シアトルの生活情報&おすすめ観光情報

僕のレインボー・ダイアリー

 文・バンデラス・あれ吉

ゲイの僕がこよなく愛する街、シアトル。この街でIT関係の仕事をしながら、普通のゲイとして普通の毎日を送る僕……。



第1話 「シアトルはゲイが住みやすい?」

こんにちは! 今月からこのコーナーで、ゲイ関連の話題を中心に書かせていただくことになった、バンデラス・あれ吉(年齢不詳)です。

僕がシアトルにやってきたのは10年ほど前のこと。その前に東京に住んでいたときには、まだ自分で自分がゲイだと認める勇気が持てなかったので、一人で悩み苦しんで、どうやってこういうことを話せる友達を作っていいのか全くわからずに、とても暗い日々を送っていました。いわゆる『クローゼテッド・ゲイ』というやつですね。でも、仕事でシアトルに来たことで心機一転、“自分の人生の歯車は自分で回していかなくちゃね”ってことで、やっと自分で自分に『カム・アウト』したのでした。

その時にとても役に立ったのが、会社のゲイ従業員たちのグループ(僕はゲイ、レズビアン、バイセクシュアル、『トランスジェンダー』を全て総括して「ゲイ」と表現してます)。アメリカの大企業であれば、ほとんどこのようなグループが存在していて、これを通して他のゲイ従業員と交流を図ることができます。勇気を出してこのグループに加入したお陰で、会社の中でゲイの友達ができ、アメリカで生まれて初めてのゲイバーなる場所に連れて行ってもらったりしました。そこから友達の輪が広がり、現在に至るというわけです。やってみるととても簡単だったので、なんでもっと早く自分にカムアウトしなかったんだろうと、今は悔やむばかりです(笑)。

シアトルにゲイの日本人として住んでみてわかったのが、ここの人達はゲイに対してとても寛容であるということ。シアトルがあるキング郡では、雇用上ゲイの人々に対する差別を禁止する法律があるし、アメリカのほとんどの大企業には、同性のパートナーも男女の間の結婚と同じようなベネフィットが受けられる『ドメスティック・パートナー制度』というものもあります。幸い、僕は今までに一度も差別を受けたことがないんですが、アメリカの田舎の方ではまだまだゲイに対する意味もない憎しみや差別があるらしいので、シアトルという街に住んでいる僕はとてもラッキーだと思います。

なんだかのっけからちょっと重めの話題になっちゃいましたが、次回からはシアトルでのゲイ・ライフについて楽しい話題をお届けします。何か取り上げて欲しい話題がありましたら、お気軽にメールくださいね。それではまた次回まで。See ya!

『クローゼテッド・ゲイ』 closeted gay
自分がゲイであることを隠しているゲイのこと。こっそりとクローゼットに隠れてるような感じだから、こう言われる。

『カム・アウト』 come out
ゲイであることを自分で認めたり、他の人に公表したりすること。クローゼットから「出てくる(come out)」ってのが語源。自分で自分を認めるということ、簡単なように見えて、ゲイにとってはとても勇気がいることなのです。

『トランスジェンダー』 transgender
異性装者や性転換者のこと。単なる女装や男装と違い、トランスジェンダーの人々はいつもその性として生活している。体の性と心の性の不一致を、子供の頃から悩んでいた人が多い。

『ドメスティック・パートナー制度』 domestic partner benefits
アメリカでは同性の結婚は認められていないので、パートナーの会社の健康保険などを使うことはできない。でもドメスティック・パートナー制度を導入している企業では、届け出ることによって同性のカップルも同じような保障制度を受けられる。

第2話 「シアトルのゲイバー紹介 (ビギナー編)」

だんだん暖かくなって、晴れの日も多くなってきました。気持ちのいい週末の夜は家でくすぶってないで、シアトルのフレンドリーなゲイバーへGo!! 今回は初めての人でも行きやすいゲイバーの紹介です。

ところでゲイバーというと、お姉言葉のゲイが会話で笑わせてくれるようなところを想像するかもしれないけど、アメリカのゲイバーは全然違います。普通のバーで、ただ客がゲイだってだけかな。 盛り沢山のイベントでお客さんを楽しませてくれるのもポイントです。

シアトルのいわゆる“ゲイ・エリア”は、キャピトル・ヒル。特にブロードウェイ界隈は、男同士・女同士で手をつないで歩いても全然平気な雰囲気。ブロードウェイにあるヒップなお店でディナーを食べた後、その足でゲイバーに行くってのはどうかな? フレンドリーな『ライス・クイーン』と友達になれるかも(笑)。

■アール・プレイス
R-Place
619 East Pine St., Seattle, WA
http://www.rplaceseattle.com

Pine St.とBoylston Ave.の角にある、3階建ての老舗ゲイバー。1階はシンプルなバー、2階にはプール・テーブルがあり、3階はバーとちょっとしたダンスフロアがある。週末はほとんどの人が3階に集まってかなり賑わう。木曜日は下着コンテスト、金・土曜日は外に行列ができるほど賑わってダンスクラブ状態、そして日曜日には『リップシンク・ショー』があるという、イベント盛り沢山の場所! 気取らない感じで、シアトルのゲイ・シーンを凝縮したようなバー。

R-Place

▲R-Place。右側がオーナーのひとりSteve

■マンレイ
Manray
514 East Pine St., Seattle, WA
http://www.manrayvideo.com

Pine St.のBelmont Ave.とSummit Ave.の間。映画『オースティン・パワーズ』的な60年代っぽいデザインのおしゃれなビデオ・バー。ビデオ・ジョッキーがいつもミュージック・ビデオを流していて、ゲイだけでなく『ストレート』の客にも大人気。ここではこのバー自慢のマティーニやオリジナル・カクテルをぜひ飲んでみて。特にオーナーのBarbieによって発明された「MalibuBarbie」というカクテルはとてもポピュラーだから。カッコいい男たちをマン・ウォッチングできる場所でもあるし、ストレートの女の子も入りやすいバーじゃないかな。

Manray

▲Manray。オーナーのBarbieはとても陽気なお姉ちゃん

■ティンバーライン
Timberline
2015 Boren Ave., Seattle, WA
http://www.timberlinespirits.com

キャピトル・ヒルからはちょっと離れてるけど、1903年に建てられた歴史的な建物の中にあるバーで、ゲイとレズビアンの客が半々ぐらいという珍しいお店。カントリー・ウェスタン・バーとして有名だったんだけど、日曜日の4:00p.m.から始まる“T-Dance”と呼ばれる70年代ディスコは、ビールが安いせいもあって超人気。火曜日と金曜日のカントリーナイトには、カントリーダンスを教えてくれるクラスもある。これはぜひ一度体験してほしいな。ただし、このお店は5月25日に3ブロックほど離れた場所に移転する予定。詳細はまだ未定だけど、5月23日~25日の週末は、大きな閉店パーティーが開催されるみたい。

Timberline

▲伝統的な建物のTimberline

いかがでしょうか? 「勇気がなくてゲイバーには行けな~い!」って思っている人も、きっとこの3件なら気軽に行けるハズ。今まで頭の中で思い描いていたゲイバーのイメージが、もしかすると180度変わってしまうかも。今回はビギナー・コースでしたが、いつか上級者レベルのゲイバーも紹介する予定です。それではまた次回まで。Seeya!

『ライス・クイーン』 Rice Queen
アジア人好きの白人ゲイのこと。ちなみに白人好きのアジア人ゲイのことは「ポテト・クイーン(potato queen)」。アジア人好きのアジア人ゲイのことを「スティッキー・ライス(sticky rice)」と言ったりする。あまりいい意味に取られない場合もあるので、使い方に要注意。

『リップシンク・ショー』Lipsync Show
いわゆる口パクで歌を唄うショー。女装したゲイがやるっていうのが一般的。

『ストレート』 Straight
ゲイでない、異性愛者のこと。時々、日本人がストレートのことを「ノーマル」と言うのを耳にすることがあるけど、これはゲイの人に対する侮辱になるよ。

第3話 「6月はゲイ・プライド・パレード!」

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パレードの最初はいつも“Dykes on Bikes”

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色とりどりのコスチュームやフロートでお祭り感覚大爆発

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シアトルのPFLAG。「Closets are for cloths(クローゼットは服のためのもの)」というプラカードを持ってます

みなさんは、毎年6月にアメリカの大都市で行われる『ゲイ・プライド・パレード』をご存知でしょうか? サンフランシスコとニューヨークのパレードがとても有名ですが、シアトルでも毎年開催されています。

僕が初めて『ゲイ・プライド・パレード』を見たのは今から8年前、サンフランシスコででした。ダウンタウンの目抜き通りであるマーケット・ストリートの両側に群がる何千人もの見物人達に見守られて、パレードの火蓋を切ったのは“Dykes on Bikes”と言われるレズビアン・バイカー達の群れ。大きなエンジン音を唸らせながら、何百台ものバイクに乗って目の前を通り過ぎて行くレズビアン達は、まさに圧巻そのものでした。中にはトップレスでバイクに乗ってる人もいたりして、アメリカでのパレードのスケールの大きさを見せつけられた感じです。

何百もの派手な団体が通り過ぎて行く中で、地味だけど一番印象に残ったのはPFLAG(Parents, Families and Friends of Lesbians and Gays)というグループ。これはゲイやレズビアンの子供や親を持った家族と友達の団体。“I am proud of my gay son(私はゲイの息子を誇りに思う)”とか“I love my lesbian mother(私はレズビアンの母親を愛している)”などと書かれたプラカードを掲げ、目の前を通り過ぎて行く彼らを見た時は、本当に涙が出てしまいました。

この頃、僕はまだ母親にカム・アウトしていなかったし、ゲイということで自己嫌悪の塊だった僕を、普通の人間として受け入れてくれる人がこんなにも大勢いるんだ!と、初めて知った瞬間でもありました。僕が涙を流しているのを見たPFLAGの母親らしき人が、僕のところに来て「You’ll be all right(大丈夫よ)」と言って抱きしめてくれた時、心の奥底にあった自己嫌悪の氷が一気に溶けた気がしました。まさに、人生を変えるような一瞬って感じかな。

さて、『ゲイ・プライド・パレード』は、なぜ単なる『ゲイ・パレード』という名前ではないのでしょう? その答えはこのパレードの発祥の理由にあります。1969年6月28日、ニューヨークのゲイバー『ストーンウォール・イン』でゲイと警官の正面衝突が起こりました。当時のゲイバーではアルコールを販売することが禁止されていましたが、この日のガサ入れの時にある警官がゲイに対する侮辱の言葉を発したことから、今まで溜まりに溜まっていたゲイ達の不満が一気に爆発。数千人を巻き込んだ暴動に発展し、警官隊との衝突は3日3晩続いたそうです。

この翌年からストーンウォール記念デモが開催され、それが現在の『ゲイ・プライド・パレード』に至ったというわけです。ゲイの人権運動の発端となったこの事件ですが、『プライド』という言葉が使われるようになったのは、「ゲイである自分を隠す必要はない、自分に誇りを持とう」といった意味から来ています。

今年のシアトルでのパレードは6月29日(日)の朝11時に始まります。パレードの中心はキャピトル・ヒルのブロードウェイ。当日は朝早くから場所取りをしている人たちをたくさん見かけるはず。パレードの後はボランティア・パークで、歌やパフォーマンスなどを含めたお祭りがあります。

平等な人権を求める心が根底にあるこのパレード、あなたの心には何を訴えかけるのでしょうか。

第4話 「同性愛者の結婚」

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▲“同性愛者の結婚を認めよう”という主旨のフロート。パレードしたカップルの勇気に拍手が起こった

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▲Aquarium(水族館)とQueer(同性愛の)をひっかけたフロート

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▲男性とは思えないセクシーさ&ポーズに注目

6月29日(日)に行われた『ゲイ・プライド・パレード』に行かれた方はいるでしょうか? 同じ日に、世界中のあちこちでパレードが開催されましたが、シアトルは良い天気に恵まれて、ブロードウェイは大勢の人で賑わいました。今年は、6月にテキサスの同性愛者に対する法律が最高裁で無効になったり(これによってテキサス以外の12州の同じような法律も無効になります)、カナダでゲイ同士の結婚が認められるようになったりで、パレードも政治的な盛り上がりを見せたところが多かったと聞きます。

中でもカナダの、“同性愛者同士の結婚を認めないのは違憲である”という決定。これは世界各国に大きな波紋を投げかけたようです。この決定が下されたすぐ後、まずトロントを含むオンタリオ州で同性愛者同士の結婚が始まり、その少し後でバンクーバーがあるブリティッシュ・コロンビア州でも結婚が認められることになり、もう既にかなりの数のゲイ・カップルが結婚しているようです。僕の近所に住むゲイ・カップルはもう26年も一緒に暮らしているのですが、ちょうど8月にバンクーバーに行く予定だったので、「ついでに結婚してきちゃおうかと思っている」と笑って話してくれました。

