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広瀬慶一さん:獣医師

 
ノースウエストで活躍している人にフォーカスしてお届けするこのコーナー。
今回は獣医師の広瀬慶一さんをご紹介します。
仕事は熱心。余暇も真剣 趣味の歌はライブで披露

▲灘先生と1対1のレッスン。力の抜き方、せりふの言い回しひとつで、歌い方が大きく変わるそうだ

奇遇が重なった産業獣医師としての半生
商社マンの父親と関わりがあったワシントン州カーネーションの牧場が、獣医師のインターンとして私を受け入れてくれたことから1965年に渡米しました。学生時代からFEN(米軍極東放送網)を聴いていたので、英語には慣れているつもりでしたが、入国審査の際、「お前、こんな英語で大丈夫なのか」と審査官から心配される始末でした。ですから最初の1年は、職場で電話が掛かってくると逃げたくなっていましたよ。でも、英語に慣れ始めたら仕事が楽しくなり、「あと1年、もう1年」と、結局ビザが切れる3年間そこにいました。その牧場では獣医診療業務のほか、種牛を作るために日本から牛を買いに来る人の通訳をしたりと、その頃から日米間の橋渡し的な役割をしていました。「サポート役」という立場が自分の性に合っていたので、あらゆる仕事が楽しかったですよ。

日本帰国後は獣医師としてアメリカ大使館関係で働いたり、家畜飼料の研究員として日本の飼料会社『協同飼料』に勤務したり、1973年から10年間はハワイの酪農牧場にいたり。でも、またカーネーションに戻って来ました。「ハワイの片田舎の牧場の獣医師で終わっていいのかなー」と考えていた折、牛の飼料の輸出と研究開発をするからと、元インターン先が仕事をオファーしてくれたのです。しかも、日本向け開発のパートナーが日本の元勤務先。奇遇が重なった結果、産業獣医師兼リサーチャーになりました。その牧場はもうありませんが、現在は『協同飼料』の北米代表でもあるので、相変わらず日米間のサポートというポジションで仕事をしています。

私の専門は家畜医療、特に牛ですが、ワシントン州で狂牛病の牛が見つかった時は「やっぱりな」という感じでした。狂牛病はカナダで先に見つかっていたので、いずれはこっちにも来るだろうと思い、準備はしていました。なにしろ米加間は多数の牛が行き来していますからね。

▲専門は牛。人工授精の研究からお産の立ち会いまで業務範囲は広い

趣味は多彩。歌のレッスンの成果は8月のコンサート
在米歴は長いですが、カーネーションでは交流範囲が限られていました。そこで、人が勧めてくれるチャンスを逃さずにいろいろなことを始めたところ、人間関係はもちろん、多方面で広がりが出てきました。詩吟、陶芸、ステンドグラスなどの習い事のほか、元プロ歌手の灘敬一さんに付いて歌も習っています。8月15日に彼の生徒が集まって『ベルビュー・コミュニティー・カレッジ(BCC)』でコンサートをします。私はポップス専門ですが、20~60代のメンバーがさまざまな歌で練習の成果を披露します。ピン・スポットが当たり、テレビの歌謡ショー並みの本格的なもの(コンサート情報はイベント情報)。ぜひ、ご覧になってください。

仕事を離れたら何も残らない、そんな人生はつまらない。「仕事は熱心。でも、余暇も真剣に楽しむ」というアメリカ人流の生き方を実践している最中です。(取材・文/編集部)

光岡いずみさん
獣医師 広瀬慶一さん
石川県金沢市出身。麻布獣医科大学(現麻布大学)を卒業後、1965年に獣医師のインターンとして渡米。のち日米両国で産業獣医師として働く。「のんびりしているところと相性がいい」ことから、専門は牛。また、歌の会『ケイ&ミュージック』の事務も担当している。(8月のコンサートの詳細は灘敬一さんまで TEL425-445-7897)