シアトルやポートランドで活躍する方々に人生の転機についてインタビュー
■ いよいよ3月31日にシアトル=東京(成田)線が就航する日本航空。新規路線の開設に向け、シアトル支店長として準備に追われる山田さんに、これまでの転機を伺いました。(2019年3月)
東京都出身。1987年、日本航空株式会社に入社し、大阪空港支店に配属。その後は、東京支店(89年)、広報部(92年)、国際提携部(97年)、福岡空港支店(2005年)を経て、06年に米州支社空港業務部でLAに赴任。帰国後は企画業務部(09年)、関西空港支店(14年)を経て、18年11月より現職。Web: jal.com
父が外交官だったので、インド、スイス、ニューヨーク、香港など海外を転々として育ちました。当時は転校のたび、「一から人間関係を作るのは嫌だな」と暗い気持ちになっていたのですが、どこも住めば都。やがて、いろんな人と出会い、新しい経験を積まないと人は成長できないと思うようになり、外に出る機会が多そうな日本航空(以下JAL)に入社したのです
– 伝える難しさを
痛感した広報の仕事
入社して数年は空港勤務。そこではお客様に正確な情報さえお伝えすれば大丈夫と思って仕事をしていました。
ところが、1992年の広報部異動でひとつの転機が起きます。当時はバブル崩壊直後で、JALもリストラの真っ最中。日本の航空会社として初めて客室乗務員の採用形態に契約制を導入することとなりました。「ついに厚遇な職種にメスを入れた」とマスコミに報じられると思っていたら、「時給制スッチー」とか「保安要員として大丈夫なのか?」とか、はたまた週刊誌では「覆面座談会」なんてものまで出て、客室乗務員にまつわるニュースが独り歩きを始めてしまったんです。会社が経費削減を頑張っていることを伝えたかったのに、こんな書かれ方をしてしまうのか…と驚きました。
また、世間の憧れで高嶺の花だった客室乗務員像が、あの一件で変わってしまったように思います。コミュニケーションとは、考え方や価値観が人それぞれ異なる中で、一方的に自分が正しいと思ったことを伝えるのではなく、相手の考えにまで浸透させないと成立しないと痛感した出来事でした。
さらに、その後、航空連合の「ワンワールド」加入の下地作りの交渉をしたことも、コミュニケーションの勉強になりました。アメリカ、イギリス、オーストラリアなど各国のエアラインの考え方は違いますし、自分たちの意見を最初に出さなかったり、右も左もいいと言ったりすると議論から置いていかれます。全社が納得できる意見をまとめるのは難しく、相手との温度差をコミュニケーションによって解消していくプロセスは勉強になりました。
– 他国を知るからこそ見える、シアトルの魅力
そして、昨年、シアトルに異動。新規路線や新支店開設に立ち会える機会はなかなかなく、スタッフ一同、やりがいを持って取り組んでいるところです。皆で同時期に渡米したので、一緒に頑張ろうという団結力がありますね。
子どもの頃から数えて、シアトルは20カ所目の住む場所。そんな私が、シアトルは新しく訪れた人が入りやすく、人々がとても親切な街と感じています。日本人観光客を増やすには旅先で嫌な思いをしないことは大切で、そういう意味でもシアトルは魅力的な街です。また、共同事業パートナーのアメリカン航空に加えて、アラスカ航空との提携は顧客の皆さまにとって使い勝手が良く、市場に新しい価値を提供できるようになったと自負しています。
今後は、北米のお客様に向けて、観光地としての日本の魅力をどのように発信していくかも考えていきたいところですね。まずは1便目ですが、ゆくゆくは便数を増やし、シアトルと東京を、日本人にとっても、アメリカ人にとっても、より行き来しやすい旅先にしていきたいです。
▲ シアトル支店開設メンバーと共に、シアトル日本商工会新年会にて。「支店開設はチャレンジングな仕事で毎日、奮闘しています」と山田さん。
コメントを書く