ゲイ同士の結婚というと「ゲイに対しては寛容だけど、結婚まで認めるのはちょっと……」と眉をひそめる人もいるかもしれませんが、実はこれはとても重要なことなのです。例えば、長年一緒に暮らしているゲイのカップルの一人が事故に遭って病院に入ったとします。その人の容態が悪ければ集中治療室など、家族しか入れない場所に入れられてしまうかもしれません。この場合、いくら長年パートナーとして寄り添って生活していたとしても、ゲイのパートナーは結婚していない限り法的に家族ではないので、その場所に入ることができません。また、パートナーが不幸にも死んでしまった場合。残された人には遺産相続の権利は全くなく、家などの名義が亡くなった人だったりした場合は無一文になってしまう可能性があります。これはただの例え話ではなく、実際に起こっていることなのです。

同性愛を“罪”だと信じている宗教団体(全ての宗教団体というわけではありません)や、伝統的な家族体系を守る目的の団体は、ゲイ同士の結婚に猛反対しています。彼ら曰く、「同性愛者も異性愛者と全く同じ権利を持っているのだから、彼らに特別な権利(Special Rights)を与える必要はない。結婚したければ異性と結婚すればいいんだ」ということらしいです。でもこれって、異性愛者の人に同性と結婚しろと言っているのと同じですよね。ストレートの人に明日からゲイになれというのが無理なように、ゲイに明日からストレートになれというもの全くもって無理な話なのです。

このカナダのニュースが世界中を駆け巡った後、ストレートの友達から「カナダの話を聞きました。アメリカでも早く結婚できるようになればいいね!」というメールが届きました。ゲイ・プライド・パレードの一角で、「オカマは地獄の火に焼かれてしまえ」などというプラカードを持った人を見た直後だっただけに、このメールが心から嬉しかった! アメリカに来てから、特に一部の宗教関係者からのゲイに対する憎悪ともいえる対応を見てきただけに、ストレートの人々からのこういう優しさには本当に心を打たれます。こんな人たちがいる限り、まだまだ世界は大丈夫だなって、そんなことをいつも考えています。

今回、ちょっとテーマが固かったかな? でも、この件に関して意見や質問があったら、ぜひメールしてください。僕ができる範囲で答えていきたいと思っていますので。

第5話 「ゲイダー」

夏も真っ盛り。シアトルのこの夏は本当に天気のいい日が続いて、アウトドア系のゲイにとっては極楽のような日々! キャピトル・ヒルの『ボランティア・パーク』の芝生の上や、ゲイの間で“ゲイ・ビーチ”と呼ばれている『マディソン・ビーチ』では、体自慢の男たちが太陽の光と周囲の視線を独り占めしているようです。でもいくら“ゲイ・ビーチ”と言ったところで、そこにいる男たちが100%ゲイであるわけではありません。ボディ・コンシャスなストレートもたくさんいます。さて、その中から誰がストレートで誰がゲイかを見分けるには、一体どうしたらいいのでしょうか?

ほとんどのゲイには、自分と同種の人間を見分ける『ゲイダー(Gaydar)』という機能が備わっているようです。この言葉は“ゲイのレーダー(Radar)”から来た造語ですが、ゲイの間では驚くほど一般的に使われています。たとえば、「あの彼はかっこいいけど、たぶんストレートだよね」「えー、あれはゲイに決まってるじゃん! 君の“ゲイダー”修理に出した方がいいんじゃないの?」という具合。ゲイバーではこのような会話が頻繁に交わされていたりします。

僕にも確かにゲイダーはあるとは思うんですが、それがどうやって働いているかを説明するのは不可能かも。ゲイダーに引っかかるのは、時によって服装だったり、立ち振る舞いだったり、流れてきた目線だったり、会話の内容だったり、またある時は単なる“雰囲気”だったり。そんなものが渾然一体となって、頭の中にピーンと来るという感覚の方が正しいから。

それではゲイダーを持っていない人は、どうやってゲイかストレートかを見分ければいいんでしょうか? 昔僕が読んだ、ゲイのことをコミカルに語った本には、次のようなポイントが書かれていました。

  • 二人の男がスーパーマーケットでショッピングしている
  • 数人の男がレストランかバーに集まっているが、ビジネスやスポーツ関連ではない
  • ひとつ以上のイヤリング(ピアス)
  • 整ったヘア・カット
  • 高価なサングラス
  • ムースまたはジェルを使った髪
  • ブロンザー(日焼けに見えるローション)を塗った顔
  • 強いコロンの香り
  • 綺麗な肌
  • モンブラン、または他のデザイナー・ペンを使用
  • 平坦なお腹
  • ピッタリしたジーンズ&引き締まったお尻
  • 季節ハズレのショートパンツ
  • 綺麗にケアされた爪
  • 注意深く剃られたヒゲ
  • ピンキー・リング(小指にする指輪)
  • たくさんのショッピング・バッグ

これらの中から5つほど当てはまるものがあれば、その人はゲイである可能性が高いらしいです。確かにゲイである僕から見ても、笑ってしまうくらいもっともらしい判定方法なのですが、出所がコミカルな本なだけに、この方法が100%正しいというわけではないのでご注意を。

ボディ・コンシャスやヘア・ケアにうるさいストレートの人には怒られちゃうかもしれませんが、一応ジョークということで笑って聞き流してくださいませ。基本的に自分の体、顔や髪に気を使う人は、同性から見ても異性から見ても、魅力的ということには変わりないんですから!

第6話 「カミング・アウト」

台湾出身でシアトルに滞在しているゲイの友達が、ついこの間、両親に『カミング・アウト(カム・アウト)』したと聞きました。彼は27歳。もうこれ以上、親に黙っていることはできないと判断したからだそうです。結果的には可もなく不可もなくといったところ。勘当されることもなかったけど、決して喜ばしい結果とは言えなかったようです。下手をすると親や友達に背かれてしまう、このカミング・アウト。ゲイの中には一生カミング・アウトしない人もいますが、大多数の人にとっては避けて通れない事実です。ずっと親や友達に嘘をつき続けているわけもいかないし、会話の中で自分の彼を“彼女”と置き換えて話すのもかなり無理があります。

僕の最初のカミング・アウトは20歳になる誕生日の直前。親へではなく、8つ年上の男性へでした。彼がストレートということはわかっていましたが、好きで好きでたまらなくて、2年以上ずっとその人のことを想い続けていました。一方通行の恋ってツライですよね。相手が自分に興味がないとわかっていたらなおさら。しかも、もし告白して、相手がゲイに理解のない人だったらどんなことになるかわかりません。
では、なぜそんな危険を冒してまで彼にカミング・アウトしたのでしょう? それは彼への想いを、20歳という区切りで断ち切りたかったから。これ以上想い続けていても、自分の心に負担がかかるだけとわかっていたからです。

結果的にこれはいい判断でした。彼は僕が気持ちを吹っ切るために告白していることをわかってくれて、その後も友達として変わらずに接してくれました。今でもこの話をゲイの友達に話すたびに、「ストレートに告白するなんて勇気あるね~!」と驚かれます。
自分を受け入れてもらうためでなく、“自分の気持ちに終止符を打つための告白”—これを経験したことで、自分が少し成長したような気がしました。完全に気持ちに整理がつくまでには、かなり時間はかかったけど。

親へのカミング・アウトはそれから10年後、30歳になる誕生日の直前。アメリカに住み始めてから3年経ち、やっと『ゲイとしての自分』を自分自身で受け入れられるようになった頃。30歳近くになって、親からの“結婚コール”も激しくなってきたし、心の中にずっと「いつかは言わなきゃいけない」という気持ちもありました。
そこで、シアトルのゲイのコーラス・グループに入団して、そこでリリースされたCDのカバーに僕の写真が載ったのを機に、それを見せながら母にカミング・アウトしました。母は驚いた顔をしたものの「あなたの人生だから」と言ってくれました。しかし、「お兄ちゃんや親戚の人には言わないでね」とも……。ショックでした。
自分は理解できても他の人が理解できるかはわからない、ということでしたが、母も僕のことを心のどこかで恥ずかしく思ってしまうんだ、となんとなく感じてしまったからです。
そりゃ、サンフランシスコのゲイ・パレードで見たPFLAGの母親(第3話参照)のように、両手を挙げて自分を受け入れてもらえるとは思っていませんでした。しかし、「母はリベラルだからたぶん大丈夫だろう」という思いがあって、ちょっと期待し過ぎていたのかもしれません。それでも、カミング・アウトした瞬間に勘当されて、家を放り出される人たちに比べれば100倍以上幸せだとは思いますが。

親にカミングアウトする時に何が一番ツラかったかというと、アメリカには同性愛を扱う本がたくさんありますが、日本にはゲイを理解してもらうための本がなかったこと。今でこそ多くの本が日本で出版されているようですが、その頃はいくら探しても見つかりませんでした。本当は親にもっとゲイのことを知ってもらいたかった。日本では『ホモ=異常』のように捉えられている“常識”が本当ではないことを、まず自分の親に理解してほしかった。僕という息子を恥じてほしくなかったのです。
でも、それって僕の自分勝手な願いなのかもしれません。息子がゲイだということで、親の心にもかなり大きな負担をかけてしまっている可能性もあります。

ついこの間、読んだある人のコラムに、「自分がカミング・アウトすることで、今度は逆に親をクローゼットに閉じ込めてしまう可能性がある」と書いてあり、ドキッとしました。そうなのかもしれません。ゲイにもカミング・アウトしたい人としたくない人がいるように、親も人によって受け入れられる度合いが違うというのは事実。僕の場合、受け入れてもらっただけで万々歳なのですから、これから少しずつゲイとして僕を理解してもらうしかありません。

もし、あなたの子供や友達があなたにカミング・アウトした時には、その人があなたのことを信頼していて、もっと自分のことを知ってもらいたいから打ち明けているということをわかってあげてください。その人はきっとこう思っているはず。「ゲイと告白したけど、それで僕たちの関係は変わらない、変わらないでほしい。僕は以前あなたが知っていた僕と同じ。ただあなたが僕のことを少しだけよく知っただけだよ」と。

第7話 「新宿二丁目」

先日ちょっと日本に行ってきました。今年は冷夏と聞いていたので涼しいのかと思いきや、到着した日くらいから猛暑が戻ってきて、シアトルの快適な夏に慣れてしまった僕にとっては地獄のような蒸し暑さ! おまけに新宿の人ごみに揉まれて、到着当日からメゲそうになっていました。シアトルの天国のような夏は人を堕落させます、いやホントに。

僕がちょくちょく読みにいっている『All About Japan』の同性愛コーナー(http://allabout.co.jp/relationship/homosexual 内容は全然過激ではないのですが、一応成人指定されています)のガイド、歌川さんと話がしてみたくなり、日本に行く前にいきなり「飲みに行きましょう」とメールを出してしまいました。彼も『僕のレインボー・ダイアリー』を読んでくれたらしく、快諾してくれたのでビックリ。二人で東京の有名なゲイエリア、新宿二丁目へ飲みに行くことになりました。

日本に住んでいた時はカム・アウトしていなかったので、元々二丁目のことは詳しくないのですが、何年かぶりに行ったらその変貌ぶりにビックリ! 以前感じた“何ともいえない重たく、暗い雰囲気”はどこへやら。街自体の雰囲気がとても明るくなっていて、ウィークデイだというのにさまざまな年齢層の人で賑わっていました。大通りに面した所に『Advocate』という新しいバーが開店していて、店の外まで人が溢れ出ている様は、まるでサンフランシスコのゲイエリア、カストロ・ストリートのバーを見ているかのようでした。

これは本当に素晴らしい変化だと思います。以前、僕が感じた“暗さ”は、たぶんゲイであることを隠しながら生きなければならない人々の心が滲み出していたから。それが最近は、アクティビストの人たちのお陰で、ゲイに対する人々の意識もだいぶ変わってきて、ゲイの人たちが「自分だけではない、隠れなくてもいいんだ」という思いを持てるようになったからではないかと思います。

東京や札幌ではアメリカのプライド・パレードにあたる『レインボーマーチ』が開催されたりして、特に今年の札幌のイベントでは市長が挨拶をするというように、ゲイの人権運動がポリティカルな部分にまで浸透してきているようです。アメリカに比べればまだまだ小さな運動かもしれませんが、それが人々の意識を確実に変えているという事実を目の当たりにした気がします。

さて、そんな様子を見ながら歌川さんに連れられて行ったのは、『タックスノット』というゲイバー。新宿二丁目にある他のゲイバーと同じように、ココもカウンターだけのスナックといった感じ。しかし、インテリアは他の店と一線を画していて、ゲイのアーティストの作品を店中に飾ってあったのが印象的でした。これは月ごとに変わるらしく、「自分がゲイであることを意識して作品を作ってください」という条件をつけているとのこと。オーナーのタックさんの、“ゲイであること”を応援する姿勢がそのまま前面に押し出されているかのような、とても居心地のいいバーでした。

アメリカのゲイバーは友達と行ってワイワイ騒いだりするのには楽しい場所かもしれませんが、新しい人と知り合うことができるという雰囲気では、日本のゲイバーの方が一枚上のような気がします。カウンターだけのバーでマスター(または“ママ”)との会話を仲介にして、同じカウンターに座っている人たちと話ができるという気軽さは、日本ならではかもしれません。普段なら人見知りをしてしまう僕も、この時ばかりは隣の人と気軽に話すことができたし。レズビアンのカップル(だと思う)が帰っていく時には、カウンターのみんなに大福を配ってました。

