽情報を紹介していきたいと思う。

まず、今回は自己紹介から。子供の時に病弱だった私は、友達がピアノやバイオリンのレッスンを受けている中、水泳教室、ガールスカウトなどに入れられ、音楽にはほとんど縁がなかった。でも歌うことが好きで、よく歌謡歌手のものまねをしていたのを覚えている。アメリカに住んで6、7年経った頃だろうか。周りの友達がアートを通して自分自身をクリエイティブに表現している様子を見て、自分も「もしかして音楽ができるのでは」という気持ちが芽生えてきた。もうその頃の私は20代半ばで、ただ軽い気持ちでレコードを聴きながら、オープン・マイクで歌えるようにジャズの曲を練習し始めた。

もう、それから15年の歳月が流れた。今では自分で作詞・作曲したオリジナル曲を、ギターの弾き語り風に演奏している。5、6年前からは自分のバンドを持ち、現在のグループ構成は、トランペット、ドラム、ウッドベース、そして自分がギターとボーカル、という具合だ。「音楽のスタイルは?」とよく聞かれるが、今でもうまく説明できない。これまで、シアトルのエンターテイメント紙である『シアトル・ウィークリー』や『ストレンジャー』などに批評も出たが、“カテゴリー不明の独自の音楽”と紹介されることが多い。コンサートの後、実際聴きに来てくれた人達から、「あなたの音楽は何のジャンルになるんですか?」と聞かれることもある。ちなみに、似ているとされているミュージシャンは、ジョニー・ミッチェル、カサンドラ・ウィルソン、エンヤなどである。

この3月に7枚目となるCDがリリースされる。題名は「Like Hannah(ハンナのように)」。リリース・コンサートを3月13日にシアトルのバラードで行うので、ぜひ来ていただきたい。曲のサンプルや、その他の詳細は下記ホームページまで。

イベント情報
島田亜衣子/CDリリースコンサート
日時:3月13日(土)8:00 p.m.
チケット料金:$7~$10
場所:Mr. Spot’s Chai House / 5463 Leary Way NW, Seattle, WA
オープニング:Elizabeth Falconer(琴)
問い合わせ:206-937-1964
ウェブサイト:www.aikoshimada.com

島田亜衣子:
ギターリスト/シンガーソング・ライター。1982年、高校卒業後に渡米。オレゴン州立大学の学生生活の中で音楽に目覚め、バンド活動や作曲を始める。1996年、ベーシストの夫らと共に初アルバム「Bright & Dark」を収録。2004年3月、7枚目CD「Like Hannah」をリリース。
ウェブサイト:www.aikoshimada.com

 シアトルの音が聞こえる文・島田亜衣子

第2回「ラテンアメリカン音楽 コレオ・アエレオ」

2002年の夏だったと思う。ある日曜日、ウエストシアトルの家からすぐ近所のファーマーズマーケットへ出向いた。買い物をしていると、どこからか音楽が聞こえる。音に敏感な私は、これは録音された音楽ではなく、だれかがライブで演奏しているのだと思い、あたりを見回した。そこで演奏していたのは、痩せ型のハンサムで優しそうなメキシコ人男性。もちろん、私が注目したのは彼の容姿ではなく、彼のその歌声とほとばしる感情表現だ。クラシック・ギターを弾きながら、メキシコのフォークソングでもあろう曲をスペイン語でしみじみと歌っている。残念ながら、ほとんどの人は彼に注意を向けてはいなかったが、私には天から贈られた音楽のように聞こえ、その場に釘付けとなった。何曲か演奏した後、彼は休憩を取り、私は彼の名刺をもらった。そこにあった名は、Correo Aereo(コレオ・アエレオ)。彼は、普段もうひとりの女性とデュエットで演奏していると私に教えてくれた。

その同じ夏、シアトルで行われるサマー・コンサートでコレオ・アエレオが演奏することを知り、早速出掛けた。開始前のステージにはありとあらゆる楽器が用意されており、「演奏者は2人のはずなのに、誰がこれだけの楽器を弾くのだろう」と興味深く思いながら、ショーの開始を待つ。始まると彼は、それぞれの曲に合わせて、大・中・小さまざまなサイズのギター、べネズエラン・ハープなどをエレガントに弾きこなしていく。パートナーの彼女は、バイオリン、マラカス、そしてペルーのドラムを、まるでマジシャンのように見事に操る。メイン・ボーカルの彼は、とても高い声をしているが、彼女の方は反対に低いリッチな声でハーモニーを歌い、そのコントラストが何とも気持ちいい。涙が出てしまうような哀愁を帯びた曲から、体がどうしても踊り出してしまうようなアップ・テンポな曲まで幅広く披露され、スペイン語はまったくわからない私だったが、とても充実した時間を過ごせた。

コレオ・アエレオとは、日本語で言えば「エア・メール」である。彼らは2年ほど前までニューメキシコに住み、そこで主に演奏活動をしていたが、その後シアトルに移って来たらしい。シアトルで週に1、2回はどこかでライブをしているので、ぜひ一度聴きに行ってほしい。ライブ詳細は下記ウェブサイトで見られる。

イベント情報
Correo Aereo/コレオ・アエレオ
日時:毎週月曜 7:00 p.m.~9:00 p.m.
場所:Aguar Verdes Restaurant & Paddle Club / 1303 Boat St., Seattle, WA (U. District)
問い合わせ:206-545-8570
チケット:無料
ウェブサイト:www.correoaereo.com

島田亜衣子:
ギターリスト/シンガーソング・ライター。1982年、高校卒業後に渡米。オレゴン州立大学の学生生活の中で音楽に目覚め、バンド活動や作曲を始める。1996年、ベーシストの夫らと共に初アルバム「Bright & Dark」を収録。2004年3月、7枚目CD「Like Hannah」をリリース。
ウェブサイト:www.aikoshimada.com

 シアトルの音が聞こえる文・島田亜衣子

第3回「小さなカフェでのライブ演奏」

1982年から1992年までの間、私はオレゴン州立大学のあるコーバリスに住んでいた。とても小さな町で、最初に東京から来た時は、あまりの人の少なさに驚いた。町の人口は当時およそ4万5,000人で、その約3割は学生。夏休みには学生達がいなくなり、町はゴーストタウンのような感じさえした。

コーバリスでいちばん懐かしく思うことは、「ビナリー」というカフェでよく時間を過ごしたことである。ビナリーの綴りはThe Beaneryで、ビーンズ(コーヒーの豆)から来ている。アップタウンとダウンタウンの2店舗があって、アップタウンは学生と教授で埋まり、ダウンタウンは町の住民達がリラックスしに訪れていた。なぜ、そのカフェがそこまで懐かしいかというと、シアトルに住んで以来、ビナリーのようなカフェにめぐり合うことが少ないからである。

ビナリーは単なる喫茶店ではなく、文化交流の場とも言える場所であった。週に少なくとも2度はライブ演奏が行われ、カフェに来る人達は、ただコーヒーを飲みに来るのではなく、隣に座った赤の他人と会話を始めるのが普通なのである。天井が高く、広々とした店内には大きな窓から日差しがたっぷりと入り込み、木製のインテリアに観葉植物が飾られ、高級感とは無縁だがゆったりと落ち着ける。 広いといっても60人ぎりぎり入るかどうか。そんな場所でライブ演奏が聴けるというのは、贅沢な気がした。

私としては、1万円近く払って有名な音楽家のコンサートに行くより、小さなカフェでいい演奏を聴く方がもっと楽しい。サウンド・システムを使っていても、ステージがすぐ近くなので、楽器自体からの音も聞こえてくる。シアトルに移って来て感じるのは、どこに行ってもスターバックス、タリーズ、シアトルズ・ベストという具合で、小さな個人経営の喫茶店がどんどんなくなっていることだ。今回紹介したいのは、そんなシアトルでも、僅かながらビナリーの雰囲気を味わえる2店である。

