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【私の転機】enTaikoアーティスティック・ディレクター 伊藤和代さん

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シアトルやポートランドで活躍する方々に人生の転機についてインタビュー

ポートランドで和太鼓の指導や公演を行うenTaikoの伊藤和代さん。最近では、聴覚障害者の音楽家や障害者ダンスなどとコラボレーションをし、活動の場を広げています。そんな和代さんにこれまでの転機を伺いました。(2025年2月)

enTaikoアーティスティック・ディレクター 伊藤和代さん
伊藤和代(いとう・かずよ)

名古屋市出身。フロリダでカレッジの学生をしていた1996年、和太鼓集団、祭座に入り、2003年までメンバーとして活動。名古屋の和太鼓奏者吉村城太郎氏に師事。2004年ポートランドに移住し、2007年にenTaikoを立ち上げる。2025年より和太鼓トリオを組み、再びアーティストとして活動開始。好きな食べ物は鯖寿司。
www.entaiko.org/new-events

ー和太鼓を始めたきっかけを教えてください
高校卒業後、信用金庫に勤めてお金を貯め、サンフランシスコに短期留学をしました。帰国後、再びアメリカに行きたいと『地球の歩き方』をパラパラめくり、行き先をフロリダに決定。カレッジの学生だった時、友だちから和太鼓集団の祭座のレッスンに誘われ、通い始めました。和太鼓に触ったのはそれが初めて。バチの持ち方から教えてもらいました。

– そこからどのように和太鼓のプロ奏者になったのですか?
私は子どもの頃から音楽を習ったことはなく、自分に音楽の才能はないと思っていました。でも、和太鼓は楽しかったんです。仲間と太鼓を叩くことで初めて音楽を楽しいと思えました。また、祭座の師匠が素晴らしい人で、習いたい、ついていきたいと思いました。2年くらいすると、公演に出してもらえるように。カレッジ卒業後は祭座に就職し、祭座のメインメンバーとして、フロリダのディズニーリゾートのステージに毎日立ちました。

– どのような経緯でポートランドに来たのですか?
祭座にはとてもお世話になり、今でも第二の実家のような場所ですが、入ってから数年経ち、外の世界を見たくなったことや、日本の家族の都合で、いったん帰国。地元名古屋の和太鼓奏者の下で修行をさせてもらいました。祭座は師匠を見て覚える昭和の教え方でしたが、名古屋の師匠の指導はロジカルで、これも勉強になりました。また、師匠は「もっといろんなものを見なさい」とさまざまな踊りや太鼓のグループをリストアップしてくださり、日本全国を見て周りました。このとき見聞きしたものは、今、大きな財産です。10カ月ほどすると師匠から「早く実践の場に戻りなさい」と言われ、さて、次はどこに行こうかな?と再び『地球の歩き方』を開くことに。アメリカ国内を見て周り、ポートランドに移住を決断。ある団体に3年ほど所属した後、独立しました。

– なぜ独立したのでしょうか?
これまでの経験から、自分はパフォーマーよりも、子どもに教える方が得意だと気付いたんです。それに、ポートランドには子どもに和太鼓を指導する人が他にいませんでした。習い事として教室を開く一方で、小学校などから呼ばれて指導も始めました。ミニバンに太鼓を積んで、オレゴン州内いろいろなところへ。和太鼓はバイオリンやピアノと違って、初めての人でも始めやすいんです。

– コロナ禍中はどのようにされていましたか?
生徒がいなくなり、貯金も底をつき、全てゼロになりました。そんな時、あるグラント(補助金)のディレクターが、私のような瀕死のアーティストばかりを集めたミーティングを開いたんです。これを機にサポートを得ながらグラントを獲得でき、活動が続けられました。何よりこのミーティングで大きかったのは、CymaSpaceという聴覚障害者によるアートとテクノロジーの集団と出会ったことです。彼らは音の振動に反応するLEDライトを作り、ステージに設置したパネルが曲によってさまざまな模様を描いて光るという独自の装置を開発していました。ディズニーリゾートでの花火と噴水の前での演奏を思い出し、同じように音と光のショーができないかと考え、私の教え子たちとコラボコンサートをすることに。でも、私は手話はできないし、日本語なまりの英語はスマホ画面でテキスト化されず、彼らとの意思の疎通が大変で…。それでも、耳の聞こえない人と聞こえる人、手話を話す人と日本語を話す人が一つのコンサートを作り上げたことはエキサイティングで、これほど意義のあることはないと思いました。

– 今後の予定は?
和太鼓の後ろでLEDライトが光る動画は、後から多くの人に見ていただけました。この共演がきっかけになり、3月にはDanceAbilityという障害者と健常者が一緒に踊るダンスグループとコラボ公演をします。enTaikoの創設以来、子どもが主役と思い、私は裏方に徹してきたのですが、だんだんと高度な演奏を求められる機会が増えてきたこともあって、今年から私自身が和太鼓のトリオを組んで始動することにしました。コロナ禍のミーティングが全ての転機だったと思います。新しい縁ができ、人を頼れるようになり、再びステージに立つことになりました。5月には、サンフランシスコのAXISという健常者と車椅子などの障害者による著名なダンスカンパニーの公演のゲスト出演も決まっています。彼らのショーは、障害がマイナスではなく何十倍もプラスになっていてカッコいいんです。コロナ禍を経て、こうした障害者アーティストとのコラボがライフワークの一つになりました。これからも、enTaikoとして子どもたちのみならず、障害者も含め全ての人たちがステージで活躍できる機会を作っていきたいです。

enTaikoアーティスティック・ディレクター 伊藤和代さん
▲小学校でのワークショップの様子。ポートランドは異文化に寛容なことや、和太鼓は障害者を持つ子どもでもトライしやすいことから、和代さんのワークショップは人気があります。
 
*情報は2025年2月現在のものです