その時の会話:
マスター:「(大福を配ってる彼女を指して)あんた歯医者だってのに、夜遅くにこんな甘いもの配ったりしていいわけ?」
客:「バカねー、そうやって客を増やそうとしてるんじゃない! 営業努力よ!」
全員:大爆笑。

それにしても、二丁目のゲイバーに勤めている人たちの会話術は本当にスゴイ! 周りにいる全ての人と均等に話をしながら、時には話題を振って客同士を会話させたり、時にはおどけてみんなを笑わせたり。また、時に客が失礼なことを言っても、それを冗談に変えてしまって場の雰囲気が悪くなることを防いだり。よほど頭のいい人じゃないとできない職業じゃないかと思います。たくさんのストレートの人たちが、楽しく飲むために二丁目に行くことがあるっていうのもわかる気がします。僕が初めて二丁目のゲイバーに行ったのも、同じ会社のストレートの人たちに連れられてだったしなぁ。

この夜は『タックスノット』の雰囲気と、歌川さんや他のお客さんたちとの会話によって、本当に楽しい時間を過ごすことができました。誰でも友達になれてしまうフレンドリーな二丁目のゲイバーの雰囲気–これはもう、立派な日本独自の文化のひとつだと言えると思います。

第8話 『シアトル・メンズ・コーラス』

シアトル・メンズ・コーラス
240人のタキシード姿は壮観!
©Robin Layton
シアトル・メンズ・コーラス
トナカイによるコミカルなスキットもある ©Mel Curtis

僕が初めて『シアトル・メンズ・コーラス Seattle Men’s Chorus』のコンサートを観たのは、1994年の12月。会社の友人に連れられて、でした。高校生の頃に合唱をやっていたとはいえ、コーラスのコンサートは「聴くのはいいけど堅苦しくて面白くなさそう」というイメージだったので、じつを言うと誘われた時はあまりノリ気ではありませんでした。しかし……。

コンサートの幕が上がり、目の前に立ち並んだ150人以上のタキシード姿の男性。トラディショナルなクリスマス・ソングから始まった歌声は、想像以上にクオリティーが高くてビックリ!  その硬いイメージの音楽がずっと続くのかと思いきや、面白い替え歌やら、大爆笑させてくれるスキットやら盛りだくさん! 『Walking In The Winter Wonderland』の替え歌である『Walking In The Women’s Underwear』では、女性の下着を付けたシンガー達(男性)が舞台に登場して観客を沸かせ、コンサートの最後を締める『Silent Night』では、シンガー全員が静粛の中、手話で“歌い”、感動して泣いている観客も大勢いました。

とにかく今までの合唱コンサートのイメージとはまったくかけ離れた総合エンターテイメントに、まさに“目からウロコ”。こんな合唱団だったらすぐにでも入りたい!と、すぐにオーディションのアポイントを取り、95年の9月から僕もメンバーのひとりとして歌っています。

まったくもって鈍感だった僕は、この『シアトル・メンズ・コーラス』がゲイのコーラスであることを、コンサートが終わって友達から聞くまで気づきませんでした(笑)。

『シアトル・メンズ・コーラス』が結成されたのは1979年。メンバーは20人で始まったらしいのですが、今では240人のシンガーと80人のオフィス・スタッフを抱え、アメリカ最大のコーラス団体、そして世界最大のゲイ・コーラス・グループに成長。年間予算は300万ドル以上で、シアトル・シンフォニーの拠点『ベナロヤ・ホール Benaroya Hall』を中心に、コンサートでは年間4万人以上の観客を動員しています。

年に3シーズンのコンサートがありますが、やはり中でも一番有名なのが11月から12月にかけてのホリデー・コンサートでしょう。ゲイ、ストレートを問わず、老若男女の観客が押し寄せて、9回のコンサートは最後にはすべて売り切れになるほどです。

コーラスの指揮者でアーティスティック・ディレクターのDennis Colemanは、幕が開く前にシンガー達に向かってこう言います。
「毎回のコンサートが人々の人生を変えているんだよ」
自分がゲイであるということで両親と長い間疎遠になっていた人が、コンサートを観た後、両親に手紙を書いて交流が復活したりとか、ゲイを毛嫌いしていた人が、今では会社の友達みんなを誘ってコンサートを観に来るようになったとか。そんな風に少しずつでも人々の心を良い方向に持っていくことができれば、『シアトル・メンズ・コーラス』の目標は達成したことになります。

さて、“Haul Out The Holly”と名付けられた今年のホリデーコンサート。伝統的なクリスマス・ソングもたくさんありますが、『シアトル・メンズ・コーラス』の“音楽を通じてゲイとストレートの垣根を取り払う”という目標のとおりに、“家族”“偏見のない世界”をテーマにした曲で溢れています。中でも『Not In Our Town』という、モンタナ州のとある町で起きた実際の事件を元にした曲では、白人至上主義者によるユダヤ人家族への迫害を、町ぐるみで阻止したということを歌っていて、歌いながらも毎回心が熱くなる思いがします。

ホリデー・コンサートの終わりには、シンガーと観客が一体になってクリスマス・ソングを歌う『Sing Along』のコーナーがあり、ベナロヤ・ホールには全員の歌声が響き、一面の笑顔が広がります。こんな風にすべての人々が、人種・性別・年齢・性嗜好の違いなどをまったく気にせずに、いつも笑顔でいることができればどんなにいいことだろうと、心から願わずにはいられません。

今年のベナロヤ・ホールでのコンサートは、11月30日(日)~12月23日(火)まで全7回。詳しくは『シアトル・メンズ・コーラス』のウェブサイトをご覧ください。

第9話 『家族』

日本では師走と呼ばれる12月、みなさんはいかがお過ごしでしょうか。僕は前回書いた『シアトル・メンズ・コーラス』のコンサートで忙しいながらも、大好きなクリスマスを子供のように待ちわびています。

日本のクリスマスは宗教にあまり関係せず、どちらかというとバレンタインズ・デーのように“恋人達のイベント”という感がありますが、アメリカではまさに家族のためのイベント。サンクスギビングからクリスマスにかけての『ホリデー・シーズン』は、日本のお正月と同じように、遠くに住んでいる家族や親戚などを集めてディナー・パーティーをするのが一般的です。

このホリデー・シーズンのディナー・パーティーというのは、物語や映画の題材になってしまうほどの曲者。長い間会っていなかった大勢の家族や親戚が集まって、そこにアルコールが加われば、少なからず愛憎劇が繰り広げられるというのも頷けます。ましてや自分の恋人や婚約者を初めてディナー・パーティーに連れて行く時は、ストレートの人達でも緊張するはずです。

僕には付き合い始めて7年以上の彼がいます。今でこそ毎年サンクスギビングやクリスマスに彼の家族や親戚の家に行って楽しくパーティーに参加していますが、初めて招かれた時はもうドキドキで心臓爆発状態! 知らない人達ばかりのパーティーはただでさえ緊張するのに、ましてや自分のパートナーの家族や親戚が大集合。ここで失敗するわけにはいきません。初めて会う彼の親戚達に、品定めされているかのような興味津々の視線を浴びたのを覚えています。彼は家族にカミング・アウトしているとはいえ、親戚には聞かれたら答えるレベル。僕のことをうっかり「ボーイフレンド」と紹介して雰囲気が悪くなると困るので、ただ名前だけで紹介していました。

結果的に僕の最初の『ホリデー・シーズン』ディナー・パーティーは大成功。みんな僕のことを彼のパートナーとわかった上で、やさしく親切にしてくれました。あまりアジア人と接触する機会がないのか、しきりに日本の生活や習慣のことを聞いてきたのが印象的でした。

しかしながら、みんながみんな僕のようにラッキーなわけではありません。僕の周りのゲイの人達からは、大失敗に終わったというケースもよく聞きます。家族にまだカミング・アウトしてない人が“友達”を連れて行って、「じつは、彼は僕のボーイフレンドなんだ」と食卓でカミング・アウト。親が泣き出してしまい、ディナー・パーティーが暗くて重たいものになってしまった、なんて話も何度か耳にしたことがあります。

では、なぜその人はわざわざホリデー・シーズンのディナー・パーティーをカミング・アウトの場に選んだのでしょうか? 大失敗する可能性を知っていながら、なぜ家族や親戚の前で自分のパートナーを紹介しようとしたのでしょう?

たぶん彼は、自分が愛する家族だからこそ、全員に本当の自分を知ってもらいたい。そして自分のパートナーも家族の一員として受け入れてもらいたい。そう考えたのだと思います。

自分の愛する家族に嘘をつき続けているのはつらいもの。まして自分に恋人ができた時は、家族ぐるみで喜んでもらいたいと誰でも思うはずです。彼はそのためにイチかバチかの大博打に出たのでしょう。結果は悪かったとはいえ、“本当の自分を知ってもらう”という目的の一つは果たすことができました。この後のことは、彼と家族の努力次第ということになると思います。

ゲイ用語で「彼はゲイだよ」という時に、それが知らない人でも「He is family」という言い方をすることがあります。血の繋がった家族に拒絶されることが多いからこそ、自分のコミュニティの中に“家族”を見い出しているゲイやレズビアンの真実が浮き出た、興味深い言葉の使い方だと思います。『シアトル・メンズ・コーラス』の今年のコンサートのレパートリーの中にも、こんな詩で終わる曲があります。

『家族というものは、さまざまな形・大きさ・色や驚きで溢れている。家族は“心”で決まるもの。だから誰でも家族の一員になれる』

本当にそうですよね。この世の中には色々な家族の形があって、血で繋がった伝統的な家族に慣れている人達は、驚くこともあると思います。でもちょっと考えてみると、その繋がりの中心にあるのは“心”なんだ、ということに気付くんじゃないかな。

今年のホリデー・シーズン。一人でも多くの人たちが、愛する家族と楽しい時間を過ごせますように。

Happy Holidays!!

第10話 『Sex And The City』なボクら

みなさんは『Sex And The City』というテレビ番組をご存知でしょうか? HBOのオリジナル・シリーズで、ニューヨークに住む独身(最近ちょっと状況は変わってきちゃったけど)女性4人の生活を描くコメディーで、女性やゲイを始めとするさまざまな人たちに絶大な人気を誇るシリーズです(参考:http://www.hbo.com/city/)。 なぜこんなにも人気になったのでしょうか? ストーリーラインの面白さや絶妙なセリフ回しはもちろんのこと、「あるある、こういうことって本当にあるよね」と親近感が持てるストーリーやキャラクターがウケているんじゃないかと僕は思います。

僕にもシアトルに親友が3人いるので、4人のグループで時々飲みに行ったり、ディナーに行ったりして、近況を報告し合います。ついこの間もブロードウェイにある『Osteria la Spiga』というイタリアン・レストランに集合し、美味しい料理を食べながら、それぞれこの年末・年始に何が起こったかをアップデートし合いました。

ちなみにこのレストラン『Osteria la Spiga』は最高! アペタイザーのプロシュートは最高に美味しかったし、スペシャルの鹿肉シチューはホロホロしてて申し分ないしっかりとした味付け。デザートの『タルトゥフォ』というアイスクリームの入ったチョコレート・トリュフも甘すぎず、心の底まで満足させてくれました。これで値段もそんなに高くないってのが本当に嬉しい! う~ん、これから足しげく通っちゃいそうな店だぞ。まぁそれはともかく…。

ゲイの友人Aはこれといったアップデートはなし。ボーイフレンドも4、5年前に別れて以来、全然浮いた話がなくて、いつも僕たちを心配させてくれます。仕事も気に入っている風ではなく、話を聞いているこっちの方が落ち込んじゃいそうな感じ。でも彼はいつもホワワンとした雰囲気を漂わせているので、一人ひとりの個性が強い僕たちをつなぎとめる接着剤のような役目をしているのかもしれません。彼も今年こそはいい人と巡り合えればいいんだけど……。でも、まずその前に、ちょっと“eclectic”すぎるファッション・センスを変えなきゃダメかも(笑)。

ゲイの友人Bは運命の激流の真っただ中。もう1年以上もある人と付き合っているんだけど、その相手というのが、10年以上も一緒に住んでいるゲイのパートナーがいる人。いわゆる不倫! パートナーとは別れるから、とずっとBに言っているらしいのですが、その約束とは裏腹に全然進展がなく、話を聞いている僕たちもハラハラドキドキの日々。でも先月やっと彼がパートナーに別れ話を切り出したらしく、Bは晴れてその彼と正式に“ボーイフレンド”の関係になれました。しかし、その彼は元彼にBのことをいまだに「ただの友達」と言っているらしく(つまり新しい彼ができたとは告白していない)、彼らの“離婚”が(法的には結婚してないけど、家を連名で買ったりしているので)成立するまで、Bにとっては悶々とした日々がもう少し続きそうな気配です。

紅一点、自称“Fag Hag”のストレート女性、Cの人生も激動の時を迎えているようです。今までまったく男運に恵まれなかった彼女ですが、去年の11月にある男性と知り合い、この2カ月間はとても幸せな日々を送っています。僕らも年末にその彼と会う機会があったんだけど、これがなんともナイスガイ。年末は彼にワイナリー巡りに連れて行ってもらったり、ハヌカ・パーティーで彼の家族に会ったりしたそうです。

ただひとつ問題があるとすれば、彼には14歳になる娘さんがいて、その娘にCの存在をまだ打ち明けていないこと。娘さんがベッドの下にあるCのヒールをみつけて彼を問い詰めた時も、「友達がパーティーに行く前に着替えた」として言葉を濁したらしい。どうやら彼は「時が来れば自分で気付くだろう」というスタンスで、それにはCも疑問を感じずにはいられないみたい。娘が14歳という微妙な年頃だということもあって、僕らは「そんなことでいいのかねぇ」と首を傾げることしかできなかったけど、親子の問題だから僕らがとやかく言うことはできないし。こういった問題はあるにせよ、「まさか年末を裸で過ごすとは思わなかったわ~」と笑うCは、こっちが恥ずかしくなっちゃうくらい幸せそうでした。

僕? 僕は年末は彼と(二人きりではなかったけど)旅行をしてました。7年以上一緒にいるとたいていのことには目をつぶれるようになるとはいえ、どーぉしても我慢できないのが、彼が“喋りすぎる”ということ! 僕と二人だけの時ならともかく、他の人たちとレストランに行った時など、とにかく喋りすぎて周りの人を唖然とさせてしまうのがなんとも。「もうこいつの話は聞きたくない」っていう人のボディ・ランゲージをぜーんぜんわかってないんだから! ……と、まくしたてる僕の話を笑いながら聞いてくれる3人は、本当にかけがえのない親友だと思っています(笑)。

『Sex And The City』 のように、一人ひとり男の趣味も違えば、人生の状況もまったく異なる僕たち4人組。今シーズンでドラマの放送は終わっちゃうみたいだけど、僕らの人生はその後もずっと続いていきます。最終回がハッピー・エンドであるのを祈るのと同じように、僕ら4人の人生もどんどんいい方向に向かっていけばいいな。

2004年が皆さんにとってもいい年でありますように!

