シアトルやポートランドで活躍する方々に人生の転機についてインタビュー
■ ポートランドと日本のメディアや企業をつなぎ、学術リサーチも行う山本彌生さん。さらに、オレゴン州知事室の諮問委員も務めます。多才な山本さんに、これまでの転機を伺いました。(2023年4月)
東京都出身。ポートランド州立大学卒。メリルリンチ証券会社東京アジア本社などに勤務する傍で、NYと東京で子どものためのボランティア団体を設立・運営。2003年にPDX Coordinator LLCを設立し、現在は国際プロジェクト・ディレクターとして多方面で活動中。好きな食べ物はオレゴン産の新鮮な野菜や果物。https://www.pdxcoordinator.com
最初の転機はポートランド留学です。高校卒業後、「外で苦労しなさい」とのすすめもあり、父の知人宅でホームステイをしながら大学を出ました。その後、東京の外資系企業に就職。仕事で英語力の未熟さを痛感し、働きながら通訳学校に通い始めました。
同じ頃、養護施設でボランティアも開始。さまざまな人との出会いを経て、自分がここまで来られたのは恵まれた環境のおかげと感じ、それを社会に還元したいと思ったことが背景にあります。そのボランティア先で知り合ったのが、アメリカから駐在で来ていた現在の夫です。その後、結婚してNYに渡り、そこで、子どものためのボランティア団体を立ち上げました。
後に夫は転職し、国際部代表の駐在員として再び東京へ。私には駐在員の妻として、各国の大使や日本の政治家とのつながりにより、国際関係を円滑にする役目があり。その経験から、行政の仕組みや、その分野における信頼関係構築の知見を得ていきました。同時に、児童養護施設のボランティア団体を再度立ち上げ、教育コンサルタントの資格を取得。現在も、収益の一部を、日本の子ども食堂や施設の支援金としています。
– 日本での経験がポートランドで開花
8年の駐在を経てNYに戻りましたが、より良い環境で子育てをしたいと考え、かつて学んだポートランドに引っ越したのが1999年です。
当時、日本での資格や経験を生かし、自分で子どもに日本語を教えていたことが自然と広まり。マルチリンガルの幼児学習指導を数多く頼まれるようになったことから、2002年に教室を立ち上げるに至りました。
翌年、ひょんなことから日本の雑誌記事をコーディネートする機会があり、そこから徐々に、ポートランドをメディアに紹介する仕事が増えていきました。実は、学生時代にメディアとつながりがあり、当時の知人から依頼がきたのも功を奏したのでしょう。メディア業務を機に、現在の会社を創設し、OAME(オレゴン州マイノリティー起業家協会)に加入。この協会の創設者は、州政府や歴代の知事と縁の深い方で、私が協会の国際部代表になったことから、州知事室の諮問委員に選出され、ブラウン前州知事の訪日に毎年同行するようになっていきました。
さらには、オレゴン州経済局との仕事を機に、ビジネス分野の業務も増加。そこから、普段会えない方、入れない場所へ行く独自の視察スタイルを作り上げていきました。また、行政の仕事からの派生で、レクチャーの機会も自然と増え、大学関係者からの学術リサーチの依頼も。このような形で、メディア、行政、ビジネス、学術リサーチを通訳のスキルで結び付けながら、ビジネスを広げていきました。
– 日本と縁の深い、オレゴン州の架け橋として
その時に合った一つ一つの仕事を丁寧に尽くした結果、一見バラバラに見える4分野が有機的に相絡み合いながら、実を結んでいきました。本土で1番日本語学習者が多く、また貿易相手国の2位は日本という親日家の多いオレゴン。そこに住む日本人として、地域・社会への貢献という種まきをし続ける日々。両地域をつなぐ国際リーダーとして、日々の営みが豊かな枝葉となる働きをし続けたいと願い務めます。
▲駐日アメリカ大使館にて、「2022年オレゴン州対日貿易会議」の関係者が集結。中段中央、ブラウン前州知事の左側が山本さん。