まずは、バラードにある「Mr. Spot’s Chai House」。このカフェでは、週に3~5回はライブ演奏があり、ありとあらゆるジャンルの音楽が楽しめる。店名の通り、この店ではオリジナルのチャイを製造しており、「Morning Glory Chai」など、ほかのカフェに卸売りもしている。また、ビールやワイン、軽食もオーダーできる。もうひとつは、ウエストシアトルにある「C & P Coffee」。この店はおいしいコーヒーが飲める店としてかなり有名で、古い木造の家が改造されてカフェになっている。暖炉があり、冬はとてもコージー。ここでも、ライブ演奏が週に1~2回行われている。

こういう店で演奏される音楽が、すべて優れている訳ではない。でも、5ドルほどチップ・ジャーに入れ、たまたま今まで聴いたことのない素晴らしい音楽に出合えたら、何とラッキーなことであろう。ミュージシャンを目の前に、心地よい椅子に座り、おいしいコーヒーを飲む……。そんな至福のひと時を、ぜひ体験してもらいたい。

イベント情報
Operotica/オペロティカ
オペラをおもしろおかしくセクシーに崩したような曲に注目。
日時:4月24日(土)8:00 p.m.
場所:Mr. Spot’s Chai House / 5463 Leary Way, Seattle, WA 98107
問い合わせ:206-297-2424
チケット:無料
ウェブサイト:
www.chaihouse.com

Cory Dale/コリー・デール
シンガー・ソング・ライターの彼が、ギターを手に情熱的に歌い上げる。
日時:4月17日(土)6:00 p.m.
場所:C & P Coffee / 5612 California Ave. SW, Seattle, WA 98136
TEL:206-933-3125
ウェブサイト:
http://home.comcast.net/~candpco/

島田亜衣子:
ギターリスト/シンガーソング・ライター。1982年、高校卒業後に渡米。オレゴン州立大学の学生生活の中で音楽に目覚め、バンド活動や作曲を始める。1996年、ベーシストの夫らと共に初アルバム「Bright & Dark」を収録。2004年3月、7枚目CD「Like Hannah」をリリース。
ウェブサイト:www.aikoshimada.com

 シアトルの音が聞こえる文・島田亜衣子

第4回「音楽のマルチ・プレーヤー エイヴィン・カン」

今月末に子供が生まれる予定なので、私のエッセイはしばらくお休みとなる。紹介したい音楽、そしてミュージシャンは、まだまだたくさん。その中から選びに選んで、今回は私のいちばん尊敬するシアトルのミュージシャン、エイヴィン・カンを紹介しようと思う。

11年前、知人から紹介されたエイヴィンは、私がシアトルに来て最初に出会ったミュージシャンで、当時まだシアトルの音楽学校、コーニッシュの生徒であった。アイスランド人と韓国人のハーフで、子供の頃はカナダでクラシック・バイオリンを勉強。高校に入ると、町にあったインド劇場で生演奏をしたという。コーニッシュでは主にジャズを勉強したが、彼のバックグラウンドといったら、クラシックとジャズのうえに、ノイズ、ロック、パンク、ポップ、フォーク、そして1990年代はインドで現地の古典音楽も学んでいる。そのほか、世界のいろいろな国を旅行し、スペインではフラメンコ、モロッコではアラビアの音楽などと、どんな音楽でもこなしてしまえるのである。

普通、クラシックを勉強した人は、ほかのジャンルのものが弾けてもクラシックのスタイルが出てしまうものである。しかし、彼は異なるジャンルごとに弾き方を使い分け、どのジャンルの音楽を聴いた人でも、それが彼のいちばん得意なジャンルだと思ってしまうほどだ。ゆえに引っ張りだこのミュージシャンで、シアトル在住の世界的に有名なジャズ・ギターリスト、ビル・フリゼルも、かれこれ10年、エイヴィンを彼のプロジェクトに加えている。

ただ、嫌いなことはしないタイプで、例えばアメリカのポップ・スター、ベックに頼まれてツアーもしたが、音楽的に満足できずに彼のバンドを去っている。普段はアンダーグラウンドのプロジェクトが多く、好きなものなら時間と熱を入れる。彼はいわゆる「ミュージシャンの中のミュージシャン」なのである。ここ何年かはバイオリンを止めて、その深いトーンが好きだというビオラを弾いているが、彼の奏でる音は独特で、聴くとすぐにわかる。音に深さ、美しさ、真実さ、そして土くささがある。私としてはこのコンビネーションがたまらない。

もし、彼の名前を見掛けたらぜひ聴きに行って欲しい。忠告しておくが、前述の通り、ありとあらゆる音楽をやるので、たまたま行ったコンサートが気に入るものかどうかはわからない。公式ウェブサイトはないが、彼についてもっと知りたい人はwww.geocities.com/kanggalleryをチェックしてみるといいだろう。

CD情報
Virginal Co-Ordinates/ヴァージナル・コーオーディネイツ
エイヴィン・カンによる、5月4日に発売されたばかりの最新CD。
発売元:Ipecac Recordings
ウェブサイト:
www.ipecac.com

島田亜衣子:
ギターリスト/シンガーソング・ライター。1982年、高校卒業後に渡米。オレゴン州立大学の学生生活の中で音楽に目覚め、バンド活動や作曲を始める。1996年、ベーシストの夫らと共に初アルバム「Bright & Dark」を収録。2004年3月、7枚目CD「Like Hannah」をリリース。
ウェブサイト:www.aikoshimada.com

 シアトルの音が聞こえる文・灘 敬一

第5回「歌の会:ケイ&ミュージック」

はじめまして。今月から3回、エッセイを担当させていただくことになりました。現在私は、「ケイ&ミュージック」という歌の会の活動を、会員の皆さんと一緒に行っています。ついに、8月15日にベルビュー・コミュニティー・カレッジ構内のカールソン劇場でコンサートを開催するところまで漕ぎ着けました。もちろん、主役は会員の方々です。

昔の音楽活動については次回に書こうと思っているので、今ここでは触れませんが、ニューヨークからこのシアトルに来てしばらく、歌とは関係ない仕事をしながら過ごしていました。これこそヒョウタンから駒というのでしょうね、ある人から「君は以前、日本でのプロ歌手だったし、どうかね、ひとつ歌を教えてみては?」と声をかけられたのがきっかけで、また歌との縁がスタートしました。たった4人のメンバーで始まったこの会も、もう2年近くになります。歌を楽しく、そして上手く歌いたいという人がこんなに多くいるのかと驚いているうちに、大きなグループとなり、そこにいろいろな方々との出会いも芽生えました。

振り返ってみると、歌との縁は小さい頃からありました。私は子供の頃から芸能界に関係ある世界に生まれ育ち、音の世界に自分をいつも置いていて、その流れのままに自然にプロ歌手となり、若さにまかせてただ音楽をプレーし、新しいものに飛びつき、歌なんてそれでいいのだと思い、日々を過ごしました。しかし、このアメリカ大陸へ来て、ニューヨークでの歌関係の仕事、そしてシアトルに来てからの歌を通じた交流で、最近つくづく思うようになったことがあります。ただ生きるために歌った歌、また自分でもそう思いこんでいた歌……。皆さんと一緒にコンサートを組み立て、一緒に歌の練習をしているうちに、歌とはこんなに奥深いというものだというのがようやくわかってきました。シアトルでの人との出会い、それも音楽、歌を愛している人との集まり。皆さんのひたむきな歌への努力を目にし、ただ「仕事イコール歌」と思っていた自分の中に違う歌への思いがふつふつと湧き立ってきたのです。 