Fag Hag
ゲイの男性たちととても仲がいいストレートの女性のこと。“Fruit Fly”と言うこともあり、日本語では“おこげ”と表現する。どちらにせよ、本人が言う分にはいいけれど、他人が言う場合には侮辱の意味に取られることもあるのでくれぐれも要注意。

第11話 初恋

2月といえばバレンタイン・デー。みなさんはどう過ごされましたか? アメリカに来た当時は、バレンタイン・デーの定義が日本とあまりにも違うので、ビックリしたのを覚えています。ウチの会社は普段はとてもカジュアルな服装の人が多いのに、バレンタイン当日だけは就業時間後に恋人とディナーにでも行くのか、キチンとした服を着ている人が多いのに驚きました。大きなバラの花束を抱えて帰っていく人がいたりして、なんだかちょっとカルチャー・ショックだったなぁ。

バレンタインと言って思い出すのが、中学生の時の切ない初恋。相手はよく学校の休み時間などに一緒に遊んだりしたS君という男の子でした。突然恋に落ちるとかそんなのではなくて、彼に対する緩やかな自分の気持ちの変化に、自分自身が戸惑っていたことを覚えています。最初は確かに友達だったはず。でもふと気づいてみると、いつも廊下に彼の姿を探していたり、校庭にいる彼を目で追っていたり。最初は「あれ?何か変だな」くらいにしか思ってなかったのが、さすがに何週間も同じような「あれ?」を経験すると、自分の中に芽生えたこの新しい感情と向き合わざるをえません。男が男を好きになるっておかしいなとは思ったものの、自分でも驚くほど自然に受け入れられたのも記憶しています。何かの本で「思春期には同性に興味を覚える時期がある」と書いてあったのを読んだので、まぁこれも自然な成長過程なのかもしれないと軽く考えたりしていました。結局これが一生モノになるわけなんだけど(笑)。

しかし、S君のことを友達以上に好きだという感情に気付いてしまったものの、具体的にはどうすることもできません。まさか告白しようなんて思いつきもしなかったし。そんなことをして今までの友達関係を壊してしまうのが本当に怖かった。いつものように休み時間に遊んだり、一緒に帰ったりするくらい。でも今までとは明らかに違う彼への気持ちで、毎日別れるときには胸が詰まる思いでした。

この胸の詰まりを増幅したのがバレンタイン・デー。中学生くらいの男女にとっては、バレンタイン・デーって一大イベントですよね。先生からチョコレートは学校に持ってきてはいけないとお触れが出ているのにも関わらず、当日は男子も女子もソワソワしっぱなし。他のクラスの女子が教室の入り口にやってきて中を覗くたびに、クラス中の男子の隠された視線がそっちの方に注がれていました。僕も確かに中学2年生まではそういう男子のひとりだったんです。でも今までとは違う感情が自分の中に生まれて以来、その想いは大きくなる一方。なんとか彼に、心から想っている人がいることを知ってもらいたい! でも正体は明かせない(泣)……というわけで、悩みに悩んだ末に思いついたのが、バレンタインのチョコレートを無記名でプレゼントすることでした。

2月になるとお菓子屋さんには、包装紙に包まれてリボンも付いたチョコレートが売られますよね。僕の場合、顔が割れるといけないので近所のお菓子屋には行かず、わざわざずっと遠くの町まで自転車に乗って買いに行きました。山ほどの他のお菓子に紛れて買った、たったひとつのバレンタイン・チョコレート。お金を払うときには心臓の音が聞こえるくらいにドキドキしていました。バレンタインの当日は誰も来ない早い時間に登校。周りに誰もいないことを確認してから、彼の下駄箱の中に僕の想いを込めたチョコレートを入れておきました。誰とはわからなくても、せめて彼を想っている人がいることを知ってほしかったから。

その日は1日中、何をしていたのかまったく覚えていません。ただ彼との下校途中にふざけたふりをして、ひとつ質問したことだけは記憶に残っています。

「バレンタインのチョコレートもらった?」
「……もらうわけないじゃん!」

その時の気持ちといったら……。言葉では表せないけど、ツキンとした痛みが胸に走りました。どうして痛かったんだろう。彼がチョコレートのことを隠したから? 自分があげたことを言い出せない悲しみ? それとも、僕の想いが彼に届かないことの悔しさ? 自分でもどんな答えを期待していたのかわかりません。でもあの胸の痛みが走った瞬間、ちょっとだけチョコレートをあげたことを後悔しました。

S君とは卒業式以来、ずっと会っていません。でも彼への切ない気持ちは、今でも僕の心の奥底に眠っています。“卒業できない恋”って、こういうのを言うのかもしれませんね。いつか機会があったら、もう一度だけでも彼に会ってみたい、そんな気持ちでいっぱいです。毎年バレンタイン・デーが来るたびによみがえる、小さなやるせない初恋の思い出でした。

第12話 同性結婚Q&A Part.1

先月あたりから、アメリカ各地で同性結婚に対する動きがものすごく活発になって、普段ならこういうニュースはすべて欠かさずにチェックしている僕も、ちょっと気を抜いていたら情報に取り残されてしまいそうな勢いです。ゲイの僕だってそうなんだから、ストレートの人たちはもっと混乱しちゃってるかも。ということで、今回は同性の結婚を中心にしたQ&A集を作ってみました。

Q. アメリカで同性の結婚が認められるようになったの?

A. 州や郡によって異なります。

サンフランシスコでは、2004年2月に市長が同性の結婚にも証明書を発行するようにと通達を出し、これまでに何千といったカップルがサンフランシスコで結婚しました。しかし、カリフォルニア州では「結婚は男女間に限る」というDOMA(Defense Of Marriage Act)が適用されているので、州法に違反していることになります。これに対してサンフランシスコ市長は、「DOMAは“全ての人に同等の権利を与える”という州の憲法に違反している」として、真っ向から立ち向かう構え。しかし、同性結婚反対派は州法違反を訴え、3月11日に同性結婚の禁止命令が出てしまいました。サンフランシスコでの同性結婚の可否については、5月か6月に法廷で争われる予定です。

マサチューセッツ州では、2003年11月に州の最高裁が「同性の結婚を認めないというのは、“全ての人を同等に扱う”という州の憲法に違反したものである」という決断を下したので、今年の5月17日から同性の結婚が認められるようになる予定。

そして、お隣のオレゴン州のマルトノマ郡では2004年3月3日から同性のカップルにも結婚証明書を発行し始めました。オレゴン州にはDOMAは適用されていないし、1998年のオレゴン州最高裁判決によって性嗜好での差別が禁止されているとの理由からです。

Q. 保守派のブッシュ大統領はこれでOKなわけ?

A. OKじゃないです。

サンフランシスコ市長が同性のカップルに結婚証明書を発行し始めてすぐに、「結婚は男女間のものとする」という条項を、国の憲法に追加すること(Constitutional Amendment)に賛成するという意向を表明しました。これに反発して、ロージー・オドネルがサンフランシスコで結婚したのは記憶に新しいと思います。

Q. いつ憲法が変わるの?

A. まだ憲法の修正が決まったわけではありません。

国の憲法修正は多くの議員の賛成を必要とする、とても大きなプロセスです。ブッシュ大統領と同じ共和党の中にもゲイの議員が何人もいますが、彼らとしては「同性結婚は各州で可否は話し合われるべきで、国の憲法に修正を加えるのは間違っている」との考えなので、この憲法の修正はまず通らないだろうという考えの人もいます。

Q. ワシントン州ではどうなの?

A. ワシントン州は1998年にDOMAが適用されてしまったので、同性の結婚を認めることは州法に違反することになり、シアトルのニッケルズ市長は「現段階では同性のカップルに結婚証明書を出すことはできない」との判断を下しています。

しかし、ほかの州で有効な結婚証明書を持っている場合には、結婚に関するすべての権限を与えるよう、シアトル市の政府機関に通達を出しました。つまり、シアトルに住んでいる同性のカップルがオレゴン州ポートランド(マルトノマ郡)で結婚証明書を発行してもらって帰ってきた場合、そのカップルには異性の結婚カップルとまったく同等の権利が、ニッケルズ市長の権限の届くシアトル市の政府機関で与えられることになります。

Q. ワシントン州在住の同性カップルはワシントン州で結婚できなくてもいいの?

A.よくありません。

たとえ隣の州で発行された結婚証明書があることで、異性の結婚カップルと同等の権限が与えられることに.?なったとしても、それはシアトル市の政府機関のみで有効なこと。また、異性のカップルならばほかの州に行って結婚するなんて必要はないですよね。シアトル市に結婚証明の発行を拒否された6組の同性カップルはキング郡を訴えることになりました。この訴訟の結果によっては、DOMAが州法から削られる可能性もあります。そうなればワシントン州での同性の結婚にも光が見えてくることになります。

Q. 同性のカップルが結婚すると、具体的にどんなことが可能になるの?

A.現在異性間の結婚に与えられているすべての権限が同性のカップルにも与えられることになります。つまり税金をカップルで申告できたり、病院などの“家族以外立ち入り禁止”エリアに入れたり、遺産相続ができたりします。

またパートナーが外国人の場合は、現在の異性間の結婚と同じく、パートナーのグリーンカードの申請もできるようになるでしょう。

Q. シアトルでは同性のパートナーシップは認められてるんじゃなかったっけ?

A.Domestic PartnershipまたはCivil Unionという同性のカップルを支援する制度はありますが、これが結婚で与えられるすべての権利をカバーできるわけではありません。

たとえば異性カップルが結婚している場合、片方が会社で健康保険を受けていれば、そのパートナーも自動的に保険が適用されます。しかし、同性のカップルの場合、パートナーに健康保険費用を会社が払うときの税金分はカップルが払わなければなりません。これは異性間の結婚では不要なものです。

また同性結婚推進派の人たちは、「Civil Unionはまるで“Second-Class Citizen”に与えられる権利のようなもので、異性のカップルとまったく同等の権利が与えられない限り差別である」としています。

Q. もし、ひとつの州で同性カップルが結婚したら、他の州でもその結婚を認めなくちゃならないの?

A.現在の段階では何とも言えません。異性間の結婚のように自動的に認められる可能性もありますが、州の文化にそぐわない結婚が認められなかったケースがこの100年以上の間にたくさんあります。たとえばいとこ同士の結婚や、叔父と姪の結婚。また男女間の結婚でも、片方が離婚してから1年以内の結婚が認められない州もあります。このため、各州によってまちまちになる可能性もあります。。

いかがでしたでしょうか?

