シアトルやポートランドで活躍する方々に人生の転機についてインタビュー
■ 昨年の6月より、在ポートランド領事事務所に着任した滋賀正樹総領事。元銀行員で、アフリカでの経験も豊富な総領事に、これまでの転機を伺いました。(2021年3月)
東京都生まれ、神奈川県育ち。1982年に一橋大学経済学部を卒業し、横浜銀行に入行。85年、外務省に入省。以降、ドイツをはじめ、オーストリア、ジンバブエ、ウガンダ、スイス、ボツワナなど、途中で東京での勤務をはさみながら、世界各国の領事や参事官として活躍。2020年6月より現職。好きな食べ物は地元、大船軒の鯵の押寿しと崎陽軒のシウマイ。
大学では経済学を専攻し、また、ドイツ史の先生について、ヨーロッパ史も学びました。歴史でも経済でも世界的にヨーロッパ諸国の影響はとても大きく、なぜこれほど力があるのかに興味があったのです。卒業後は銀行に入行したものの、1年で退社。世間は好景気でしたが、私自身は働くことで日本社会の閉塞感や、将来への不安を感じ、退社を決断しました。その後は、訪問販売のセールスマンなどいくつかの仕事を経験しましたが、その間もずっと、どこか遠くへ、もっと広い世界に挑戦したいという気持ちがあり、外国との接点が多い外務省の試験を受けて入省しました。人生の転機です。
入省した最初の頃は経済とヨーロッパに関する仕事に多く携わりました。1990年代初頭は、今のEUにあたるものができつつある頃で、当時、日本の経済をよく知る人がヨーロッパにあまりいない中、日本との貿易や規制緩和の話などを進めました。これは現在の「日EU経済連携協定」や、今年から発効した「日英包括的経済連携協定」の大元にあたるものなので、これらが発効した時は非常に感慨深いものがありました。
– やりがいを感じたアフリカの支援
自分のキャリアの中での大きな出来事はアフリカとの出会いです。03年にジンバブエ、08年にはウガンダ、17年にはボツワナに赴任しました。
一般的にアフリカには貧しいイメージがありますが、実際は豊かな土地や豊富な資源があります。しかし、人々の暮らしはなかなか豊かにならない。これは、アフリカにヨーロッパ諸国が入り込み、彼らは莫大な利益を得て発展した一方、現地人は取り残されたという歴史があります。この歴史と経済を自分の目で見て納得できたのは貴重な経験でした。
アフリカでの仕事の一つは経済協力で、例えばウガンダでは、ナイル川にかける橋の建設や学校建設などに携わりました。日本は長年、開発途上国に対し「草の根・人間の安全保障無償資金協力」というさまざまな支援を行なっています。これには現地で暮らす人と会ったり、現地の政府高官に直接働きかけたりすることが大切ですから、当時は水道も無いような辺境の地まで、現場を周ったものです。現地の人たちの生活向上につながるような事業を行い、感謝された時、この仕事のやりがいを感じました。
– ポートランドで手がけたいこと
17年からボツワナにいた私に、昨年、ポートランド赴任の辞令が下りました。素晴らしい土地と聞いていたのですが、なかなか外に出られず…。私の仕事は、直接現地の人々と会うことが重要なので、多くのイベントがオンラインになり、とても残念です。
一方で、成熟した日本人コミュニティーが当地にあると分かり、非常にうれしく、そして頼もしく感じています。今、ここまでを築き上げた日系アメリカ人の歴史を勉強しているところです。
総領事としては、まず、当地の皆さんに基本的なサービスを確実に行いたいと思っています。また、日本からこちらに食品やお酒などを広めたいという話が多くあり、そのためのアイデアを練っているところです。そしてゆくゆくは、アメリカの若者たちに、日本との接点を持てる場を作りたいと考えています。
▲ 2020年8月、セーラムでの日本関連展示会場での一コマ。「気軽に現地の人々と会話、雑談できる日が待ち遠しい」と滋賀総領事。
コメントを書く