シアトルやポートランドで活躍する方々に人生の転機についてインタビュー
■ シンガーソングライターの福島邦子さん。昨年、東京からシアトルに引っ越し、新天地でライブやボーカル・レッスンなどを計画している福島さんに転機をうかがいました。(2015年5月)
1977年、ヤマハ・ポピュラーソングコンテストつま恋本選会入賞。翌年、フォーライフレコードよりデビュー。研ナオコ『ボサノバ』をはじめ多くのアーティストにも曲を提供するほか、テレビ番組主題歌なども手がける。2014年よりシアトル在住。5/13シアトル敬老、6/4南青山マンダラでライブ予定。オフィシャルサイト:www.kuniko-fukushima.com
私の家は音楽一家で、母は松竹歌劇団出身、父と2人の兄も楽器をやっていました。私はピアノの先生が歌も教えてくれたことで、歌うことに目覚めたんです。大きな転機となったコンテストには兄と出ました。中島みゆきさんなどを輩出したプロの登竜門的なコンテストでしたが、私は大きなイベントのようなつもりで出場。その年、グランプリを取った世良公則さんと競り合って入賞し、フォーライフレコードから声をかけられました。厳しい世界だから簡単にプロになれるとは思わず、青春の記念のつもりでレコーディングしたのですが、それがデビュー曲になったんです。フォーライフは吉田拓郎さんや井上陽水さんが設立したレコード会社。デビュー当時はオリジナル曲も少なかったのですが、周りのミュージシャンやスタッフから刺激を受けてプロ意識が芽生え、曲が書けるようになりました。環境が育ててくれましたね。フォーライフに10年くらい所属した後、フリーになりました。
– 音楽から離れて知った 音楽の楽しさ
実は、フリーになった後、3年ほど音楽をやっていない時期があるんです。フォーライフ時代、ちゃんとやらなければ、良い曲を作らなければとプレッシャーを感じていました。プレッシャーをバネに伸びるべきだったのですが、私はそれがストレスで、歌うことが苦痛になってしまったんです。今思えば、それが根底にあったかもしれません。プライベートで落ち込むことも重なり、すっかり痩せ、フリーになってから始めたレッスンの仕事は減り、カフェでアルバイトをする日々。
でも、周りのミュージシャンを見て、このままではいけないと思うようになり、ライブを再開しました。久々に歌ったら、解放された気持ちになりすごく楽しくて。歌うことが好きだと改めて思いました。音楽が本当に楽しくなったのはそこからですね。
ミュージカル仕立てなど実験的なライブをしたこともありました。でも、ある時「シンプルに歌うだけでいいんじゃない?お客さんはそれで喜んでくれるよ」と仲間のピアニストから言われたんです。シンプルに曲を書いて自分が楽しめるならそれが一番と気付き、今に至ります。2005年にNHK-BSの番組主題歌を手掛けたことも大きく、新しく私の歌を聴いてくれる人が増えました。
– 新天地シアトルでの 新しい挑戦
このまま音楽をやりながら東京で暮らしていくだろうと思っていました。ところが11年、たまたま東京に来ていたシアトル在住の男性と出会ってしまったんです。13年に結婚し、昨年シアトルに引っ越しました。これも転機です。
生活がだんだん落ち着いてくると、自分のできることを何かしたいと思うようになりました。芸能プロダクションなどでボイス・トレーニングの講師を長年していて、教えた生徒はかなりの数です。シアトルの芸能事務所で仕事をしている知人に相談し、ボーカル・レッスンを始めることにしました。
また、ずっと夢だったのですが、自由に歌ったり、ピアノを弾いたりできるスペースを作りたいと思っています。ライブハウスなのかスタジオなのか形は分かりませんが。音楽で人が集まれる場ができたらいいですね。
>▲ デビュー当時。プロになるつもりはなく、青春の記念にとレコーディングした曲が発売されることに
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