ゲイの結婚を考える時にいつも思い出すのが、ある日本人の女性のこと。アメリカでいい人に出会って、両親に会わせるために日本に連れて行きました。乗り気の両親は相手がアメリカ人だとは知っていたものの、実際に会ってみると黒人だったので急に態度が硬化してしまったそうです。今でさえ、こういう小さな“差別”はあちこちにあります。昔、白人と黒人の結婚が認められるようになった当時のカップルの苦労は、とても大変なものだったと思います。同性間の結婚と異種族間の結婚って、そんなに違うものなんでしょうか? 僕の周りに日本人とアメリカ人のカップルが多いからこそ、そんなことを考えてしまう今日この頃です。

来月は同性結婚から一歩戻って、“同性愛”自体に関するQ&Aを考えています。ゲイや同性愛に関する質問やQ&Aへの反論がありましたら、web@jeninc.com(タイトル:レインボー日記)までお寄せください。

第13話 同性結婚Q&A Part.2

先月は同性結婚のQ&Aをお送りしましたが、今回はもっと核心に迫って、“同性愛”自体に関するQ&Aをお届けします。

Q. 同性愛って病気じゃないの?

A. 各国で精神病のリストから続々と削られています。

確かに心の病だと考えられていた時代もありました。しかし最近では、同性愛を快く受け入れていない国でさえ、精神病のリストから同性愛という項目は削られています。アメリカでは1973年にAmerican Psychiatric Associationの精神病リストから同性愛が削られました。次いでWHOが1993年に、同性愛に対して非寛容な中国でさえ2001年に、同性愛を精神病リストから削っています。日本では1995年まで同性愛が精神病と考えられていたというのは、個人的にちょっと驚きました。

Q. 同性愛って人間界だけのものでしょ? 自然の摂理に反してるのでは?

A. じつは動物の世界でもあるのです。

動物の世界でも数%は同性愛の思考を持って生まれてくることが確認されています。そう考えると同性愛というのは、人間を含めた動物世界の中で自然なことと言えるのではないかと思います。

Q. 同性愛はキリスト教では認められていなし、アメリカは過半数がキリスト教でしょ?

A. キリスト教の考え方を法律にしたら離婚も違法になります。

キリスト教では同性愛を“罪”と捉える人が多いのは事実です。でも、キリスト教の考え方を法律にするとしたら、離婚が許されないのはもちろんのこと、妻が処女の場合のみ結婚が認められたり、一夫多妻がOKになったりしてしまうらしいです(もちろん宗派や聖書の受け取り方にもよりますが)。だから宗教を理由に同性の結婚を阻止するというのは、論点としては弱いと思います。

Q. 同性のカップルに結婚が認められたら少子化が進むのでは?

A. そうとは言えません。

同性に結婚が認められたからといって、同性愛者が爆発的に増えるということはないと思います(笑)。逆に結婚しているということで、子供を育てたがるカップルも増えるのでは?

Q. 同性のカップルに育てられる子供への影響は?

A.からかいの対象になることが懸念されそう。

同姓のカップルに育てられた子供は、統計的に犯罪率などの面でまったく変わりないし、逆に同性のカップルに育てられた子供は、他人に対して寛容であるという結果が出ています。ただし、やはり学校では同性のカップルの子供はからかいの対象になることが多いのも事実。でもこれは“同性のカップルの子供だから”というよりも、同性愛者に対する他者の接し方の問題ですよね。その昔、黒人が白人と同じ学校に通えるようになった時、黒人がいじめの対象になったのと同じように、「差別はよくない」ということを浸透させていかなければなりません。

Q. 自分はもちろん異性が好きなんだけど、最近ちょっと同性にも興味を覚えてしまった。こんな僕ってゲイなの?

A.そんなことはないと思います。

ゲイとストレートって単に二分化できるものではないんです。“ゲイ”とか“ストレート”という言葉は、単に自分が「主に」どちらを嗜好するかを示すもので、例えば自称ストレートの人が同性に惹かれたり、自称ゲイが異性に惹かれたりすることも、まったくもって正常なことなのです。 アメリカではティーンエイジャーの半数近くが同性と性的体験をしたことがあるといいますが、彼らがすべてがゲイというわけではありません。

Q. 日々の生活の中でゲイ、ストレート、両方との出会いがあると思いますが、もしストレートの男性を好きになってしまったら告白しますか? それとも多分拒絶されるだろう思い、恋人はゲイの男性の中から探そうとするのですか?

A.ほとんどのゲイは、ゲイの中から恋人を探すと思います。

だからゲイ・バーやゲイのイベントなどで出会いを期待している人が多いんじゃないかな。中にはストレートの人に告白する勇気がある人もいるかもしれませんが(僕も一度だけそういう体験があります)、その恋が実る可能性はとても低い。また、告白したストレートの人がゲイ嫌いだったら、目も当てられない結果になるかもしれませんからね。

Q. もし好きになった人がゲイかストレートかわからない場合、どのようにその人がゲイなのかそうでないのか確かめるのですか?

A.ゲイダー”を使うしかありません!

確実にゲイかストレートかを見わける方法なんて、本人に直接聞く以外ないんですよ、本当に。でもそんなプライベートなことは普通は聞けませんよね。だからその人の雰囲気や仕草、言動、趣味などから、自分なりに答えを見つけるのです。自分からカムアウトしてみるというのもひとつの手ですが、リスクが大きいのも事実です。
最近では、ストレートなのに、ゲイのように身だしなみに気をつける“メトロセクシュアル(Metrosexual)”と呼ばれる人たちも増えているらしいので、“ゲイダー”はさらに磨かけなければなりませんね(笑)。

第14話 「PDA」

PDAとは何かご存知ですか? 最近ではPalmやPocket PCなどの“Personal Data Assistant”の略として使われることがい多いようですが、ちょっと前までは“Public Display of Affection”の略が一般的でした。要するに、人前で手をつないだりキスをしたりして、誰かに愛情を表すこと。
昨年、日本に帰った時、男女のカップルが信号待ちの間にキスをしている姿を見かけました。僕が日本に住んでいた頃、手をつないでいるカップルは星の数ほど見ましたが、公の場でキスをするカップルはそんなに見かけませんでした。そういう意味で、日本もここ何年かでPDAが進んだんだな、とちょっと感心したのを覚えています。
アメリカでは珍しくもない男女間のPDAですが、ゲイの世界となると話は違います。ゲイに対して寛容なアメリカの都市でさえ、ゲイ・エリア以外で男同士、女同士が手をつないだり、キスをしたりする姿を見ることは少ないと思います。これも時代の流れと共に、確実に変わってきているようですが。
先日、ヨーロッパ方面に向かう飛行機に乗った時のことです。僕の席の近くにゲイらしき男性が2人が座っていました。僕のゲイダーはビシバシ反応(笑)。彼らは周りの目を気にすることなく、お互いの肩に頭を乗せあって寝たりして、微笑ましい限り。別にずっと覗き見していたわけではありませんが、彼らのように人目を気にせず、いつでもどこでもゲイ(自分自身)でいられるっていうのは、スゴイことなのかもしれないと思いました。

ずっと前、僕がシアトルに来てまだ2、3年の頃、ある人と付き合いました。彼と僕、そして彼の友人であるストレートのカップルと4人で、郊外へ行くフェリーに乗った時のこと。僕がフェリーの先端で風景を眺めていたら、突然彼に肩を抱かれました。もちろん周りにはたくさん人がいたので、僕はパニック状態! しかし、彼は平然と僕の肩を抱いたまま。彼の友人のストレートのカップルも、それがまるで普通のことのように僕達と会話をしていました。その時、こんなふうに人の目を恐れなくてもいい世界があるんだ、と心のどこかがふと軽くなって、新しい世界が目の前に広がった気がしました。
男女間のPDAは、時と場所によって眉をひそめられる可能性があるものの、命の危険にさらされるようなことはめったにありませんよね。しかし、未だにゲイを嫌悪する人が多い世の中、ゲイのPDAは場合によってとても危険なものになりかねません。シアトルでも以前、女性同士でキスをしていた人が攻撃され、事件になったことがあります。1998年にワイオミング州で、マシュー・シェパードというゲイの少年が殺されたことも、まだ記憶に新しいと思います。
アメリカの統計を見ると、年配の方に比べて、若い人はゲイに対してかなり寛容という結果が出ています。それはたぶん、世の中が着実にゲイに対して寛容な方向に向かっているという表れなのでしょう。人種差別があるようなこの世の中、人の心を完全に変えるというのは不可能に近いのかもしれません。それでも、ゲイが人前で手をつないでも命の危険にさらされるようなことがない世界、そういう未来を望んでやみません。

ゲイダー(Gaydar)……“ゲイのレーダー”から来た造語で、ゲイを見分ける能力みたいなもの。「あの彼はカッコイイけど、たぶんストレートだよね」「え~、彼はゲイに決まってるよ。君のゲイダー修理に出した方がいいんじゃない?」というように使う。 詳しくは第5話「ゲイダー」を参照

第15話 「シアトル・プライド2004」

parade
▲昨年のパレード。“同性愛者の結婚を認めよう”という趣旨のフロートで、パレードしたカップルの勇気に拍手が起こった

いよいよマサチューセッツ州で同性同士の結婚が認められることになりました。その州に住んでいるゲイのカップルには、結婚することで異性のカップルとまったく同じ権利が与えられます。反対派は今でもさまざまな手を使い、ゲイ同士の結婚を止めさせようとしているようですが、それが法廷に持ち込まれるにはもう少し時間が掛かりそう。残念なのは、“他の州で違法な結婚は、マサチューセッツ州で行うことはできない”という州法によって、ほかの州に住んでいるゲイのカップルがマサチューセッツ州に行って結婚することはできないこと。でもこれは短期的な問題。結局、シアトルに住んでいる人はシアトルで結婚したい人が多いので、今後も同性結婚の運動は各州でどんどん活発になっていくことが予想されます。

さて、“ジューン・ブライド”の6月は、『シアトル・プライド』の月でもあります。シアトルだけでなく、世界各地で開催されるこのイベントは、見た目は派手で楽しげですが、その根本にはゲイの人達の「もう隠れて生きたくない。自分に誇りを持って堂々と生きたい」という、切実な願いがこもっています。特に目玉となるパレードは、パリではカミング・アウトしたゲイの市長が参加したり、日本でも東京や札幌で開催されたりして、世界的な盛り上がりを見せています。

シアトルの今年のパレードは6月27日(日)。朝11時に始まるパレードは、ゲイ・エリアとして知られているキャピトル・ヒルのブロードウェイを練り歩きます。最初、僕はパレードを眺める観客だったのですが、『シアトル・メンズ・コーラス』に入団してからは、コーラスのメンバーと一緒に唄いながらパレードしています。大空の下で観客から拍手喝采を浴びながら、自分がゲイであることを隠さずに堂々と歩ける……。十代の頃、心の中にいる本当の自分をひた隠しにしていたからこそ、“本当の自分でいられる”ことはこんなにも素晴らしい!と、このパレードを歩くたびに実感しています。

パレードが終わったら『ボランティア・パーク』のお祭りへ。ここではアーティストによるさまざまなパフォーマンスがあり、僕のコーラスも毎年何曲か歌います。食べ物の屋台もたくさん出て、最高にお祭り気分! また、パレードの前日と当日は、キャピトル・ヒルなどのゲイバーで各種パーティーも開催されます。人気の高いゲイバー『R-Place』では、ストリート・パーティーが開かれる予定なので、今年は友達と行こうと思っています。何でも人気テレビ番組『Queer Eye For The Straight Guy』のキャストのひとりがゲストで招かれるとか!?

「自分の周りにはゲイの人がいない」なんて言う前に、一度友達を誘ってパレードを観に来てもらえるとうれしいな。きっと「ゲイってこんなに大勢いるんだ!」と驚くと思います。ぶっとんだ格好をしている人もいますが(笑)、ゲイもストレートと同じ、お祭り好きの普通の人間なんだということがわかってもらえるかもしれません。

第16話 「長期間交際(Long-term Relationship)」

先日、パートナーと映画を観に行った後、キャピトル・ヒルにある『Manray』というゲイ・バーに飲みに行こうということになりました。さすがに金曜の夜だけあってすごく混み合っていましたが、そこで偶然出会ったのが、彼の学生時代からの親友Mと、そのパートナーのTでした。

なんでもその前日は彼らが付き合い始めて20周年の記念日にあたるそうで、その週末はお祝いとしてちょっといいレストランで食事をしたり、泊まりがけでバンクーバーへ行ったりする予定らしいです。そんな二人の歴史を満面の笑顔で語ってくれた彼らは、本当に輝いて見えました。「6カ月間付き合っていればもう長期間交際」と言われるゲイ同士の交際。それを遥かに超えた20年という月日は、彼らにとっていったいどんな日々だったのでしょうか。

7月4日の独立記念日は、毎年ウチでちょっとしたパーティーを開きます。去年のパーティーに一緒に来ていたRとWのゲイ・カップル。彼らは10年以上一緒だったはずなのに、最近別れてしまったらしく、今年のパーティーには片方しか来ていませんでした。昨年、彼らの新居で開かれたガーデン・パーティーに招待してもらったりして、仲の良い二人をずっと見ていただけあって、このニュースは僕にとってかなりショックでした。

ゲイの世界では、カップルは長続きしないというのが一般論のようになってしまっているようですが、僕の周りには何年、何十年という単位で付き合い続けているカップルがたくさんいます。でも、やはり長続きしないカップルがたくさんいるのも事実。セックス・ドライブ(性衝動)が強い男性同士のカップルだからこそ、最初の燃え上がりが去ってしまうと急激に冷めてしまう── そういうことなのかもしれません。

燃え上がりが去ってしまうボーダー・ラインが、その“6カ月”なのかな。その時点で相手にまだ人間的魅力を感じていられるか……それが長期間交際になるかどうかのポイントになるのではないかと思います。

僕がパートナーと付き合い始めてもうすぐ8年。もちろんお互いに気に入らない点があったり、喧嘩もしたりするものの、なんとなくもうお互いを人生のパートナーと認めている感じ。僕にとっては初めての長期間交際なので、付き合い始めた頃は、「本当にこの人でいいんだろうか」「もしかしたらほかにもっといい人がいるんじゃないか」なんていろいろと思ったりしていました。でもこれって男女間カップルも同じですよね? 最初の燃え上がるような情熱が下火になった後、初めて相手に求めるものが自分でわかるんじゃないかと思います。