歌というのは、心地よく耳から入り、そして聞いている人それぞれに違うその歌の思い出に浸り、情景を心に浮かべ、「ああ、いいなー」と思ってもらうことが最高なのです。若い人達にはそれなりのトーンがあるでしょうし、ある人には演歌が日本を思い出させて仕方ないという人もいるでしょう。それは、人さまざまです。歌い手と聴き手の大切な出会いの場として、そして歌う人が数分間だけでもその舞台を自分のものとして、心から歌うというチャンスを作ってみたくて、今回、コンサート的な舞台構成を皆さんと組み立てました。こうした活動をしているだけで、何か毎日生きる力が一段と湧いてくる今日この頃です。

次回は、日本での歌との生い立ちをお話ししましょう。芸能界のウラ話もあるかもしれませんよ。

イベント情報
「ケイ&ミュージック」コンサート
テレビの歌謡ショー並みのスケールで、ケイ&ミュージック会員が日頃の練習の成果を披露する。お盆にちなんだ演出も見もの。
日時:8月15日(日)12:30 p.m.
場所:Bellevue Community College, Calson Theatre / 3000 Landerholm Cr. SE, Bellevue, WA 98007
チケット;$18
問い合わせ:425-445-7897(Kei & Music)

灘 敬一:
15歳から芸能界入りし、プロ歌手として活躍。ニューヨークに渡って音楽活動に携わった後、シアトルに移り住む。現在は、歌の会「ケイ&ミュージック」を主催し、30名もの会員にマン・ツー・マンで歌のレッスンを行っている。

 シアトルの音が聞こえる文・灘 敬一

第6回「芸能界のウラ話」

8月15日に行った「ケイ&ミュージック」サマー・コンサートは、おかげ様で無事に終了することができました。まあ、自分の中では100パーセントとはいかないんですが、会員の皆さんの歌は素晴らしかったです。これからも年に1回やっていく予定ですので、次回は照明や構成をもっといいものにしたいですね。

さて、今回は遅ればせながら、私が歌手活動をしていた頃の芸能界について。中学を卒業してすぐ入ったのはお笑いの世界で、そこで約2年、芸能界のことを勉強しました。ある日、マネージャーに「本当は歌い手になりたい」と言いましたら、その後いろんなレコード会社のオーディションに連れて行ってもらいました。クラウンレコードでデビューが決まったのは17歳の時でしたが、2年くらいはどうしても芽が出ませんで……。そんな時、池畑慎之介、そう、皆さん御存じのピーターと初めて会ったんです。

私が19歳、彼が4つ年下の15歳。まだ彼も芸能人ではなかったので、ふたりでたくさん苦労をして、同時にいろんな遊びをしましたね。当時ゴーゴー・ダンスっていうのが流行ってたんですが、女性のゴーゴー・ダンサーはいても、男性はいなかったんです。ふたり共ちょうどダンスをやってたもんですから、六本木のゴーゴー・ダンスのお店で踊る代わりにタダで入れてもらってました。最初ピーターを見て、かわいい子だなーとは思いましたが、まさか男が好きだとは思いませんでした(笑)。最初の彼氏もよく知っています。ピーターがゲイ・バーに入って売れるようになって、「夜と朝の間に」ではレコード大賞最優秀新人賞を受賞しました。彼がヒットしている間に、私もテイチクレコードで再デビューすることが決定。ある歌手の前歌で入った時があったのですが、その時にピーターが「よろしくお願いします」と私を紹介してくれました。「お前何でピーターを知っているんだ」と、相手はびっくりしましたね。また、九州にいた私の家族に対しても、ショーに招待してくれたり、お土産を東京からわざわざ持って来てくれたりと、ピーターはいろいろと気を遣ってくれました。

再デビューした時は、西条秀樹、郷ひろみ、森昌子、山口百恵、小柳ルミ子、南沙織など、いろんな人達と一緒になる機会がよくありました。特に野口五郎は、マネージャー同士が友達だったことから、すごく仲良くなりました。ふたり共最初は売れなかったのですが、ある晩、居酒屋で野口五郎が「今度新しい歌出すんですよ」って言った曲が「青いリンゴ」でした。「今度は売れるといいねー」とお互いに酒を飲んで……。もうひとり、白川奈美も仲が良かったですが、彼女も「遠くはなれて子守唄」がヒットしましたね。どういう訳か私は売れなかったんですけど。やっぱり芸能界は、いくら音楽が好きでも、やっぱりチャンスっていうんですかね、曲にも恵まれないといけないし、いろいろあるんでしょう。その後、さらに渡辺プロダクションに移って、猪俣公章先生に2年間師事したこともありましたが、そろそろ曲ができそうという時になって、私のほうで音楽とは違う仕事に興味が出てしまって……。それは今でも後悔しています。

若い頃は、音楽が今ほど大切なものと思っていなかったんでしょうね。有名になりたいとか、音楽でお金儲けしたいとか、変な曲がった気持ちがあったことは事実です。そんな私もシアトルに来て変わった訳ですが、それは次回にお話しすることにしましょう。

灘 敬一:
15歳から芸能界入りし、プロ歌手として活躍。ニューヨークに渡って音楽活動に携わった後、シアトルに移り住む。現在は、歌の会「ケイ&ミュージック」を主催し、30名もの会員にマン・ツー・マンで歌のレッスンを行っている。


■灘 敬一さんへのご意見・ご感想は以下までお寄せ下さい。
 web@jeninc.com

 シアトルの音が聞こえる文・灘 敬一

第7回「音楽人生」

日本の芸能界でいろんなことを経験したものの、正直、当時の自分は本当の意味で音楽とは向き合っていなかったと思います。その曲がった気持ちを打ち砕いてくれたのが、このシアトルで始めたカラオケ教室「ケイ&ミュージック」です。

僕はそれまで、人に何かを教えたという経験がありませんでした。カラオケ教室に来るのは年上の人達ばかりなので、やっぱり偉い人など様々な人種がいる訳ですが、音楽を真ん中に挟むと、その人達とコミュニケーションがホントうまくいくんですね。みんな音楽を愛して、歌が大好きでっていう人がほとんどで、僕は逆に、会員の人達に音楽ってこんなに良いものなんだっていうことを教わったような気がします。

人間って音楽がなかったら、仕事しててもきっとストレスが溜まりますよ。僕は、休みが週に3日間ありますが、休みの時はだいたい9~10時間ぐらい歌を教えているんです。でも、全然ストレスはありません。それ以前は、仕事が終わって何にもしてない時でも、何か仕事のことで疲れちゃって、そのまんまずーっとまた次の仕事っていう状態。今は4日働いて、「あ、明日からはまた音楽に触れられる」とね。生活の中で一番大事なものが、音楽なのです。

ちょっと裏話になりますが、芸能界でカラオケが好きな人、吉幾三とか、細川たかしとかっていうのがいましてね。僕も何回か一緒に酒を飲んだことがありますが、もうホントにこの人達はまあ~、カラオケが好きでカラオケが好きで、しかも自分の歌なんですけど。客も最初の2曲ぐらいはアンコールって言うんですけれど、そのうちアンコールがなくなっても彼らはゴンゴンゴンゴン歌うんですね。そういう人達を見て、「あ、この人達ってホントに音楽がなかったら、ただの普通の人なんだな」と感じました。またある日、子供の頃から好きだった美空ひばりを歌っていると、そこに小林旭っていう人が来ましてね、「ちょっと俺にマイクをよこせ」って言って2番を歌って……。これがまたうまいんですよ。美空ひばりと最初に結婚したのが小林旭ですからね。一緒に飲みに行くなど、元ダンナにかわいがってもらいました。芸能界の人っていうのは、確かに端から見たらすごく艶やかで良く見えるんでしょうけど、普通、ホントに普通の人なんですよ。目立ちたがり屋というのは少ないですね。大体、恥ずかしがり屋が多くて、その反面、ボンと人の前に出たら、やはり仕事しなくちゃいけないっていうのがあるんでしょう。

