シアトルやポートランドで活躍する方々に人生の転機についてインタビュー
■ ポートランドで和太鼓奏者とパーカッショニストとして活躍するハンター石川英遠さん。音楽にとどまらず、アメリカで日本の食文化も伝える英遠さんに、転機を伺いました。(2020年3月)
埼玉県出身。幼少時より大江戸助六太鼓の望月左武郎先生に師事。10歳で渡米し、パーカッションを始め、セントラルミシガン大学を経て、ハワイ大学でパーカッションの修士号を取得。「ケニー遠藤太鼓アンサンブル」のメンバーとして活躍後、現在は音楽家としての活動に加え、後進の指導も行う。Web: www.eienhunterishikawa.com
両親によると、僕は2歳くらいから和太鼓を叩いていたそうです。地元のお祭りで父が尺八や笛を吹いていたこともあり、お祭りが大好きで、幼い頃から大江戸助六太鼓の望月左武郎先生に師事し、和太鼓を習っていました。
10歳で埼玉県からミシガン州に引っ越し、和太鼓が習えないのでパーカッションを始めました。高校生の時に参加したパーカッションのキャンプで、セントラルミシガン大学のパーカッション教授、ロバート・ホーナー氏に出会えたことを機に、大学で音楽を専攻すると決意。大学では、ジャズ、クラシック、ロックなどを演奏していました。
しかし、ある時、ケニー遠藤さん(アメリカにおける和太鼓の第一人者で外国人として初の邦楽囃子の名取)がハワイにいると分かったのです。僕が望月先生の元に通っていた頃、ケニーさんもLAから望月先生に鼓を習いに来ていたので、彼を知っていました。ハワイに行けば大学院進学と同時に、ケニーさんの元で和太鼓ができると思い、大学卒業後はハワイへ渡り、和太鼓を再開。ケニーさんの弟子となり、やがてツアーを共に回るようになりました。ソロでパーカッションの仕事を始めたのもその頃です。
– 和太鼓の演奏と共に、姿勢や礼儀も伝えたい
転機は2005年。ケニーさんの演奏のゲストとして若山胤雄社中率いる鈴木恭介先生に出会ったことです。若山胤雄社中は、日本の国指定重要無形民俗文化財である江戸里神楽、祭り囃子、江戸寿獅子を行う社中で、演奏や舞の素晴らしさはもちろん、教え方が素晴らしいのです。先生の稽古は厳しく、細かく、完全を求めます。でも、人間として相手をよく考えてくれて、温かいんです。礼儀作法、考え方、教え方など演奏以外にも学ぶことは非常に多く、感銘を受けました。
毎年、先生から稽古を受けるようになり、やがて、僕自身、和太鼓の演奏家として活動するだけでなく、先生と一緒に日本の伝統芸能や笛や太鼓をもっと広めたいと思うようになりました。ここ5年ほど、鈴木先生のアメリカツアーのアレンジもしています。日米の社会文化は違うので、どうしたらアメリカ人に理解してもらえるか、いつも考えています。鈴木先生の獅子舞は本当に獅子が生きているように動くので、ぜひ、いろんな人に見ていただきたいです。今は7月のアメリカツアーに向け、準備をしてます。
– 納豆と包丁研ぎ、二つのライフワーク
実は音楽の他に、ライフワークが二つあります。一つは納豆。音楽家はケガをしたり体調が悪かったりすると仕事ができません。健康を考えて納豆作りを始め、最近ではブログやニュースレターで納豆に関する情報を発信しています。家では味噌や漬け物も作っているんですよ。もう一つは包丁研ぎで、LAにある日本の包丁の輸入販売会社で教わり、覚えました。
両方とも最初は単なる趣味でしたが、納豆作りを教えてほしいとか、包丁研ぎを教えてほしいと頼まれるようになり、今ではさまざまなところに呼ばれてワークショップをしています。教えることって楽しいし、人の役に立っている実感があります。最近はツアー先でワークショップを開くこともよくあるんです。この2つも、長く続けたいと思っている活動です。
▲ 若山胤雄社中の鈴木先生(右)と英遠さん。英遠さんは、和太鼓だけでなく、篠笛、獅子舞などの指導も行います。
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