疲れて家に帰って、彼の車がそこにあったり、家の明かりが点いているのを見た時、「誰かが待ってくれている家に帰れた」という小さな幸せを噛み締めることがよくあります。そんなことを感じられる僕達はまだまだ大丈夫。これから先10年も20年も、そんな小さな幸せを感じていられるカップルでありたいと、神様に願わずにはいられません。

第17話 「ライス・クイーン」

少し前に彼と一緒にレストランに夕食を食べに行った時のこと。彼がアジア系の男の子を指して言いました。
「あの子、カワイイね」
……え、ええーーー!?(絶句)

僕たちの間では、あの人がカワイイとかカッコイイとか、自由に言えることになっています。カッコイイ人はカッコイイってことに変わりはないし、そう思ったからといってその人を口説こうとか、そんなことを考えてるわけではないから。だから、「あの人カッコイイよね」「うん、わかるわかる」とか、「君にはクールに見えるだろうけど、僕の好みじゃないな」などの会話は、日常茶飯事になっています。

が、その時は本当に絶句してしまいました。いやね、僕も人のことをとやかく言えるような容姿ではないけれど、僕の中の“美スケール”の最低レベルに位置するような人を指してカワイイとは! 「ちょっと~、キミはアジア人だったらどんな男でもいいのかい? で、僕はあのレベルだってことかい!?」と思わず怒鳴りそうになってしまいました。

YOUMAGA.COMで連載されているエッセイ『独身女のアメリカ暮らし』の中で、著者の秋野未知さんが書いているような“米食い男”が、ゲイの世界にも“ライス・クイーン(RiceQueen)”という名で存在します。ストレートの世界の米食い男のことはよく知りませんが、未知さんのエッセイを読んでみると、どうもゲイの世界のライス・クイーンとはちょっと雰囲気が違うようです。

ストレートの米食い男はアジア人の女性に従順さを求めるようですが、ゲイのライス・クイーンはそんなことはないみたいだから。僕の周りにいるアジア人好きのゲイを見ても、彼らはアジア人のボーイフレンドを、まるで壊れ物を扱うかのように大切にしています。ずっと昔に参加していたGAFS(Gay Asians and Friends in Seattle)というグループのポットラック・パーティーに初めて行った時。アジア人好きのアメリカ人たちから羨望とも言える眼差しを一斉に向けられ、ビックリしてしまいました。あんな熱い視線は今だかつて体験したことがなかったから。いやぁ、いい気分だったなぁ(笑)。

“ライス・クイーン”という言い方を侮辱のように取るゲイもいます。日本でもゲイの世界では「外専(外人専門)」とか「フケ専(老けた人専門)」などの言葉があるので、ライス・クィーンに「アジア人しか好きじゃない」とか「アジア人だったら誰でもいい」というようなマイナスのイメージがあるからかもしれません。でも僕の彼なんかは「アジア人が好きでどこが悪い!」と開き直るような感じで、ライス・クイーンであることを誇りにしているようです。

でもね、レストランで見かけたあの子はないでしょう、あの子は! もしかして、彼もアジア人だったら誰でもいいわけ? とちょっと疑問を感じてしまった僕。
「ど、どこがいいの?」
と聞いた僕の質問に困惑顔の彼。それに対してまたまた困惑してしまったあれ吉でした。

第18話 「 同性愛は“選択”?」

今年の2月、サンフランシスコ市長がゲイのカップルに結婚の権利を与えたのは記憶に新しいと思います。この時の市長の判断は多くの人にショックを与えました。ゲイの人達が手放しで市長を称ええたのは言うまでもありませんが、法律関係に詳しいゲイが、「もしかすると悪い結果を引き起こすかもしれない」と静観していたことも事実です。カリフォルニア州にはDOMA(Defense of Marriage Act)という“結婚は男女間に限る”という州法があり、それを違反しての市長の判断は、裁判に持ち込まれることが明白だったからです。

それから半年。サンフランシスコで約4,000組もの同性カップルが結婚しましたが、8月中旬にカリフォルニア州の最高裁判所が「サンフランシスコの市長には結婚を認可する権利はなかった」として、一度認めた同性カップルの結婚をすべて無効にしてしまいました。これでサンフランシスコのゲイの結婚運動は、スタート地点に戻ってしまったことになります。

このニュースが流れた後、こんな投書が新聞に載りました。

「カリフォルニア州、よくやった!  ゲイはただの“選択”だし、ゲイがひとりのパートナーとずっと一緒にいるなんてできるわけがない」

「“同性愛者として生まれてきた”という言い訳は、“嘘つきとして生まれてきた”と言うのと同じこと。もし嘘つきのグループが精神科医に『嘘つきとして生まれてきたのだから嘘をつくのは当然』と言わせることができるなら、詐欺に対する法律はいらなくなってしまう」

う~む……。少なくとも僕は、同性愛者になることを“選んだ”わけではありません。ストレートの人達も異性愛者になることを選んだわけじゃないですよね? ゲイとストレートってきっぱり2分化できるものではないので、その中間あたりにいる人はどちらかを“選ぶ”ことができるのかもしれないけれど……。

はっきり言って、この世はゲイに対して風当たりがとても強い世界。もしも、ゲイかストレートかを自分で選ぶことができるのなら、ちゃんと自分の好きな人と結婚できて、ゲイ・バッシングによる命の危機にさらされることもなく、カム・アウトする前に感じたように自分自身を憎むようなことがない、ストレートとしての人生を選ぶかもしれません。

実際、僕はストレートになろうと努力した時もありました。自分の中にある同性への興味を押し込めて、女の子と付き合ったこともあります。でも自分の気持ちに嘘をついていられるのも限度があるし、好きだと思っていた女の子への気持ちもやっぱり嘘に思えてきて、どうしようもなかった。僕にとって、ストレートの人生を“選ぶ”ことはできなかったのです。

今世界はどんどん変わっています。ゲイがストレートと同等に扱われるのはまだまだ先のようだけど、ゲイに対する意識も少しずつ軟化しているみたいです。僕が感じたような自分への憎しみを今の子供達が感じることのない、そんな世界になるといいなと、いつも思っています。

第19話 「 出会いと別れ」

シアトルに住み始めてすぐの頃、ゲイ専用の掲示板システム(今でいう“出会い系”サイトみたいなもの)に入会しました。自分がゲイであることを認め始めた頃で、自分から何かをしなければ運命は切り開けないと思ったからです。

ある日、ゲイバーでその掲示板システムに参加している人達を集めたGet Togetherと呼ばれるパーティーが開かれ、そこで僕はMという人に出会いました。んー、正確には出会ったわけじゃないな。彼が一方的に僕を見つけて、その次の日に「会ってほしい」というメールを送ってきたので。僕にとったら、これはブラインド・デート。かなり迷いましたが、ここで怯えていたら出会いはない! と勇気を出して、初デートに臨んだことを覚えています。結局Mは僕のタイプではなかったものの、とてもいいヤツでした。Mの押しに負けて1~2カ月付き合うことになったのですが、やっぱり残念ながら僕にはケミストリーが合わなかった……。それから“いい友達”に戻り、1年に何回かメール交換をしたりしました。

先日、そのMから「今度シアトルを離れることになった」というメールが届きました。会って話を聞いてみると、最初はシアトルのゲイ・シーンに疲れたことを理由にしていたけれど、もともとMはそれほどゲイバーに入り浸っていたわけでもない。おかしいと思ってよくよく聞き出すと、ちょっと前まで付き合っていた恋人と別れてしまったのが大きな理由だそう。その人はまだ誰とも付き合っていないけど、今でもその元彼に未練があって、彼が違う人と一緒になるのを冷静に見ていることができないと言っていました。父親の住んでいるルイジアナ州の小さな街で、のんびりと暮らしたいそうです。

「ルイジアナ州ってゲイに対して風当たりが強いんじゃないの? 人と出会う機会がなくなっちゃうんじゃない?」と聞くと、「逆に出会いのことを考えなくてすむから楽だよ。それにちょっと大きな街まで行けばゲイバーがあるしね」とM。

うーん、本当にそうなのかなぁ。そりゃ恋人と別れた後はしばらくひとりでいたいのはわかる気がするけど、彼の人生はこれからまだまだ長いわけだし、そんなに隔離されたところに行っちゃって大丈夫なのかな……。そんな僕の不安を察したのか、「もしダメだったらまたシアトルに戻ってくるよ。シアトルは物価が高いから、のんびりと暮らすってわけにはいかないけどね」と笑顔を見せてくれました。

今では1年に1度くらいしか会わなくなってしまったM。でもアメリカで一番最初に、僕に「好きだ」と言ってくれた人。その彼がこのシアトルからいなくなってしまうというのは、やっぱり僕にとってはとても寂しいことです。今の彼の心を思うと本当に自分ってワガママだと思うけど、こういう別れがこないように、時間が止まってくれたらどんなにいいだろうと思う時があります。でも、もちろん時を止めることは不可能だし、時が止まってしまえば新しい出会いもないわけだし……。

今は彼の新しい人生で、別れの数よりもっとたくさんの素晴らしい出会いがあることを祈るばかりです。

第20話 「 会社でのゲイの立場」

僕の会社はIT関係ということもあり、ゲイの社員に対してとても理解があります。細かな違いはあるにせよ、異性間の結婚でもらえる権利がゲイのパートナーにも与えられ、社則には『性嗜好による差別を禁止する』という条項もあります。ゲイの社員によるEメール・グループもあり、そこでは「バンクーバーでゲイ・フレンドリーなB&Bはどこ?」というような会話が飛び交い、ランチ会や映画などのイベントもあります。

僕がカム・アウトした頃、このグループは心の拠り所でした。多くの人と知り合い、初めてゲイバーに連れて行ってもらったり。でも同じ部署で働いている人がいなかったので、ちょっと寂しかったな。

今の部署には僕のほかに(最低でも)2人ゲイの社員がいます。ひとりは僕と同じプログラマーで、オフィスも近く。ゲイ・グループに入るとEメールで新メンバーが紹介されるのですが、彼が加入した時は本当にビックリしました。僕のゲイダーでは彼がゲイだとまったく気付かなかったから。一応、彼に「グループにようこそ!」というメールを送りましたが、返事はなし。あまり公にされたくないのかなと思い、彼とそういう話をしたことも一度もありません。元々、プライベートな話はあまりしない仲でしたが、でもなんかちょっと寂しいですよね。

もうひとりは、名前は知っていたものの会ったことがなかったのですが、最近一緒に仕事をすることになりました。彼のオフィスには彼のパートナー(もちろん男性)の写真が飾ってあったりして、まったくオープン。彼が僕のオフィスに来た時、『シアトル・メンズ・コーラス』から来た手紙を偶然見て、「君はメンズ・コーラスのコンサートに行く人なの? それとも歌ってるの?」という質問から始まり、僕がゲイだとわかった様子。それ以来、プライベートなことを、いろいろと話してくれます。ゲイだということを隠してはいないけど、やはり彼もパーソナルなことを大っぴらに話せる人が欲しかったようです。

じつは、僕は自分がゲイであることを同僚にはっきりと告げていません。あまり個人的な会話がないだけに、あえて言う必要はないと思っているから。でも聞かれたら本当のことを言うし、僕が『シアトル・メンズ・コーラス』で歌っていることをボスがミーティングで公表してしまったので、それがゲイ・コーラスだと知っている人はピンときたはずです。
僕の部署の中にすごく堅くて保守的に見える人がいるのですが、彼とこんな会話をしたことがあります。

彼「君は結婚してるんだっけ?」
僕「(会話が嫌な流れだなぁ……) いや、してないよ」
彼「あれ? 毎年パーティーに連れて来る彼は?」
僕「(堅そうに見えて結構理解があるの!?) あ~そうだけど、でも結婚はしてないよ」
彼「ふ~ん」

差別禁止の社則があるとはいえ、会社にはやはりゲイを毛嫌いしている人もいるはず。そんな中で、“ゲイであること”を自然に扱ってくれる人がいることがわかり、とてもホッとした一瞬でした。願わくば、会社で堂々と彼と週末何をしていたかなどを自然に、誰にでも話せる時が早く来ますように!