まあちょっと、話が横路に逸れましたが、中学卒業から芸能界へ入って音楽というものに携わってきて、ホントに音を楽しむ、ということができるようになったのは最近のことです。僕は芸能界でキャーキャー言われるほど人気は出なかったけれど、芸能界、そしてシアトルで経験した音楽、そして出会った人達、それは自分には絶対なくてはならないものだと思ってます。

今年の最後、12月には「ケイ&ミュージック」でクリスマス・パーティーを開催する予定です。その時には、自分の今まで経験した音楽、ジャズにしても、ボサノバにしても演歌にしても、ポップスにしても、多くの分野をまたもう一度見直して、もっともっと音楽というものを追求したいですね。

灘 敬一:
15歳から芸能界入りし、プロ歌手として活躍。ニューヨークに渡って音楽活動に携わった後、シアトルに移り住む。現在は、歌の会「ケイ&ミュージック」を主催し、30名もの会員にマン・ツー・マンで歌のレッスンを行っている。


■灘 敬一さんへのご意見・ご感想は以下までお寄せ下さい。
 web@jeninc.com

 シアトルの音が聞こえる文・島田亜衣子

第8回「クリスマス・パーティー」

私が主催している歌の会「ケイ&ミュージック」は、12月11日にクリスマスパーティーを開きます。1年に1回ベルビュー・コミュニティー・カレッジのシアターで会を開催していますが、今回のクリスマス・パーティーはそのような大きなステージではなく、「こんな歌を歌ってみたいけどできるかしら?」みたいな軽いノリのパーティー。会員の方は今までチャレンジしたことがない歌、または好きな歌を選んでも歌います。演歌や歌謡曲を専門にしている人がこの日ばかりはシャンソンを歌ったり、普段歌わないような歌に挑戦して披露します。

もともとこのパーティーは、音楽好きの人が集まってクリスマス・パーティーをしたらどうか、という発想で始まったのですが、歌い手はやはりいろいろなジャンルの歌を歌えないといけない。ひとつの分野だけ、例えば演歌から泣き節ばかりではなく、人を勇気付ける歌や人生観の歌、アップテンポやスローな曲も歌えるようになってほしいということで、普段とは違う分野の歌に挑戦することもパーティーの目標にしています。ゆくゆくは大きなシアターで「ケイ&ミュージック・ディナーショー」を開催するのが私の夢なのですが、いわばその予行練習みたいな感じです。

歌には皆さんそれぞれ思い出があるだろうし、得意・不得意もあると思います。不得意だからといって避けていたらいつまでたっても歌えません。いろいろな歌を歌ってみて、「私がこの歌を歌ったら演歌っぽいって言われちゃったんですけど、全然違うジャンルなんですね」というのも、私はいいと思っています。要するに、その人の味で歌えばいいのですから。ジャズはジャズっぽく、Jポップスはポップスっぽく歌わなくてはいけないというのではなく、その人の味が出てくれればいい。ま、演歌のようにジャズを歌ったりしたらちょっと困りますが、でもそこにも自分のカラーが出ていれば、私はいいと思っています。

今回のクリスマス・パーティーではお客様にもカラオケを歌っていただくので5、6時間かかります。場所はシアトル・ダウンタウンの「ホリデー・イン」というホテル。会員の人達がそれぞれ友達を連れてきて、みんなでわいわいカラオケを楽しみます。最初は会員の人がミニ・ショー的なことをやりますが、その後はお客様とジョイントしてダンスをしたり、デュエットしたり……。

歌を習い始めた最初こそ、自分が歌って楽しければいいと思うものですが、それがだんだん人に聴いてもらいたい、感動を与えたいと思うようになります。何人かの会員の人から、「自分が歌ったことで感動して涙を流してくれた人がいる」と喜びの声を聞きますが、そのように人の心に触れる歌い方ができるようになったら楽しいですよね。
私はさまざまなジャンルの歌を教えていますが、日本の歌もアメリカの歌も、シャンソンでもポップスでも、歌はやはり感情移入が大切です。ある光景を思い出したり、想像したりして歌うと、英語だろうが日本語だろうが歌のジャンルは問われません。自分の夢や過去、さまざまな人生観が歌えるようになったら、声がかすれていようが関係ないのです。

最近、そんな「人生観」を歌う会員の皆さんが増えてきました。歌が上手くなってきたというより、“伝え方”が上手くなってきたのですね。以前の会員さんの歌は、人が聴いて単に「いいわね」というレベルでしたが、最近は歌に心が入って“語りかけている”という感じです。

クリスマス・パーティーのカラオケには英語の歌もあるのでアメリカ人の方も来ます。もしパーティーに興味がありましたら、ぜひご連絡ください(ケイ&ミュージック Tel.425-445-7897)。

灘 敬一:
15歳から芸能界入りし、プロ歌手として活躍。ニューヨークに渡って音楽活動に携わった後、シアトルに移り住む。現在は、歌の会「ケイ&ミュージック」を主催し、30名もの会員にマン・ツー・マンで歌のレッスンを行っている。

 シアトルの音が聞こえる文・灘 敬一

第9回(最終回)「歌うということ」

私は歌を教えていますが、あくまでも歌うことの基礎、こういう風に歌ってくれたらいいなという歌い方、声の出し方、ポーズやステージのマナーなどを教えています。それらは100のうち50%であって、残りの50%にはその人のオリジナリティーが必要です。そのオリジナリティーの部分で、その人のカラーや味を出すのは、これはもう練習しかありません。ゴルフでも何でもそうですが、歌も本人の努力が一番大切なのです。

ステージ・マナーでいうと、歌う時の笑顔の大切さを教えています。歌っている人に笑顔がないと、聴いている人は「本当にこの人楽しく歌っているのかしら?」という感じになり、笑顔があると「楽しそうだな」となるものです。私は、笑顔が一番きれいな顔だと思っています。心から笑った時は本当に楽しそうだし、その人しかないほわーっとした温かいものが伝わってくる。それに加えて、人の感情に訴えかけるように歌えたら最高。会員の人達にはいつも「歌う時は必ず笑顔を忘れずに。難しい顔をしないで楽しく歌ってください」と言っています。

声に関しては、「力を入れてもリキまずに」。このタイミングが難しいと思いますが、力を入れ過ぎたりしたら聴き苦しくなります。リラックスしながらも、最初の出だしから最後の音まで、バイブレーションまできれいに出るのが理想です。音楽というのは、いきなりわーっと出てくると、聴いている方がびっくりしてしまいますから、ソフトに出てきて、盛り上げるところは盛り上げる。そのバランスは決して容易ではありませんが、歌は人に聴かせるのが目的ですから、ここは気をつけなければなりません。

最近、音楽を聴いていて飽きなくなりました。以前は、何度も同じ音楽を聴いていると飽きてしまったんですが、今は聴けば聴くほどいろいろなモノが見えてくる。木でも何でもそうですが、じーっと正面からばかり見るのではなくて、横から見たり、上から見たり、斜めから見たりすると、見えなかったモノが見えてくる。歌も一緒で、あのポイントはどうだったかな、声の出し方は? あそこはどういうふうに絞って、泣き節みたいに聴かせたのかな、と考えながら聴くと、いろいろなことが見えたり聴こえてきます。

昔は、何回か聴いて覚えて、何度か練習して、人前で歌っていた。でも最近は、人前で歌う以上はベストな歌い方をしたいので、歌う前に猛練習します。一生懸命練習した上で、人の心に伝えられる歌い方ができたらいいなと思っています。
「ケイ&ミュージック」の今後ですが、私としてはやはり、本当に歌が好きで歌を愛している人が集まり、みんなで楽しく、なおかつ、少しでもプロに近づくことを目標にやっていきたい。ある方に、ベルビュー・コミュニティー・カレッジでの会の後「みなさん本当に歌が上手くなってセミプロみたいですね」と言われ、大喜びしました。しかし、習った以上、上達するのは当たり前ですから、それにプラスして「ケイ&ミュージックに入ってよかった」と思える集団。遊びはなく、本当に歌が上手い集団を作りたいと思っています。

