シアトルやポートランドで活躍する方々に人生の転機についてインタビュー
■ フィギュアスケート・インストラクターの柿澤宏衣さん。全日本選手権やJr.グランプリシリーズに出場後、Disney on Iceなどを経て、昨年よりケントで指導をする柿澤さんに転機を伺いました。(2021年2月)
神奈川県出身。1998年全日本ノービス選手権3位。2001・02年全日本Jr.、03〜05年全日本選手権に出場。日本大学を卒業後、Royal Caribbean International Cruiseのアイスショーに出演。2010年よりDisney On Iceに出演し、2016年にコーチに転身。好きな食べ物はラーメンと餃子。(www.kentvalleyicecentre.net/Figure-Skating.html)
6歳の時、友達に誘われてフィギュアスケートを始めました。11歳で関東選手権1位になり、全日本選手権へ。まだ小学生だった中野友加里選手や鈴木明子選手が出ていたのですが、彼女たちが試合前の練習で、段違いに上手くて。初めての全国レベルの大会で、怖くて試合前に泣いたことを覚えています。でも、できることを精一杯やるしかありません。これが、全国に目を向ける転機でした。
翌年には全日本ノービス選手権で3位になり、クロアチアの国際大会へ進出。年を重ねて全日本ジュニア、ジュニア・グランプリシリーズ、全日本選手権などに出る機会に恵まれました。
フィギュアスケートは、世界選手権の結果で各国のオリンピックの出場人数が決まるのと同じで、全国大会の結果で翌年の各地域からの出場枠が決まります。当時は私の属する関東より、浅田姉妹や安藤美姫選手のいる西日本が強かったんです。「今回の大会は荒川静香さんがシードだから、その下で少なくとも○人は東日本から獲得しよう」「来年、東日本から○人出られるように、皆で頑張ろう」と個人競技ながらも、地区ごとに団結、励まし合う面があり、そうしたライバル兼仲間のおかげもあって15年間、競技を続けられました。上位大会だけで会える子もいて「またあの子と試合で会いたい」と、頑張れたのです。
– 競技選手からショースケーターへ
大学を卒業し、クルーズ船のショースケーターに就職。英語が話せるようになりたかったことや、スケートの先輩から海外の話を聞いたことで、海外のショーに興味があったんです。当時、クルーズ船のアイスショーは、まだ珍しく、見たこともなければ周りに経験者もほとんどおらず、どんなものかよく分からないまま、船に乗り込みました。他のショーの裏方を手伝うこともあり、とても勉強になった約1年でした。
船の契約が終わり、短期間だけ東京ディズニーランドのパレードに出演。あらゆる人から愛されるディズニーの世界に魅力を感じ、Disney On Iceのショースケーターに転職しました。世界20カ国以上を公演で回り、ここで出会ったのが同じくスケーターだった現在の夫です。ところが、結婚式を挙げ、その直後に「ハネムーン代わり」と言いながら夫婦で出た南米ツアーで夫が骨折してしまいました。数カ月後、夫は復帰できたのですが、体調や将来を考えて夫婦でツアーを引退し、夫の実家のあるユタ州でコーチを始めることにしました。
– コーチとして、うれしいこと、伝えたいこと
よちよち歩きの子から70代の方まで、いろいろな人に教えてきました。老いも若きも教え子がジャンプを成功させたり、高ポイントを出したり、少しずつレベルアップしていくとうれしいですね。
知り合いのコーチから、シアトルで教えないかと誘いを受け、昨年の1月からは、ケントのスケートセンターで夫婦でコーチをしています。
今の夢は、生徒が全米選手権に出場すること。フィギュアを取り巻く環境や取り組み方は日米で異なり、時には戸惑うこともありますが、私がこれまで得てきたこと、そして一緒に練習して、高め合う仲間がいることの楽しさや喜びを、しっかりと伝えていきたいと思っています。
▲ 生徒に合わせて音楽を選び、振り付け、技術などの指導を行います。「どんなプログラムが完成すのるかと、教えていても楽しい」と柿澤さん。
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