第21話 「 ゲイに生まれて良かったと思う時」

今回の大統領選挙、本当に白熱していましたね。ほとんどのゲイは、“結婚は男女間に限る”という憲法改正を後押しするブッシュ大統領を毛嫌いしているようなので、今回の選挙結果はゲイ・コミュニティー全体をがっかりさせる結果になりました。しかし、本当にゲイを悲しみの底に突き落としたのは、この大統領選挙ではありませんでした。

アメリカの11の州で、“結婚は男女間に限る”という州憲法の改正案が、住民投票で可決されてしまいました。それも圧倒的な票差で。しかも、そのうちの8州では、結婚と同じような権利をゲイに与える“Civil Union”までも否定してしまうという有り様。僕自身は個人的にパートナーとの結婚は考えていないとはいえ、この話を聞いた時は目の前が真っ暗になりました。自分が結婚できないという悲しみではなく、この国に住んでいる人々への大きな失望感から……。

自由の国アメリカ。女性の権利をかち取ったり、黒人への差別をなくすために、以前から多くの人ががんばって戦ってきたこの国。全世界のリーダー的な立場をも獲得しているこの国の多くの人々が、いまだに「すべての人は平等である」ということを理解できないなんて、本当に不思議だと思わざるをえません。

仮に、この州憲法の改正案が“結婚は白人間に限る”というものだったらどうでしょう?  これにはさすがに大多数の人が反対するでしょうが、賛成してしまう人々も残念ながら少なくないかもしれません。

変な話ですが、こんな風にゲイが差別されたと感じる時、自分がゲイに生まれてきて良かったと思うことがあります。ゲイであることで、「差別される悲しみ」を知ることができるから。この悲しみが嫌だから、人の気持ちになって考えようと思うことができるから。

もし僕がストレートとして生まれていたら、こんな風に真剣にゲイの問題について考えていないかもしれません(ストレートの人達が理解がないと言ってるわけではありませんので、念のため)。だから、人権問題を「自分のこと」として受けとめることができて、本当に良かったと思うのです。

もちろん、ストレートの人達にも、クリスチャンの人達にも、ゲイに対して理解がある人はたくさんいます。「自分はストレートのクリスチャンで、結婚して子供もいるけど、ゲイの結婚がストレートの結婚生活を脅かすなんて思えない」という新聞などの投書を読むと、救われた気持ちになります。ストレートの人達がゲイを思いやるような発言をしてくれた時、本当に泣きたいくらいに感謝の気持ちが溢れてきます。

スペインではゲイ同士の結婚が認められるようになりました。数々の国が21世紀を生きている中、アメリカは今回の投票で20世紀初頭に逆戻りしてしまったという人もいます。2004年はゲイにとって二歩進んで三歩下がるといった感じの年でした。2005年には、少なくとも一歩くらいは前進できるといいな。
それでは皆さん、良いお年とホリデー・シーズンをお迎えください!

第22話 「同性が好きかもしれないキミへ」

最近インターネットを散策していて、『同性が好きかもしれないキミへ アーカイブス(http://doupro.gozaru.jp)』というサイトに出会いました。このサイトには、「自分がゲイだと気付いたきっかけ」や「友達へのカミングアウト体験」などのテーマで、さまざまな人達のメッセージが載っています。

一つひとつ読んでいて胸が痛くなる思いでした。あぁ、みんな本当に過去の僕と同じように悩んでいるんだなって。僕自身がゲイだと気付き始めた頃にはまだインターネットがなかったのですが、その当時もしこのようなサイトがあったら、どんなに苦しみや悲しみが軽減されただろう……。そう考えると、本当にたまらない気持ちになりました。

僕が自分自身の性嗜好に疑問を持ち始めた頃、相談できるような人は誰ひとりいませんでした。人口の5~10%はゲイと言われているくらいなので、僕の知っている人の中にもゲイがいたとは思うのですが、それが誰かを知る由もありません。全世界で本当にひとりぼっちのような気がして、悩みに悩んでいたことを覚えています。もしそんな時に誰かが「君はひとりぼっちじゃない。同性が好きだってことはちっとも変なことじゃないし、そういう人はたくさんいるよ」と言ってくれたなら、どんなに気が楽になったことでしょう。

僕が初めてゲイの世界へ一歩踏み出したのは、悩み始めてからかなり後のことでした。ある日、ゲイ専用のパソコン通信サイトを発見して、匿名で入会したことがきっかけ。そのサイトはフレンドリーなサークルのような感じで、みんなとても優しく接してくれたことが印象的でした。そのサイトで花見オフ会のことが持ち上がった時、勇気を振り絞って参加を表明。東京の上野公園に20人近くが集まったのですが、もうその時には本当に心臓がバクバク状態! 最初は「ゲイの集まりだって周りの人にわかったらどうしよう」と心配していたのですが、いざ花見がスタートして30分くらい経ってみると、そんな悩みはどこへやら。大学のサークルの飲み会のように、みんな打ち解けて本当に楽しい時間を過ごせたことを覚えています。

このオフ会では、自分のような人が周りにもたくさんいるんだということを知って、本当に心が軽くなる気がしました。またその後も、何人もの人に「○○くんがキミのことをカワイイって言ってたよ!」と言われ、赤面することしきり。同性が好きだというコンプレックスから、自分が世界で一番醜いもののように思っていた僕にとって、これはとても不思議な驚きでした。

このオフ会で知り合った人達とは、その後も連絡を取り合って飲みに行ったりするようになり、僕は初めて悩みを聞いてもらえるゲイの友人を持てたのです。

今はインターネットでどんな情報も簡単に引き出せるようになりました。自分がゲイだということで悩んでいる人達が、この『同性が好きかもしれないキミへ アーカイブス』のようなサイトを見付けて、僕が体験したような苦しい自己発見期間を送らないよう、心から願っています。

第23話 「PC (Politically Correct) 」

PC(Politically Correct)はアメリカではたびたび話題になる言葉なので、ご存知の方も多いと思います。直訳すると単に「政治的に正しい」という感じの意味になりますが、これは訴訟社会アメリカならではの、“なるべく人を傷付けないような言い方をしなければならない”という精神からきています。

PCのために変更された単語でよく知られているのは、以前日本でもよく使われていた「スチュワーデス(Stewardess)」でしょうか。スチュワーデスは女性に対して使う単語で、男性も客室乗務員として同様に働く現在、この呼び方は相応しくないということで「客室乗務員(Flight Attendant)」と呼ぶようになりました。

また、「黒人(Black)」を「アフリカン・アメリカン(African American)」、「インディアン(Indian)」を「ネイティブ・アメリカン(Native American)」と呼ぶなど、PCの例はたくさんあります。

ゲイ関係の言葉も、このPCの流れを汲み取っているようです。本来は「奇妙な」とか「変人」という意味の「Queer」。以前はゲイを表す言葉として普通に使われていましたが、現在はゲイ同士が内輪で使う以外はほとんど使われなくなりました(テレビ番組のタイトルになっていることはあるけれど、あれはゲイが主人公なので、内輪同士で使っているのと同じ感覚。ストレートの人がゲイを「Queer」と言うのはNG)。

「Homosexual」の短縮形である「ホモ(Homo)」も日本ではいまだに使われているようですが、アメリカでは公式の場では絶対に使われません。これは「すべての単語を言うに値しない(省略で十分)」という侮辱の意味が込められているからです。戦時中や戦後に、日本人のことを侮辱を込めて「ジャップ(Jap)」と呼ぶ人がいたのと同じ理由です。

日本語ではどうでしょうか。ゲイの人に対して、昔からオカマ、ホモなどの言葉が使われていますが、今ではこのどちらもPCとは言えないでしょう。「オカマ」はほとんどのゲイが蔑称が込められていると思う言葉なので論外。「ホモ」もやはり差別的なニュアンスがあるということで、僕も含めて多くのゲイがあまり使ってほしくないと思っている言葉です。

そういうわけで、同性愛者を表す言葉は「同性愛者(Homosexual)」または「ゲイ(Gay)」が一番安全です。女性の同性愛者は「レズビアン(Lesbian)」でもOKですが、「ホモ」と同じ理由で略した「レズ」はダメ。また、ゲイではない異性愛者のことを「ストレート(Straight)」と言ったりしますが、これを「ノーマル(Normal)」と言うと、それだけでゲイの絶対的な反感を買ってしまうので注意してください。ゲイだって普通の人間(Normal)なのです。

最近ではコメディー番組などで、行き過ぎたPCのことを笑い飛ばしたりすることもありますが、やはりあるグループの人々にとっては、絶対に呼んで欲しくない言葉は存在するもの。ゲイにとっても呼ばれたくない言葉があるということを、頭の片隅にでも覚えておいていただければとてもうれしいです。

第24話 「Ex-Files」

ストレートの世界ではよくドラマや歌などで、恋人が別れてすぐに自分の親友に乗り換えてしまった、なんて話がありますよね。アメリカのトークショーなどでは、このような設定からとんでもない愛憎劇に展開するのを目にしたりします。このように、ストレートの世界でもEx(元彼・元彼女)との関係は難しい問題ですが、ゲイの世界ではそれに輪をかけてややこしくなったります。

例えば、この前友達に聞いた話。何カ月間か付き合っていたAとB。Aは新たな人物Cと出会い、Bと別れてCと付き合い始めました。しかし、AとCの関係も数カ月間続いた後に破局。そしてAはその後、元彼であるBとCが付き合い始めたことを風の便りで聞いたそうです。

もちろん、こんなことが日常茶飯事のように起こるわけではありませんが、自分の“Ex”同士が付き合い始めるなんて、ストレートの世界ではあまり、というかあり得ない話ですよね。僕もこの話を聞いた時には驚きました。バーでAとB&Cが偶然出会っちゃったりしたら、一体どうなるんだろう。

ストレートの世界に比べると、とても小さなゲイのコミュニティー。その中に存在する、さらに小さなアジア人ゲイのコミュニティー。小さいからこそ「誰が誰と付き合っている」という情報は、ほとんど筒抜け状態で入ってきます。
「知ってる? DがEと付き合い始めたんだって」

「えー? Dってこの間Fと付き合うようになったばかりじゃん!」

「そうなんだけど、FはGとできちゃったんだってさ」

「Gって……、僕も以前付き合ったことがあるんだ……」

「えっ!? じつは僕も!」

こんな会話が、週末のゲイバーで繰り広げられることもあります(笑)。この会話だけを聞くと、とんでもなく遊び歩いている連中のように思うかもしれませんが、その時その時で彼らなりに真剣なんです。みんなの話を聞いていると、やっぱり長期間付き合える相手を見つけるのは本当に大変なんだなって思います。自分の理想に一番近い相手と付き合いたいと、彼らなりに努力しているんですね。

僕はボーイフレンドと、自分達の元彼履歴(テレビドラマ『X-Files』をもじって、“Ex-Files”と呼んでいる)について話すことは滅多にありません。その理由は、1)元彼履歴があまり重要だとは思わない、2)自分の知っている人の名前が元彼履歴に現れると対応に困ってしまう、3)元彼履歴が長いと彼を見る目が変わってしまいそう、などなど。実際、僕のボーイフレンドは、昔僕の友達のひとりとちょっとの期間付き合っていたことが判明しています。しかし、その友達は別の人ともう10年以上にわたる長期間交際をしているので、僕の嫉妬心がメラメラ……なんてことはまったくありませんけど(ホッ)。

要は「今現在付き合っている人がどれだけ大切か」なんですよね。みなさんも自分の彼や彼女の前で“Ex-Files”を開ける時は、十分注意してくださいね(笑)。

第25話 「カップル・ダンス 」

僕がアメリカでゲイバーに通い始めた頃、友達とみんなで「Timberline(※1)」というバーに行きました。当時、そこは日曜日以外はカントリー・ウエスタンのバーで、カウボーイ・ハットやブーツを身に着けたカウボーイやカウガールで溢れていたのを覚えています。

僕にとって新鮮なショックだったのは、店の真ん中にある大きなダンスフロアで、男同士・女同士が手を取り合って優雅に踊っている姿。ゲイ中心のダンスクラブ「Neighbors」で同性が一緒に踊っている姿はそれまでに見たことがありましたが、社交ダンスとよく似ているカントリー・ダンスのセッティングの中で、ゲイのカップル・ダンスを見るのはこれが初めて。手を取り合って踊るという親密さを目の当たりにして、とてもドキドキしてしまったことを今でも覚えています。

当時「Timberline」ではダンスのクラスも週に2~3回開かれていて、不安はあったものの僕も勇気を出して参加してみました。これが本当に楽しかった! 振り付けを覚えてみんなで一列に並んで踊る“ラインダンス”の数々。また2人1組で踊る、カントリーダンスの要とも言える“トゥー・ステップ”。エレガントでロマンチックな“ワルツ”。エネルギッシュな“スウィング”などなど。チップ程度の料金($5)で、基本からとても丁寧に教えてくれました。

2人1組のカップル・ダンスで何が一番楽しいかというと、1曲という短時間の中で、ダンス・パートナーととても親しい絆のようなものを持てること。特にダンスのうまい人と一緒だと、直前まで顔も知らなかった人なのに、ダンスフロアでは長く付き合っている恋人同士のように、親密で優雅な動きができてしまう……。その魔法のような感覚に魅了されて、僕も本当にたくさんの人と踊っていました。このお陰でいろいろな人と友達になることができて、とてもうれしかった!
「Timberline」のカントリー・ナイトは現在は金曜日だけになってしまいましたが、ストレートの社交ダンスの場として有名な「Century Ballroom(※2)」も、最近月に一度の「ゲイ・ナイト」を設けるようになり、ここもゲイがカップルで踊れる場所になりました。どちらの店もゲイ・オンリーというわけではないので、客層はゲイとストレートが入り乱れています。

この前「Century Ballroom」に行った時、ストレートのカップルに「あなたの動き、とても優雅で素敵だったわ~」と言われて、うれしいやら恥ずかしいやら(笑)。でもこういう場所でストレートとゲイの境界線がなくなるのって、本当に素晴らしいことですよね。

映画「Shall We Dance?」を観てカップル・ダンスに興味を持ったあなた、ぜひ一度遊びに行ってみては?