灘 敬一:
15歳から芸能界入りし、プロ歌手として活躍。ニューヨークに渡って音楽活動に携わった後、シアトルに移り住む。現在は、歌の会「ケイ&ミュージック」を主催し、30名もの会員にマン・ツー・マンで歌のレッスンを行っている。

 シアトルの音が聞こえる文・佐藤美和

第10回「エコーコーラス15周年記念コンサートを終えて」

2005年1月9日、ベルビューのメーデンバウアーセンター内シアターでエコーコーラス15周年記念コンサートを開催しました。エコーコーラスとしては、3回目のコンサートでした。ご来場くださいました方々、お忙しい中ありがとうございました。

1990年に結成されたエコーコーラス。1999年4月に日本からシアトルへ来た私は、その年の6月から指揮指導にあたり、早いもので5年半が経ちました。音楽大学卒業後、女声合唱団の指揮指導を14年間務めた経験がありますが、まさか異国の地で、また「合唱」ができるとは思ってもみませんでした。

日本にいた時は、難しい合唱組曲にチャレンジしたり、最近のヒット曲を合唱で歌ったりしていましたが、アメリカへ来て感じたことは、「日本の童謡」、例えば「ふるさと」「赤とんぼ」などが特にお客様に喜ばれるということです。確かに日本にいたら、日本の童謡はいつでも聴く機会がありますが、こちらではそういう歌を生演奏で聴く機会がほとんどありません。今回のコンサートのアンケート結果では、やはり「荒城の月」「浜辺の歌」がよかった、またアンコール曲の「川の流れのように」で涙が出た、というご感想をたくさんいただきました。これからも日本人の皆様に懐かしい童謡、心に響く歌を私達のハーモニーでお届けできれば、と思っています。そしてアメリカのこの地で、いろんな国の人達に日本の歌の素晴らしさ、美しさを広めていけたらうれしく思います。

最後に「音楽」と「合唱」について書いてみたいと思います。音楽以外の芸術分野、たとえば絵画や彫刻などの造形美術に対し、音楽はとても儚いものです。形が残る造形美術に対し、音楽は一瞬の響きにしか過ぎず、同じ音、同じ表現は二度とできません。テープやCDに録音したとしても、生の演奏とはかなり異なります。音楽は他の芸術とは全く異質の瞬間芸術なのです。二度とくり返しのできない表現芸術であるからこそ、集中力が大切です。また自由な自己主張ができるソロ(独奏や独唱)に対し、アンサンブル(合奏や合唱)は周りとの調和の中で創り上げていくものです。一緒に練習を重ねることによって初めてひとつの音楽を創り上げることのできる“共同体”になるのです。

約1年掛けて練習してきた私達。アルトの奥深い響きを聴き、メゾソプラノのハーモニーを乗せ、ソプラノのメロディーを聴きながら観客に「聴かせたい音」を目指して“共同体”をその時々にひとつの音にまとめながら導いていくのが、合唱指揮の醍醐味です。

佐藤美和
ベルビューで毎週、女声合唱団「エコーコーラス」の指揮指導を行う一方、めぐみ保育園では歌の先生としても活躍。元NHK教育テレビ「たのしいきょうしつ」の歌のお姉さん。

 シアトルの音が聞こえる文・佐藤美和

第11回「児童合唱団」

私が初めて「音楽」を知ったのは、4歳から習い始めたヴァイオリンでした。しかし、毎日の練習がいやで全く上達せず、10年続けたものの、結局は途中で止めてしまいました(自分のあまりに下手な音を聴き、歯が痛くなった!)。毎週のレッスンの最後に「ソルフェージュ※」をやり、楽譜を見て歌う練習をしていた私はその時間が楽しくて、家でいつも歌を歌っていました。そんな私を見ていた母が、新聞広告欄で「児童合唱団団員募集」の記事を見つけ、オーディションを受けることに。見事合格し、小学3年~中学3年までの7年間、大阪放送児童合唱団に在籍しました。

私にとって忘れることのできない、本当に楽しい7年間でした。日本のいろいろな歌を歌い、数多くのステージ、テレビやラジオ出演、レコーディングなども経験しました。そして、そこで「音楽」とは「音を楽しむ」ということ、決して「音学」や「音が苦」ではないことを学びました。確かに音楽大学の入試前は、「学ぶ」ことが多く、「苦しい」こともあり、「楽しい」ことばかりではありませんでしたが、原点は「音を楽しむ=音楽」であると今も思っています。私は自分の経験を生かして、1999年にシアトルへ来た時から、「日本人や日本語のわかる子供達に、日本の歌の美しさを伝えたい、児童合唱団を創りたい」という夢がありました。それは、日本の歌を我が子に伝えていきたいと思うお母様方の協力のもと、2003年春、現実のものとなりました。「児童合唱団ハミングバード」の誕生です。

先月開催しました「エコーコーラス15周年記念コンサート」に、ハミングバードは賛助出演し、リコーダー演奏とかわいい澄んだ歌声を披露。場に花を添えてくれました。私が10歳の時に児童合唱団で歌った歌を、今回ハミングバードの子供達が歌いましたが、その曲を聴いたり歌ったりすると、数十年前のあの時が鮮明に蘇り、一緒に歌った友達の顔、練習していた音楽室など、懐かしさがこみ上げてきました。

まもなく帰国する子供達が、私と同じように数十年後、ハミングバードで歌ったあの歌を聴いたり歌ったりする時、何を思い出すのでしょう……。シアトルの街を、厳しかった(?)練習を、楽しかったステージを、友の顔を、そしてハミングバードで歌ったハーモニーを忘れずにいてくれたら、と願っています。

※音楽を学ぶ上での基礎訓練。「歌う力」「聴き取る力」「楽譜を読む力」を主に養う。

佐藤美和
ベルビューで毎週、女声合唱団「エコーコーラス」の指揮指導を行う一方、めぐみ保育園では歌の先生としても活躍。元NHK教育テレビ「たのしいきょうしつ」の歌のお姉さん。

 シアトルの音が聞こえる文・佐藤美和

第12回「シアトルで身近に感じるコンサート」

1月16日、ベルビューのメーデンバウアー・センター内シアターで開かれた「The Three Sopranos」 というコンサートを聴きに行きました。ベルビュー・フィルハーモニー・オーケストラの音に乗せて歌われた、3人のソプラノ歌手の歌声に魅了され、感動したひと時でした。$30というチケットは、日本から来た私にとって本当に安く感じられ、またこのチケット代でありながら空席があったのが、もったいないように思いました。

2月13日にカークランド・コーラル・ソサエティー(カークランドの混声合唱団)のバレンタイン・コンサートに行ってきました。場所はカークランド・パフォーマンス・センター。コンサート代$18のほかに、事前に$10のチケットを購入すると、コンサート前においしいワインとオードブルがいただけるとあって、もちろん私は$10追加。きっちりワインを3杯いただき、とても良いほろ酔い気分でコンサートを聴きました。

声楽を習い始めた高校生の頃から、時々コンサートへ行くようになり、クラシックに限らず、ミュージカルやポピュラーなども聴きに行きました。ただ、なんと言ってもチケット代が高い!!! そしてコンサート会場まで遠かったので、なかなか大きなコンサートへは行けませんでした。有名なアーティストのコンサートは、日本ではやはり主要都市にしか来ません。自宅から大阪のホールまで電車を乗り換えて約1時間、神戸のホールへは1時間以上。コンサートを聴きに行って、日常の忙しい生活から離れてせっかく心地良い気分を味わっても、コンサートの帰りに満員電車に乗って帰らなければならず、すぐに現実の世界に引き戻されることが残念でした。

