シアトルやポートランドで活躍する方々に人生の転機についてインタビュー
■ ここ数年、いくつもの日本の街がポートランドをお手本に、サステイナブルなまちづくりに取り組んでいます。仕掛人はポートランド市開発局の山崎さんです。これまでの転機を伺いました。(2016年5月)
1975年東京都生まれ。95年に渡米し、南ミシシッピ大学で学士と修士号を取得。その後、建設会社、経済開発財団やコンサルティング会社勤務を経て2012年3月、ポートランド開発局に入局。同年10月より現職。今月には著書『ポートランド 世界一住みたい街を作る』(学芸出版社)を刊行予定。We Build Green Cities。
写真©Kisshomaru Shimamura
中学でバレーを始め、高校はバレーの強豪校へ推薦入学しました。でも、将来バレーで食べていけるとは思えず、英語の先生に進路を相談すると、英語スピーチコンクール出場をすすめられたのです。猛特訓の末、県で2位に入賞。真剣にやれば運動以外にも道はあると気付けました。これは転機です。副賞の海外研修を経て、もっと英語を頑張ろうと思いました。
高校卒業間近、アフリカの戦場で国連職員が活躍する新聞記事を読み、国連に憧れるように。アルバイトで留学費用を貯め、渡米したのが20歳のときです。
– 地域経済開発で知った ポートランドの面白さ
ミシシッピの大学では国際関係を専攻。また、交換留学でメキシコに行った際は貧しい人々の生活を目の当たりにしました。大学での学びから、この人たちを助ける手段は国連だけでないと分かったものの、卒業後の進路が決まりません。大学の先生の「世界を良くするのが国連で、自分の住むコミュニティーを良くするため、地に足を着け、手を汚すのが経済開発。経済開発に進むなら、国際関係の知識は重要」との話に引き込まれ、大学院に進学し、経済開発を学ぶことにしました。
修了後は、米南西部の建設会社、経済開発財団、コンサルティング会社で自動車工場などの企業誘致や街の経済開発に関わるように。アメリカ中を飛び回りました。
仕事の関係でポートランドへ行くようになったのは2010年頃から。他の街と違う雰囲気を感じていました。また、仕事の資料作成で、データを基に目指すべきサステイナブルな街をリストアップすると、大都市が並ぶ中、いつもポートランドが上位に食い込むのです。小さい街なのになぜ?と興味が沸きました。例えば、普通、省エネといえば、電力不足を受けて行政が政策を作り、市民に落とし込みます。ポートランドはダムがあるから電力が潤沢にあるのに、市民自らお金のかかる再生可能エネルギーの利用に取り組むのです。
一体、どんな人々が暮らす街か調べるうち、ポートランドにハマりました。そして、もっと知りたいと思った矢先、今の職場が人材を募集しており、就職できたのです。当時、他地域で非常に大きな仕事のオファーも頂いていましたが、それよりもポートランドの暮らしやすさが魅力的でこちらを選びました。
– ポートランド流を 日本のまちづくりへ
仕事の主軸は2つあり、1つは海外への投資の呼び込みや企業誘致。2つめは、現地企業の海外進出や輸出の手伝いです。その一環で、ポートランドが培った官民一体の都市計画など持続可能なまちづくりのノウハウを日本のまちづくりに織り込んでいます。千葉県の「柏の葉プロジェクト」では街のマスタープランに携わりました。今や柏の葉はITや環境技術を駆使したスマートシティーとして有名になり、うれしいです。他にも過疎化の進む和歌山県有田川町など、複数の案件が進行しています。
今年2月には内閣府の地方創生推進室主催で、日本の市町村とポートランド市がスマートシティーへの取り組みの意見交換をするイベントもありました。今はこれらが、将来の日本のまちづくりの手本として育ってくれればと夢を抱えて仕事をしています。
▲ 和歌山県有田川町でのワークショップの様子。ポートランド式の地方創生は日本各地から注目が集まります
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