【注釈】
※1. Timberlineは2005年に閉店しました。

※2. Century Ballroom:「ゲイ・ナイト」は月に一度。4月は15日。クラスは8:30 p.m.~($5)。ウェブサイト:http://centuryballroom.com

第26話 「HB 1515」

最近、僕達ゲイが動向を見守っている法案にHB 1515(House Bill 1515)というものがあります。ワシントン州には「雇用・賃貸・家の売買において、種族、宗教、出生国、性別、結婚歴、心身障害を理由として差別してはならない」という法律がありますが、これに「性嗜好(Sexual Orientation)」の項目を追加するというのが、このHB 1515という法案なのです。つまりこの法案が通れば、ワシントン州全域において、「ゲイだから」ということだけを理由に、雇用、賃貸や家の売買を断ってはいけないということになります。

「日本人にはこのアパートは貸せません」「クリスチャンじゃない人にはこの家は売れません」──。そんなこと、誰だって言われたくありませんよね。シアトルのあるキング郡では性嗜好を理由とした差別は既に禁止されていますが、ワシントン州のほかの町では、「あなたはゲイだから雇えません」とか、「あなたがゲイだということを聞きました。だからあなたを解雇します」ということがまかり通ってしまう場所があるのです。

一般に保守的とされている共和党の議員達は、こぞってこの法案に反対しています。あるベルビュー市の共和党議員は「この法案が通ってしまうとゲイの結婚への扉が開きかねない」ということを理由にしています。でも雇用・賃貸・家の売買における差別とゲイの結婚って、まるっきり別問題ですよね。また、「ゲイに対する差別は少なくなってきているから、この法律は必要ない」と言う人もいます。しかし本当にそうでしょうか? 仮に“少なくなってきている”ことが事実だとしても、“まったくない”わけではありません。彼らはその差別を受けた人達に、泣き寝入りしろと言っているのと同じなんです。

ゲイのことをよく思っていない人がいることは事実です。別種族に対する差別がいまだに根強いことを考えても、ゲイに対する不快感が薄れるのには、まだまだ時間がかかると思います。でも漠然とした不快感を理由に、ある一部の人々への差別が許されてもいいものでしょうか?

あるアフリカン・アメリカンの神父は、このHB 1515に声高に猛反対していると聞きました。アメリカで差別されてきたアフリカン・アメリカンという種族でありながら、ほかのグループへの差別を容認する……。僕は理解に苦しみます。

1776年7月4日のアメリカ独立宣言にも、“All men are created equal.(すべての人間は平等に創られている)”とあります。アメリカのすべての人々がこの1文の意味を理解するのには、あとどのくらいの時間が必要なのでしょうか。

第27話 「ゲイのステレオタイプ」

皆さんは「ゲイ」と聞いて、どんなイメージを思い浮かべるでしょうか? ゲイの友人がいる人ならその人のイメージが真っ先に出てくるかもしれませんが、まだまだクローゼットに閉じこもっているゲイが多いこの世界。ゲイの知人がいないなら、メディアから来る「ゲイのステレオタイプ」を思い浮かべてしまう人も少なくないと思います。例えば……

(1) ゲイはみんな女言葉で話す

確かに新宿2丁目なんかのゲイバーに勤めている人達は、いわゆる“オネエ言葉”で客を楽しませますが、普段もそういう口調で話す人はとても少ないです。僕も日本にいる時に、ゲイバーに勤めている人と道でばったり会ったりしましたが、いつものオネエ言葉はどこへやら。普段はとても男らしい人だったので、ビックリしてしまった覚えがあります。

(2) ゲイはスポーツが嫌いでミュージカルが好き

これは僕に完全に当てはまってしまうし(笑)、僕の周りに限っては当たらずとも遠からずといった感じですが、ミュージカルに全然興味がない人やスポーツが大好きなゲイだってたくさんいます。現にシアトルのゲイバーは1店1店、ゲイのアマチュア・スポーツチームを抱えています。ソフトボール、ラグビー、バレーボールなどなど。全国大会もあるそうですから、きっとスポーツ・ファンの人がたくさんいるんでしょうね。

(3) ゲイはセンスがいい

TVシリーズ「Queer Eye for the Straight Guy」のせいで、こう思ってしまっている人も多いんですが、残念ながらこれもみんながみんなというわけではありません。確かに素晴らしいセンスを持っている人も多いように感じますが、そうでない人もたくさんいるわけで、一概にどっちとは言えません。僕の仲の良いゲイの友人は、会う時はいつもヨレヨレのTシャツに汚いジーンズ。会う度に「もうちょっとなんとかならない?」と言っていますが、本人にとってはどうでもいいことらしく、変える気もなさそうです。

こうして考えてみると、ストレートの世界とまったく同じことですよね。「ストレートの男はみんなこうだ」というステレオタイプがナンセンスなのと同じように、「ゲイだから」ということだけで、すべてがひとくくりにできるわけではないんです。

さて、6月26日(日)の午前11時から、キャピトル・ヒルのブロードウェイで、ゲイ&レズビアンの「プライド・パレード」が催されます。パレードということで、女装やレザーといった両極端の服装の人達が大勢出てきますが、言われなければゲイだってわからないような人もたくさんいることに気付いていただけると思います。

ゲイのパレードを見たことのない方々、今年は勇気を出して行ってみたら? 楽しいですよ!

第28話 「女友達」

僕の親しい友達グループはほとんどゲイで構成されていますが、ひとりだけストレートの女性がいます。彼女はもともと僕の親友Eの友人でしたが、Eがシアトルを離れてしまってからも、彼女は僕達とずっと交友を続けています。でも最近は、みんなそれぞれパートナーがいるので、親しい友達グループとはいえ、以前のように頻繁に会わなくなってしまいました。そんな僕らに「飲みに行こうよ!」と誘い掛けてくれるのは、いつも彼女だったりします。

僕らは彼女のことを冗談っぽく「みんなのお気に入りのfag hag(ゲイといつも一緒にいる女性のこと。蔑称に取られることがあるので注意)」と呼ぶことがありますが、彼女は全然気にしていない様子。別に特別にゲイだけを友達に持とうと思ったわけではなく、気が付いたらゲイの友達が周りにたくさんいただけとのこと。特にEと親しくなってからは、彼がゲイなだけに紹介される友達もみんなゲイ。一気に“fag hag”呼ばわりされる機会が多くなってしまったそうです(笑)。

彼女に「どうしてゲイとの付き合いが多いの?」と聞いたことがあります。ちょっと考え込んでから、こう答えてくれました。

「別に“ゲイだから”付き合ってるわけじゃなくて、人間的に好きな人が多いのよ。でもゲイのプラス・ポイントとしては、親身になって悩みなんかを聞いてくれることかな。女友達とは違う観点から物事を見てくれるし。それにHな話題を一緒に話せるってのも、大きなポイントのひとつよね。ストレートの男友達とは、緊張感を抜きにしてはちょっと話せない話題だもの(笑)」

そんな彼女にも、つらい過去があります。僕が初めてシアトルのゲイ・プライド・パレードに行った時、僕は彼女やほかの友達と一緒でしたが、ずっと笑顔だった彼女の顔が突然曇って、涙を流し始めたことがありました。あるグループがAIDSによって亡くなった友人達を追悼するために、彼らの名前が書かれたプラカードを持って行進していました。彼女はそのひとつを指差して「あれ! 私のお兄さんの名前!」。僕が彼女と出会う前に、彼女はゲイのお兄さんをAIDSによって亡くしていたのです。お兄さんととても仲が良かった彼女は、期せずして彼の名前を見つけ、彼が亡くなった時の痛みを蘇えらせてしまったのでしょう。

AIDSによって家族を失った人達の中には、その悲しみからゲイを憎むようになった人も少なくないと聞きます。そんな中、いつも笑顔を振りまいてくれ、敬虔なクリスチャンでありながら、ゲイの僕達を「大切な友達」と言ってくれる彼女。僕らにとっても、彼女は本当に掛け替えのない友達です。

……でも男運は悪い彼女。これで彼女にいい人が見つかってくれれば、何も言うことはないんだけどなぁ。

第29話 「友達へのカミング・アウト 」

ゲイの僕達が避けて通れない話題のひとつに、カミング・アウトがあります。これは自分がゲイであるということをほかの人に告げること。一生誰にもカミング・アウトせずに、ゲイであることを隠し通して生きる人もいれば、すべての人に自分がゲイだということを教えて回る人もいます。そしてその中間の人も。

僕は親にはカミング・アウトしているので(「結婚しなさい」攻撃をかわすため〈笑〉)一番の難関はもう突破しているんですが、まだ僕にも難しい選択肢が残っています。別に僕はゲイであることを隠しているわけではないし、新たに知り合う人には、そういう話題が出た時は(←ここが重要)すんなりカミング・アウトしてしまいます。深く知り合う前だったら、拒絶されてもダメージは少ないし。

問題は既存の友達へのカミング・アウト。長年付き合ってきた友達だからこそ、嘘をつき続けていたくない。でももしゲイだということをカミング・アウトして嫌われてしまったら、そのダメージは計り知れません。ゲイの友人の中には、「それでそっぽを向かれるようだったら、本当の友達じゃなかったんだよ」と言う人もいますが、そんなに簡単に割り切れないのが人間というもの。今まで仲が良かった友達に嫌われる可能性があるというのは、僕にとっては大問題なんです。

でもこれって、もしかすると僕の方が自分の友達を信じていないだけなのかもしれません。長年培ってきた友情はそんなにヤワなものではないのかも。「こいつならわかってくれるだろう」という思いが心のどこかにあったからこそ、今までずっと友達でいられたのかもしれません。もしゲイを嫌悪するような発言を耳にしていたならば、自分の方から離れていったと思うし。でもやっぱりそうはいっても、万が一の可能性もあるし……。友達同士で集まると、年齢が年齢だけにこれからはどんどん結婚や彼氏・彼女の話題が出てくると思います。そんな中、タイミングを計ってカミング・アウトするのは本当に難しいだろうなぁ。

でもね、ここまで悩んでカミング・アウトしたのに、「なーんだ、そんなことずっと前から知ってたよ。見え見えだったじゃん。がははは」とか笑って言われたら、それはそれでショックですよね。今まで隠し通してきた僕の努力はなんだったんだ!って感じ(笑)。でもそれでもいいと思います。結局のところ、仲の良い友達を信頼して、彼らに僕をもっとよく知ってもらいたいという気持ちでカミング・アウトするんですから。

やっぱり僕の中でベストのカミング・アウトのシナリオは、「へー、そうだったんだ。でも幸せならそれでいいじゃん!」と言ってくれることかな。

最終回
第30話 「Somewhere over the rainbow」

ウェブサイトYOUMAGA.COMで開始したこの「レインボー・ダイアリー」も今回で30回目。スタート時から読んでいただいている皆さんには、2年以上もお付き合いしてもらったことになります。僕から見えるゲイの世界のことをつづってきたこのダイアリー、今回を最終回とさせていただくことになりました。

最初「レインボー・ダイアリー」のお話をいただいた時は、正直言ってとても不安でした。ゲイとストレートの世界は完全に分かれているわけではないし、それ以前に、今までに“ゲイとして”文章を書いたことがなかったし。ゲイの世界の独特なカルチャーを紹介しながら、それでもゲイとストレートって違う生き物じゃないんだよということを皆さんに伝えられるかどうか、自分でもわかりませんでした。

それでも不安ながらにも書き始め、皆さんから「私の周りにはゲイがいないので、違う世界のことがわかって面白い」というようなメールをいただくようになると、この機会を与えられたことを感謝するようになりました。今でさえ僕にはゲイの友人がたくさんいるけど、自分がゲイじゃないかと悩み始めたころは、世界中でゲイは僕ただひとりのような気がしていました。たぶん周りにゲイがいないと思っている皆さんも、そんな不透明感を抱いているんじゃないかな。

世界中の人口の5~10%はゲイだと言われています。もし学校のクラスが40人だとすると、その中で最低でも2人くらいはゲイだという計算になります。だから皆さんが知っている人の中にもゲイはいるはずなんです。ゲイに対して風当たりの強いこの世界、多くのゲイは自分のことをひた隠しにしているので、皆さんから見えないのも当然なのかもしれません。

同性が好きであることを隠さなくてもいい時代は、いったいいつ来るのでしょうか。

スペインやカナダでは同性間の結婚が認められるようになりました。世界はゲイを認める方向に確実に動いているとはいえ、人の心を変えるということは簡単なことではありません。もしこの「レインボー・ダイアリー」を読んでいただいたことによって、少しでもゲイのことがわかっていただけたら、少しでもゲイに対する抵抗感が薄らいでくれたなら、こんなうれしいことはありません。

ところでタイトルの「レインボー」の意味。皆さんはご存知でしょうか? これはゲイ・コミュニティーの象徴として、1978年に考案されたレインボー・フラッグから来ています。虹にはさまざまな色が含まれていて、それが仲良く共存していますよね。虹の色は人間の性の多様性を表現していて、ゲイもストレートも虹の色のように共存できるようにとの願いがこめられたものだと聞いています。

そんな世界。虹の向こう側にある、ストレートとゲイの境界線のことを考えなくていい世界のことを、僕は願ってやみません。

長い間、読んでいただいて本当にありがとうございました!