現在、レドモンドに住んでいる私にとって、ほとんどのコンサート会場は車で30分圏内にあり、気軽に行けます。また日本に比べてチケット代が安いので、本当にコンサートを身近に感じることができます。シアトルは、アメリカの中では決して大きい都市ではないのに、世界的に有名なアーティストがよくこの地を訪れ、コンサートを開いてくれることはとても喜ばしいことだと思います。たとえば、チェリストのヨーヨーマや、ソプラノ歌手のキャスリーン・バトルがシアトルを訪れた際には、私もコンサートへ行きました。心が洗われた思いでした。シアトルにいる間にたくさん素晴らしいコンサートを聴きに行って、自分自身を成長させたいと思っています。

3月18日には、テレビでしか聴いたことのなかった「ウイーン少年合唱団」が、シアトルのベナロヤ・ホールに来ます。変声期前の少年の天使のように響き渡る歌声を、間もなくナマで聴くことができると思うと、今から楽しみです。

佐藤美和
ベルビューで毎週、女声合唱団「エコーコーラス」の指揮指導を行う一方、めぐみ保育園では歌の先生としても活躍。元NHK教育テレビ「たのしいきょうしつ」の歌のお姉さん。

 シアトルの音が聞こえる文・梶間聡夫

第13回「ベルビュー・フィルハーモニー管弦楽団」

この度、寄稿をすることになりました、梶間聡夫です。私は現在、ベルビュー・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督をしているものです。何人かのゆうマガ読者の方々には、我々の演奏に足を運んでいただいて、お目にかかったこともあると思います。

今回は、ベルビュー・フィルハーモニー管弦楽団の歴史と活動について少しご紹介させていただきます。アメリカの多くのオーケストラは、アマチュアのオーケストラとして発足された場合が多いようです。伝統のあるボストン交響楽団や、ここシアトル交響楽団もこのようにアマチュアとして始まりました。この例に漏れず、ベルビュー・フィルハーモ二―管弦楽団も39年前に、花屋さん兼オーボエ吹き兼アマチュア指揮者であるジョセフ・スコットさんが、有志者を募って始めた楽団です。その後、主席奏者、及びコーチに謝礼を払うようになり、やがてほとんどのメンバーに給料を出すようになったわけです。そして8年前に役員は、このオーケストラをプロに転向させる決断をし、初のゼネラル・マネージャーを雇いました。その次のシーズンを使い、新しい音楽監督選びをしたわけです。170人あまりの応募者の中から最終的に私を選んでいただいたわけです。

うちのオーケストラはいわゆるフルタイムではなく、パー・サービス・オーケストラです。これは、どういうことかと申しますと、1回、1回のサービス、つまりリハーサルや演奏会などに対して、給料が払われるということです。アメリカの中では、相当予算の大きいフェニックス交響楽団などもこの給与体系です。ベルビュー・フィルハーモニ―管弦楽団は、5回の定期演奏会、スペシャル・コンサートとしてヘンデルのメサイア、18歳以下のソリストを使う「若い芽のコンサート」、7月4日に花火と一緒に共演する独立記念日野外コンサート、そして小学4~6年生を対象にした音楽教室コンサートなどを演奏面では行っています。

アメリカのどのオーケストラもがNPO(Non Profit Organization)団体です。日本でも近年の法改正によって、多くのNGO(NonGovernmental Organization)ができていますが、共通して言えるのが、収入の多くを団体や個人の寄付によってまかなっていることです。このため、演奏以外にいわゆるファンドレイジング(資金集め)、寄付活動に楽団職員、役員共々時間と労力を使います。

次回は、ここシアトル・エリアのクラシック音楽事情、そして私の体験を元にした世界のオーケストラ事情をお届けします。お楽しみに!

梶間聡夫
3歳半で音楽との運命的な出合いを果たし、その後、ピアノ、指揮を専門に音楽活動に携わる。アメリカの大学・大学院を卒業後、オペラハウスのボイス・コーチや福指揮者、大学助教授などを務め、のち「ベルビュー・フィルハーモニー管弦楽団」の音楽監督・指揮者となる。客演指揮者として世界を股に掛けた活動もしている。ウェブサイト:www.bellevuephil.org

 シアトルの音が聞こえる文・梶間聡夫

第14回「アメリカにおけるコンサート・ホール事情」

つい先日、ベナロヤ・ホールでクリーブランド楽団の演奏を聴きに行って来ました。10年ほど前、日本のある音楽雑誌において批評家達が、アメリカのオーケストラのランク付けのようなことをしているのを目にしましたが、そこでいわゆる“BIG5”という「1軍」的な位置付けをされていたのが、クリーブランド。ほかに、ボストン響、フィラデルフィア、ニューヨーク・フィル、そしてシカゴ響が挙がっていました。現在は、ロサンジェルス・フィル、サンフランシスコ響、ミネソタ、デトロイト響、ヒューストン響、ダラス響、ナショナル響、アトランタ響などの楽団のレベルは、BIG5に近づいていることに間違いありません。

ここシアトルを含むノースウエストは、東海岸や中西部のちょっぴりここより伝統のある都市と比べると、まだ文化の世界は発展の途中にあると言えます。もちろん、シアトル・シンフォニーやシアトル・オペラの長い間にわたる活動、そしてレベル・アップは素晴らしいものですが、それらのホームであるベナロヤ・ホールとマリオン・オリバー・マコー・ホールは、この数年前に建てられたばかりです。

ベルビューの姉妹都市である大阪の八尾市など、日本の中くらいのサイズの都市では、各地方自治体が公共事業の名の下、立派なホールを建てます。その後、予算その他の理由から、そのホールをフルに活用していません。ハードが先、ソフトの方で計画が遅れるということが多々あるようです。

ここアメリカでは、ホールの建設及び運営自体も非営利団体として働いていますので、楽団や歌劇団、バレエ団同様、個人や法人からの寄付、またスポンサー探しなどによってまかなわれている訳です。ホールの建設においても、州や市などの公的資金は、10~18パーセント程度。今、ベルビューにホール(パフォーミング・アーツ・センター・イーストサイド)を建てる計画がありますが、まさに寄付を募っている最中です。べナロヤやマコーのように多大な寄付をした誰かの名前がホールの名称になるのは必至ではないでしょうか。もしくは、野球場やフットボール場のように会社の名前が付くかもしれません。フィラデルフィアでは、実際新しいホールは、米通信最大手のベライゾンの名で呼ばれています。

梶間聡夫
3歳半で音楽との運命的な出合いを果たし、その後、ピアノ、指揮を専門に音楽活動に携わる。アメリカの大学・大学院を卒業後、オペラハウスのボイス・コーチや福指揮者、大学助教授などを務め、のち「ベルビュー・フィルハーモニー管弦楽団」の音楽監督・指揮者となる。客演指揮者として世界を股に掛けた活動もしている。ウェブサイト:www.bellevuephil.org

 シアトルの音が聞こえる文・梶間聡夫

第15回「シアトルの有名音楽イベント、音楽家、そして音楽学校」

クラシック音楽の世界では何と言っても、シアトル・オペラによるワーグナーの楽劇「ニーベルンゲンの指輪」の全編上演が、一番有名なイベントでしょう。この作品は、「ラインの黄金」「ジークフリート」「ワルキューレ」「神々の黄昏」の計4つの楽劇によってできているのですが、休憩なしの演奏総時間が正味18時間と、とにかく超、大イベントです。3、4年に1度の割合で夏に行われるものですが、アメリカ全土はもちろんのこと、海外からの観客も多いようです。もちろんチケットは、4、5ヵ月前から売り切れになります。

また、ワーグナー歌手のひとりとして有名なメゾ・ソプラノのジェーン・イーグレンは、ここシアトル在住です。そのほか、バリトンのクレイトン・ブレイナード、ワシントン大学の教授も務める、テノールのヴィンソン・コールも、世界中の有名な歌劇場で歌い回っています。

