子供の手本になるためにプロ・サッカーへ復帰した | ▲5月8日のEdmonton Aviators戦でパスを出す木下桂選手 ©George Holland |
アメリカ流サッカーに開眼 在米7年になりますが、初めてシアトルを訪れたのは阪神淡路大震災の後、日本のプロ・サッカーリーグ(Jリーグ)のヴィッセル神戸の一員として、シアトル・サウンダースとのチャリティー・マッチに参加した時でした。当時、サウンダースは技術的にはそれほど優れているように見えなかったので、試合は楽勝だと思っていたのですが、対戦した2試合ともサウンダースの勝ち。秀でた体格と力を使いながら、各人が持つ強さを前面に出した彼らのアグレッシブなサッカーに、「自分のサッカーに足りないものはこれだ」と感じました。 数年後、移籍先を考えるようになり、数回テストを受けた末、サウンダースに入団しました。1997年のことです。 日本のプロ・チームでは、監督の指導を受けたコーチが選手を育成するというように、選手を育てて能力を引き上げるのに時間をかけます。しかし、アメリカでは初めから能力のある人を連れてきて、すぐに力が発揮できなければ“即クビ”と、シビアな世界です。また、アメリカ人選手はリタイア後のキャリアをきちんと考えている人が多く、例えばプロでプレーする傍ら、学校の先生になるための勉強をするなど、将来像を明確に持っている点が日本の選手達と違います。 2002年に一度引退しましたが、まだ体が動く自信があったこと、悔いが残っていたこと、そして自分がサッカーを指導している子供達のロール・モデルになろうと思い、今季、サウンダースに復帰しました。 自分が見本になって子供達を引っ張る 現在、サウンダースでプレーすると共に、日米の子供を対象とした『AJ Soccer』の主宰や、10~18歳の子供達が所属する3つのクラブ・チームのコーチもしています。技術の向上には、うまい人のプレーを見ることが大切。でも、サッカーはアメリカでは「やるスポーツ」であっても「見るスポーツ」ではないのか、子供達はその指導法をなかなか受け入れてくれない。そこで「コーチの自分がプレーをするようになれば、きっと彼らもサッカーを見始めるだろう」と考えました。 また、16、17歳だと「自分のスキルはこの程度」と自ら成長を止めてしまう子供も出てきます。彼らを奮起させようと「実現できなかったらコーチを辞める覚悟でプロへ再挑戦する」と公約したところ、やる気を出して特別練習に参加する子供が出るなど効果が現れました。指導で大切なことは心に訴えかけることだと思いましたね。 復帰後は、子供達の前で恥ずかしいプレーはできないというプレッシャーはありますが、好きなことをし、尊敬できる人や大好きな子供達に囲まれて充実した毎日を送っています。 (取材・文/編集部) | | シアトル・サウンダース 木下桂さん 鳥取県出身。1997年に渡米し、プロ・サッカーチーム『シアトル・サウンダース』でプレーする傍ら、主催するサッカー教室『AJ Soccer(問い合わせ1425-830-7550)』などで子供達のサッカー指導に携わる。また、シアトルのアマチュア日本人サッカー・チーム『チーム・ジャパン』の監督でもある。「哲学的なことをよく話し合う」という妻、愛犬と暮らす。 |
|
コメントを書く