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【私の転機】冨沢酒造 21代目当主 冨沢 守さん

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シアトルやポートランドで活躍する方々に人生の転機についてインタビュー

東日本大震災で被災した福島県双葉町の冨沢酒造。昨年末より、ウディンビルで酒造りを再開し、テイスティングルームもオープンしました。21代目当主の冨沢さんに転機を伺いました。(2023年3月)

冨沢酒造 21代目当主 冨沢 守さん
冨沢 守(とみさわ・まもる)

福島県双葉町出身。2005年、東京農業大学醸造科卒業。秋田県の酒造での修行を経て、2006年4月より、実家の冨沢酒造にて父の下で働き始める。2011年、東日本大震災で被災。2022年の秋より、ウディンビルで酒造りを再開し、テイスティングルームをオープン。好きな食べ物はラーメン。冨沢酒造のFacebook

私の生家である冨沢酒造は、福島県双葉町で300年以上続く酒蔵です。2006年から働き始め、当時は他社の海外進出を聞いても「私の代ではないだろう」と思っていました。全ての転機は東日本大震災です。「2、3日で家に帰れる」と聞かされて避難したきり、家に帰れなくなってしまいました。けれど、私と妹に廃業する気はなく、どうしたら再開できるか?と避難先でずっと考えていました。

日本酒業界では異例ですが、2012、2013年は会津の花春酒造さんが、蔵の一部を貸してくれて酒を造れました。その間に立て直すつもりだったんです。ですが、双葉には帰れず、酒税法では新しい土地で新規に酒蔵を始めることはほぼ無理。廃業する酒蔵を引き継ぎたくても時期が合わず、何かをしたくても「前例がない」と協力を得られず、八方塞がりでした。そんな頃、縁があり、茨城県の物産展関係者のアメリカ出張に妹がついて行ったんです。そして、帰ってくるなり「シアトルで酒を造る」と言い出しました。最初は冗談かと思いましたよ。

しかし、後日、妹に連れられてシアトルに行くと衝撃を受けました。パイクプレイスマーケットのPike Brewingでビールを造るタンクがズラッと並んでいたんです。日本の酒税法では、商業施設で酒を造って出すなんてあり得ません。また、そこら中で馬を見かけるウディンビルは地元のようだし、パイオニアスクエアは仕事でよく訪れた仙台に似ているし、ここなら、自由で柔軟な酒造りができる気がしてきたんです。その後、両親にも同じように感じてもらえ、家族でシアトルに行くことを決めました。決めたというか、国内で継続する道が次々と断たれ、2013年にはもう、アメリカに行くしか道が残っていなかったんです。

– 家族、土地高騰、コロナ進まない酒蔵造り
「無謀」「暴挙」、いろんな人から言われました。行けばすぐに蔵を造れると思ったら、そうはいかないものですね。まずはアメリカの法律や市場の勉強から始めましたが、2015年には蔵を支えてきた祖母が亡くなり、家族の体調不良も続き、さらにビザの切り替えも時間がかかり、家のことに時間が取られて、思うように進められない時期が続きました。やっと、酒蔵を借りようとしたら、今度はシアトルの土地高騰で物件がなかなか決まりません。2020年2月にやっと現在のウディンビルの酒蔵兼テイスティングルームのスペースを借りられました。ところが次はパンデミック。許可証の発行や物流が止まってしまいました。2021年に酒蔵の建設が始まり、全て整ったのが2022年の秋。ついに、最初の酒を造りました。

– 長かった復活の道、冨沢酒造のこれから
震災から12年。ここまで長かったですが、やっと始まりました。残念なのは、これを祖母に見せてあげられなかったこと。そして、思ったより腕が衰えていないことに安堵しつつも、父の力と自分の未熟さを感じました。2月と3月、父の助言を受けながら、本格的に仕込みを始めます。

震災前、冨沢酒造では15種類程の酒を造っていました。これからテイスティングルームでは「ひやおろし」など、期間限定の酒も出す予定です。少しずつできることを増やし、双葉にいた頃のような規模で酒造りができるようにしたいと思っています。

冨沢酒造 21代目当主 冨沢 守さん
▲麹室(こうじむろ)は地元産のシダーの木で造りました。2014年に掲載した妹の真理さんの転機はこちらのリンクから読めます。
 
*情報は2023年3月現在のものです

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