シアトル出身の有名な楽器奏者は、主にジミー・ヘンドリックスやケニー・Gでしょうが、クラシックの世界では、ピアニストのクレイグ・シェパードでしょう。また、シアトルを代表とする作曲家と言えば、2000年に亡くなったアラン・ホヴァネスです。彼は、セント・ヘレンズ山や鯨など、ここノースウエストを題材とした曲をたくさん書いた人です。

最後に、シアトル近郊にある音楽学校について、ちょっと触れてみます。シアトルには、州立であるワシントン大学人文芸術学部の中の音楽科や、私立で美術、芸術専門のコーニッシュ・カレッジ・オブ・アーツなどがあります。ワシントン大学では、主にクラッシック分野を中心に、音楽演奏及び、音楽教育学、作曲学、民族音楽学などを学べます。コーニッシュでは、演劇学科があったり、ジャズ科があったり、電子音楽学科などがあり、少しユニークなアプローチを取っているようにも思います。音楽方面に進もうとするこの辺の高校生は、アメリカ全土の一流音楽学校に行く場合も多くありますが、この付近での選択をする人達は、タコマにある私立のパシフィック・ルーテル大学とピュージェット・サウンド大学、ベーリンハムにある州立のウエスタン・ワシントン大学、そしてエレンズバーグにある州立のセントラル・ワシントン大学などを高い候補に挙げています。

梶間聡夫
3歳半で音楽との運命的な出合いを果たし、その後、ピアノ、指揮を専門に音楽活動に携わる。アメリカの大学・大学院を卒業後、オペラハウスのボイス・コーチや福指揮者、大学助教授などを務め、のち「ベルビュー・フィルハーモニー管弦楽団」の音楽監督・指揮者となる。客演指揮者として世界を股に掛けた活動もしている。ウェブサイト:www.bellevuephil.org

 シアトルの音が聞こえる文・kvn & june

第16回「アバンフォークの達人 野村和孝(Na)」

シアトルのローカル・バンド「Na」のメンバーとして、そしてソロでも活動している野村和孝(カズ)。現在21歳で、2003年に北海道の旭川からシアトルに移住した。ショアライン・コミュニティー・カレッジで、クラシカル・ギターを習得後、現在はコーニッシュ・カレッジ・オブ・アーツに学ぶ。カズは、友人の山田しんすけ(シン)、渡辺紀明(ノリアキ)の3人でバンド「Na」を結成(ノリアキは、最近ニューヨークに移転)。「それ自体では何の意味がなくても、日本語の中で最も重要な音節が“な”」という、東京在住の画家である友人の言葉が、バンド名の由来らしい。

カズは、驚嘆させられるアバンフォーク(Avant-folk)音楽を作る。それは、どこか「Black Blues」時代の灰野敬二を思い出させる。以下は、インタビューしたカズとのやり取り。

アバンギャルド音楽を始めたきっかけは?

カズ:音楽を始めた13歳の時から、人と違う音楽を作りたいという気持ちがありました。シアトルに越して以来、この街に限らずアメリカ全土の、音楽家を始めとする創造活動をしている人達(アーティストという言葉が嫌いです)と交流を持つようになりました。彼らの影響を受けた結果が、今の僕の音楽だと思います。

今後はソロ活動を? それとも、ニューヨークに移転してしまったメンバーの代わりを探し、「Na」で活動する?

カズ:3人だったころの「Na」と同じようなものを作る気はありません。「Na」の音楽は、3人の個性を、音楽を通して混ぜ合わせた結果です。おそらく今後はソロ活動を中心に、ダンス、演劇などほかの分野の人と交流を深めて行くと思います。

最近、耳にした最も美しい音は?

カズ:1日に数時間、耳栓を付けている時があります。そうしていると、環境音などはほとんど遮断され、聞こえるものは心臓の音や血流の音だけになります。僕に限らず誰でもそうですが、普段私達はすごい量の音に囲まれています。そんな中、細心の注意を払わなければ聞こえない音があります。僕にとっての一番美しい音は、存在し続けていたにもかかわらず、認識することのなかった音です。初めて、自分の体を血が巡る音に「気付いた」時、今まで気付くことのなかったその音に魅了されました。問題は、ものの5分もすると、その音は「聞いたことのある音」になってしまうことです。そうすると、それは「一番美しい音」ではなくなってしまいます。

演奏に理想的だと思う場所はありますか?

カズ:この2年間、「チョップ・スイ」のようなクラブからシアトル美術館、FMラジオ局の「KEXP」など、さまざまな場所で演奏してきました。僕にとって理想の演奏場所は、小さなコンサート・ホールです。僕はPA(音響の係)に自分の音を加工されることが嫌いです。音響の良いホールやギャラリーで、飲みに来たのではなく、音楽を聴きに来てくれたお客さんを相手に生演奏をするのが理想です。

これからやってみたい!と思うことは?

カズ:ヒットチャートに何ヵ月も残る曲を書けたら、と思います。そうすれば収入がかなりあると思うので、それを機に音楽からは手を引いて、株でも始めたいと思います。
(インタビュー終わり)

kvn & june
ボストン出身で睡魔、シアトルでのライブ観賞、新しい音楽を探すことが楽しみのサウンド・アーティスト・kvnと、東京出身の翻訳家・juneのカップル。ふたりが飼う猫の大好物は、カツオブシとロック。

 シアトルの音が聞こえる文・kvn & june

第17回「シアトルのレコード・レーベル:LITA」

今回は、シアトルをベースにしたレコード会社、LITA(Light In The Attic)を紹介しよう。LITAは、レベルの高い才能を新たに発掘しながら、いつの時代の音楽へも目を離さない。それがロックであろうと、ヒップホップであろうと、ソウル、ファンク、もしくはポエトリーであろうと。一定のジャンルに縛られず、さまざまなスタイルの音楽を少しずつリリースするのが、LITAのやり方。冒険心旺盛なレコード・レーベルなのだ。

LITAの初プロデュースは、2001年に開催した音楽祭。ニューヨークのアンダーグラウンド・ロックでお馴染みだったインターポールやウォークマン、詩人・革命家的なソウル・ウィリアムズ、そしてノルウェー出身のエレクトロニック・デュオであるロイクソップなど、多くのバンドのキャリアをLITAは先導したのである。

そして2002年の後半、LITAはスペインのレコード・レーベルであるヴァンピ・ソウルとのコラボで、ラスト・ポエッツによるデラックス盤、ダブルCDを再リリースし、それを機にレコード・レーベルとなった。また、LITAはラテン・ジャズやファンク、’60年代や’70年代の知る人ぞ知るソウル系など、ヴァンピ・ソウルによる多数の音楽を出している。

さらに2006年には、ブラック・エンジェルの衝撃的デビュー・アルバムをリリース。そのほか、’60年代や’70年代にカリブからカナダに移住したミュージシャン達の失われた曲、ソウル、ファンク、レゲエを集めた「Jamaica To Toronto」のコンピレーションも、近々リリースされる(予定されている全7作シリーズのうちの第2弾)。

ヤング・サークルによるデビュー・アルバムのリリースも、2006年中を予定。2003年にリリースされた彼らの4曲入りEP「Vive les enfants d’amour」は’90年代半ばのストーン・ローゼズではなく、ブリット・ポップ系リスナーを思い出させる。

LITA
ウェブサイト:www.lightintheattic.net

kvn & june
ボストン出身で睡魔、シアトルでのライブ観賞、新しい音楽を探すことが楽しみのサウンド・アーティスト・kvnと、東京出身の翻訳家・juneのカップル。ふたりが飼う猫の大好物は、カツオブシとロック。

