シアトルやポートランドで活躍する方々に人生の転機についてインタビュー
■ 自然科学分野で顕著な研究業績を収めた女性科学者に贈られる猿橋賞。今年、植物の気孔ができる仕組みの解明でこの賞を受賞したワシントン大学の鳥居啓子さんに転機をうかがいました。(2015年6月)
1993年、筑波大学大学院生物科学研究科博士課程修了。日本学術振興会特別研究員を経て、94年にイエール大学博士研究員として渡米。2009年、ワシントン大学教授。11年、ハワード・ヒューズ医学研究所正研究員。13年より名古屋大学トランスフォーマティブ生命分子研究所客員教授。専門は植物分子遺伝学、植物発生学。
子どもの頃、オモチャみたいな顕微鏡でいろいろなものを見るのが好きでした。植物の世界へ本格的にのめりこんでいったのは大学時代から。実験や実習が楽しく、また、1980年代後半頃から、遺伝子組み換え作物の登場や、今までにない研究方法の登場で新しいことが分かるようになるなど、この分野に可能性を感じるようになりました。
大学院、東京大学の実験施設へと進み、東京大学での任期終了を前に、次の就職先が決まらないような状況に。でも、この頃、植物の細胞はただ並んでいるのではなく、緊密にコミュニケーションを取り合っていることを発見しました。国際学会で発表すると、あの発表をした人は誰?と大きな注目を浴び、これが転機となり94年に研究員としてイエール大学に入り、その後、ミシガン大学を経て99年からワシントン大学(以下UW)にいます。
– パートナーと娘たちが もたしてくれたもの
UWでドイツ人物理学者のパートナーに出会いました。他分野だからこそ、大きな視点をもたらす提案をしてくれる彼の存在は大きいです。
また、2人の娘の存在も重要で、特に印象深いのは、次女の出産前後です。彼女を産んだ日、権威ある学術誌『Nature』に私のラボの論文が出ました。当時のラボのメンバーは皆、優秀で、実験の成果が出て、良い論文が何本も書け、おかげで研究員達は他大学の教員となり、出産直後にラボがもぬけの殻になってしまったんです。アメリカの教員とは、申請書を書いて研究費を確保し、そのお金で博士研究員や学生を雇い、彼らと一緒に実験して論文を書き、それを良い雑誌に出さないと次がありません。個人事業主みたいなものです。子どもたちが小さくフルで働けず、再びラボを軌道に乗せるのに2年ほどかかりました。その間、競合グループがどんどん成果を出していったのも辛かったです。
けれど、子どもがいると、限られた時間の中、重要なことだけに力を注ぐようになります。私は他の研究者と比べ、発表した論文数は少ない方ですが、どれも高い評価を頂いています。トップレベルの機関が研究資金を提供する対象者を選出する時などは、その人の過去5本の論文を見てくれたりするので、総数が多くなくても、良い5本の論文があれば逆転のチャンスが出てくるわけです。
11年、ノーベル賞を取るような世界トップレベルの科学者たちを助成するハワード・ヒューズ医学研究所とゴードン&ベティ・ムーア財団に植物学者の一人として選出していただき、5年分の研究に専念できる資金と環境を与えて頂けることになりました。そして今春には植物の気孔ができる仕組みの解明で名古屋大学客員教授として猿橋賞の受賞。所属するトランスフォーマティブ生命分子研究所は、13年に始まったばかりなので、知名度アップに貢献できてうれしく思います。
– 植物の研究で広がる 新しい仕事の輪
私の専門は、植物細胞のコミュニケーションと気孔ですが、農作物のバイオマス生産や大気環境保全などいろいろな分野に複合的に関わってきます。社会的にも生物学の問題は複雑になってきており、今後は、気孔を通して、幅広い分野の方たちと共に仕事をしていきたいです。
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