シアトルやポートランドで活躍する方々に人生の転機についてインタビュー
■ シアトルでソフトウエアエンジニアとして働く加瀬詩子さん。子ども向けのコンピューター講座の講師も務めています。そんな詩子さんの、これまでの転機を伺いました。(2020年6月)
母が中国人、父が日本人で、子どもの頃から何度か中国で教育を受けました。また、アメリカの中学校に短期間通い、卒業する機会があったことや、東京のインターナショナルハイスクールでは同級生の多くが海外の大学を目指していたことから、自然とアメリカの大学を目指すようになりました。
転機の一つは高校のITの授業です。この授業で、コーディングによって自分で機械を動かせる面白さに目覚めました。また、この授業で、東京のGoogleのオフィスに見学に行ったことが進路の決め手になりました。オシャレな社屋で、皆、楽しそうに一生懸命働いていて、しかもご飯が無料(笑)。妊娠中の社員が「働きやすい会社」と言っていたのが印象的で、将来はエンジニアになって、こんな素敵な会社で働きたいと思いました。
– 不本意な地理専攻が 大きな強みに
ワシントン大学(以下UW)に進んだのは、コンピューターサイエンス(以下CS)分野で全米トップクラスの大学だからです。ただ、UWは一般教養などの成績が良くないとCSが専攻できず、非常に人気があって狭き門でした。私は入れず、不本意ながら地理情報システム(以下GIS)を専攻することに…。今思えば、これも転機ですが、当時は、これではGoogle入社が目標と言う以前に、エンジニアとして就職先がないのでは?とか、親に学費を出してもらってせっかくここまで来たのに、なぜ興味のない分野を勉強しなければならないのかと、自分自身に腹が立ち、とても落ち込みました。ただ、このまま何もしないのは悔しいので、CSを副専攻で取ることにしました。
ところが、3年生の時、Amazonでインターンをした際に、社内でGISのバックグラウンドを持つソフトウエアエンジニアの募集を見付けたのです。「これって私のこと?」と急に目の前が開けた気持ちになりました。そしてインターン後、その部署に就職が決まり、今は、ここでデータセンター間のケーブルを管理しています。ここで働けたことで、私のやってきたことはこれで良かったんだと、救われた気持ちになりました。
– 続く後輩がいるからどんなことも頑張れる
これまで、何度か母校の高校のITのクラスで話をしています。後輩から相談されたり、「あなたのおかげでこういう道に進むことにした」と聞いたりするとうれしいです。私の後に続こうとする後輩がいると分かって以来、さまざまな団体やイベントに積極的に参加、挑戦しています。
先日は、シアトルITジャパニーズ・プロフェッショナルというIT関係の団体の子ども向けオンライン講座で講師を務めました。小学生に分かる言葉でプログラミングを教えるのは難しく、楽しかったです。当日は中国からの参加もあり、急遽、日英中国語で行いました。はじめは「私が講師でなくてもいいのでは?」と思ったのですが、参加者の保護者から「女性エンジニアが出てきたことは娘にとってインパクトがあり、夢中になっていた」とうれしい感想をいただきました。
社会人としては、まだ1年経ったばかり。早く一人前のエンジニアとして認められ、Amazonで成長して、公私共にもっと大きなことにチャレンジしたいと思っています。
▲ ワシントン大学在学時、地理情報システム専攻では初となるハッカソン(開発のスピードと質を競うエンジニアのイベント)を開催しました。
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