シアトルやポートランドで活躍する方々に人生の転機についてインタビュー
■ ダンスにとどまらず、メイク、演技など、舞台にまつわることを幅広く教えるベルビューのUVPerforming Arts。ここで代表を務める薄井ビラリアル英里さんに転機を伺いました。(2021年4月)
8歳からダンスを始め、高校2年生からプロのダンサーとして活躍。1991年Ballet Arts Center in NYCに留学。NYのMarcySimon and Dancers Companyでダンサー、振付・監督アシスタントを務め、04年シアトルへ。10年、ArtRise Danceを設立。17年、UV Performing Artsを設立。好きな食べ物は納豆と漬物。(www.uvperformingarts.com)
8歳の時、バスで見たダンス教室の広告に興味を持ち、通い始めたのがダンスを始めたきっかけです。たまたま乗ったバスが人生の転機になってしまいました。そこは松竹歌劇団出身の先生の教室で、ジャズダンス、バレエ、日舞などさまざまな踊りを学びました。高校2年生頃にはCMやイベントなどダンスの仕事を始め、卒業後はプロのダンサーになりました。
高校卒業から数日後、NYから来た先生のワークショップに参加したら、これが衝撃的で…。私が2、3回回るところを、先生は5、6回回って涼しい顔で次の動作に移るんです。音の取り方、表現力、全てがハイレベルで、どうしたら先生のようになれるかと聞いたら「NYに来なさい」と。そこから必死に働いて、お金を貯めてNYに留学し、バレエ学校と並行して、その先生のクラスを受けました。
クラスメイトは、帰る家がないとか、親には1ドルも頼れないとか、ギリギリのところからダンスに賭けてNYに来ている人たちばかり。そのハングリー精神に圧倒され、私も大いに刺激を受けました。修了後は、NYにあるカンパニーでダンサー兼振付師兼監督アシスタントとして就職。振り付けの指導や経費の計算をしながら、本番が始まれば私もステージへ。やるからにはトップになりたいので、ダンスも裏方の仕事も妥協はしませんでした。しかし、結婚と出産を機に、ダンスは一旦お休みに。2004年、夫の仕事の都合でシアトルに引っ越しました。
– 娘がつないでくれたダンスの縁
ある日、娘と公園に行き、その場にいた人と立ち話をしていると、近所の小学校でミュージカルを教える人を探していると聞きました。偶然にも、NYで私がオーディションを受けたミュージカルが題材で、私が振り付けを覚えていたことから、振り付けを指導することになり、それを機に、小学校でダンスを教え始めました。
そしてまたある別の日のこと。娘の空手の先生が、ダンサーでもあると分かったんです。実は、出産前、未完で終わった振り付けがあり、心残りでした。そこで、振り付けを完成させ、その先生と娘に踊ってもらい、友人のバイオリンの演奏と合わせて発表したんです。観客席でお客さんが嗚咽しているのを見て、プロデュースの面白さに目覚めました。もっと作品を作ってダンサーを育てたいと思ったんです。そこで、空手の先生と共にダンススタジオを設立しました。
– 伝えたい日本らしさと舞台に立つための力
その後、17年に独立し、日本の動きを取り入れた表現や、歌やメイクや衣装作りなどダンスや舞台にまつわることを総合的に学べる場としてUV Perfoning Arts を作り、現在に至ります。
プロになりたい、テレビに出たいなど、個々のやりたいことをサポートしています。指導で大事にしているのは礼儀とあいさつ。そして努力は裏切らないと伝えたいです。フロリダのディズニーワールドで踊ったり、ダンスで日系アメリカ人の歴史を表現したり、日本のミュージカルスクールとミュージカルを作る話も進んでいたりします。
コロナで今まで通りとはいきませんが、新しい方法を模索しつつ、ハイレベルな作品を今後も送り出したいです。
▲ 現在は、スタジオとオンラインでクラスを開講中。4歳から大人まで、それぞれが、自分自身の目標に向かって頑張っています。
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