 シアトルの音が聞こえる文・kvn & june

第18回「デシベル・フェスティバル」

「decibel」(略してdB)は、音の大きさを測定する記号だ。例えば、ヒトが小声で話す時はおよそ40デシベル、普通の会話で話す時は60デシベル、デシベル測定が85ほどまでいったら、鼓膜にダメージが起きないように耳栓をしたほうがいいだろう。

シアトルで毎年開催される「デシベル・フェスティバル(Decibel Festival)」をご存知だろうか? ノースウエストのエレクトロニック・ミュージック祭であるこのフェスティバルは、2004年から大音響を鳴らし始めた。この街は、未だにその衝撃を受け続けている。僕達は初回には行き損ねたが、2005年に足を向けることができた。その4日間は、コンテンポラリーのアンダーグランド・エレクトロニック・ミュージック分野における、最高のアーティスト達に圧倒されっ放しだった。2006年は9月14日(木)~17日(日)に行われるので、ぜひウェブサイト(www.dbfestival.com)をチェックしてみて欲しい。

フェスティバルのウラ舞台を率いるのが、ショーン・ホートン(Sean Horton)だ。彼はデトロイト出身で、1999年にワシントン州のオリンピアにあるエバーグリーン州立大学から音響工学の学位を取得。その後、2003年にカナダのモントリオールで開催されたワールドワイドなアンダーグランド・エレクトロニック・ミュージック祭「ミューテック・フェスティバル(Mutek Festival)」に行ったことで、このフェスティバルのアイデアをつかんだという。

ホートンは、ショーやフェスティバルをプロデュースするほか、レコード・レーベル・プランも温めている。先日の僕とのメールでのやり取りでは、こう言っていた。
「過去4年、ずっとレーベルを始めたかった。このノースウエストにいる、事実上まだ触れられていない素材達とね」

そして、フェスティバルのクリエイティブ・ディレクターである、ジェリー・アブストラクト(Jerry Abstract)。音響アートとビジュアル・アートの関連性は知られているが、彼はウェブサイトやプロモーションのためのデザインワークを担当するほか、熟達したミュージシャンであり、DJでもある。アブストラクトがデザインしたキッド・ロボット「ダニー(Dunny)」は、目にしたことがある人も多いはずだ。彼のホームページ(www.fixelplix.com)も、目の保養に訪れたい。

kvn & june
ボストン出身で睡魔、シアトルでのライブ観賞、新しい音楽を探すことが楽しみのサウンド・アーティスト・kvnと、東京出身の翻訳家・juneのカップル。ふたりが飼う猫の大好物は、カツオブシとロック。

 シアトルの音が聞こえる文・kvn & june

第19回「Vells」

「さあ始めようかな」という時に、まずどこから手を付ければいいのかわからないことがある。Vellsのように、過去・現在・未来に同時存在しているようなバンドについて書こうとする時が、まさにそれだ。

Vellsのような才能に出合えることはごくごく稀だと思う。ただのポップ・バンドと呼んでしまっては、全体を作り上げている各パートに対して酷過ぎるだろう。僕は、個人的に「有形世界における絶対的な完全性」はあり得ないと思っているが、このバンドはそうした状態にものすごく近い存在だと思う。最近のロックバンドの中で、そんな状態に行けるところまで行っているバンドはVellsかもしれない。

前置きが長くなったが、バンド自体について紹介しよう。シアトルのバンドであるVellsのサウンドは、僕が大好きなThe KinksやJulyなど1960年代のバンドを思い出させてくれる。そのうえ、Guided By VoicesやPavementといった、これまた僕の大好きなコンテンポラリー・バンドが放出するエネルギーや楽観的雰囲気も、Vellsの音楽には入っている。「今後のバンドが『Vellsを聴いて学んだんだ』と言って欲しい」、そんな音楽を、Vellsは作り出しているのだ。つまり、Vellsは自分達の道を極めているんだと思う。セカンド・アルバム「Integretron」は、近日リリース予定だ。

VellsのもうひとつのバンドPsychic Emperorも紹介しておこう。Vellsが“自然発生的にでき上がったオーガニックなバンド”ならば、Psychic EmperorはVellsの“分身”と言えるかもしれない。むしろ、Vellsの“サイボーグ”版。キミと全く同じことをするのが分身なら、サイボーグはロボットの腕を持ち、車の下敷きになってる人達を助けようと、車をヒョイッと持ち上げることができるような、そんなイメージ。それが、Psychic Emperorだ。「音楽について語るなんていうのは、建築について踊っているようなものさ」と、あのフランク・ザッパも言っている。チャンスがあれば、ぜひPsychic Emperorもチェックしてみるといいだろう。

自宅で聴いても、パーティーのダンスで踊っても楽しめる、質のいい音楽を探しているなら、VellsとPsychic Emperorはイチオシだ。彼らのレコードはすごくいいし、ライブで聴いても最高。ウチの猫もファンになってしまうほどだ。詳細は、ウェブサイト(www.vells.net)でチェックできる

kvn & june
ボストン出身で睡魔、シアトルでのライブ観賞、新しい音楽を探すことが楽しみのサウンド・アーティスト・kvnと、東京出身の翻訳家・juneのカップル。ふたりが飼う猫の大好物は、カツオブシとロック。

 シアトルの音が聞こえる文・kvn & june

第20回「PMPH」

パートマン・パートホース(PMPH)は、2005年1月に結成されたシアトルのローカル・バンド。1月と言えば、テンペル第1彗星の調査のためにNASAの宇宙探査機「ディープ・インパクト」が打ち上げられた月だ。ディープ・インパクトのミッションが、彗星に子機を衝突させて情報を収集することだったなら、PMPHのミッションは彗星目掛けたサテライトのようなエネルギーと精神をもって、若者達に刺激や喜びを与えてしまおう!といったところだろう。

PMPHの音楽はというと、これがひとつのジャンルに抑え切れない。彼らの音楽はパンクとも呼べるが、普通のパンク・バンドやインディー・ロック系のバンドよりも冴えている。つまり、楽しくてセクシーなロックンロールが好きなら、きっとPMPHが大好きになるだろう。それというのも、PMPHはドラッグ、セックス、警察関連など現代の若者が直面する問題を歌っているからだ。もちろん、時折出てくる観客との“ハイ・ファイブ”も忘れちゃいけない。

PMPHのライブを見に行けば、ほぼ必ずと言っていいほどハイ・ファイブがある。そう、あの腕を上げてバチンと手を叩き合うあれだ。例えば、そんな風にPMPHはライブで、非常に惜しまれつつもなくなっている要素をステージに生き返らせてくれる。その熱烈さ。残念ながら、最近は「こんなライブを見に来るために、安くビールが飲めてトイレに行くのにも並ばなくて済む我が家をわざわざ出て来たのかぁ」と思わせるような、信じられないほどつまらないライブをしているバンドもいる。しかし、PMPHは壮観さをステージに戻してくれるバンドだ。特にリード・シンガー、ゲリーと観衆とのインタラクションがすごい。前列で見ている観客は、パフォーマンスの一部にならざるを得なくなることがよくある。そんなバンドと音楽と観客とのつながりが、ライブを見に出掛けること、そして音楽を感じるということなんじゃないかと僕は思う。

8月にはPMPHのデビューCDがリリースされるので、自宅でもチェックしてみるといいだろう。ココナッツ・クールアウツやアンナチュラル・ヘルパーズ、オールドタイマーズとのコンピレーション「Black Garfield」にもPMPHは参加している。

ウェブサイトでは、PMPHの詳細(www.myspace.com/partmanparthorse)や、リード・シンガーのゲリーが撮る見事な写真(www.smokyshots.com)が見られる。

kvn & june
ボストン出身で睡魔、シアトルでのライブ観賞、新しい音楽を探すことが楽しみのサウンド・アーティスト・kvnと、東京出身の翻訳家・juneのカップル。ふたりが飼う猫の大好物は、カツオブシとロック。