シアトルやポートランドで活躍する方々に人生の転機についてインタビュー
■ 120年以上の歴史を持つシアトル別院。昨年12月31日に放火され、1月2日には残り火から再出火。現在、本堂は閉鎖されています。復興を目指すシアトル別院で輪番としてここを統括する楠さんに、これまでの転機を伺いました。(2024年4月)
くすのき・かつや◎長崎県出身。長崎市にある浄土真宗本願寺派巍々山光源寺の次男として生まれ、宮崎大学教育学部に在学中、青年海外協力隊の隊員としてジンバブエで野球を指導する。大学卒業後、宮崎県内の小学校の教員に。京都で修行をした後、2010年に開教使としてカリフォルニア州ローダイに赴任。2017年から現職。好きな食べ物はちゃんぽん。
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– どんな子ども時代でしたか。
実家は長崎市内にある浄土真宗本願寺派の光源寺というお寺です。子どもの頃はお寺の息子であることが嫌で仕方ありませんでした。外に出れば「お寺の息子さん」と言われ、お寺の手伝いでお坊さんの格好で出掛けるのは恥ずかしく、それを友達やその親に見られるのはたまらなく嫌でした。野球少年だったので、将来の夢はお坊さんではなく野球選手で、もう少し成長してからは野球を教えるために学校の先生になろうと思いました。ただ、友達と同じように高校、大学と進み、そのまま就職することがなんだかイメージできなくて…。大学の先輩や兄の友人が青年海外協力隊員だったことから、私もチャレンジすることにしました。
– 青年海外協力隊では、どこで何をしたのですか?
大学を休学し、ジンバブエの小中学校で野球を指導しました。嫌いだったお寺を離れ、毎日朝から晩まで野球ができ、その上お給料までいただけて、本当に楽しくて幸せな日々でした。親を頼らず、自分で海外でやっていけたことも自信になりました。
– 帰国後はどうされましたか?
大学卒業後は小学校の教員になりました。ただ、ジンバブエの2年4カ月が転機というか、あの経験がどうしても忘れられなくて、また海外で働きたかったんです。でも、手に職はなく、教員歴も浅く、英語力が微妙では就職先がありません。両親に相談すると、父が「ブラジルやアメリカにもお寺はある。行きたい人が少ないから簡単に行ける」と言うのです。嫌いだったお寺が、海外に出る一番の近道でした。今となっては、私を僧にしたい父にうまく乗せられたのだと思いますが(笑)。確かに開教使(布教のため海外に派遣される僧侶)の希望者は少ないですが、そもそも募集が少なく、誰でもすぐになれるわけではありません。小学校を辞めた後、京都で僧侶の基礎を教える学校で1年学び、それから読経や作法、法話などを専門にする別の学校で学んだ後、カリフォルニア州のバークレーにて海外でお坊さんになるための研修を受けました。
– いつからどこで開教使をされていますか?
日系移民のいる土地にはお寺があります。浄土真宗本願寺派の寺院はカナダに12、アメリカ本土は58、ハワイは32、南米には35あり、日本の本山からの任命で各地に開教使が送り込まれます。私はアメリカ国内の寺院の配属を希望し、2010年1月、カリフォルニア州のローダイ仏教会に着任。2017年には人事異動でシアトル別院に赴任しました。
– コロナ禍中は大変だったのでは?
最初は何から始めていいのか分からず、お寺として何ができるか?と考え込みました。でも、コロナ前からオンライン配信はしていたので、これを充実させて布教活動を続けられました。お説教、読経、歌を録画してつなげ、まるで毎週テレビ番組を作ってるようでしたね。ポートランドやタコマのお寺と協力してプログラムを作ることもありました。夏の盆踊りはなかなかできなかったのですが、昨年の夏にやっと再開できました。盆踊りは地域に定着した大きな行事で、皆さんに楽しんでいただけてよかったです。
– 年末年始の火事についても教えてください。
12月31日の夜に警備会社から電話があり、外に出るとすでに消防車が何台も来て、消火活動を始めるところでした。後から防犯カメラで確認すると、不審者がガレージに入り、中で投げたガス缶から出火したようです。犯人はその後、別の家への侵入で捕まりました。消防署が「火は消えた」と確認してくださったのですが、2日に残り火から再出火。煙による寺院内のダメージは2回目の方が大きく、さらに2回目の方が念入りに水をかけたので、いろんなものが水浸しになってしまいました。
– 今、どのような状況ですか?
シアトル別院は1901年に設立され、昔の資料をデータ化する作業を以前から進めていたのですが、量が多く、全部はできていなかったんです。今回、古い資料が燃えたり水浸しになったりしてしまいました。残った水浸しの資料はデジタルでの保存を急いでいます。また、本堂内陣の仏具は日本に送って修復してもらっています。仏具は90年くらい前のもので、修復がずっと後回しだったので良いきっかけだったのかもしれません。今年の盆踊りは、今までと同じにはできないでしょうが、形を変えて行いたいとメンバーさんたちと考えているところです。布教活動も大事なので、できる範囲で続けたいですね。今はオンライン配信や、お寺の裏のDensho(日系アメリカ人の歴史を伝える団体)の部屋を借りて礼拝や法座を行なっています。多くの人が助けてくださって本当にありがたいです。人的被害がなく、本堂の建物がそのままなのが幸いでした。具体的に決まらない部分もまだ多いですが、人と本堂があれば、復興への道は描ける気がしています。
▲2018年、盆踊りのオープニングの様子。きらびやかだった本堂の内陣(御本尊を安置してある奥の間)は、現在日本で修復中。25年の春頃に戻ってくる予定です。