シアトルやポートランドで活躍する方々に人生の転機についてインタビュー
■ アメリカの国定歴史建造物であるTimberline Lodgeの修復から、精緻な器や花器まで、オレゴンで木の建築や彫刻に携わる二谷政道さん。二谷さんに、これまでの転機を伺いました。(2022年4月)
photo by Hiroshi Iwaya
北海道出身。中学卒業後、アイヌ彫刻の弟子になる。1969年、神戸の船会社に就職。ポートランドへは73年に1年、77年に約半年滞在し、83年に移住。建築関係の仕事の傍ら自身の作品作りも行い、クラフトフェアなどに出展。会員になっているGuild of Oregon Woodworkersでは、デモンストレーションや、後進の指導も行う。好きな食べ物は魚。
僕は北海道日高にあるアイヌ部落の生まれです。中学の頃から土産物の木彫りの熊の置物を作るアルバイトをしていて、それが非常に面白かったんですね。中一で父が亡くなった後、親戚の有名な彫刻家が親身に世話をしてくれて、中学卒業後にアイヌ彫刻の修行先を見付けてくれました。2年後、2人の師匠に付いた修行が終わる頃、友達が「船で外国に行ける仕事がある」と教えてくれて、それを転機に神戸の船会社に就職しました。外の世界が見たかったんです。貨物船で太平洋沿岸のいろんな国に行き、ポートランドにも木材を積むために3度行きました。
4年で会社を辞め、仕事で行くことのなかったヨーロッパに行ってみようと思ったのだけど、お金がなくて。代わりに物価の安いポートランドに1年滞在しました。友達がいるし、良い木があって、彫刻家もたくさんいたから、僕もこの街でやっていける気がしたんです。それから、一時滞在や母の闘病や死を挟み、1983年に移住しました。
– 周りの人に助けられ 仕事のチャンスを手に
移住したばかりの頃、知人の家の庭で大きな熊の彫刻を作っていたら、テレビのニュースで紹介されて、それを見た日系人が「何か困ってることはない?」と連絡をくれて、建築関係の仕事を紹介してくれました。今も昔も僕は周りの人に助けらればかり。運が良いんです。建築の仕事は、屋根を剥がすとか、穴を掘るとか面白くてね。でも、僕は木の扱いに慣れているから、だんだん建築の中でも木に関わる仕事が増えて、結婚して子どもも生まれたので10年後に独立しました。
彫刻は主に建築の仕事が少ない冬にやります。クラフトフェアにはずっと出していて、85年に地元のフェアに出品したら、マウントフッドにあるTimberline Lodgeの人に仕事をしないかと声をかけられました。Timberline Lodgeは築90年以上の豪華なロッジだけど、あちこち傷んでいて、外壁の大きな彫刻を作り直したり、テーブルや椅子を直したり、何十年もいろいろやらせてもらいました。英語は得意でないけど、技術があったからこれまでやってこれたのかな。若い頃、我慢して修行したのが良かったのかもしれないですね。
他に印象に残っているのは、中国の古い船の復元。未知の仕事で、時間も手間もかかったけど、一枚板のカッコ良い船なんです。2017年の木の国際イベント「World Wood Day」で、中国の彫刻家たちと高さ12フィートものダルマのレリーフを作ったのも楽しかったですね。難しいことを成し遂げた時は最高に気持ちいいですよ。
– いつか一つでも、自分の思い通りの作品を
木は面白くて、39年はあっという間。仕事はもう引退したけど、昔のお客さんから声がかかれば行きます。仕事と作品作り、両方やらないとバランスが取れないでしょう?
いつかは完全に自分のイメージ通りの作品を完成させてみたいです。こればかりは奥が深くて…。美術館で素晴らしい作品を見ると、自分の技術なんて大したことないと思います。台湾の故宮博物院に行った時は人間離れした技術を見て落ち込みました。そのレベルまで到達できないだろうけど、でも、彫刻は、努力するだけの価値のあることだと思ってます。
▲2022年5月6〜8日、Oregon Convention CenterのHalls A-A1「Guild of Oregon Woodworkers」のブースでデモと販売を予定。写真は二谷さん作の花器。